蜂のこと その22

●借りた書籍『蜜蜂が降る』から

尾崎一雄の『蜜蜂が降る』を昨日図書館で読んでいました。尾崎の家の裏庭の老木に棲みついた蜜蜂のことを淡々と書いたものです。年老いた働き蜂が、降るように地面に落ちて死んでいる、「蜂騒動」そんなことが綴られています。わたしが知る養蜂家が、そこら中に死骸があると言って地面を見た時のことを思い浮かべながら読みました。これは、決して悲しいことではなく、種が存続するためのサイクルです。蜜蜂は子どもを産むことのできる女王蜂をひと家族として巣を持ちますが、この巣が分かれてまた新しい巣ができる、この巣の単位としてでなければ種が増えるとは考えにくいようです。一度、この分封を観たいと思います。これまでは、寒い時期に観察に出かけていたのですが、これから春に向けて蜜蜂の活動は活発になるので羽音で沸きかえる巣箱に、わたしは大丈夫だろうかと、適性を試される機会になりそうです。
尾崎の文章の中にPathetic Fallacy、感情的誤謬という言葉が出て来ます。無生物に人間の感情を帰することと言っていますが、尾崎は蜜蜂という生物に感情があるように思うと書いています。働き蜂を観ていると、ひたすら蜜源に行って戻って来て貯蔵しての繰り返しの作業がどうしても機械仕掛けのように思える時があります。でも、巣箱の入口近くでもぞもぞと頭を付き合わせてたりしている様子や、こちらの様子をうかがっているように思えることがあると、感情があるもののようにも思えて来るのです。
図書館で3冊の本を借りました。昭和28年に発行された『蜜蜂の不思議』カール・フォン・フリッシュ著(法政大学出版局)、『新しい蜜蜂の飼い方』井上丹治著(泰文館)、『養蜂記』杉浦明平(中央公論社)。しばらくこの3冊は私と一緒に移動をする本たちになりそうです。フリッシュの実験はおもしろいです。そして、この本は、折り目がついていたり、えんぴつで線が引かれてある箇所が残っていて、一体どんな人がこれを読んでいたのだろうと気になる一冊でもあります。