蜂のこと その11

●養蜂はいつの時代から

bee_011.jpg


今朝の嵐は台風並でした。我が家のベランダのベニヤ板の屋根を突風が一部さらっていってしまいました。
この大嵐で早朝から目が覚めてしまい、ごろごろと布団の中で「こんな時みつばちはどうしているだろう」と考えていたのです。自然巣の場合は雨風をできるだけ防げる場所をあらかじめ蜂が選ぶのでしょうが、養蜂の場合は人間が家畜として飼っている以上、巣箱の管理は養蜂家の長年の経験と勘で守られているはずです。
そもそも、蜂蜜の採取と人とのかかわりは紀元前6000年ごろからといわれています。最古の資料とされているものにスペインのバレンシア地方にあるアラニアの洞窟の壁画があります。養蜂家もこの洞窟を一度は訪れたかったそうですが、公開日や人数の制約が厳しく、機会を逃していると残念そうに話していました。
古代エジプトのピラミッドの中にはみつばちと蘆を組み合わせたヒエログリフ(象形文字)が出てくるのです。エジプト王朝のシンボルであったといわれ、みつばちは下エジプト、蘆は上エジプトの象徴とされていた。つまりこの両方を統治していた支配者がファラオであったのです。第18王朝のツタンカーメンの墓からは副葬品の中に蜂蜜が出土したのはよく知られた話です。
バビロニアで死んだアレキサンダー大王の遺体は蜂蜜漬けでアレキサンドリアまで運ばれたといわれます。すでにエジプト人たちは蜂蜜には防腐作用があることを知っていたようです。以前に養蜂には転地養蜂と定置養蜂があると書きました。このエジプトの時代は船にみつばちを積んで、花を追いながらナイル川を上下していたという人がいます。転地養蜂がすでにこの頃には行われていたとなると、この時代のエジプトの養蜂技術は非常にレベルの高いものであったにちがいないのです。歴史的なものをたどると、ギリシャ神話や旧約聖書、ヨーロッパ中世などの話しも少しずつまた書いて行こうと思いますが、今は割愛して話しを近代に飛ばします。

*写真はプラハを訪れた時、街の建築物に彫り込まれた蜂の巣の彫刻を撮影したものです。