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2007年02月19日
詩の歩道橋

ある雑誌でアーサー・ビナードと木坂涼が、ウクライナ移民で1922年ニューヨークに生まれたグレイス・ペイリーの詩について書いていた。そのタイトル訳が「詩に書く代わりに」だ。
詩に書く代わりに
詩を書くつもりでいたけど、代わりに
パイを作ることにした。かかる時間は
だいたい同じで、ただ、パイだと
下書きも手直しもなく、いきなり
発表となる。詩は一旦、最後まで書いて
それから何枚も紙をくしゃくしゃにして
完成までの道のりは何日も何週間も。
パイの場合は、できあがる前からすでに
興味津々の見物人が、台所の床の上で
小さなトラックや消防自動車と一緒に転がって
にぎやかに声援を送ってくれる。
パイという作品は、万人に受ける。
リンゴとクランベリー、ドライフルーツの
アップリコットも入って、友人たちは
いってくれる——「一個だけ作ったの?
もっといっぱい作ればよかったのに!」
詩についてそういわれることは、まずない。
この詩はまだ続くのだが。わたしは、ある時、急に菓子を焼く。手の込んだものを焼いていた時期もあったけど、今はリンゴかはちみつ菓子を究めている。とくに粉を大切に考えてつくる。レパートリーは少ない方がよくて、それを深く掘り下げることがおもしろくなった。
菓子を焼くとはいっても頭の中ではいつも別のことを考えている。
いつでも、みつばちの木箱との関係をああでもない、こうでもないと、ほんのちょっとでもいい「つなぎ」を見つけようとする。だから、菓子を焼いているとき、書きたいことばが突然ふっと浮かぶなんてことがよくある。
パイという作品と詩の対比は台所の余白だと思う。
posted: mitsubako at 12:55 AM
この詩、とても気に入りました :)
わたしもお菓子づくりの最中は、考えごとをしていることが多いです。お菓子は考えごとの副産物かもしれない。それとも考えごとの副産物がお菓子なのかなぁ。
金や銅を掘っていると、いろんな色のきれいな半貴石の鉱脈が同時に見つかって、ごろごろ採れるように。
金や銅のほうが圧倒的に(いまの世の中では)高価だし、有用なんですが、いろんな色をしたいろんな石に惹かれる人が多いのも事実。
金なのか、石なのか、どっちが目的だかよくわかりません。
パイと詩のことを一緒に考える、そんな人たちがわたしは好きです。
追伸:ライ麦粉入りパンデピス焼いてみました。わたしもこれから探究します ;)
posted: ya ma@tokyo on 2007年02月19日 11:14