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2005年10月03日

伊東忠太の壁画

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わたしは、生まれだけは大阪でした。たった2歳で大阪から父の転勤のため仙台へ移り住みました。ですから、幼いころの大阪のことは、ほとんど大人になってからの写真や、人からの話、何度も行った関西の旅で肉付けされたようなものです。
それでも、大阪というと懐かしさが残っているのは、人からの過去の記憶を受け継いでいるからだと思います。それ以外に、その場とわたしをつなぐものはないからです。

先日、友人でブログ仲間でもあるm-louisさんのブログから阪急梅田コンコース解体というニュースを知りました。今回ここに彼の撮影した写真を掲載リンクさせてもらいました。写真をクリックするとm-louisさんの記事に飛びます。信じられなかったです……。
あそこには伊東忠太の壁画があって、コテコテの独特の雰囲気を醸し出していたところです。m-louisさんのすばらしいアングルで撮影された数々のコンコースの写真を見てもそれはよくわかります。
伊東忠太は法隆寺の源流を求めた旅する建築家としてよく知られています。東京では、築地本願寺に、ボルヘスではないけれど幻獣のような奇怪な動物たちを残したことでもとてもよく知られています。そう、わたしは『伊東忠太動物園』をいつか手元にと思っているのですが。
忠太はロバにまたがり、シルクロードを、そして地中海、トルコなどへと調査を巡りました。今でいうキャラバンでしょうか。明治政府は富国強兵策にのっとり、日本の近代化を西洋化へと進めていきました。ジョサイア・コンドルが日本の近代建築に残した業績は大きいけれど、西洋の模倣に対して懐疑心を抱き、日本建築を模索した点で注目すべき人物として伊東忠太をあげることができるのではないでしょうか。

「阪急梅田コンコースを残したい・・」ここに馴染んだ者、この文化圏に生きた人たちの声を記憶として集める活動をm-louisさんが新たにアクションとしてブログで立ち上げました。
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琵琶湖のヴォーリス建築も100年を迎えようとして老朽化の目立つものは取り壊しの方向が進んでいます。いくつかの建築物は地元の方々の強い支援で守られていますが。
新橋の駅舎跡のようにある一部だけを博物館の一郭のように残すというのでは、本来の残す意味にはならないとわたしは考えています。
同潤会アパートしかり戦後の足跡を残すかおりも形としては消え失せていくものばかりです。確かに永遠性というものはないし、もしそれを強く望めばそれはそれで、作者のエゴではないかとも思いますが。日本という国は修復ということに今はお金をかけない国になりました。せっかく日本の良い手仕事を職人が培った長年の勘で、壊れかけては修繕して再利用しなおすという循環があったはずなのに。面倒なことはしなくなったのです。
朽ちる美しさ、朽ちていく過程を見ずに新しいものだけを追いかけるとはなんとも未熟な精神社会なのだろうと恥ずかしく思わずにはいられません。残念です。

壁の染ひとつだってそこに在ることの意義は大きいとわたしは考えるからです。

posted: mitsubako at <08:20AM>

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