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2008年04月06日

simply breakfast

Category: 草の根っこ

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ブルックリン在住のJennifer Causeyの朝食の風景をまとめた本をこのごろいつも眺めている。
朝の時間をほんのちょっとした美的感覚で過ごすこと。それがきっと1日をHappy Dayにする創造力につながるんだと思う。
だから今日の朝は庭の花をあつめてきてテーブルに置いた。

posted: mitsubako: 08:17AM

2008年03月16日

若林奮
犬になった彫刻家

Category: 草の根っこ

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雨の時広い地面に水たまりができなかったが、微細な水の粒子が空間を満たすのが見えた。乾燥の日々は土の粒が空気に混じっていた。それ以上に空間全体が赤とか緑とか一色になることがしばしばあった。帰り道で犬と人にすれ違った。桑の木のところであった。私は犬を見たが、人の顔は見なかった。だが、位置は少し変わっていた。したがって、私は見る場所を少し変えていた。
{ドッグ・フィールド 若林奮}

冒頭のテキストは神奈川県立近代美術館で長く仕事をされていた酒井忠康さんがみすず書房から出された『若林奮 犬になった彫刻家』のはじまりに引用されているものだ。昨日の午後、横須賀美術館で開催中の「若林奮— VALLEYS」展に行った。こと若林さんへの関心が深まったのは、日の出の森の活動あたりからだったと記憶する。写真の「雰囲気」や「胡桃の葉」、「飛翔と振動」は広義で環境との対話を作品に昇華するプロセスをわたしに教えてくれた、個人的には心に残るメッセージと出会いがあった作品だ。自己と空間の関係を観察眼的に、感覚に置き換えるのではなく「尺度」に置き換えて測量していく。感覚はむしろ鑑賞者にゆだねられているところに、作品の持つ意味を深く感じるのだ。「雰囲気」の作品にそっと置かれた乾いた花、刻まれた線、巻かれた布。そのどれをとっても作家の繊細な神経と手を抜いた感のない緊張が、完全性と立ち向かっているように思えてきて、いたたまれない情動を覚える。ある種のわたしの感傷に無性に触ってくるのだ。若林奮へのオマージュが散りばめられた会場で、いまは、天国で犬になって走りまわっていることを祈りながら、少し涙ぐむ自分がいた。
横須賀美術館(2008年02月16日 〜 2008年03月16日)

posted: mitsubako: 11:23AM | comments (0)

2007年12月16日

ことばを形成するところ

Category: 草の根っこ

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風が冷たくなってきた。大好きな冬の到来だ。
ゆっくりとあたため続けてきたものがある。たとえ日常の雑事に追われたとしても、そのわずかな時間をつないで切断されないように向かい合ってきたつもりだ。この冬は、わたしが原点にした作品を、もう一度ていねいに見たり、聞いたり、読んだりしようとしている。何歩か先へ進んだ分だけ後戻りもしてみたい。
直感も大切だけれど、ことばを深く考えて、意味がダイナミックに躍進するように、再構築のシステムをまた木箱の中でころがしてみたい。

ミツバチのささやきを今日も見た。わたしの原点となったこの作品が新しい息吹をまた吹きこんでくれた。わたしのことばを形成するところとは、羽音のささやき以外になんだろう、と。

posted: mitsubako: 22:18PM

2007年11月05日

朗読

Category: 草の根っこ

詩人が自らが書いた詩を、朗読で聞けることほど感銘をうけるものはない。
金曜日はときどきアヴァンギャルドの絵本論について聴講をしている。毎回ゲストに現代詩人が招かれるのだが、今回は藤井貞和さんだった。谷川俊太郎さんのお話を聞いたときには、自分がこれまで書いてきたことが違っていたのではないかと少し落ち込んだが、藤井さんの自由詩に対するエネルギッシュな発言にふたたび心が開かれたような気がした。
長い年月をかけて古典文学、折口信夫や物語文学、神話などを掘り下げて学術的に研究をされてきた藤井さんの口から「形式なんていい、意味から自由になれ」ということばを聞いて封じてしまった自分の感性を引き出してもらえた気がした。
動くことばに変換をすること、これはわたしにどれほど大きな輝きになったことか。藤井さんに感謝したい。
藤井さんが最後に『人間のシンポジウム』から詩を読んでくださった。
未来に残したい永遠のことば。こんなことが小さくてもひとつだけ達成できたらわたしの役目は終わりかなときっと納得がいくはず。
藤井さんのユーモラスな人間味あふれる話しかけ方がすなわち詩である、と笑いながらも涙がこみあげてくるのがおさえられなかった。

砂に神の誘い子を置く
「幼虫を大切にした時代、
つゆを受けてこどもたちに飲ませたおとなたち、
巣はだれのもの、子のために、
親の二の腕から血を与える洞窟のとき、
こどもたちを大切にした時代。」

「誘い子、たましいになってしまった野ウサギの子の、
綾あることば、祈願詞。 ここは野の精霊に満ちて、
素焼きの円筒のうえに、
鳥を飾る、追悼の旗を立てる遺跡。
きょうから行く、梢沈のとき、シャーラ船。」

「こどもたちを大切にした時代は、
いつだったろう。 いつやってくるだろう、
こどもを大切にする日。 期待をうらぎらなかった美しい日々は、
きっといつの日にかもっと美しく滅び去ることだろう。」

「化石をあつめること。 こどもたち、
もっと大切にもっと美しく化石はきみたちの手に。
地面がきみたちを抱いて、さらに深く降りてゆくだろう、
億という年を、一千年がうらぎりませぬように。」

ちいさな質問のあと、
大きな質問は、
火であった。 上陸した神の蛇体と子へび(こどもたちだ)、
あわせて通り過ぎる、黒い結婚の葬列の推定時刻にこそ、
過ぎてゆく、火の街道に沿って。

こんなばかげた戦争をと、ひいでた語部が語る。
ありふれてるよな、「むごたらしい」とか、
ちぎれた蛇体のどこがおかしいか、
火の通り過ぎたあとを、
子へびの死体数百は、
タイヤに引きちぎられ追いすがり頭脳を粉砕されて。

石のかげには、うめきをやめぬ、
目を刺される針のために、
赤いうろこをしたたらせる子犬と子猫と、
砂にうずもれて、
終わりし砂漠は、ここではなくて。

(反歌)
ベイルート、バグダッド、サラエボ、ベツレヘム、カブール、
と女性詩人は書いて、「無論、ここではなくて」と、
書き加える。 無論ここではなくて、われらは、
限定された死後の手を挙げる。 すっくと挙げて、どうする?
「廃墟のなかの学校」を見てきたばかりで、何が書ける?
好きになれない詩を、きっと書くことだろう。 書いたあとは、
二度とひらかないはずのノートが、きみのうえにひらかれていまある。
そう思った? 討論はいまある、と思った? こどもたち。

人間のシンポジウムから 思潮社 藤井貞和

posted: mitsubako: 23:00PM

2007年10月14日

アントニン&ノエミ・レーモンド展

Category: 草の根っこ

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気持ちのよい秋の週末はいくつもの展覧会に足を運んでいる。
並行して読んでいるもの、頭に浮かんでいながら連鎖していないキーワードが、ふとしたことでつながる時がある。そうすると、その瞬間はかけがえもなくいい時で一歩また飛躍できる自分になれる。イリヤ・カバコフの『世界図鑑』絵本と原画展、アントニン&ノエミ・レーモンド展もその内にあげられる。カバコフ展のことはまたいつか書くかもしれない。ひとこと言っておくと、彼の「はえ」がわたしにとってのみつばちである。

話はアントニン&ノエミ・レーモンド展にしぼろう。
アントニン・レーモンドは1888年にボヘミアに生まれ、1910年にニューヨークへ移住したデザイナーだ。広告、デザインの傍ら夢を持っていた建築家への道は、地道な製図おこしの仕事から実現していく。兼ねてから交流のあったフランク・ロイド・ライトに声をかけられ帝国ホテル建設事業のために来日をした。日本との長い人生の付き合いと建築家への扉はここから開けられた。ライトの元では、下働きにあけくれ、やがて退職を決意する。その原動力が後のレーモンド夫妻をより深く日本文化を解釈し自身のスタイルに吸収していく動機になったといえよう。
外資投下の好景気と重なって1900年前半の日本は、西欧の建築論で西洋化しようとする日本の近代化の風潮と一致して外国人建築家は需要が高かった。時代の波に乗ったレーモンド夫妻は、東京女子大学、星薬科大学、各国の大使館(フランス、旧ソビエト連邦、ベルギー、カナダ、アメリカ)など着々とビジネスの好機を得ることになる。こうして得た資金でヨーロッパへの旅を実現し、当時ヨーロッパで勃興しつつあるモダニズムの流れに触れて大きな感化を受けることになる。西欧のモダニズムと並行して、彼がとりわけ関心を深めたのが日本の民家と伝統文化であった。西欧を映し出すことで日本の伝統を知り、日本の伝統に触れることで西欧の建築論をより独自のものに掘り下げていくことができたといえるのかもしれない。

壁にはられたキャプションに目がとまる。「人々と彼らの着物、家庭用品、瀬戸物、絵画、庭はみなすばらしい用途の一致を示しており、自然界のいかなるものとも同様に、時代を経て自ずと明確に発展してきた」アントニンが見た当時の日本の情景である。
彼は、1930年代には、喜び、静穏、ユーモア、自然さといった人間が人間らしく生活ができることが建築自体を洗練させるという考えにいきつき、生活様式を創造的な空間に広めていくための「芸術と自然」を日本の伝統文化の中に見いだしていったのである。
レーモンドの弟子にはジョージ・ナカシマ、吉村順三、前川國男などがいる。
芸術家たちのための週末住宅としてチリに構想を描いていたル・コルビュジエの未完の邸宅「エラズリス邸」に着想を得ていた「夏の家」の写真が心に響く。そして吉村順三の軽井沢邸と二重写しになるこの「夏の家」はわたしをひどくノスタルジックな気分にさせるのだった。その地にある素材を使い、大工と共に建設をしたというこの家は平凡であるがゆえに美しい。そこに在ることがあまりにあたりまえであるがゆえにくっきりと見えてくる思想があるのだと思える。
戦争を背景に日米関係の悪化をのがれるようにしてアメリカへ帰国をしたレーモンド夫妻は、ウィリアム・ペンの色が濃いクエーカー教徒の拠点ペンシルベニアのニューホープ州で実験プログラムを開始する。戦後にレーモンドは再び日本へ再来日をはたすがこの時、彼には5原則が明確にあげられていたという。
「建築は、simple, natural, economical, direct, honestでなければならない」
わたしはこの言葉に日本の修験道のスピリットとクエーカーの沈黙と清貧のアクションが結晶しているように感じる。

わたしは、長い時間をかけて芸術が雲のように立ちあらわれるところを探し続けているひとりだ。
今たどりついた地点は、自分が気持ちよく過ごせる環境を営んでいくことだ。そうした創意工夫が日々の日常のなかであたりまえのように働きかけられる人が真の芸術家ではないかと思う。二人称や三人称で語るべきことではなく、一人称の実にごくあたりまえの「わたし」から発することのできるものだと思う。ひとりであることに気づいて、他者と出会あうことのできる世界の実現だと思うのである。

*展覧会カタログの「レーモンドと日本」松隈洋さんの考察をとても面白く読み参照しました。
写真はカタログからの複写で「夏の家」です。

posted: mitsubako: 12:41PM | comments (0)

2007年09月20日

小径

Category: 草の根っこ

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ある時ベネディクト派の修道院から小高い丘に向かう緑の小径を歩いた。修道僧は小径を散歩しながら自己を問い哲学を深めていくという。
灰塚にある岡崎乾二郎がデザインしたなかつくに公園を雨の日に歩いた。なだらかな山と山の谷間に降りてくる霧を見ながら、歩くたびに変化する景観にひとつ一つ感動した。

posted: mitsubako: 00:45AM | comments (2)

2007年06月24日

人間の尊厳

Category: 草の根っこ

雨上がりの夕方、ぶらりと立ち寄った本屋さんで吉村順三の本を買った。

 チリの彼方から届いた写真にそえられたことばが人間の尊厳だった。そのことばかり浮かんできて、身体をとりまく空間のことを考えていた。

建築は詩
いつかメキシコに招かれて行った時、建築は詩であるという話しをしたんです。建築というと皆さんは、石とか木とかいう物質から創造されると考えられるけれど、本当は純粋に空間なわけです。その空間がどう出てくるかという問題になるとね、やはり神さまが与えてくれるような気がするんです。それからある洞察が加わる。機械の設計みたいにはいかないわけですよ、なにせ相手が人間ですからね。
吉村順三のことば100 建築は詩/彰国社

the poet is a small god...

posted: mitsubako: 22:24PM

2007年05月12日

n°の模索的表現

Category: 草の根っこ

上昇思考のための詩的マニュフェストを宣言したのにはあってないような理由がある。わたしのゆらぎの中に長年の末ある決意がまとまったからだ。個人的な節目は記念日や誕生日、卒業や就職などのように決まったときに起こるものとは異なって、ある日突然のように目覚めるから驚く。
宣言をしたからといって到達地点がはっきりと見えているわけでは決してない。ただ、脆く壊れやすい心を救う1本の線を引いたにすぎない。
数年取り組みを続けていることに、具体的なみつばちのモチーフを使わずにその存在や痕跡を暗示させる素材として花粉を選び収集をしている。みつばちの幼虫にとって重要な蛋白源になるといわれる花粉を摘んでいるとやみつきになる。巣箱の入口付近にふたつみっつと散らばる橙や黄色の花粉だんごほど、象徴的なのに所在なさを感じさせるポエジーはないにせよ、直接的なみつばちの介入がない花粉には、なんの因果関係も見つからない。見つからないからこそ、あえて結びつきを見つけだそうとするリアクションに対話が生まれてくると思う。
乾燥した植物の繊維はまるでタペストリーのような風合いをもち、その細部は毛1本でも驚きをかくせない質感と色彩を持っているものである。
わたしは午前中の明るい窓辺から射す光の中でテーブルに向かって花の解体や仕分作業をするのに余念がない。ピンセットで一粒ひと粒集めていく花粉、集めても集めても小さな試験管の底が微かに色づく程度しかひと春に集めきれない。繰り返す無意味なこの行動と行為はただみつばちの模倣にほかならない。
その時感じた感覚を構成してデジタルカメラで記録する。記録と記憶から色彩の喜びを抽出したり、ことばに置き換える作業をしている。
ミクロなこの世界は自己完結型に陥りやすいと、時折自分を戒めては、ヴォルフガング・ライプやジャン=ルイ・ボワシエ、アグネス・デニス、ヨーゼフ・ボイスとさまざまな作家が追いもとめている先を理解してわたしの解釈に拡張を続ける。模倣的研究から新しい解釈や反発も生まれる。
ひとりごとのような模索的表現から真に必然とされるものだけを差し引いて残すためにわたしの日々をささげて生きていきたいと思う。

posted: mitsubako: 13:08PM | comments (0)

2007年05月08日

上昇思考のための詩的マニュフェスト

Category: 草の根っこ

湿地帯の水たまりに 白い雲の造形物

が映っている 反射鏡となる水面の境

は 不安定な大気の縺れに応じて 色

彩の波長を左右する 気流と空気に凝

縮される素粒子たちが 境界すれすれ

の線上で 普通の日と特別な日を決定

してくる 何かの力というだけよりは

 わたしも あなたも これも それ

も はかり知れない星々から微生物ま

でもが およぼす応えに作用して 表

象を生んでいく 0度に透明な薄い膜に

一時的な確率で想起される形状が感知

できるように 現実であれ非現実であ

れ 浮遊する固体となって 行ったり

来たりする白い羽を休めぬようにと

{白い羽音に埋没するn°的方法論から}

posted: mitsubako: 06:32AM

2007年02月25日

木箱であること

Category: 草の根っこ

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先週末に書いてみて、イメージがなかなか決められなかった。
昨日、よく行く美術館のライブラリーで、初めて猪熊弦一郎の「アリゾナとカチナドール」を書庫から出してもらって開いた。わたしは大のカチナドール好きなのに、所有はしていない。作家の岡崎乾二郎さんが飾っていたカチナドールは現地で大変な思いをして手にしたと聞いた覚えがあるので、わたしも現地に足を踏み入れるまでは所有しないことにその時決めた。
「アリゾナとカチナドール」を読んでいて、書きとめたことばがあった。このことばが、「木箱であること」にぱっと結びついた。

ふと地平線に近い処に、ぽこりと持ち上がった、土で作った小さな半球体の何かを見た。
これがインディアンの住家である事を知った。
すると先日見た馬の人は、この大砂漠の中の住居の中に帰って行ったに違いない。そこには家族が待って居る。この小さな土塊の様な一つが、彼等の住家であるのか。虫の様に生き、虫の様に生活を続ける砂漠の中にも、私達の知らない、幼い時からのささやかな楽しみと救いがあるのかも知れない。どうしてこんな隣家に行くにも数哩もある様な大地の中に、孤独で住もうとするのか。どうしても解らない。
「アリゾナとカチナドール」猪熊弦一郎

みつばちの木箱のこと自体を書いたことはあまりない。みつばちが大好きなのと同じように、みつばちを飼う木箱が好きだから活動名にした。
箱というのは便利なもので、そのフレームがあるだけで骨子がはっきりするような気がする。とても単純な構成なのに必要なものだけが必然的に詰め込まれている感じを具現化できているからだ。
わたしの場合、箱は木箱である必要がある。それは、淡いペパーミント色でペイントされていて、雨風に打たれて、剥げ落ちたり、腐敗しなければならない。壊れるものでなければならない。朽ちていく経過が環境との順応であってほしい。
わたしにとって木箱は一種のアレゴリーだ。黄色い花粉がそうであるように。あるいは森の蜜がそうであるように。
木箱は「いえ」の原形であり「蜜」は営みでなければならない。
木箱は「引き出し」でもあるし「蜂」は軌跡でもある。
木箱の入口は小さくて、入ると空洞がある。
36度に保たれた箱内は蜜蝋の膜に覆われている。
木箱はソローの森の家、ル・コルビュジエの小さな家、ダイソンのツリーハウス、猪谷六合雄の小屋、アイルランドの蜂の巣型僧坊、名もないある村で見た数々のヒュッテなどを凝縮したわたしの心のことばだ。
スイスのルンゲルン地方で小さな山を散歩した。貧しい村落の途中に簡素なチーズ小屋があって、その先に誰もいない教会があった。戸を押して入ると、祈りをするだけの空間があった。数知れないこうした体験はそのどれもがみつばちの木箱に表象されている。

ところで、淡いペパーミント色のペイントは、幼少に使っていた三段引き出しの木製ベビーダンスの色から採った。

posted: mitsubako: 13:19PM

2007年02月15日

BAIDARKA バイダルカ

Category: 草の根っこ

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「ぼくがそうだったように12歳の少年少女(12歳の心をもっていれば本当の年齢はどうでもいいけど)が、ぼくの死んだあと、バイダルカの進化を継いでくれるため」のキットである。 アン・E・ヨウ

長年、手に入れようとしていて、なんとなく後まわしにしておく本というのがある。ある時、突然それがどうしても手元に今なくてはならなくなる時が来る。情報センター出版局から出された「バイダルカ」ザ・カヤック ジョージ・B・ダイソン/徳吉英一郎訳がそういう一冊だ。
本が届いてすぐに裏表紙の著者紹介を読んだ。本文のなかにもいくつも書きつけたくなるようなテキストがあるのに、やっぱり最終的に、「よし、ここだ」と思ったのは本の一番最後のアン・ヨウのこの一文だった。なんでもない言葉かもしれないけれど、好きだったことを誰かに伝え残して行きたいという思いがよくわかって心にしみるからだ。極論かもしれないが、人間の生きた記なんて、こんなことなんじゃないかと思う。だから、好きなことに出会った人はとてもしあわせだとわたしは思う。
アリュートが狩猟の技術として生みだしたアリュート・カヤック。ロシア人による隷属支配を生きぬいた民族の精神のひとつに「いつも舟の主であるということを忘れなかった」ということがある。伝説のバイダルカは海面を鳥のように浮上して、音もなく、最速に走る海洋の宇宙船といわれる。ジョージ・ダイソンはこの伝説のロマンにかけて復元と航海に人生をついやした。ある人から見れば、奇人の遊びごとのような価値のない行為に思えても、それが人類になくてはならない宇宙観かもしれない。それを決めるのは誰でもない未来のような気がする。
誰にでも、たったひとつぐらいは大好きだったことを、誰かに残していきたいと思うことがあるはずだ。そんな小さな種を拾い上げて、この手で大事に育てていくことが、知るすべもない未来につながるわたしの生き方なんだと確信するようになった。

posted: mitsubako: 06:21AM | comments (3)

2007年01月27日

eight 8

Category: 草の根っこ

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ある午後のアスファルト、西新宿駅に向かっていた。
小ぶりの熊蜂が路上にうずくまっている。
こんな寒い日に、こんなところで、こんな時に出くわした。奇遇は奇跡を暗示する偶然かもしれない。
そして、いつもカメラを持ち歩かない自分をはじめて悔やんだ瞬間だった。

イメージはtanakatakashiさんの作品です。

posted: mitsubako: 16:31PM

2007年01月24日

鳥 ' "

Category: 草の根っこ

今日は午後半休をとって会社を早退した。
その足でP3の伊藤忍さんと何年ぶりかの再会をした。考えてみると忍さんに会う時は、自分の中で何かの決断ができた時なのかもしれない。そしてその後押しをしてもらうために彼女に会いに行く自分がいるような気がする。だって彼女はまるで自然界の出来事のようにわたしの感情の流れを受けとめてその時を読んでくれるから。
それからわたしは恵比寿のlimartへ向かった。別館で開催されているtanakatakashiさんの作品を見た。もっともっとわたしが洗練された表現ができるなら彼のようなことを再現したい。わたしが思い描いているようなことがずっと昇華された形でそっと置かれているような気持ちになってとても嬉しかった。一枚作品がわたしのところにやって来た。もう夜なので撮影はしないけれど、後日アップしようと思う。
このところ、林道郎さんの小冊子「絵画は二度死ぬ、あるいは死なない」を読んでいてロバート・ライマンのことばかり考えていた。わたしの足どりは、時々自分でもなぜそうするのかわからないことがある。誰かにそうしてごらんと自然に教えられているように繋がりがまるでないようでいて結ばれていることがある。
そして今日の最後は中目黒に年末から店舗を出したわたしの髪をいつも切ってくれる大橋くんのお店だった。新しくなった「暮しの手帖 26号」を持って立ち寄った。
これからわたしはいくつも自分の中で溢れている考えをひとつひとつ形にしようとしている。ここ数カ月、新しい職場のことだけでいっぱいになったり弱っていたわたしはこのままではだめになってしまうと急速に何かが始動しだしている。

タイトルはtanakatakashiさんの作品に感化されて鳥にしました。
今日の足跡で再会したり出会った方々にありがとう。

*tanakatakashiさんの個展は1月28日までリムアート別館で開催中です。
東京都渋谷区恵比寿南2-16-6 Green Hills GF

posted: mitsubako: 23:11PM

2006年11月12日

木枯らしの吹く朝に

Category: 草の根っこ

近所のフェンスに木枯らしがカンチンと音をたててあたっていく。その音で目が覚めた。
数日ノドに軽い痛みがあって、緊張からくる疲れやら、体験が思考をうわまわる日々で頭の中はカオス状態。心労が最高潮に達している。
おはよう。新聞をひらいて、宇井純さんの訃報を知った。
今から10年ぐらい前のこと。都市博が中止され、その補償問題から企画がはじまったアトピックサイト展のスタッフとしてかけめぐっていたわたしは、沖縄の作家チームたちと宇井純さんにお会いした。
当時、現代美術で「毒」を素材に展開している作家とコンタクトをとり、表象としてのアートと事実の記号化としての研究者とのコラボレーションを考えていた。
いろいろな事情で、この企画は実現はできなかったものの、長くわたしの心をとらえて、むしろ自分の視座を与えられた経験だった。たとえ実現はできなくても、ある誰かに伝わっていく、残されていくことで、企画は1%は成功したことになると今なら思える。
「毒」の定義はむずかしい。多量でも微量でも有害になる。微量が有益になることもある。わたしたちは「毒」の渦中に生きているのか、「毒」を囲むフェンスと隣あわせに生きているのか。ふと、ベラルーシ、グルシコビッチ村のミルクの入ったガラスのコップが浮かんできた。
もう一度、引用した宇井純さんの『住民を結ぶ旅』の冒頭のことばを転記してご冥福を祈りたい。
「高度成長のもたらした精神的荒廃の一つは、私たちが自分の生活の存続を信じて疑わず、生存の基盤がくずれかかっても常にどこかの権威にたよって生きてゆけるのではないかと信じこんだ点にある。
地域住民の生活を、外から呼びこんだ大資本にたよって豊かにできるという図式も、外からの権威を呼んでそれにたよって運動が展開するという希望も、この点ではひとしく虚妄であり、幻想にすぎない。住民がその住んでいる地域で経済的にも精神的にも自立することの大切さを正面に押出した政治的な討論が、今こそ必要だろう。」

*9月10日の記録から

posted: mitsubako: 12:07PM | comments (4)

2006年10月31日

洋燈の灯る宿

Category: 草の根っこ

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八島湿原を前に、小さなヒュッテを運営している田口信さんの宿に宿泊をした。もともと旅館の別館として、木材はどちらかの古民家から移築をしてきて、約50年前に建てられたものを譲り受け維持しながら暮らしている。冬も家族で山を降りずに暮らしている。
がらがらと玄関の引き戸を開けると「はーい」と中から田口さんが出迎えてくれた。やさしい、繊細な心の持ち主とひと目見て思った。
薄暗い室内に入ると広いリビング兼食卓に、天上からつるされたいくつもの洋燈、薪ストーブ、壁中に広がる山の雑誌と古書、ぎしぎしいう階段、こうした古いいいものたちにすっかり魅了される。ふた晩の宿には贅沢すぎるくらい立派な木製の家具と窓から見えるアルプスの山並みが用意されていた。
わたしたちのために心のこもった料理や風呂を沸かしてくれることで、少し忙しい中、合間をぬってお話をするうちに、またよい方に出会ったなと嬉しくなった。

帰りぎわの早朝は冷え込んだ。試験的にこの秋、初の薪ストーブをたいて、ゆっくりと「暮らす」ということを話してくださった。はじまりは、わたしのタイマグラの体験からだった。東北の奥地で見た生活はストーブを中心に、ストーブを囲んで過ごすことを話したら、「東北のそんな地名もそんな地も聞いたことはなかったけれど、本当の冬と湿り気をもった雪に閉ざされる地方では、暖をいかに効率よくとるかを昔からの知恵で生活に生かしているはずです。」と田口さんが話しはじめた。「今はそんな地方でも、現代的な暮らし方をしている人の方が圧倒的に増えてしまったけれど、暮らしというのは自分で考えることから始まるものだと思っているんですよ。例えば、ここ八島なら、少しのお金も必要で、それを得る方法も考える、経済的に暮らすための工夫をしたり、古い家なのですこしづつ手入れも必要だけれど、誰かが来てくれて修繕してくれたり、火ひとつとってもあらかじめインフラが備えられているわけでもないのです。ないところからその環境にあった生活の知恵を積み重ねて、繰り返しよりベターな方法を発見していくことが暮らしだと思っているんです。」それから静かにこうも話してくれた。「学校で学んだことって、ここではあんまり役には立たないんだなぁ。うーん、理科なんかでね、春が来ると種を蒔いて、野菜を…なんて言うでしょ。こんな高原ではそんなことは成立しない。こういうことは、一律ではなくて場所場所でまるで違うことですからね。」表情はにこやかだった。
そうだ、この話しは遠野で馬附住宅の実践真っ最中の徳吉家の敏江さんも話していたっけ。「教科書とか園芸誌はだいたい関東、それも東京近郊を中心に書かれているんじゃないかな。だからここにいるとそういう情報誌的なものってあんまり必要としなくなる」って。なるほど、遠野の山奥で種ひとつ播くにも時期はまるで違うはずだとその時初めて思ったけな。和綿の種をタイマグラの陽子さんたちが植えても、おそらくは短い夏の間に発芽して花を咲かせない限りは外の環境ではむずかしいだろうなとも思う。

「東北のそうした暮らし方は、今のうちに記録に残しておかないと消えてしまいますね。だいたい、記録しようと思う心理がはたらくこと自体がもうおかしなことで、本来なら伝承されていく文化のはずだったのです。ただもう、伝承できる家庭ということ自体も崩壊をしてきてしまっているので、日本は大事なものをすべて捨ててしまった、もったえない国です。」田口さんとのストーブを前にしての会話はこれからのわたしに対して、とても心強い励ましをもらったようにその時思った。

わたしは、田口さんにこうエールを送りたい。「田口さん、そんなに深く心配しなくても大丈夫。ぽつりぽつりと点在する小さな思いや、小さな力がきっと未来に実を結びます。世の中は危機に晒されているのは確かなことでしょう。考えてみると危機的状況になると人は生命維持のために知恵を振り絞る動物なのだとわたしは思います。これまでに人が育んできたものの中にすぐれた知恵と技があったように、陽性に風潮が向くことも、たまにはある。自然の技はそんな風に、わたしの想像をはるかに超えて、脅かしつつも調和を保とうとするように思えてなりません。田口さんのような生き方をされている方を知ることがわたしの灯火でもあるのです。」

帰路、もうすでに、次のわたしの訪れる場所がイメージできていた。今度は「雪の上」らしい。それが何処なのかは、まだ知らない。

posted: mitsubako: 23:43PM | comments (2)

2006年10月16日

『記憶のつくり方』

Category: 草の根っこ

長田弘の作品のひとつに『記憶のつくり方』がある。
このところ、週末になると自分の身の回りの片づけをしている。『記憶のつくり方』を何の理由で買って、なぜこんなに長い間読まなかったのかはよくわからない。そして、「この本は読まない気がする…」と手放し組に置いた。置いたはずなのに、急にその夜、やっぱり読んでから手放そうとベッドに入ってから本を開いた。黙読していたわたしは、「夜の火」あたりから、やがて音読をはじめた。

自分の時間としての人生というものの秘密はさりげなく顕われると思う。
木下杢太郎の、とどまる色としての青についての詩を思い出す。

ただ自分の本当の楽しみの為めに本を読め、

生きろ、恨むな、悲しむな。

空の上に空を建てるな。

思ひ煩ふな。

かの昔の青い陶の器の

地の底に埋もれながら青い色で居る--

楽しめ、その陶の器の

青い「無名」、青い「沈黙」。

(「それが一体何になる」)
人生とよばれるものは、わたしには、過ぎていった時間が無数の欠落のうえにうつしている、或る状景の集積だ。親しいのは、そうして状景のなかにいる人たちの記憶だ。自分の時間としての人生というのは、人生という川の川面に影像としてのこる他の人びとによって明るくされているのだと思う。
書くとは言葉の器をつくるということだ、その言葉の器にわたしがとどめたいとねがうのは、他の人びとが自分の時間のうえにのこしてくれた、青い「無名」、青い「沈黙」だ。
--『記憶のつくり方』自分の時間へから--

片づけをしていると時々神妙な心持ちになる。自分が通り過ぎていったものや忘れかけていた欠片が無造作に床に散らばっているからだ。体験から経験にそして追体験が心のなかで起きて、時間や文脈が一時的にぐちゃぐちゃになる。軽く笑いとばせるようなこともあれば、こんな小さなできごとを拾い集めて過去ばかりを眺めている自分が情けなくなったりもする。
「記憶」というものをつないでなにかをつくってきたわたしが、一時、迷いをもって、この片づけの最中に洗濯をする。これは、きれいさっぱり洗い流したいと。できることなら、すべてをリセットしたいと思っていたとき、手放すはずのこの長田弘の文章から足元がすくわれたのは不思議なできごとだった。声が乾き、喉の痛みを感じたころ、あとがきになった。

「記憶という土の中に種子を播いて、季節のなかで手をかけてそだてることができなければ、ことばはなかなか実らない。じぶんの記憶をよく耕すこと。その記憶の庭にそだってゆくものが、人生とよばれるものなのだと思う。」

posted: mitsubako: 08:15AM | comments (2)

2006年08月15日

気化

Category: 草の根っこ

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アイスクリームを買った時、一緒に入っていたドライアイスを取りだして見ていたら、その流れる気体に目を奪われた。白い気体はもくもくと周りの空気の中を漂い、もりあがった山々が、そのうち「きのこ雲」に見えてきた。もしこれが、核だったなら…、地表の温度が奪われて、灰色の氷層へと化していく青いわたしたちの地球。

白い固体はやがて跡形もなく消えていった。地上にある戦いのすべてが、こんな風に気化してどこかへ行ってしまえばいい。そうして、何もなかったかのように静かな、平穏な日々の生活をひとりひとりが送ることができたなら…と心から祈りたい。

posted: mitsubako: 07:58AM

2006年08月03日

The Architect's Brother

Category: 草の根っこ

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空飛ぶ練習。スーツ姿の男が鳥かごを手に、両腕から糸で数羽の鳥にひかれるシーンを目にしている人はとても多いだろう。
ちょっとシュールで、詩的だけどよくよく見てると自然界のメッセージを伝えている。Robert ParkeHarrison。わたしは今この人の作品にとてもひかれる。
人間て素敵だなとも思えるし、なんて愚か者なんだと笑えたりするセンスがそこには潜んでいるように思うから。真剣すぎず、滑稽すぎずだけどはっとする何かがあるんだ。
*作品は一部このサイトで見ることができます。

posted: mitsubako: 07:51AM

2006年07月04日

熊野の森の一家の話 その2

Category: 草の根っこ

野尻さんのことばどおり、当初1箱だった巣箱は長年のうちに30箱にものぼるようになった。よっぽど野尻さんがつくる巣箱は日本みつばちにとって居心地がいいのだろうなぁ。ある日、子どもたちを連れて、採蜜に山へ入る。採蜜時になると、野尻さんは上半身裸になった。トントントンと巣箱を外側からたたき上げて中の蜂を振動で上へと誘導する。重たい巣箱をひっくり返し上に集まった蜂たちをつぶさないように外へと追い出す。野尻さんが肌を出しているのは蜂をつぶして怒らせないよう集中するためなのだという。ワバチを大事に思うということだけではなく、そこに人間と蜂の馴れ合いではない緊迫した関係がある。それはまるで儀式なんだと感じる。
刺されずに巣を取り出して、子どもたちに取れたての蜜の味見をさせる。もうそれだけでわたしは尊敬の念がわいてきて、画面の先の知らない方に熱い気持ちを送ってしまう。一匹素手にのってくる冬の蜜蜂ぐらいなら平気だけれど、群がる蜂の中に手を入れられるなんて。そんなのは本の中で見たbeekeeperの肖像写真ぐらいしかなかったから驚きはとまらない。
一升瓶にして何本も採れる薬のような蜜。野尻さんはこの蜜が相場2万円ぐらいで売れることを知っている。けれども、彼はそれを日ごろお世話になった方々へお裾分けをして、売ろうとはしない。湯の峰で、わたしはこの一升瓶に入った山ばちの蜜を2年前に実は目にしている。欲しいなとは思ったものの、高価だからということだけではなしに、それを買う気になれなかった。いや、蜜蜂や採蜜のことを考えれば、この値段は高いと一概に言えない。貨幣という価値では値がつけにくい、高価なような高価じゃないようなものだから。わたしがそれを買うことで、この土地の何かを壊しはしないだろうかという思いがよぎったから手が出せなかった。
なかばハニーハンター、なかば養蜂のようなこの森に伝わる日本蜜蜂と人間の関係は、森がなければ存続できないし、蜜蜂がいることで森が豊かになってもいく。専門とまではいかない生活の中のこうした遊びごころのある技にいったいどれだけわたしたちは教えられることがあり支えられているんだろう。

posted: mitsubako: 07:50AM

2006年07月03日

熊野の森の一家の話 その1

Category: 草の根っこ

この間、久しぶりにテレビの番組をわくわくしながら待ちわびて見た。ETV特集「大森林の小さな家〜熊野・野尻さん一家の十年」の再放送だった。
新聞に蜂蜜採取のことが載っていたので、たとえそれが一部分であったとしても、とても見ておきたいと思ったのだ。
熊野は伝統養蜂が残されている地域、2年前の夏、この地方を旅したときに、蜂箱を横目で見かけながらも車で素通り、降り立って見ることはしなかった。いつか必ずまたあの鬱蒼とした森へ行って探検してみたいことがいっぱいある。白浜から湯の峰周辺にターゲットをしぼって。
オープニングで一家が暮らす畝畑の風景が出てきた。そうそう、こんな山間を走ったんだったっけ、とすぐに親しみがわいてくる。地図で調べてみると、川湯からはそれほど遠くはなさそうなので、この付近は本当に熊野を巡ったなかでもディープな地域であることはイメージできる。一家は父の代に林業景気で森林管理を預かる仕事を請け負い、父の死を機に息子の野尻皇紀さんが仕事を受け継ぐことになる。それから10年にわたる家族の日々のドキュメントだ。
野尻さんの姿勢は一環して自分が育った山の恵みに感謝をし、父親から伝えられたこと、そして自分の勘を信じて、100年、200年先の山の未来を考えた行動にある。このバランス感覚は生まれ持ったこの人の勘以外に頼れるものはない、わたしはそう感じる。
ところで日本みつばちの採蜜シーンにみとれた。丸太の幹をくりぬいた洞のような形の蜂の巣箱(ゴーラなどと呼ばれる道具)をしかける野尻さんには自信がみなぎっていて、「しかければ必ず入る」と断言できる。それは決して、自分の腕がいいということだけではなくて自然に調和した自分の感性をただ素直に認めているようにわたしには思える。

posted: mitsubako: 07:48AM | comments (2)

2006年06月30日

空いろのいちご

Category: 草の根っこ

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萩原朔太郎の詩に『空いろの花』がある

まだ春あさき草のあはひに
蛇いちごの実赤く
かくばかり咲き光る哀しさ

*初めて、朔太郎の詩を紙に書き写してみた。
この一節をこのイメージに書き添えてみたくなった。


posted: mitsubako: 07:49AM

2006年05月25日

心と心をつなぐ空

Category: 草の根っこ

「MURAKAMIの作品が好きか?」なにかの機会で海外の人と話すことがあると話題になるのが村上春樹。実はわたしはまだ一冊も手にしたことがないのだ。
そして…日本人というとMURAKAMIを話題にされることにもヘソまがりなわたしは何くわぬ顔をして「読んでないよ!」といいたくなる困りものだったりする。
村上春樹がどうこうということではなくて、典型とされることがただ苦手なのだ。

.Home Is Where The Heart Is.
これは、ケンブリッジに住むイギリスの友だちが自分の作品につけたタイトルだ。広大な草原にいるはずもない後ろ姿の舞妓が遠方の流れゆく雲を見つめている。
わたしはこれに絶句した。日本を訪れたことがあって、日本が好きで好きでたまらない彼の気持ちがちょっぴり共感できるからだ。
自分が訪れた旅先とはいいも悪いもいつの間にか心の中でその後の自分の体験と照らしあわせて温められていくことがある。最近、彼は村上の作品を読んでいるという。
初めは少し勘違いした日本好きかなと思っていたが、まさにわたしが相手に逆にステレオタイプをあてはめていたのだ気づいた瞬間だった。
人の心とか気持ちとかはそんなにすぐには見えないね。

many things in life are not as they first appear
そえられたこのことばにわたしはちょっと涙した。

心と心をつなぐ空は青いけれど寂しくって、見つめる背中は近いけど雲は遠い…。
わたしは祖母が着ていた浴衣をはおって、風の吹く南端の草原にたたずみ雲をぼんやり見ている自分の絵を心にずっとおもい描いていたから、ことさらあのイメージはデジャブだった。
久しぶりに胸がきゅんとする気持ちになった。

posted: mitsubako: 07:33AM

2006年02月06日

panal = みつばちの巣

Category: 草の根っこ

口承で伝えられていた1回性の詩(うた)をわたしたちがわかる言語に置きかえたりすると、そこで少しづつ誤差が生まれる。金関寿夫さんが『ナヴァホの砂絵』の中でこのようなことを書かれていたのがずっと心のどこかにひっかかっていた。

わたしのblogはスペイン語のみつばちの巣というタイトルだ。スペイン語圏の友だちから"panal=はちの巣"とつけられたイメージと不思議なテキストがある時送られて来た。

from my friend:
この写真は部分、コルクの蜜蜂の巣の前のもののような、である。もはや使用されない古い蜜蜂の巣。それは金属のカーテンリングを有し、(材料椅子がすべての生命の制御を取った) とenea 縫われる。私が東の蜜蜂の巣を見たときに、私はMistubako 、私が訪問することを推薦する私の接触の1 のSeth を覚えていた:

私はSeth によって引き付けられたMistubako を知っていた: "大きい美を有することに壮大なPa Matsuo 私に彼のユートピア" は、それようである(ないプラスチックなら、大きい美) 。多くの他のように誰でもと時はイメージと伝達し合うことができること私が好む何を私が彼に言う何を私が私に言う時々、しかしAM 自分自身何を彼が言語の私に障壁を抑制するかどれ、頻繁にと連絡し。Mistubako の感謝。
---
東の蜜蜂の巣は、このテキストとイメージから数週間、繰り返し考えて書いてみた。
まだ瞬間に思ったことと、そこから拾ったことばをつなぎあわせただけのテキストだ。このテキストを書いているとき、神奈川県立美術館の裏庭で見つけた乾いた真っ黒な蓮の花托を思いだした。
panalを送ってくれた友だちは自動翻訳機で、はち好きのわたしと祖父の描いた桃源郷を想って、自分のこぼれそうな気持ちを伝えようと書いてくれたものだ。伝えたい意志と伝わりたい願望がとても微笑ましかった。
意味不明の文脈が、みつばちをなかなか見ることができずに春を待ちわびるわたしの思いと重なって、むしょうに何かにしたい気持ちにかきたてられた。

伝達不能のテキストはむしろ空想をちりばめたかけらだった。

*ナヴァホの砂絵

posted: mitsubako: 07:58AM

2005年12月12日

sちゃん

Category: 草の根っこ

おとといポストにArneがとどいた
いつもなら まっさきにBOOKの頁をめくるのに
その手が ちょっとその前で 自然にとまった

sちゃんの白いテーブル…
もう何年も会ってないね

あいかわらずのセンスがひかるsちゃんのテーブル
すてきだなぁ 古きよきアメリカをおもわせる 懐かしさがある

元気でつくっていることがわかって嬉しかった
きっと いつもとかわらずに あのお山でこつこつとつくってるんだね

これからもずっとつくっていてほしいとおもう…

posted: mitsubako: 07:23AM

2005年12月07日

ジェームス・タレル

Category: 草の根っこ

P8190025.jpgある雑誌で、佐々木正人さんとタレルが対談をした。対象物のないアートとしてタレルはこんな例を話している。
--ここによい体験的な例がひとつあります。夜に花が咲くきれいなサボテンがあるんですが、それは1年のうち一晩だけ、しかも満月の夜にしか咲きません。アリゾナ州にあって、それを見るには、キャナンドシェという渓谷に四輪駆動の車か馬で行き、日没前にその場所に着いて食事をして待つわけです。そして陽が沈んで冷えてくると、月が渓谷を照らし、サボテンが月の方向に向いて花が咲きます。どういうわけか虫もどの晩か知っていて、そこを目がけて集まってくるんです。とても興味深い状況です。やがて月が沈むと花も閉じ、朝の温度が上がってくるとしおれてしまいます。たとえば、日本のビルの最上階の温室に同じサボテンを置いたとして、テキーラを飲んでアメリカ南西部のようにみんな着飾り、同じ月が昇れば同じことが起こりますが、体験はまったく違います。同じ対象物を知覚していますが、私はその体験自体が貴重だと思っています。私の作品では対象物は取り除かれ、知覚の働き自体が問題となっています。つまり見ている物ではなく、見ている事自体が対象となるわけです。--

タレルの作品に触れると私は物への認知とか、自分が見えている世界について深く考えさせられる。見えていると思っている現実は実はリアリティがなくて、光を落とした時に闇の中に浮かび上がってくるもの、それが私の見えているもの、目で触れるものなのかと。
私は、本来、その場、その場自体が持つ固有のものが体験と直接的なかかわりを持っていると考えていた。タレルの作品の中では、そうした固有の場や対象物が排除されて、人間そのものが持つ知覚に訴えてくる。いや知覚が覚醒されるのかもしれない。人間はもともとは自然界の事象を読みとる能力があったはずだ。しかし、そうしたものは、段々に封じられ使わなくてすむ環境へと順応してしまった。熊野を訪れた時、修験に触れる機会が多くこの修験道が人に呼び戻していることはタレルの作品性ととても近しいと思った。
私は現在、テキストを軸にことばと場所性、記憶の断片をつなぎあわせる試みを繰り返している。対象物がどこにもないことを前提に電子空間にただ書きつけることを、初め目指していたが、不思議と対象があるという意識に陥ってしまっている。このことが、今最大の課題で対象ゼロのテキストとはどういうものか、瞬間的に光りの射すテキストはテキスト本来のものではなくて、そこにある余白なのか、わからなくて、悩んでいる。

これを書いたころの私の心境はこうだったのか…。今は悩みというよりは一生涯わからないまま探し続けることだという自覚がある。

ローデン・クレーターは、宇宙へ直接的に行かなくとも、宇宙の正体を知らなくとも、私たちがおそらく宇宙を知覚として認知できる空間であると信じている。タレルの飛行のソアリング=精神のソアリングを足がかりに、私は、私の旅を計画したい。
残念ながら、ローデン・クレーターのサイトは現在、更新中のようだ。とりあえず、どんな場所かだけはトップからおわかりいただける。

*このテキストは以前掲載をしたものをふたたび文章に少しだけ手を加えて更新しました。

posted: mitsubako: 07:28AM

2005年12月06日

ローデン・クレーター

Category: 草の根っこ

PB210003.jpgno object, no forcus, no image" by James Turrell
「今、どこにでもすぐに行けるとすれば、まっ先に行きたいところはたくさんある。その中でも特に、行きたいのは、アリゾナ州にある死火山、ローデン・クレーターだ。」
以前にこんな文章を書いてからまた少し時間がたった今でもこの気持ちは変わらない。
その後、プロジェクトは継続できているのだろうか…。

ジェームス・タレルは心理学と数学の学位を取得後、美術を学ぶ。飛行機の操縦免許も取得しそれらを統合した、知覚認識と光をモチーフに壮大な作品展開をしている作家だ。
アリゾナの砂漠に50万年前に一度だけ爆発をしたきり活動をやめた火山がある。裾野は溢れだした溶岩の台地でその下には、先住民のインディアンの聖地、丸く石を並べたお墓が点在しているそうだ。
タレルは丸いきれいな円を描いたなだらかなすり鉢の底のようになっている火口を改造して、麓に地下室をつくりそこから火口へ約350mの傾斜したトンネルを掘った。火山のトンネルをのぼって行くと急にぽっかりと口を開けた空が見えるのだそうだ。これは宇宙を観照する場として、天文学的にも計算した設計がなされている。18.6年に一度、真南に南中する満月の月がすっぽり、そのトンネルの中に入るようになっているというのだ。ピンホール・カメラの原理で、地下室にその月がおそらくは逆さまになって映るしくみになっている。これから先2000年間に起こりうる天体の動きも取り込まれているという。
最近になって読んでいる金関寿夫さんが訳されたネーティブアメリカンの詩の数々に触れたり、今年の夏にカチーナドールの展覧会で見たものが合わさって、どんなところだろうと目をつぶって思い浮かべるだけでもどきどきする。
死火山はきっと亀の島にちがいない…。
*このテキストは以前掲載をしたものをふたたび文章に少しだけ手を加えて更新しました。

posted: mitsubako: 07:24AM

2005年11月29日

『動物園の珍しい動物』

Category: 草の根っこ

RIMG0463.jpg以前、エントリーで金関寿夫さんの『ナヴァホの砂絵』を読んでいると書いた。その後、金関さん関連の書籍をいろいろ手にしてみている。『動物園の珍しい動物』は金関さん編の日本のライト・ヴァース選集。その選集のあとがきにも書かれていたけれど、ライト・ヴァースって…。金関流に訳せば軽い詩のことなのだそうだ。それほどそういう詩に出会っているかはわたしもよくわからないのだけれど、ナンセンスな戯れが歌になっている詩ということなのかな。分類とかはわたしにとってはとても重要なことでもないのでとにかくこの可愛らしい選集を時々声に出して読んでいる。

動物園の珍しい動物
セネガルの動物園に珍しい動物がきた
「人嫌い」と貼札が出た
背中を見せて
その動物は椅子にかけていた
じいっと青天井を見てばかりいた
一日中そうしていた
夜になって動物園の客が帰ると
「人嫌い」は内から鍵をはずし
ソッと家へ帰って行った
朝は客の来る前に来て
内から鍵をかけた
「人嫌い」は背中を見せて椅子にかけ
じいっと青天井を見てばかりいた
一日中そうしていた
昼食は奥さんがミルクとパンを差し入れた
雨の日はコーモリ傘をもってきた。

天野忠

なかでもとりわけこの詩がわたしは気になっている…
『動物園の珍しい動物』 金関寿夫編/元永定正絵(書肆山田)

posted: mitsubako: 07:11AM

2005年11月23日

ナヴァホの砂絵

Category: 草の根っこ

PB200002.JPG金関寿夫さんの『ナヴァホの砂絵』を読み出している。詩人のぱくきょんみさんの書かれたもののなかに時おり登場されていたのでいつの間にかこの流れがわたしの中にやってきた。
ナヴァホインディアンの祭式の中に砂絵を描く大事な儀式があるという。祭式はナヴァホに伝わる神話に基づいて口誦詩が歌い続けられその中の一部に砂絵を制作する「時」があるのだそうだ。ひととおりの儀式がすめば、彼らにとって砂絵は美術品ではないので、まとめられて、方角に向かってそれぞれ撤いてしまうのだ。
金関さんはこれを何度も「一回性」と告げている。
わたしはこれを読んだ時、すぐにレヴィ・ストロースの『ブラジルへの郷愁』を思い出した。現在を生きるわたしはいかに多くの複製やイメージの移植から二次的に喜びや哀しみといった感情を受けとっているのだろうかと。
金関さんのことばを引用すると「文字というものをもたない民族のことだから、彼らの詩も、砂絵と同じく、本来一回性のものである。ただその中のいくらかが、彼らの頭の中に記憶され、口から口へと伝わってきているだけなのだ。それを白人の宣教師、探検家、人類・民族学者、詩人などが英語に直したもの--したがって原の詩とはかなりかけ離れたもの--が、私たちに読むことができるもので、…」
さまざまなものが翻訳というズレの中に意味を変え様式を変えわたしたちに新しいイメージが生まれるのだと思う。
一回生の砂絵を保存するためにニカワづけにして美術館に収集されているものを見て感動をする。「一回性の口誦詩としての、その根源の神秘に、幾分でも触れるからかもしれない、彼らの生活神話を分かちもたない現代人に許されるのは、せいぜいそれ位の喜び、だがそれだけでも、すばらしい喜びなのである。」
金関さんのいうところの「せいぜいそれ位の喜び」がいかに増えた今の時代だろうか…。

posted: mitsubako: 07:58AM

2005年11月17日

そらを飛ぶこと

Category: 草の根っこ

R0010052.jpgその昔から人は空を飛びたいという夢をもっている。
青い空に広がる綿のような雲のあいまをぬって
光の中を自由に飛べたらどんなに気持ちがいいだろう。

パナマレンコという作家は、羽ねをつけて空飛ぶものに固執した作品や設計図で知られている。雪だるまと一緒に撮影されたセルフポートレートからはじまる画集には、とんぼとか蝿とかもちろん鳥とかの観察からはじまった空飛ぶマシンがぎっしりと詰まっていて楽しくてしょうがなくなる。どこか、子どもじみたこの夢に真正面から取り組んでいる姿がかけがえのない魂に思えてきて滑稽だけと悲哀や郷愁もあって心にひっかかって仕方がない。
たぶん、そこには「なんで?」と聞かれても答えきれないわたしのみつばちへの思いと重なるものがあるからなのかもしれない。
できたら、自由でいたいという願望がそこにたくされているからなのかもしれない…。

posted: mitsubako: 07:43AM

2005年11月16日

智恵子のにひ盆

Category: 草の根っこ

智恵子が亡くなってにひ盆をむかえても、光太郎はさっぱりお盆というような気がしなかったと書いている。年中此所にいるのだから、わざわざあらたまったことをする気がおこらないのだと。
「あの世とは何も遠いところではない。あの世とはみんなの頭のなかにいつでも存在しているし、現世といつでも交通しいるところである。」
……
「親族関係や世間一通のつき合いに一一そんなことをいってがんばる必要もないから、黙っておとなしく世間の仕来りに従っているが、自分一人の時にはすべてさういふ類の事を抹殺し盡すのである。」

智恵子の写真の前に知人から送られて来たメロン、レモンを置いたりしていたが、光太郎には智恵子の紙細工が彼女の全生活に見えもっとも智恵子を感じるものとなっていた一文がある。

「其れを見ていると智恵子の魂も肉體も智慧も欲望も、そしてかぐはしい此世の讃歌まで感じられ、又私への無言の訴をもひそかに聴くのである。實に細やかな、かくれた、口には出さぬいたはりが畫面に満ちている。私の藝術も願わくは斯ういうふやうにありたいと此を見るたびに思ふ。
智恵子の一生は最も純粋に此所にいきづいている。」

posted: mitsubako: 07:41AM

2005年11月07日

ガラス板 G.リヒター展

Category: 草の根っこ

g_richter.jpg

2001年の春、ATLASと題されたゲルハルト・リヒター展を見てからもう4年の歳月が過ぎた。そして11月3日からまた同じ佐倉市にある川村記念美術館で主に彼のフォト・ペインティングなどを集めた展覧会が開催されている。
わたしはとても待っていたもののひとつで、金沢を巡回している時に、実は行こうかとそわそわしていたぐらいだった。ATLASでは多くの写真を見て、今ならまた違った目で見てみたい作品がたくさんだった。撮り続けた写真から絵を描き仕上げに筆で直線だったり、8の字だったりと一定の法則で表面をならしてしまうこの手法。ここにぼんやりとしたランドスケープだったり静物が表現される。数ヶ月前からピンホールとデジタルカメラの両方を楽しみはじめていて彼の絵画はまるでピンホール撮影のようだと感じた。どこにも焦点があっていないようでいて、あたりの空気をのみこんでしまうぶれたピンホールの写真。巧みな効果をねらうというよりは、感を信じて撮るようなところに一種のおもしろみを覚えている。彼が描いたものをある意味で均質にしてしまうところに、とらえどころのなさ、見ている現実に対する真実性、主体を特化させない、もしかしたら主体を消費化させない抵抗とでもいうのか、その姿勢に深く共感してしまう。
今回、もうひとつわたしの心をとらえたのは大きなガラス板だった。たった1枚のガラスは透明であたかも向こう側へ通り抜けられそうな錯覚をおこす。けれど冷たい物質で、そこを通ることはできない。リヒターは鏡を素材にしていることもあるが、「鏡はあまりに映し出すものが似すぎている…」といっている。ガラス板が何層もに重なるとやがて透明と思っていた現実も不透明になっていく。ガラス板とはかのレディメイドから連続する彼の表現の側面をあらわす存在なのだろうか。ガラスの透明性には心を奪われるのだ。
リヒター展のカタログからは、ひっぱりだしたいことばがいくつもある。あえて、このことばをここに記録しておこうと思う。
リヒターのノートから
「もはやなに一つ可能なものはない、ユートピアは犯罪ではないとしても無意味なのだ、というような悲観的見解を私はつねにもっていた。こういう『心理構造』から、フォト・ペインティング、色パネル、グレイ・ペインティングができた。それでも、頭のどこかでは、ユートピア、意味、未来、希望が表れることを信じていた。いわば、ひそかに、知らぬまにそこにあるようなものとして」
73歳の彼は、自分の作品を自分ですべて知りつくしてやっている行為とは思えないと語る……。
*写真をどれにするかはとても困惑した。この日初めて使用した「くま35」のピンホールで初のショットといつの日かの雲の撮影をあわせてみた。

posted: mitsubako: 07:18AM

2005年11月02日

born into this

Category: 草の根っこ

BUKOWSKI: OLD PUNKを見た。
『亀も空を飛ぶ』を見たときの予告で、見ておきたいなと思ったからだ。
ものすごく彼が好きなわけではないけれどシンプルな言葉に魅力があると思っていた。

サンフランシスコにいた頃のことがフィルムのシーンと二重写しになって、どうでもいい妙なところでぐっときたりしていた。
東海岸から渡って来た、ロブはいい声をしていた。MISHIMA文学が好きな彼は、少し日本人びいきでヘタな会話に付き合ってくれた。メガネをかけたボブは典型的な理論好きのアメリカンボーイ。このふたりがなぜかあるお店で夜に開くreadingの会にさそってくれた。「行きたいけど、わたしじゃ朗読が理解できないと思う。」とこたえると「そんなことはどうだっていいんだ。僕らの空気を味わえよ。サンフランシスコなんだから。」
当時、若者たちは、ボロボロの服を着て、未来の詩人や文学を夢みて閉店後の店を借りて人を集めて自分の作品を発表していた。いまなら、この一見どこか退廃したムードの中でアングラっぽく声をあげる若者たちのやっていたことが理解できる気がする。
敬虔な信者じゃないけれど、ジューイッシュであることを誇りにしているダグはフィルムメイキングを目指していた。「その青いタートルで、こんばんシーンをみんなで撮るから来てくれないか…。」わたしはいつのまにかこういう空気の中にのまれていっていろんな活動や行動をした。毎日がアクティブなアートだったし、幸せだった。
メインストリームで名声をあげることが目的ではない。自分の今ある場で今の自分を表現すること。何かを待っていないで、思うこと、考えることを自分からつくりだすこと。そういう精神に目覚めさせてくれたのがこの仲間たちだった。nice buddy!

BUKOWSKIの詩はまさにライブなサンフランシスコで味わったことを、アイロニーとか鋭さとか、ばかっぽさとかで吹き飛ばす力がある。情けないくらいの気持ちにさせる。長年続けた郵便局員、息子と父、ドイツ系の血…作品のあちこちに戒律と十字架が見える。

死をもって初めて昇華したことばは多くはなくていい。
ミニチュアールのあのことばの1冊さえあればそれでいいじゃないか……。
このままそっとしておきたい詩人だと思った。

posted: mitsubako: 07:31AM

2005年10月31日

無音

Category: 草の根っこ

PA290002.jpgポール・クレーのKleine Felsenstadt/Petite ville dans les rochers(small town among the rocks)… いや、そうじゃない。
画集かな… いや、そうじゃない。
ぽろりとはがれた表紙のイメージのうしろに パチパチとタイプを打ったみたいにカタカナが並ぶ
詩集なの… いや、そうじゃない。タヌマくんとか家男くんの話しみたい。
知らない人のこと… いや、そうでもない。
アナタのすぐそばにいる人。もしかしたらアナタがよく知っている人。いや、アナタのことかもしれないの。

こういうことだったのかもしれない、わたしがずっと混沌として抜け出せないでいたことから、こたえがはねかえってきた一冊…。
それから、わたしは以前に素通りしたFOIL 自然を手にした。ノートみたいに気軽に書き込むことができそうなこの一冊…。いま、繰り返し両方を開いて見ている…

*無言の声としていたけれど、1日どうもちがうと思いつづけていた。声はなくて、すべての音が消えている感じがしたのに、どうしてわたしはそうタイトルしたのかがわからなくなった。無音にした。

「家について」:伊勢克也/立花文穂プロ
FOIL 8月号増刊 自然:伊勢克也/リトル・モア

posted: mitsubako: 07:19AM

2005年10月11日

個展へ

Category: 草の根っこ

P9290003.jpg

10月の青空、洗濯日和のある日、わたしは仕事の合間をぬって画廊の個展へ行った。
銀座の南天子画廊で、毎年この頃に開かれる岡崎乾二郎展へ。

だあれもいない室内の空間で「はっ」と思ってずっと見入った。作品タイトルはとてもながいのですぐには見ないで少し離れて立ち止まっていた。『ゲルニカ』とかルオーのこととかが唐突に浮かびあがってきた。なぜだかちっともわからなかったけれど…。
それからタイトルを読んだ。私が知っている中での岡崎さんの作品で、今いちばん好きな作品になった。何度も見たいのに…と思う。

作品タイトル
「石がとどく距離なら、隅なく見渡せるさ。よって、剥き出しになった骸に気づかぬ者-水を眼の前に乾いた口で飢えを我慢するような者はだれもいない!
悲しみは消えず、きっと机の上に残るだろう(だから)いつまでもきりなく泣くことはない。
奇麗な死を願うのであれば(食われたくなければ)。海綿と水を用意し、今すぐ洗濯に出かけたまえ。」

posted: mitsubako: 06:49AM

2005年10月06日

『亀も空を飛ぶ』生み出す原点

Category: 草の根っこ

バフマン監督は、アグリンを抜擢したわけだけど、この少女にどんな想いを描いていたんだろう。女性から見ても、彼女の眼差し、ちょっとしたしぐさは、どぎまぎするほど大人びていたりする。おそらく、ここにかかげられた重たい課題は別のところへ置いておくとしても、少女の持つ驚くほどに熟した女性に彼自身も惚れ込んだにちがいないとわたしは思うのだ。男の方が熟しきれない、甘くせつない、ほのかな、幼児性をおびた恋い心が潜在的にあるように思えたりもする。そうした危なさのようなものも、もしかしたらこのフィルムの魅力となるひとつなのかもしれない。
このフィルムは、前面に戦場における“性”をあつかっているわけではない。けれども、少女アグリンにはそうした影がついてまわる。彼女の身体の傷はけっして癒すことはできない。以前に『ラマン』のことを書いた。それと相通じて、共感するものがわたしにはある。

ただ、数日前の『亀も空を飛ぶ』のフィルムの感想にも書いたけれど、映像には政治性とか社会問題が表出されているわけではない。悲しくて泣いて欲しい作品でもない。
何もないところから生み出された純粋に作品を創る原点に回帰したものだとわたしは感動した。

posted: mitsubako: 07:23AM

2005年10月05日

『亀も空を飛ぶ』カタログ

Category: 草の根っこ

film_051004.jpgそもそも、このフィルムのご案内をいただいたのは、ブログで何度も書かせていただいたことのある、ぱくきょんみさんからだった。『亀も空を飛ぶ』フィルムを見終わった後、少し詳しくのこ撮影背景とかを知りたくてカタログを購入した。
きょんみさんの文章がここにあった。
映画に登場する《少女たち》に魅了され会いにときどき行きたくなるという。
そうだ、わたしにもちょっとそんなところがある。自分をそこに投影したいという願望よりは、憧れの的のあの子を見ていたい……という気持ちだったりする。
きょんみさんの書かれた『いつも鳥が飛んでいる』『そのコ』には彼女の見る鋭い少女像が表れている。

わたしは小学校の時、転校してきた少女を思いだした。すっと背の高い、早熟に胸のふくらんだ、瞳の大きな大人びた子だった。その子はなんでも知っていそうで恐かったから、なんとなく近よりがたかった。そんな記憶がわたしにはある。
フィルムのヒロイン、アグリンはその少女と二重映しになった。

posted: mitsubako: 07:21AM

2005年10月04日

『亀も空を飛ぶ』

Category: 草の根っこ

きょんみさんからいただいた手紙の中に『亀も空を飛ぶ』のちらしが同封されていた。
『亀も空を飛ぶ』……このフィルムのタイトルを見て、あらすじを知る前にとにかく必ず見ようと思った。“も”に含まれる思いがなんとなくピンときたからだった。亀だって、亀でも……ってことはもともと飛べない限界がある。飛べないものが飛べるからこそそこに込められた悲哀がある、そんな思いにかられた。

シーンから
パショー:これは?
シルクー:サダムの腕だよ。記念になると思って、地雷を全部売ってこれを買った。
     アメリカ人も“貴重”だって
サテライト:言葉が分かった?
シルクー:教えてくれたでしょ。地雷を集めて売ってると話したら、もうやめろって言われたよ。こういうものにしろってさ、持っていけばドルで買い取ってくれるって

(カタログ、採録シナリオから抜粋)

アグリンという名の美少女が戦争で乾ききった台地を見渡す丘から身投げをする。フィルムはそこからはじまる。クルド人の監督バフマン・ゴバディは2003年のイラク戦争終結後にイラク入りをし、街で出会った現地の子どもを起用して撮影をした。戦後の子どもたちのありのままの姿、現実の生活を表すために。
アモス・ギタイが『キプールの記憶』を描いたと同様に、戦争とか、地雷に苦しむ子どもを救うためとか、ブッシュとサダムの構図とかそういった政治的なメッセージはどこにも見あたらなかった。
ひとりひとりの子どもたちの個性を大切に、ユーモアとウィットに富んだ演出が光る。複雑さや装飾がなく、まっすぐに、今を生きることだけが見えている者たちはもしかすると表面的に恵まれたわたしたちよりも遙かに精神性が健全であると感じる。

アンテナを青空へ向かって立てるシーン、有刺鉄線と目の見えない幼児がさまようシーン、子どもが子どもをあやすシーン、戦争廃棄物の回収シーン、乗り合いトラックからの風景、上空のヘリコプターからばらまかれる白いビラ……いくつものシーンはどこを切りとっても詩的でそこに吸い込まれていく自分を感じた。

たくさんのエネルギーと創造することへの命をもらったよ。

『亀も空を飛ぶ』バフマン・ゴバディ
2005/9/17- 岩波ホールにて上映中

posted: mitsubako: 07:16AM

2005年10月03日

伊東忠太の壁画

Category: 草の根っこ

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わたしは、生まれだけは大阪でした。たった2歳で大阪から父の転勤のため仙台へ移り住みました。ですから、幼いころの大阪のことは、ほとんど大人になってからの写真や、人からの話、何度も行った関西の旅で肉付けされたようなものです。
それでも、大阪というと懐かしさが残っているのは、人からの過去の記憶を受け継いでいるからだと思います。それ以外に、その場とわたしをつなぐものはないからです。

先日、友人でブログ仲間でもあるm-louisさんのブログから阪急梅田コンコース解体というニュースを知りました。今回ここに彼の撮影した写真を掲載リンクさせてもらいました。写真をクリックするとm-louisさんの記事に飛びます。信じられなかったです……。
あそこには伊東忠太の壁画があって、コテコテの独特の雰囲気を醸し出していたところです。m-louisさんのすばらしいアングルで撮影された数々のコンコースの写真を見てもそれはよくわかります。
伊東忠太は法隆寺の源流を求めた旅する建築家としてよく知られています。東京では、築地本願寺に、ボルヘスではないけれど幻獣のような奇怪な動物たちを残したことでもとてもよく知られています。そう、わたしは『伊東忠太動物園』をいつか手元にと思っているのですが。
忠太はロバにまたがり、シルクロードを、そして地中海、トルコなどへと調査を巡りました。今でいうキャラバンでしょうか。明治政府は富国強兵策にのっとり、日本の近代化を西洋化へと進めていきました。ジョサイア・コンドルが日本の近代建築に残した業績は大きいけれど、西洋の模倣に対して懐疑心を抱き、日本建築を模索した点で注目すべき人物として伊東忠太をあげることができるのではないでしょうか。

「阪急梅田コンコースを残したい・・」ここに馴染んだ者、この文化圏に生きた人たちの声を記憶として集める活動をm-louisさんが新たにアクションとしてブログで立ち上げました。
hankyu_memory.gif

琵琶湖のヴォーリス建築も100年を迎えようとして老朽化の目立つものは取り壊しの方向が進んでいます。いくつかの建築物は地元の方々の強い支援で守られていますが。
新橋の駅舎跡のようにある一部だけを博物館の一郭のように残すというのでは、本来の残す意味にはならないとわたしは考えています。
同潤会アパートしかり戦後の足跡を残すかおりも形としては消え失せていくものばかりです。確かに永遠性というものはないし、もしそれを強く望めばそれはそれで、作者のエゴではないかとも思いますが。日本という国は修復ということに今はお金をかけない国になりました。せっかく日本の良い手仕事を職人が培った長年の勘で、壊れかけては修繕して再利用しなおすという循環があったはずなのに。面倒なことはしなくなったのです。
朽ちる美しさ、朽ちていく過程を見ずに新しいものだけを追いかけるとはなんとも未熟な精神社会なのだろうと恥ずかしく思わずにはいられません。残念です。

壁の染ひとつだってそこに在ることの意義は大きいとわたしは考えるからです。

posted: mitsubako: 08:20AM | comments (0)

2005年09月16日

蘇生された土地はどこへ

Category: 草の根っこ

“わたしのお腹の中に種子が宿ったならパンパの風が吹き荒れる大地へ移り住もう”

人々のいくつもの記憶の残像を集めて 一度それを大きな釜の中に入れると溶けていく
時間軸 価値観 歴史性 感傷 そうした意味づけされたものがいったん消尽する
わたしがわたしとしてわたしらしく生きられる地はどこかに求めて見つかるものではない

わたしがそうだと意識した瞬間(とき)そこに現れる
虹を追いかけ夢想に明け暮れ その瞬間を逃しては 決して蘇生された土地へたどりつくことはない

自転車を1台用意してわたしの体に蓄えられたエネルギーでわたしの力を使って生きられる道を走っていたい
そこには季節にあった食物を収穫できる最小限の土と眠る場所がある
澄んだ空気と泉がある
すべての現象は万事有機的に廻る
雨風雪を凌いで
種子はその土地に蒔かれ月日をかけて発芽する そしてわたしは消えてなくなる 
種子に託されたもの 受け継がれたものは何ひとつとしてなくて 蘇生された土地が有するものに適応し
時を待って成長する樹となる 
再現されることもなく 反復することもなく 再構築されることもない 
零度の純度と研ぎすまされた感性が ボーダレスな草原の風に響和し 蘇生された土地のイメージを象っていく 

誰もがあたり前のように存在する土地に気づくために
どこでもないどこかで……

posted: mitsubako: 08:40AM | comments (1)

2005年09月15日

アズールと錆び

Category: 草の根っこ

ほかのなにかに、いく度か繰り返し書いたことのある原風景。
なん度となく、人とデジャブだねと語り合ったことのある風景。
誰しもの心の中に静かに、熱く映しだされているだろう。

原風景がいくつもあるなら原風景ではないかもしれない。
でも、その究極中の究極があるとするならば、それがパタゴニアという大地だ。

あるとき、アズールが赤茶けて錆びたバルパライソの街影の写真を目にした。ボルヘスに想起された風景だという。ボルヘスを知らずとも、そこに流れる時間軸の世界に埋没されてしまいそうな哀しさがある。ホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luis Borges、1899- 1986)。奇異な作品を数々残した詩人ボルヘスは英語、スペイン語、ラテン語、ドイツ語...多言語にたけた人であった。そのバックグラウンドにジュネーブ時代があることを最近知った。ラテンというイメージが強烈だったが、実は彼のアイデンティティを特定するのは難しい。作品の中で、もっとも代表的とされる『伝奇集』をわたしはまだ読んだことがない。急にバルパライソを見て「円環の廃墟」を読んでみたくなった。
その日、夜遅くに書店に向かった。店頭にはなぜかボルヘスのコーナーが設置されていて、彼の講義集だとかが前面に売り出されていた。肝心の欲しい本はどこにもなかった。
テキストと写真の関係は循環する。テキストから被写体となるモチーフが生まれたかと思えば、被写体からテキストを探し求める行為が生まれたりする。見え隠れする隠喩がさまざまな言語のゆらぎの中で新しい解釈へと蘇生する。

posted: mitsubako: 07:41AM

2005年02月28日

mobile linear city

Category: 草の根っこ

RIMG0811.jpgここは、誰のものだ。
公園を横切って帰るときに思うことがある。ビルの広場で煙草をふかしている人を見るときふっと思うことがある。
私のものではないけれど、私が通ることができて、入ることができる。
mobile linear cityはスペースに対する考え方を投げかけてくれた作品のひとつとして、初めてカタログで見た時、衝撃的だった。

かつての、モダンダンスの主宰はこういったことがある。
「いい?日本の踊りは土の上に立つ、歩きは土をつかむんだよ。大地とどう向き合うかなんだ。西欧の踊りはいかにして弧を描いて空気を自分のものに取りこむか、空気。空気なんだよ」。

人間の育った環境によって、空間の感じかたや空間を表現するアイディアは似ていたり、まるで異なっていたりする。だから異なった解釈に出会ったとき、戸惑いもあるけど、ひとつ大人になったぐらいの大きな発見だったりもする。
性格のあまりない都市に暮らしていると、どんなに意識を持っていたとしても、人は知らず知らずのうちに、都市空間に呑み込まれていく。
自分の空間と公共の空間が当たりまえのように存在していると思ってしまう。もし、街がコンパクトにたためて、持ち運びができたとしたら、街って一体なんなんだろう。建物が建ち並び、人が集中し、車が右往左往する都市の象徴みたいなものが、くつがえされたりする。公共の空間として誰かが管理していた場所が、そうでもないような場に見えてくる。
ヴィト・アコンチという作家は、シニカルな味をそえながらも、社会に対して挑発的な展開をこころみる。ある時代の彼の作品は私にとってのスーパースターだった。

固定や安定は予想を生み出す。流動や変化は再生をうながす。循環する点はどこかに必ずあるはず。

追記:今日はどうしてもこのことを書きたかった……

posted: mitsubako: 14:18PM

2005年02月26日

豊田正夫さんの器

Category: 草の根っこ

RIMG2199.jpg

豊田さんの湯飲みで番茶を飲んでいたら、ふっとそのぬくもりに、お元気だろうかと思い出した。もう、確かお会いした時から5年ぐらいの月日が経っている。私は、海外から来たお客さまをつれて、濱田庄司さんの民藝の精神を凝縮した益子記念館へ行った。春霞の頃の美しい時期だった。つれの人は、陶芸を趣味で長年やられている方だが、化学的な方法や、西欧の陶芸の手法だったので、私はどちらかというと、民藝を見せたいと思った。参考館の作品や釜に触れて、まる1日を興味深げにそこですごした後、参考館の方のご厚意で、「もし、濱田先生(息子さんだ)がいらしたら、ちょっと声をかけて、アトリエの方へもどうぞ。」と言ってくれた。こんな機会はきっとまたとないと思い、思いきって、お隣の濱田先生宅に厚かましく呼び鈴を押してご挨拶に行った。ちょうど、先生がご在宅で「あー、どうぞ。見て行ってください。」と気軽におっしゃってくれた。私たちは、器を作っているところへ通されて、そこで初めて豊田さんという職人に出会った。

豊田さんは13歳の時から濱田工房へ入られて、もう何十年と益子焼きの職人としてここで仕事をされている。小柄なお爺ちゃんだ。自然のものを使用する釉薬のことを、話してくれた。唐津の釉薬との混合や、籾殻を使用すること、蒔に使う原木のこと、それはそれは熱を込めて夢中で話してくれた。
豊田さんは最後に「あんたの住所を教えてくれれば、焼き上がった時に、ひとつ贈りますよ。」と言ってくれた。それから半年後、本当に豊田さんから湯飲みと器が贈られて来た。私は、これを一生大事に使いたいと思い、毎日、日々の生活で使って、使って、使いまくっている。
民藝には制作者は記されない。これこそ本物だと教えられた大事な器だ。

posted: mitsubako: 14:08PM

2005年02月06日

ヨゼフ・ボイスからのはがき

Category: 草の根っこ

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ヨーゼフ・ボイスは20世紀を代表する芸術家のひとりと言っても過言ではない。
そのアクティブな精神は、現代美術という領域を越えて社会や環境にも大きな刺激を与えた。

「草の根っこ」というカテゴリーを少し前から追加した。これは、私が影響を受けた人や作品について、少しばかりここに記しておこうと思うからだ。養蜂という世界とはまったく無縁と思われるようなところで生きて来たのに、なぜそんなにそのことが、私の中で今大事なのかということをランダムにでもいい、書きとめておきたい。これからどういう方向に、どんな風に歩もうか、反復しながら考えて行きたいからだ。そうでもしないと、ただ、時ばかり過ぎて、終わってしまう。この頃そんな気持ちに無性にかられる。“何かを残したい”というのでは決してないのだけれど、日々の生活の小さな営みの中に、ただ、そうした気持ちを持ち続けて生きていきたいからだ。

ボイスは1921年にドイツで生まれた。戦時中は空軍のパイロットに入隊をし、戦後デュッセルドルフの美術学校で彫刻を学んだ。美術の枠を越えた自由国際大学、社会彫刻といった活動を展開。1986年デュッセルドルフにて没。
彼の作品には兎、コヨーテ、脂肪、蜜蝋、銅、フェルトといったものが繰り返しもちいられる。戦争中に体験した出来事に象徴される物質であったと自ら語ったモノたちだ。

ボイスのアクションの中から…
1965/死んだウサギに絵を説明するには
ボイスのトレードマークのフェルト帽を脱ぎ、漁師のベストにジーンズ姿で死んだ兎を抱きかかえて、ギャラリー内に腰しかけた。

1974/コヨーテ 私はアメリカが好き、アメリカも私が好き
ボイスは、アメリカの空港に到着すると、直ちにフェルトに包まれて、ギャラリーに運ばれた。そしてギャラリーの一室で、1匹のコヨーテと3日間共同生活をした。

1982/7000本の樫の木プロジェクト
ドクメンタ7の開催から5年間に渡り、カッセル市内に7000本の樫の木を植えるプロジェクト。苗木にそえて、柱状の玄武岩をランダムに配置した。多くの市民を巻き込んで行われた。樫の木は、バスク地方ゲルニカの聖樹でもある。

美術館や画廊というある特定の作品を人に鑑賞してもらうスタイルをとらない作品展開が私は全般に好きだ。ボイスやタレル、まだこの他にもこうした活動をした作家はたくさんいる。
ボイスが私たちに投げかけたスピリットは、芸術とは、もはや誰か特別な人が特別な才能を見せるための行為ではない。誰もが芸術家であるということだ。必ずしも、絵画や彫刻といった形式をとらないところにも作品は生まれてくる。たとえば、料理を作る中にも、土に触れて作物を育てる中にも、みつばちを飼う中にも、オフロードバイクで砂漠を駆け抜ける中にも、トラックで巡回をする古本屋の中にも……。

それじゃあ、私がただ、郵便局に行くのに自転車が必要でそれに乗るのも芸術かというと、それは違う。その境目とはなんだろう。ある瞬間から芸術になる「それ」を私は探している。これは、難しいことではないような気がするけれど、あまり意識的にでもなく、かといって無意識ではないところで誕生しているような気がする。
ビオファームのまつきさんが、1/31日の農人日記「Aさんのこと」に、それに近いことを書いているように思う。彼は、代々受け継がれてきた農人のDNAと表現していた。ただ、それは生まれたときから運命ずけられていると考えると希望がない。人はいつでも生まれ変われる力を自然から与えられるとおもえば少しは希望の光が見えてくる。
ボイスが、影響を受けた人にルドルフ・シュタイナーがいる。シュタイナーが提唱した教育は、幼少期から遊ぶ素材に本物に触れさせる。あまりに純粋性を求めすぎて、そこに排除してしまうものがあるような気もするが、この教育でおもしろいのは、教科書がないことだ。学校で授業を受けたときに自分で自分のノート(教科書)を作っていく過程だ。
みつばちのことを考察するには、誰から、何を、どういう風に勉強すれば学べるという道筋はない。昆虫学として学ぶのならまだしも、養蜂を学ぶには、家が代々養蜂家なら話は別だけど、そうでない場合はほとんど、本とか自分で飼いながら知って究めていくほかないだろう。自分で自らのノートを作っていくしか、これといった道筋はない。
今日書いたことが、ボイスから送られたはがきに込められたメッセージだと自分に言いたい。思わせたい。

*写真のはがきは、もちろんボイスから送られたものではない。ギャラリー360°で、ボイスの精神を忘れないようにと以前に自分に買ったものだ。
ボイスの活動については、私のことばでは伝えきれない。たくさんの書籍に記されているのでそちらを是非お読みいただきたい。

posted: mitsubako: 14:17PM

2005年02月05日

地球はまあるい

Category: 草の根っこ

CA310007.jpg今日のことを書こうと思っていたら、時計はもうすっかり12時を過ぎて昨日のことになってしまう。時間はちっとも待っていてくれない。朝、起きてカーテンを開けると、射し込む朝日が、「春だな」と感じた。そう思うと、少し寒いけれど東、西、南、北、部屋の窓を全開にして、風の通り道をつくった。なんだか、急に掃除をしたくなる。掃除をすると、すっかり気持ちも一掃されて爽快だ。時計を見ると、もう出かけなければならなかった。今日は四谷のギャラリーで、『地球はまあるい』の翻訳者ぱくきょんみさんが朗読をすることを知って、友人の大鹿知子さんと待ち合わせをした。
この催しを知ったのはまったくの偶然だった。私は、一昨日、山形の農村地で農業を営みながら詩人である木村迪夫さんの朗読CD『まぎれ野へ』が欲しくて、水牛通信のサイトにアクセスをしていた。そこで、たまたま、今日のことを知ったのだった。nameというタイトルでガートルード・スタインの一文を引用したばかりだったし、本を読み返したばかりだったので、この巡り合わせをとても嬉しく思った。
会は、高橋悠治さんのゼミが主体で、ガートルード・スタインをテーマにやってきたことを、朗読、音、サンプリング、ライブパフォーマンスなどで数名の方々が発表をした。

ぱくさんはゲスト出演だと思うけれど、彼女を中心に3人の女性と、2人の男性の混声で朗読が行われた。お話は淡々と読みすすめられた。声に出して読むというのは、活字を目で追って読むこととはまるで違う体験と発見がある。
ぱくさんは、朗読の前に「数少ない語彙で、ローズが発見していくことをあらわしている」と語っていた。私は、私が私であることを発見する始まりって、自分の名前を知ることから始まる旅だと思っていたけれど、ローズの知るかぎりのことばで世界を順に再確認していくうちに、もっと大きな世界に気づいたってことなのかなと今日、新たに感じた。

ところで、木村さんのCDのことは、すぐに書けないけれど、この詩集の中に、昨年どうしても見たいと思っていた、故小川紳介監督の追悼の詩を見つけて、この偶然にも、はっとした。小川紳介監督のフィルムはまだ一度も見たことがない。『満山紅柿』がとても見てみたい。

追記:この日大鹿さんは皮の手袋を片方だけなくした。

posted: mitsubako: 14:11PM

2005年02月04日

庭園

Category: 草の根っこ

RIMG0661.jpg私は、田畑だったり、果樹園だったり、ある意味、人間が手を入れた環境というものにも関心がある。以前、ここでアースワークのことを書いたけれど、私がお世話になった広島県の灰塚の近郊は果実の宝庫だ。三良坂という町ではピオーネというぶどうの種の栽培が盛んでとてもおいしい。世羅という地域では、梨の栽培が盛んだ。そんなところで少しだけ滞在をしたせいか、農という作業を行う人々に敬意と、そして時としてそこに芸術的なものさえ感じることがある。それは誰でもというわけではない。ごく少数だけれどそういう風に思える瞬間がある。
1997年に開催されたミュンスター彫刻プロジェクト展に、スイスの作家ペーター・フィッシュリ・アンド・ダヴィッド・ヴァイスは「庭園」という作品を制作した。以前は動物の形をした植木が植えられた装飾庭園だった土地。時間と共に誰も手入れをしない「そこ」は荒れ地と化した。フィッシュリ&ヴァイスはその土地の持ち主に依頼して、約半年前から、土地を耕し花と野菜の混菜の庭園を復活させた。実際にこの作品をこの機会に見に行くことはできなかったのだが、写真やビデオで見て、心に残る作品の一つとなった。このイデーは、土と関わる仕事をしている人と出会うたびに私の中に蘇ってくる。作品とは、必ずしも意識化の中で生まれるとは限らない。むしろ自分が意図もしていない、作品とはかけ離れたところで、こつこつと営んでいる中に生まれていることがある。そうした「気づき」を想起させてくれるのが、こうした作家たちだったりするんだと思う。

posted: mitsubako: 14:09PM

2005年01月09日

アースワーク

Category: 草の根っこ

RIMG0761.jpgアースワークと言うと、ライアル・ワトソンの『アースワークス』を思い浮かべる人もいるかもしれません。それとは、違うジャンルだけれど、共通点もあることばです。
私は、ある数年間を美術家でもあり批評家でもある岡崎乾二郎のもとでお手伝いをしながら芸術のことを教えられました。とくに、私がこうして自然や環境、転地養蜂家をモチーフにして作品を考えようとする土台は、多かれ少なかれ、岡崎さんの影響なしにはありえなかったと思います。
HAIZUKA ERTHWORKS PROJECTというプロジェクトがありました。これは、広島県の山奥にある、総領、三良坂、吉舎、の3町が主体となって、ダム建設による広大な空き地を芸術によって活性させるプロジェクトとして、岡崎さんが1993年ごろからかかわっていたものです。私は、このプロジェクトで数ヶ月、灰塚という地に滞在をしました。まだ、ダム開発が進められる前の灰塚は、古民家がぽつりぽつりとあり、雑草が覆い尽くす野原が広がり、廃校になった懐かしい面影を残す小学校があり、閉じた日本の里を代表する美しいところでした。

私たちが取り組んだプ