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2005年12月20日

哀しい詩(うた)

Category: お話拾い

悲しい詩を投稿してみないかといわれた
くりかえしの生活の営みのなかで小さな悲しみはいくつもある

1991年のことだった。花屋の店頭に真っ白な水仙があってジョンにこれを届けようとすぐに思った。1本だけ裸でもらってそのままバスでヘイトに向かった。通りから何本目かの道、ペンキで塗られた色のビクトリアンハウスが並ぶ。階段を上がって、ひと呼吸してから呼び鈴を押した。1回…2回。何回目かわからなくなってから黒い服と帽子をまとったジョンが白い顔をして戸を開けた。
「わたし、わたしだよ」。
「ああ、きみだったのか」。
具合のことを聞く勇気は出なかった。枯れきった体と透きとおった手を見れば、病に蝕まれていることは直感できた。
「あの、これ好きでしょ」。
「ねぇ、もうよくは見えないんだ」。
「白い花」。
「白い花…」。確かにそのうつろな視線は花を見つめてはいるけれど 笑みひとつ浮かべられない死の影がよぎる面持ちだった。冷たい白い手をぎゅっと握った。
「じゃあ、また」。

帰り道、わたしは泣きたかったから歩くことにした。白はジョンが好む清潔感のある花だと思ってもっていった自分が情けなくて、どうしようもなくて、ただただ泣いた。

この話の投稿はやめにした。悲しい詩にはならないからだ。その数日後、哀しい詩(うた)となって心に記録されたからだ。
そうして、同居人でジョンを最期までみとったダッグはキブツへ行くことを決めた日だった。

posted: mitsubako: 07:38AM

2005年03月01日

近江八幡 祖母のこと

Category: お話拾い

hisa.jpg嶋内ヒサが祖母の旧姓だった。松尾則民と結婚後、夫が漢字で名をつけて、松尾比佐子となったと聞く。祖母は1904年(明治37)8月13日に生まれた。そして1957年(昭和32)5月3日大雨の降る日、知人の家で中華料理を教えていて、突然倒れ、昏睡状態で亡くなった。53歳の生涯だった。
一度も会ったことのない祖母のことを、大らかな人だったとよく人から聞く。いつもにこやかだったという。大柄な人だったとも知る。祖父が写真が趣味だったので、祖母の写真が残っている。
近江八幡に生まれ育った祖母は、ヴォーリズの日曜学校に通っていたらしい。
もしかすると、私が近江で見て来た教会に足を運んだかもしれないし、郵便局へも行ったかもしれないと思うと何かがこみ上げてくる。
近江八幡は当時、長閑な村だったに違いない。母に私が見た風景の話しをぽつりぽつりとした。「屋根瓦が黒くて落ち着いていたよ」とか「湖で捕れるものを佃煮にするんだよね。小えびと大豆の煮豆を食べたよ」とか「近江は米と豆の産地だね」そんなような、たあいもないことをいくつも話した。母は「ああ、ママはよく大豆を煮ていた」と、どんな小さなことでも喜んで応えているように見えた。早くに母親を亡くした母はどんなに淋しかったろう。

嶋内ヒサは7人も子どもを生んだから、18歳で結婚をしてからというもの、とにかく子育てに暇がなかった。写真にうつる手に印象が残っていて、触れたこともないのに、肉厚の分厚い手だったにちがいないと思う。

結局、琵琶湖をひとまわりして、確かに、私は、祖父だとか祖母だとかの何かに惹かれて旅をしたはずだ。でも、気が付くと、いい空気をたくさん吸って、一番見たかった冬の光景や朽ちるものを目と体全身で触れることの方が大だった。
足元の粒だねのようなものばかり見つめて来たような気がする。が、穏やかで、静かに、ゆっくり、たっぷりと湖畔の波の声を聴きながら過ごした時間は、私の精神をひとまわりもふたまわりも豊かさに満ちたものにしてくれていると思う。
旅の後というのは、あっという間に押し寄せる日常のリズムに記憶も希薄になってしまいがちだが、今はちがう、湖の自然はなぜかずっと、昨日のことのように私の中に生きていて、ゆっくりと私の鼓動にあわせて鮮明によみがえっている。

*琵琶湖にて
*朽ちていくものへ
*枯れヨシの中を
*琵琶湖の朝

posted: mitsubako: 08:14AM

2005年02月10日

手紙

Category: お話拾い

RIMG2176.jpgこれは故松尾則民の写真だ。松尾則民とは、私の亡くなった祖父のことだ。
祖父は、特に何かをした人ではないが、その時代を凝視しながら、手紙を書いて生きた人だった。私は、この祖父とは、2歳になる時までしか、一緒にいられなかった。だから存在感とか、なんの印象もなく、母や、親類や、母の友人から聞く話しだけで、この祖父という人物を想像している。思い懐かしんだりしている。祖父は、私の幻想だけに今も生きる大事な人だ。長い間、この人に私はずっと興味を抱いていた。
松尾則民は1891年、長崎に生まれる。長崎という土壌がそういう気風だったのか、祖父は若い時からカトリックの影響を強く受けて育った。いずれ、賀川豊彦や内村鑑三に傾倒してプロテスタントになる。やがて、滋賀県、近江八幡で育った祖母と出会い結婚。兵役を逃れるために満州へ渡った。鴨緑江株本公司で会計課と中国語翻訳の仕事をしていたらしい。私の母はその間、1933年に満州で誕生する。たった13年5カ月あまりで消滅した国で生まれた稀少な子どもだ。
満州から引き上げた祖父はその後、北鎌倉の山ノ内に家を建てる。南向きに開けた陽当たりの良い、和洋折衷の家であった。(現在もうこの家屋は取り壊されて、ただの荒れ地と化している)この一軒屋の建築は、当時近江に腰をすえ、日本の近代化に力を注いだ人物、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの一粒柳建築事務所に依頼をした。だから「ヴォーリズさん」という名は私が幼少の頃から耳にしていた名前だった。

30歳も近くなろうとした頃から、私は自分探しをはじめた。誰にだって、そういう時があると思う。迷ったり、自分は何なんだろうと思いはじめると、まず過去を振り返ったりするだろう。そうして私のルーツを探りたくなった。私がどういう民族なのか、とういうアイデンティティ探しとは、違うけれど、どうしてこういうことに惹かれる自分が在るのか、時々知りたくなる。
私は親類の家を尋ねると、祖父の話をしつこく聞いたり、祖父の書いたものを預かるようになっていった。祖父は、生真面目でよく手紙を書く人であった。結婚をして嫁いでいった娘宛、友人宛であったり、時には、作家だったりしたという。与謝野晶子に手紙を出したという話しは、今でも松尾家で語りぐさにされている。私は、このちょっと大胆で風変わりな生き様の祖父が、どんなことを考えて生きていたのか無性に知りたくて、預かった手紙を読むようになった。
「数学と語学を勉強せよ」「女性も社会で仕事を持て」「パンは黒パン」「砂糖も黒砂糖」「甘いものは最小限度」といったようなことを細かく書き綴っている。祖父は孫の私たちに「おじいちゃん」と呼ばせるのが嫌いだった。だから手紙にも「グランパ」とカタカナで書いてある。
北鎌倉に越してからの祖父は、株を少々やりながら、仕事もせず、好きな本を読み、手紙を書き、石を集め、漢詩を読み、盆栽にふけり、写真をとり、好きなことばかりして暮らしていたという。戦後の食料難の中、7人の子どもを抱える一家の暮らし向きは決して良くなかった。祖母は黙って、庭に菜園を作って食べることを支えていたと母は回想する。社会の理想や思想ばかり言う祖父の生き方に、当時の家族は生きることに精一杯で、なかなか耳を傾けなかったという。
その日をどう暮らすか。衣食住に追われて、それをなんとかするのも生き方だ。衣食住をかまわず、夢想にふけるのも生き方だ。どちらにしても、人はなんとか生きていける、そんな時代であったのかもしれない。どちらも、なくては生きられないことだとも思える。
祖父の書きためた手紙は、時間を経て私が譲り受けた時、そこに広がる、ある宇宙観が、一つひとつ貴重で、今の私にありがたいことばとなっている。どんな文学よりも、ここに残された記録は故人のかけがえのない、未来へのメッセージとしてある特定の人に意味をなしている。
私は、何かのてがかりを求めて、今、近江八幡へ行こうしている。

posted: mitsubako: 19:59PM

2005年02月01日

name

Category: お話拾い

RIMG2186.jpgRose was her name and would she have been Rose if her name had not been Rose.
She used to think and then she used to think again.
The World Is Round, by Gertrude Stein

ぼくのなまえはウィリー、ローズにゃ似てないよ
どんなにどうなっちゃったってぼくはウィリーだろうよ
ヘンリーがぼくのなまでもぼくはウィリーだろうよ
ぼくはウィリーだろうよ、いつだってウィリーさ、やっぱりね。
地球はまあるい ガートルード・スタイン


なまえってなんだろう。ちきゅうにあるものは、みんな、みんな
かぞえて、なづけておぼえているってきいたことがあるよ。
祖父の書いたものを読んでいたら、わたしへの命名書というものが出てきた。
書いていてくれたから、思いが残るということもあるけれど、残っちゃ困ることもある。

--歴史は人類の正しい希望の集成である。恒に正しき望によって
宇宙の究極愛の本源たるに向かって光りの歩みを進めよ--祖父より

名づけてくれた『なまえ』のごときの大人にはちっともなれていないけど、確かにいくつかあなたの子どもたちが、父親をけむたいと思っていたようなことを、わたしが受け継いでいることがあると思うよ、天国のおじいちゃんへ。

*命名書を見て、なまえが気になったら、急に『地球はまあるい』を読みたくなった。リズミカルなおはなしだ。
『地球はまあるい』ガートルード・スタイン 訳ぱくきょんみ、装画浜田洋子/岡崎乾二郎

posted: mitsubako: 19:58PM