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2008年11月10日

壊れた陶器

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10月から待望のblogを運営しはじめている。White Surfaceというタイトルで、サンチャゴに住む若き建築家とのコラボレーションblogだ。
地球のほぼ真反対の緯度に位置するnとfの視座が、仮想空間に用意されたたった1ページの白い平面で出会うことになる。この企画は同時に、もう少しでリニューアル公開する「みつばちの木箱」内のn°f°とまったく同一コンテンツでシンクロしている。ひとつのweblogに異なる時間帯のタイムスタンプが押されていくことになる。

昨夕のことだった。肌寒い荒川散策から戻って来ると階段に、四方をぴっちりとガムテープでとめたA3サイズの封筒が置かれていた。持ち上げるとじゃりっと砂のような音がする。送り主はfからだった。あらかじめ壊れることを想定して送ってきたモノ = objectは皿という原形を失ったかけら以外のなにものでもなかった。その前日、ある画家から即興に使った帯広の土を分けてもらっていたわたしは、陶器の破片にその淡い桃色の土を一つまみとって、ぱらぱらとまき散らした。土色の破片は蝶が鱗粉をふりまいたようになった。壊れて届いた贈り物は本来なら悔やまれる。けれども壊れていた儚いモノから伝わる繊細な感情の流れをうけて、わたしの感性にかえってうったえかけてくるものは強烈だった。これから1年、ふたりの感性を新しいかたちの詩形でぶつけあい、飛翔させてみたいと思う。
届いた郵便物のなかに繊維でできた蝶が入っていた。

わがままなわたしの願いを聞いてシステムを立ち上げてくれた長井さんとタイトルまわりを考案中の友だちに心から感謝しています。
どうもありがとう。

posted: mitsubako: 17:42PM

2008年10月05日

星の牧場

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岩手で馬と暮らしている友人が引っ越しをして新たなスタートをするというメールをもらってからしばらく経った。どうしているかと思って、いったん休止しているはずのblogをのぞいてみたら新しくなっていた。そんな思いにさせてくれたのは、中学校の図書館の先生がすすめてくれて以来、心に残る一冊「星の牧場」を読み返したからだった。長新太の作品集をぱらぱら開いていて、ふと目にとまったのがブルーのツキスミという名前の馬の装丁の童話だった。この挿画が長さんだったのかとあらためて知ると、夜中だのにいてもたってもいられなくなって天井うらの本棚から「星の牧場」を見つけ出してきて読みはじめた。舞台は第二次世界大戦後。インドシナ半島に戦争で招集された青年兵が、世話係をした馬のツキスミと悲しい別れをして戦地から帰って来たところからはじまる。育った牧場に無事帰還はできたものの出征前とは大きく変わり、心に傷を受け「ツキスミの幻聴」が聴こえるようになったモミイチ。牧場生活で夢と現実のなかを往き来し、空想の世界でジプシーたちと音楽をかなで心あたたまる交流をしながら、最後にツキスミと星の牧場で再会をするお話。このお話のハチカイの存在がずっとわたしの中に知らないあいだに住み着いていたことがよくわかる。若い時に心をうごかされたファンタジーは人生に大きく影響をするものだとつくづく思う。自由とはなにか、平和とはなにか。誰かにそれを求めるのではなくてわたしがそう在ることが、この本を読んでいるとよくわかってくる。いとおしい命の尊さとか儚さはひとりで自然と対峙したときに霧の先に見えてくるんだと思う。

posted: mitsubako: 18:36PM | comments (5)

2008年10月03日

米田知子「終わりは始まり」

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なんの変哲もないどこかの国の風景。静かに時間が止まったままの部屋。写真によって切りとられた場所や時に、もはや何か意味が含まれているのだろうか。
だのに、米田知子が撮りおろした一見なんでもないようなシーンにわたしは引きこまれていく。
品川から徒歩約10分ぐらいの御殿山ガーデンにある原美術館で、米田知子展が11月30日まで開催されている。米田といえば「見えるものと見えないもののあいだ」は代表作のひとつでもありよく知られている。ブレヒト、谷崎潤一郎、マハトマ・ガンジーなど著名人たちの使った眼鏡を通して、彼らとかかわりのあるテキストをクローズアップして撮影した写真だ。文頭に「なんの変哲もない…」とは言ったものの、実際は人類が歴史的に受けた大きな傷跡を残した土地や政治的なメッセージが「現在」というフィルターを通してなげかけられてくるのが彼女の風景写真群だ。彼女が意図的にそうしているような、故意な狙いはまったく感じられない。そっけないタイトルキャプションを見た時、はじめてその風景にあらたな価値感がこちら側からわきたってくるのだ。それを米田の冷静な目線と言えばいいのか、それとも単純に写真の持つ客観性なのか。今回は、一連の「見えるものと見えないもののあいだ」のほかに新作として「パラレル・ライフ ゾルゲを中心とする国際謀報団密会場所」が発表されている。古くなってレンズが汚れきったブローニーカメラで撮影したものだという。レンズは古くなっても空気感を映し出す装置だとあらためて感じる。米田の個性が原美術館の雰囲気ととてもよくあった展覧会だと思う。
*米田知子展「終わりは始まり」2008年9月12日(金)-11月30日(日)まで 詳しくは原美術館のサイトをご覧ください。

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posted: mitsubako: 17:23PM

2008年09月23日

大道あや展

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開催期間中に書くことができればよかったと思う展覧会のひとつが渋谷の松濤美術館で2008年8月5日-9月21日までやっていた「けとばし山のおてんば画家 大道あや展」だ。わたしは終了間近になって足を運んだ。大道あやは、70歳を過ぎて画家になった丸木スマを母に、兄に「原爆の図」で世界的に知られる丸木位里をもつ。人生のさまざまな悲しみや苦しみを経験して60歳になるあやに「わしが極意を教えちゃるけん」と、絵の世界に声をかけたのが兄の位里であったという。大道あやの絵筆のタッチは、数々の絵本で目にしたことのある人が多いはずだ。まるで「鳥獣人物戯画」を思わせるようなユーモラスな小動物は、わたしたちの身近なできごとをそのまま空想の世界へ連れていってくれる。田舎の一軒家にひろがる庭や草むらで遊んだ経験のある人には、再びその楽しかった体験を再体験させてくれる力がひそんでいる。暮らしの中のできごとをいったん大道の心の「ユーモア」というフィルターにかけてから、多くの色彩を用いて細部にわたる描写を手がけていると感じる。絵は明るく元気いっぱいで、見ているとこちらも思わず微笑んで愉快な気持ちにさせられてしまう。会場に来ていた老夫婦にふっと目がとまった。擬人化されたかえるのモモルをじーっと見つめていた夫の方がひとこと「かわいいね」とつぶやいた。わたしは「きのこ」と題する絵のほんの傍らにみつばちたちがそっととまっているのに感嘆していた。ぜひ、絶版になった絵本を図書館などで目にしていただきたいと思う。
「ねこのごんごん」(福音館書店 1975年)、「かえるのモモル」(小峰書店 1977年)、「けとばしやまのいばりんぼ」(小峰書店 1980年)、「しゃものピョートル」(福音館書店 1984年)、「たろうとはなこ」(福音館書店 1987年)ほか多数。

posted: mitsubako: 16:09PM | comments (2)

2008年09月12日

横浜トリエンナーレ 2008

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9月13日から11月30日までの79日間、「タイムクレヴァスへ」というテーマで横浜トリエンナーレが開催されている。内覧会を1日をかけて歩いてみた。新港ピアでチェックインをすませて、まずは赤レンガ倉庫に向かった。2F会場では主に戦後日本の前衛アートのパフォーマンス映像資料を観ることができる。土方巽、具体、フルクサスなど身体表現の貴重な映像が流れている。その資料展示室にそった長い廊下には壁から突出しているテキストを読みながら進むミランダ・ジェライの作品がある。日本語と英語で進む方向は逆になる。ワンウェイの狭い空間に個人的な内面を1対1で向き合わせられる作品だ。3F会場には、リクリット・ティラヴァニャのほか、ハンブルク在住のハンネ・ダルボーフェンの作品が整然と展示されている。えんぴつで走り書きをしたようなメモや数字、日常に使われていたなんでもないような挨拶状と楽譜の表記の組合わせのパターンなどが壁に順列されている。ひところ昔の作風のコンセプチュアルアートの手法を感じる。
チェックインをした新港ピア内は会場空間構成が西沢立衛設計事務所で、ここで23人の参加アーティスト作品が見れる。この会場で私が楽しみにしていたのは、スイス、チューリッヒ在住の作家フィシュリ&ヴァイスだ。彼らの「事の次第」は日本でなじみも深くよく知られている。今回はトリエンナーレのポスターにもなったラット・アンド・ベアーのフィルムの上映と会場内の隅にラット・アンド・ベアーのぬいぐるみが、グーグーと気持ちよさそうに眠っている。はたしてラット・アンド・ベアーは芸術で一攫千金を得られたのであろうか。なんとなく笑いがこぼれてくる。カールスルーエ出身のウラ・フォン・ブランデンブルクの映像は映像でありながらシーンに古典絵画を再現している。映像なのにまるで静止画を見ているような錯覚にとらわれる。ひとコマひとコマが、クラシカルな写真のようでもある。ひととおり会場内を見てからカフェで休憩をする。作品数を多く観るときは休息も大切な時間の使い方だ。会場めぐりの仲間に、今日初めてお会いした画家の日高理恵子さんとお話をする。詩人・長田 弘の「空と樹」の挿画でも知られた方である。そのまま茶飲み話がつづきそうな私たち女性グループに、「今日は雑談をしにここに来たんじゃないでしょ、見ないと、見ないと」と一緒に休憩をしていた峯村敏明さんに言われて、次の会場へと足を運ぶことにした。
わたしの中での今回の目玉は、本牧にある三渓園内に設置された中谷芙二子の霧の彫刻だ。午後、シャトルバスで三渓園に着いたころには、まるで真夏のような太陽が照りつけていた。園内の緑は美しく、歩くたびに変化する庭を楽しみながら作品を見てまわる。涵花亭でトリス・ヴォナ=ミシェルの作品を聴き入り、旧燈明寺本堂のお堂内の暗闇の中をカンテラを持ってキャメロン・ジェイミーの民族文化的な作品ものぞく。そこで久しぶりに建畠晳さんに出会う。横笛庵の近くまで来ると霧がたちこめていて、木々の間に射し込む光りがかもし出す美しい情景に心を奪われてしまう。まずは、横笛庵の内藤礼の繊細な作品を見てから霧の中へと向かった。風に反応して霧を発生させるしくみになっていると中谷さんが話してくれた。三渓園の風景はこの人工の霧の発生によって、さまざまに変化をする。樹木にかかったクモの巣は水のしずくで白く輝いていた。また偶然に、"here and there"の編集と出版をしている林央子さんと出会う。この会場から日本郵船海岸通倉庫ビルまで一緒にまわることになった。日本郵船海岸通倉庫ビルでまず目をひいたのは、田中泯さんの小屋だ。いつパフォーマンスをするかは観客にあらかじめ知らされてはいない。2F、3Fの各フロアにはマシュー・バーニーやポール・マッカーシーをはじめ21人の参加アーティストの作品が置かれている。マリナ・アブラモヴィッチの作品台には勇敢にも作家の窪田久美子さんが体感した。
この後、カフェで休憩をしてから若い作家たちの関連イベントでZAIMにも顔を出す。
本来ならゆっくりと数日間をかけて見ていくものなのだろうが、時間に限りもあるのでできる限りの作品をざっと見てまわった。毎回思うのは、作品数が多すぎて忙しなく観てしまうことだ。会場内はまだ内覧会とあって準備中のものもあったり、作品に対して質問をしてもスタッフがあまり説明ができなかったりする。運営も含め79日間を通じて熟成していくのだろう。会場を後に、疲労感にひたった私は、最後に少しだけ頭を冷やしに大桟橋に行って海風にあたりながら芝生にねころんで月を眺めていた。闇のなかライトアップされた桟橋にシャボン玉がたくさん飛んでいるのが幻想的だった。
今回は、全体的にビデオアートやパフォーマンスが多くとりこまれている。「タイムクレヴァスへ」の企画趣旨のひとつに時間意識を覚醒させる意図が含まれている。現代社会にあって時間はもはやリニアな線としては表現できず、複数の軸線が複雑にからみあって出現している。この現象は、必ずしも人間の深層の豊かさと結びついてはいない。現代社会のこの現実を時間の亀裂ととらえ、亀裂の中に落ちた自分をそこから再認識することがはたしてできるだろうか。その場でしか体感できない身体パフォーマンスが多く取り込まれた狙いはそこにあるという。私にとっては、野外での三渓園のゆるやかな時間の流れが、日常と対話ができる最高の場所となった。最後に、その場所で偶然にも内覧会鑑賞中のフィシュリ&ヴァイスに出会うことができたのも嬉しかった。そして気持ちのよい人たちと歩いて回れたことがなによりも楽しい1日となった。
帰宅後「タイムクレヴァスへ」のテーマを読んだら若林奮の「VALLEYS」のことが無性に頭に浮んできた。今年見た展覧会の中で印象の深かった「VALLEYS」のカタログをもう一度開いて読んでみたりした。

会場への詳しいインフォメーションはこちら

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ハンネ・ダルボーフェンの作品の一部

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ラット・アンド・ベアー

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中谷芙二子の霧の彫刻(三渓園にて)

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田中泯の小屋前にて

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マリナ・アブラモヴィッチのSOUL OPERATION TABLE

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大巻伸嗣のイベント Memorial Rebirth

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posted: mitsubako: 02:44AM

2008年09月07日

みつばちの本

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用事で銀座に出かけた。銀座に行くと必ず立ち寄る本屋がINAXだ。INAXシリーズの新刊書籍をいろいろ見ようと思って行ったのだが、目についたのはみつばちの本2冊だった。
1冊は福音館の月刊たくさんのふしぎで「ニホンミツバチと暮らす」文・写真 飯田辰彦。もう1冊は「庭で飼うはじめてのみつばち」監修 中村純 編著 和田依子 山と渓谷社。
生息が減少しているというニホンミツバチと都会で飼育が増えている西洋ミツバチ事情を象徴するような2冊だ。「庭で飼うはじめてのみつばち」はホビー養蜂を楽しむための情報がたくさん掲載されている。部活動のようなミツバチ愛好家たちの集いがあることも知った。数年前に比べるとずっとミツバチが人に注目をあびるようになったようだ。人は意外に容易に養蜂をスタートさせているんだなと思った。それにくらべると、わたしはなんとのんびりと養蜂のことを考えているんだろうと思ったりする。

posted: mitsubako: 13:58PM | comments (2)

2008年09月06日

東京のはらっぱ

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「はらっぱ ひろっぱ はらっぱ ……」という歌があるのを知っているだろうか。
大きな声で空にむかってこの歌をうたうと気持ちがいい。
先日、東京タワーの見えるビル群の街でルーフガーデンの視察に行った。地上から約45mの高さの屋上に水田やビオトープが作られている。樹木や小さな菜園も再現されている。これまでのビルの屋上は排気口や空調機がむきだしの味気ない印象だったが、ここ数年の建築は屋上利用を工夫したものが増えている。高層階のビルから見下ろす景観に考慮したものだという。空中に持ち上げられたこの庭園の視界は不思議だ。持ち上げられてはいるものの地面という零レベル感覚がありながら、高層ビルの窓面のすきまから雲や空がのぞく。立ち入ることはできない向こう側のビルの上は鳥たちが運んだ糞からはらっぱができていた。
東京のはらっぱは都市開発途上地域とこうしたビルの屋上に健在している。雑草よ、東京をおおいつくせ。

posted: mitsubako: 12:30PM

2008年08月17日

アンティークの版

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ポポンタに来訪してくれた友だちから譲りうけたものがある。みつばちの版だ。おそらくは活版印刷で使われたものではないかという。みつばちの木箱のプロジェクトにロゴマークのようなものはこれまで考えたこともなかった。文字タイトルだけですすめようとしていたのだけれど、これを見ているうちに表現の方法によっては使いたいなと思うようになった。オリジナルで思案するのでなく、以前にどこかの国で、誰かが何かの目的で使っていた版を使うということに意味を感じている。木箱はあるものを再生するプロジェクトでもあるからだ。
みつばちの宝ものがひとつふえた。

ところで昨日、猛暑のなかを交代で運転をしながら益子へ行った。STARNET ZONEで仲田智展が開催されているからだ。その話はまた追々、書いておこうと思う。
みつばちの木箱はもう少しするとちょっとだけ生まれ変わります。だから更新はゆっくりにしています。


posted: mitsubako: 20:37PM

2008年08月10日

for the love of light:

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光が好きな人はどのぐらいいるんだろう。
光を追いかけてばかりいるわたしに、心の光をともしてくれた1冊の本がある。
for the love of light
ポラロイドを愛してやまない人たちに、写真家のJenifer Altmanが声をかけて作り上げた本だ。
あなたのセルフポートレートを1枚とってください。
だからわたしはポラロイドが好きです:
こんな項目をひとり一人にこたえてもらってできあがったこの本はポラロイド社のフィルムが生産販売終了をしたことで起きたムーブメントだ。モノにはいつかは終わりは来る。それをただ嘆いているのではなく、自分がどれほどそれが好きだったかを記録に残して伝えていこうという試みにポジティブな思考と行動力を感じる。
わたしもあと30枚だけポラロイドピンホール用のフィルムが残っている。とっておきの光を追いかけてつかまえたいと思う。

posted: mitsubako: 19:31PM

2008年07月27日

いつも雲ばかりみていた

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幡ヶ谷のポポンタレストランで開催します。
7/28(月)- 8月3日(日)※29日(火)は定休日
詳しくはこちらにて→http://www.poponta-r.com/

posted: mitsubako: 09:55AM | comments (2)

2008年07月21日

popontaの日

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幡ヶ谷のレストランポポンタで週代わりのミニ写真展がはじまってそろそろ終わりに近くなってきた。今週は火曜日からでグリーンなやすらぎの世界を展開してくれるのはchizuさん。楽しみだ。そして最後がわたしの番になっている。昨日まで、イラストボードに出力写真を貼る作業をしていた。だいたい準備もととのった。いろいろな方に助けていただいて、案内のカードやもうすぐ告知用のチラシもできる。撮った写真が加工されるのはおもしろい。自分が気に入っているものと人が選んで料理をしてくれるのとでは予測がつかない結果が生まれる。そのことが大事だと思っている。
今回のわたしのテーマは
「ポポンタ de sky」いつも雲ばかりみていたです。
ここ何年間か雲がわきたつところを探しては旅に出ていたと思うので、それをコンセプトにした。レストランで食事と一緒にやんわり雲を味わってもらえたらなぁと思う。

7/28(月)- 8月3日(日) 29日(火)は定休日 この期間にわたしの写真が飾ってあります。
詳しくはこちらにて→http://www.poponta-r.com/

posted: mitsubako: 10:52AM | comments (2)

2008年07月13日

アイヌの結婚式

金曜の夕べ、友だちにさそわれて民族文化映像研究所の1作品「アイヌの結婚式」を見に行った。今から約40年前の1971年4月10日のこと。ひとりのアイヌ女性小山妙子さんがアイヌ式の結婚式をしたいということから話はじまった。彼女はアイヌ式の結婚式をすると名乗り出る男性が現れるまで結婚を待ちつづけたという。その相手が貝沢三千治さん。貝沢さんはアイヌの聖地ともいわれる北海道二風谷の部落で暮らす。妙子さんはそこから西へ山を越えた鵡川部落の出身だ。ふたりは、伝承のウウェペケレ(昔話)、ユカラ(英雄叙事詩)、古老たちの見聞や萱野茂二風谷アイヌ資料館の創設者で3年前に亡くなられた萱野茂さんらの助けをたよりにアイヌ流の挙式を挙げた。
男と女は結婚を前に贈り物の交換をする。女は刺繍をしたテクンペ(手甲)を、男は彫刻をほどこしたマキリ(小刀)をそれぞれ渡し合う。男の家からはイコロ(宝物)が女の家に届けられ、男の住んでいる村では新婚の夫婦がこれから暮らす家の準備をする。ポロチセと呼ばれる大きな小屋は笹葺きのようなもので近隣の自然素材から組み立てられているようだ。室内にはいろりがあってゴザのようなもので間仕切りをした向こう側に寝室をこしらえている。部屋の隅々を清めて女を迎える支度をする。花嫁は花ゴザの中に入るだけのわずかな衣類などの荷物をまとめ、背負い花婿の待つ村へ向かう。花嫁が到着すると新郎の母が泣いて抱き寄せて迎える。結婚式はまずエシカとよばれる長老が火の神に祈りをし、その後生涯寝食を共にする意味で花婿と花嫁がトゥキ(高盃)に盛られたご飯を分け合って食べる。この日のために口こみで集まった各地のアイヌの人々が会費をにぎって宴に加わる。ウポポ(すわり唄)、舌をまいたような声で唄いながら舞うハラキキ(鶴の舞)、ホリッパ(群舞)などアイヌに伝わる唄と踊りは夜更けまで賑やかに止むことはなかった。
民族文化映像研究所の所長・姫田忠義氏との談話へとプログラムはつづく。姫田氏は「忘れられた日本人」などで知られる民族学者故宮本常一に師事し国内外を活動的に歩き映像による民族文化の記録作業をはじめた人だ。撮り続けて40年の歳月が過ぎ、119本のフィルム作品と150本あまりのビデオ作品を生み出している。タイトルリストを見るだけでも魂をゆさぶられる衝動がある。先日、わたしはオーストラリアの先住民族アボリジニのエミリー・ウングワレー展を見にいったことを書いた。「なぜ彼女がカンヴァスに絵を描くようになったのか」という疑問がずっと心にある種の痛みをともなって感じていた。昨夜、姫田忠義氏が「ありのままを、あたりまえのなかにあることを記録する」と熱く語った中に、わたしが感じた痛みは決して錯覚ではなかったことを再認識した。岩波のブックレット「忘れられた日本の文化」に書かれた冒頭の文章から抜粋をしたい。そこに姫田さんのすべてのものを見る姿勢があると思う。

私たちの研究所は、志を同じくするごく少数のものが集まってつくりあげてきたものである。すでにできあがっている国立機関でも、大学の研究機関でも、どこかの企業がつくった組織でもない。自発的な個人が、それぞれ持てる力を集めて活動をはじめ、ある長い準備期間ののちに活動を本格化し、研究所というかたちをととのえたものである。つまり私たちの研究所の基本は、あくまでも自発的な個人であり、個人の志が基本なのである。
「忘れられた日本の文化」個——孤独からの出発より 岩波ブックレット No.193 姫田忠義

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posted: mitsubako: 09:54AM

2008年06月29日

nodoca 写真展

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時々このblogにコメントを書いてくれる東京のyamaさんは、実は幡ヶ谷にあるpopontaレストランのマダム。われらのマダムpopontaと称されて愛されている人のひとりだ。popontaのシェフ岸畑さんは彼女のパートナーでもある。少し前になるけれどメニュにクスクスがあって、これは絶品。味はとてもことばでは説明できないので食べるにつきる。
さて、このpopontaで6月30日(月)から初の写真展が開催される。このblogに何度か書いたnodocaさん、わたしの採蜜の風景を撮影してくれた人でもある。photologで見ているのとはまた違った味わいがきっと見れると楽しみにしている。期間は7月6日(日)まで。
梅雨時ではありますが、ぜひpopontaでおいしいものを食べながら写真を眺めてください!popontaへのアクセスなど情報は下記のリンクから。展示は1週間ごとにかわります。
http://www.poponta-r.com/

posted: mitsubako: 17:07PM | comments (4)

2008年06月28日

二通のメール

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先週末「ディスポジション 配置としての世界」のシンポジウムに行った翌日、遠野の徳吉敏江さんとぱくきょんみさんからメールが届いた。
遠野の徳吉敏江さんとは、ちょうど今から2年前ぐらいのこの時期に霧の高原を案内してもらったり、ふたりでぼんやり高原に座って馬や雲を見て風を感じるわずかな時間を一緒にすごした。intimateということばが英語にあるが、わたしは少なくともそんな近しさを心の中に持ったひとりだ。敏江さんはどう思っているかはわからないけれど一方的に。いつも会っているわけでもなく、頻繁に連絡をしあっているのでもなく、長い付き合いでもないけれど、そういう心の触れ合いを感じる人が時々いる。彼女はディスポジションに共感してメールをくれた。置かれている境遇はちがうにしても、わたしと同様に、このことばが切り開いてくれそうな予感に勇気づけられていることは確かだ。
きょんみさんのメールは岡崎さんからの転送メールだった。
「アリストテレス→イスラム→中世ヨーロッパと伝播し、中世ヨーロッパでもっとも美しい絵本として歴史的に名高い書物です。中世ヨーロッパのまさしく暮しの手帖。」
ということばと養蜂の挿絵が添付されていた。「TACUINUM SANITATIS」あまりの美しさとこういう好奇心への躍動感を与えてもらえることにポロリと涙の粒がこぼれた。すぐにこの本のことについて調べてみることにした。なにしろ養蜂のことが出ているんだから、いい本に違いない。奈良女子大学の文学部国際社会文化学科教授の山辺規子さんの解説をさっそく読んでみた。イスラムの医学者イブン・スィーナーの『医学典範』は中世から近世にかけて、ヨーロッパの大学医学部でもっとも基本的な医学書として用いられた。古代ギリシャやローマの
伝統的な医学を継承しインドの薬学などの知識を加え発展をしたイスラム医学は、中世の半ばにヨーロッパ地中海沿岸各地で受け入れられていった。こうした背景下にアラビア語で書かれた書物がラテン語に翻訳をされていったという。「TACUINUM SANITATIS」はその中の一冊であった。イブン・スィーナーは11世紀にバグダッドで医学を学び、健康のために役立つ食物などの情報をわかりやくす表にまとめた。いわば「健康表」と直訳される書物をつくり、健康に関するあらゆる知識がまとめられていたことから「健康全書」という名で呼ばれていたそうだ。このデータをもとにおそらく14世紀末、北イタリーで図版を中心とした写本がつくられることになった。神奈川共同出版販売というところに問い合わせをしてオーストリーのグラーツ大学でつくっている普及版をおかりすることができた。貴重な本でとても高価だ。おもしろいのは、文字ベースでまとめられた文献に別の時代と生活環境をてらして、あらたに別のご時勢に役立つ写本を再生した点だ。だから図版からはむしろ中世の生活が浮かび上がってくることになる。今後、山辺規子さんの本や文献もあたってみようと思っている。

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posted: mitsubako: 17:04PM | comments (2)

2008年06月14日

6月の色

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食料品を買ったり花やに久しぶりに行った。ミルクホワイトに生まれかわった灰塚の机に6月の色を集めてみた。

posted: mitsubako: 21:42PM

2008年06月09日

インスパイアー

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5月中旬からいろいろな刺激を受けてインスパイアーされている。
森林を歩いたり、館野泉さん、キース・ジャレットのピアノコンサート、おいしいものを食べたり、「オオカミの護符」という題名のドキュメンタリー映画を見たり、清水ミチコさんのゼミに参加した。感化を受けておおいに笑って自分のなかに還元している。受けとったものの中からわたしの表現に解釈をして移行している。いま、平行していくつものことを始めている。以前のわたしなら自己完結していることばかりだったのに、最近は人と一緒に考えてつくることがおもしろくなっている。
創作用のテーブルの上は、あれこれとインスパイアーされるものでごったがえしている。仕事で得た収入の一部を活動の費用にあてて「みつばちの木箱」はまたほんの少し前進中だ。
清水ミチコさんの話しを聞いた晩からいろいろな考えをめぐらせている。1時間半も人を笑わすことができるのは手放しですばらしいと思う。女性特有の力みもなく、ニュートラルで、好奇心旺盛、変わっているけれど変わり過ぎてはいない、そんなバランス感覚のよさを感じる。ゼミの後ちょっとした会話を岡崎さんとした。「いつまでも無名でとおす」ということばに無性に心がひっかかっている。とりとめのない、突拍子のないことを書いているが、インスパイアーされすぎて頭の中は創作テーブルと同様にごちゃっとしている。つまりお取込み中状態なわけだ。

posted: mitsubako: 02:06AM

2008年05月18日

みどりの力

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新緑の林のなかを休日歩いた。汗をかいて、野鳥の声に耳をすまして、涼しい風を感じて、新緑の息吹の中で大きく深呼吸をして、空を見上げて、木漏れ日がきれいだと声を発するだけで、生きている意味が見えてくる。
みどりの力は想像以上に心身に元気をくれた。森林や湿原を歩こう、これからも時々。

posted: mitsubako: 22:40PM

2008年05月11日

日々雑感

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5月の連休が終わると1年の半分ぐらいが過ぎてそろそろ本腰を入れて動こうという気分になる。
連休最後の日に蜂場へ出かけた。ふりそそぐ太陽の光りの中で何万匹というみつばちの羽音を久しぶりに聞くと気持ちが落ち着く。羽音の波長がわたしのアルファ波状態に関係するのではないかと思うほどだ。みつばちたちは今年も元気に繰り返し蜜を集めるのに忙しくしている。この姿を見ると「よかった」という安心感と元気がわいてくる。それから躍動感をわけてもらって、自分らしさをとりもどせるから不思議だ。
連休明けには友だちと馬喰町Art+Eatで開催されている柳銀珪(りゅうんぎゅ)さんの写真展のオープニングに行った。何年かぶりの伊部年彦さんに出会った。南天子画廊での個展はとても印象的な作品だった。Art+Eatは武さんの軽食がとてもおいしくて楽しいひとときを過ごす。
わたしの部屋に灰塚アースワークで廃校になった旧灰塚小学校の理科室の机がある。連休中にあれこれとプランを練っていて、これに少しだけ手を加えたいなと思いナチュラル素材のペンキを購入した。アメリカの開拓時代に使われていた色調を使用していて主成分はミルクだそうだ。Buttermilk Paint Colorsで色はyellowish whiteにしてみた。ペイントをしたら、花粉の撮影をまたはじめる季節がやってきている。
最近はすこし絵も書き始めている。えんぴつと水彩。いろいろなところでインスピレーションをもらっているから形にしたくなった。友だちのmariaは白壁にワイヤーをひっぱって自分が感化を受けたものをつるしていくインスピレーションワイヤーを日々の生活に取り入れている。わたしのスペースにはそれに似合うところが今ないので、とりあえずノートでやってみようかなと思う。そうして今年はいろいろなことへの再スタートを!眠らせていた自分の感覚や感性をきちんと研ぎ澄まして、等身大でものごとを見つめなおして行こうと思う。
もうひとつ、刺激があったのはポポンタのこと。幡ヶ谷にある友だちのお店がオープンしてはや1年を迎える。まだ2回しか行けていないけど、これからはもっともっと行けるようにしたいと思う。このあいだ、仕事の同僚とクスクスを食べに行った。本当にていねいな味付けをしていて気持ちがいいなと思う。お店の名前のポポンタはタンポポを反対から声にだして読むとそうなる。このお店のロゴデザインやサイトのデザインをしたのは昨年の夏、早朝からはじめての採蜜に駆けつけて撮影をしてくれた松村大輔さん。温かいポポンタのもてなしがそのままサイトになった感じがする。
いろいろなことが少しづつだけれど周辺で動きだした。わたしはわたしの好きなことをそのままやればいいんだと思えるようになった。

posted: mitsubako: 17:22PM | comments (2)

2008年05月04日

客間の主人 澁澤龍彦

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神奈川近代文学館で澁澤龍彦回顧展 ここちよいサロンを開催している。
私は『ヨーロッパの乳房』を読んでボマルツォ庭園の存在を知ったのが、そもそもの澁澤のはじまりだった。幻想に満ち偏愛主義的なイメージが強い澁澤にはなにかが立ちはだかっていて、むしろなかなか読書に入り込めずにいた。にもかかわらず、気にかかる人物のひとりで、いつか必ず読む時がくることも予めわかっているつもりだった。おそらく、詩人で元妻だった矢川澄子の方から澁澤を見ていたから、女性的な感情がわたしの中に無意識に働いて、作品をその事実とは別に切り離して客観的に見ることができなかったからなのかもしれない。それぐらいわたしには澁澤の存在と彼女の最期が衝撃であったのだ。
ここちよいサロンの監修は詩人の高橋陸郎だった。生前の澁澤の生き方をサロン=客間の主人とたとえ、主人を媒介に芸術や思想に心を通わせる文化人が多岐にわたって、その主人(あるじ)を慕い集った。客間を巡り回想する趣向がこらされている。以前、『舞踏会の手帳』というクラシック映画があったが、故人を回想しながら客人として自分もサロンに招き入れられている気持ちで澁澤を知っていく感があった。
澁澤の本はとくに後期のものがおもしろいと人から勧められている。『ねむり姫』、『うつろ舟』、『高丘親王航海記』など身体的に澁澤が不調を感じはじめてから病床で死を迎えるまでの作品群だ。
幼少の頃も病弱で、植物や昆虫などミクロコスモスな世界観と対話をしていた澁澤にやや好感を持ちはじめる。澁澤がサロンを開き日夜、文学や芸術論に花を咲かせていた場所は鎌倉の山ノ内。ひょっとすると母の実家のすぐそばだった。
まもなくパリ時代の堀内誠一とかわした89通の往復書簡が晶文社より出版される。春の終わりから不透明な視界がつづく梅雨の季節、幻想の澁澤の世界にひたってみようかと思っている。

posted: mitsubako: 15:17PM

2008年04月30日

若いみつばち

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体の色が透き通るぐらいに薄いみつばちが飛んで来た。
若いみつばちなのだろうか。
庭に一歩出てみれば羽音が聞こえる季節になった。

posted: mitsubako: 00:48AM

2008年04月29日

ピンク

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毎年、牡丹の花が咲く
千枚の花びらの奥に花粉の群生がある
ピンクが勝ちか、黄が勝ちか、散るときはどちらも同時だ

posted: mitsubako: 10:35AM

2008年04月19日

『小さな建築』をめぐる千一夜

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象設計集団の創設メンバーである建築家・富田玲子のシンポジウムに行った。第1回目のテーマは「子どもの居場所」で、語り手は詩人の谷川俊太郎、教育学者の佐藤学そして富田玲子。
富田玲子は「あいまいもこ」の建築空間をスライドを通して紹介していく。選出した写真の意図と組み合わせが一つひとつ詩のように建築それ自体と連鎖するシーンが美しいと感じた。そこにはやさしい光りがある。
「谷川さんは何歳までが子どもとだと思います?」と静かに富田さんが語りはじめた。生まれた小さな子どもの最初の居場所は「だっこひもでくるまれた布の中」という。小さくて、あたたかくて、やわらかいということが居場所のはじまりではないかと富田さんは考える。
子ども1人。柱1本がひとりであることの居場所になる。子ども2人。子ども3人。明るく落ち着く北の光、教室と庭の真ん中にある隙間、音に対してやさしい材質の床や壁。内と外の境界がはっきりとしないあいまいで不思議な空間を「あいまいもこと」呼ぶ。

佐藤学は国内外の教育現場を知るフィールドワーカー。西洋の学校建築の流れにはふたつのルーツがあるという。それが教会と監獄だ。日本の学校建築の二つのルーツは民家と兵舎。明治33年にいわゆる学校のビルディングタイプができあがる。以来、質実剛健で廊下は北が規則となった。いくつもの海外の学校を見てきて佐藤さんも富田さんも印象に残ったのが偶然イギリスのShady Hill Schoolだったという。1918年に創立、ケンブリッジのハーバード大学の裏手の林の中にある。空間と教育現場が共鳴しあい棲まい、憩い、交わり、学びあう場所としての学校が成立している。
・ルーム(居場所)としての学校
・ホーム(家庭)としての学校
・コミュニティ(共同体)としての学校
子どもサイズで作られている学校で、自分の存在が感じられたり、静かで彩がとてもいい。こうした環境は声を荒立てずにおだやかで静かに暮らせるということにつながる。静かな落ち着いた環境は思考を深める。日本の画一化された学校はPタイルでコンクリートの硬質の素材がもとになっている。硬い床や壁は声がキンキンと反響するので、聞こえづらく話し声がさらに大きくなって騒々しくなる。

谷川俊太郎は無意味、言語以前に触れる詩創活動をおこなっている。自分の存在を意味論をあえて排除することで、身体を通じて言語以前を再現しようとしている。谷川さんは学校ぎらいだった。学校は意味空間を強要するところがあって反発を覚えたという。「学校」という詩を朗読。この詩のなかで学校を火事にしてしまう。そんな谷川さんが、学校の校歌の作詞をしている。戦後30年ぐらいのころに作ったものには校名、場所性などを織り込むことが重要な要素であった。しかし時代の変化とともに本質に向き合う詩を求められることが多くなってきた。
今では、時代の政治形態の影響を受けないような文化を伝える詩に変っていっている。

こうしたそれぞれの3人の仕事とディスカッションを通し、「居場所」=自分の座標、あるいはポジショニングは意味だけでは伝たわらないものを持ち合わせていることが見えてくる。それが身のおき方や呼吸、そして距離感であり、人と共有できる心の加減は空間と密接な関係がある。それは、建築以前を「あいまいもこ」に包んでいる建築空間のなかで起きる衝撃ではないか。
『小さな建築』富田玲子著 みずず書房

posted: mitsubako: 18:25PM

2008年04月13日

crumpetの朝

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のんびりした休日を過ごすことにした。まだ風邪が完全に治っていないからだ。
crumpetというイギリス風のマッフィンのようなものを焼いてみた。アメリカだとボストンからさらに北上したイギリスのなごりが残る地方などでこれを焼く専門店もある。粉の加減や焼き具合がむずかしくて、まだ「これ」という要領を得ていないけれど、そこそこおいしく焼けた。セルクルで形を整えたけれど、本物のクランペット型が欲しいなと思う。はちみつと一緒に食べた。

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posted: mitsubako: 18:45PM

2008年04月05日

ライラック

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風邪で出かけるのはとても億劫な毎日。せっかくの春なのに野原に行かれないのは残念。日だまりにちょこんと座って本でも読みたいけれど、活字を追うと涙目になって疲れてしまうからこれもまた残念。とにかく何もしないで休むが一番っていうことだ。そこで、庭に出た。ライラックの紫が目にとびこんでくる。カメラを持ち出して、この一時だけの鮮明な春の色を永久にとどめておきたいとシャッターをきる。そうしているうちに半日カメラと遊んでいた。被写体に向かう久しぶりの集中力だった。自分のまわりに色を集めておきたいから、いろいろな光りの角度を四角いフレームにおさめていく。デジカメの鈍いシャッターを押すたびに、やりかけで止まっていることを出発点にもどってはじめなきゃという気持ちが盛り上がってくる。まるで、光りの庭で久しぶりの色を再認識したように。

posted: mitsubako: 18:00PM

2008年04月03日

April

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先週末、熱を出した。桜の花が満開のAprilなのにじっと寝ていた。
少しよくなったかと思えば、ぶりかえし喉のあたりがひりひり痛む。
その間に桜は散り始めた。
仕事場のすぐそばの桜が西日にあたって桃色に花を染めていた。
夕日のころの桜の色はこんなに艶やかなのかと初めて思った。

石井桃子さんが亡くなられました。わたしが見た桜の桃色のはなびらのように散って行かれたのでしょうか。
たくさんの絵本をどうもありがとうございました。

posted: mitsubako: 08:18AM | comments (1)

2008年03月28日

ざくろの赤

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ざくろの赤は女性の赤 象徴のように思う。
朝食のヨーグルトに4、5粒散らしてみた。

posted: mitsubako: 21:55PM

2008年03月24日

果樹園

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果実の種を植えるのがとても好きだ。いつごろ大きな木になるのかも、いつごろすずなりの実がなるのかも分からないけれど、成長していくことだけは知っている。「いつかきっと」を夢みることができるから種を植えるだけで毎日が楽しくなるんだと思う。
人に教えられて果樹園に行った。こんな実がたくさんなる果樹の下にみつばちの木箱を数箱置いてみたいと思う。

posted: mitsubako: 23:29PM

りんごのタルト

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このあいだ久しぶりにりんごのタルトを焼いた。いまひとつ味に満足がいかなかった。タルト生地にりんごを並べるだけでクリームなどはいっさい流し込まない。由緒正しいお菓子よりは、粗野で素材をあまり調理しすぎないお菓子をこの頃作っている。最後にぱらぱらとタイムやローズマリーをばらまくのが今のお気に入りだ。りんごのタルトにはローズマリーにしてみた。

posted: mitsubako: 23:19PM

2008年03月22日

果実とナッツ

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ブルックリンから届く朝食の風景を見ていて、わたしの朝を見直すことにした。いつも朝食を食べないわけではない。少しの工夫と自分の好きな果実やナッツをもっと無造作にテーブルに置いてみることにした。
これで朝日がさーっと射しこんで、ことりの声でも聞きながらの朝食なら、なお心地いいはず。一日のはじまりをやぶる朝の儀式を楽しくするだけで、万事がゆとりのあるいい日のように思えてくるから不思議だ。

posted: mitsubako: 16:18PM

2008年03月11日

「かつら文庫の50年」記念の集い

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2008年3月に101歳になられた石井桃子さん。彼女が生み出した名著の数は、もはや言うまでもない。「かつら文庫」が誕生して50周年を迎え、その活動の歴史と石井桃子さんの功績が新聞や雑誌などで取り上げられている。「幼なものがたり」によれば、浦和に生まれ、身近な家族や近所かいわいの人々にいつも囲まれて、かかわりをもって暮らし、時には現実と物語の世界のあいだを行ったり来たりした天真爛漫な女の子が、後の石井桃子を児童文学者に育て上げたといっても過言ではないだろう。わたしが思い描いていたおとなしくて優等生のように本を読みふけっていた少女のイメージは払底され、むしろ躍動的で活発な子どもであったことを知ってほほえましく思う。このことは、楽しい幼児体験がなによりもファンタジーにつながる基盤をはぐくんだ証ともいえよう。
石井桃子さんが荻窪に家庭文庫を開いたのは、「子どもから学ぶ」という一貫した姿勢のひとつで、それを実践する場であった。岩波新書からこの文庫の7年の記録を綴った『子どもの図書館』が出版されると、大きな反響を呼んで、子どもたちのために何かをしたいと思っていた庶民の心に共感を与え、各地で次々と家庭文庫が開かれるようになった。しかし、石井桃子さんの意図は家庭文庫を広めることでは決してなく、「本をつくる側」がもっと子どもの目線に立つために研究をし、広義の意味で機関としての役割を担うためのものであった。それと同時に子どものための図書館は、国の税金でまかなわれ、公共のサービスとして社会に根づいていくべきものと考えていた。かつら文庫はそのためのプロットタイプだったとも言える。
その後も、かつら文庫を個人活動にとどめることなく存続させていくために、慈善的志向の強い土屋文庫、子どもと本の関係を実践的に見ていく現場としてのかつら文庫、子ども図書館ができるサービスとは何かを検証する松の実文庫、これらの3つの流れをくんで東京子ども図書館という財団法人に組織化した。社会とつながりを持ち、それを事業として組織的に運営をしていったこの女性たちの50年の仕事は大いに注目するにあたいする。
開演前、席を探して通路を歩いていたら、短大時代の恩師芝恭子先生に偶然お会いした。懐かしい思いがいっきに蘇ってきた。

2008年3月5日(水) 13時〜15時30分 有楽町朝日ホール
主催 財団法人東京子ども図書館

posted: mitsubako: 08:02AM

2008年03月08日

林のり子さんのパテ屋

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時間は前後する。2月のある日、尾山台の方の農園を見学に行った帰りに、10年以上も前にぱくきょんみさんから教えてもらっていた林のり子さんの「パテ屋」にぶらり立ち寄った。林さんの活躍ぶりはきょんみさんからいく度となくうかがっていて、昨年は、馬喰町にオープンしたART+EATのオープニングのお知らせまでいただいていた。その時!がどうやらおとずれたようだ。
林のり子さんの「パテ屋」とカフェの「えんがわ」がある玉川田園調布の家のお話は象設計集団の富田玲子さん著『小さな建築』のなかに詳しく書かれている。「えんがわ」の主宰は富田玲子さんの娘さんで林なゆたさんという。女性が仕事と家を持つことはこれまでの概念から考えると日本ではなかなか難しいことだった。林のり子さんのパテの味には知恵と工夫をこらして女性が好きなことを仕事にして生きてこられた味わいが深く感じられる。これから時々、パテ屋さんに通いわたしの人生のパテの味探しをしたいなと思う。林のり子さんは聡明な美しい方だなと思った。ところで、象設計集団の富田玲子さんのことは、また近いうちに書きたいと思う。4月に彼女の講演があるので聞きにいく予定だ。
*写真は「えんがわ」、料理は林のり子さんのパテです。夕方の光りがテーブルをやさしくつつんでくれました。

posted: mitsubako: 11:54AM

2008年02月05日

満山紅柿

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故小川伸介監督の未完の遺作「満山紅柿 上山--柿と人とのゆきかい」をレイトショーで見てきた。このドキュメンタリーは5,6年前になるだろうか、アテネフランセでの上映期間をのがして以来、なかなか見る運が巡ってこなかった作品だ。ふとしたことで東中野のポレポレで上映されることを知って駆け込んでいったとでもいえようか。
過疎化がすすみ、消えゆく村のドキュメンタリー作品はこれまでにもいくつか見たことがある。テレビ番組などでもとりあげられたりすると、ぼんやり見てしまうことがある。先日も過疎化とは逆に、本土から若者の移住者が相次ぎ、ちょっとしたベビーブームがおきている沖縄西表島の放映を見てじわじわと感動した。番組タイトルは「古老の島 祈りの島~沖縄西表島 都会の青年と伝統の暮らし~」でETV特集だった。
満山紅柿で小川監督が大島渚のインタビューを受けて語ったことばが印象深く心に残る。
村々が自然に消えていく…不自然なことなのだけれど、ろうそくの火が消えていくようにすっとなくなっていくと。
小川伸介さんはもともと岩波映画製作所を経て、70年代後半より山形県上山市牧野に拠点を移し「ニッポン国・古屋敷村」「1000年刻みの日時計--牧野村物語」で知られた監督でもある。
「満山紅柿」は村で柿むきをする老人たちをユーモラスな切り口で記録されていた。干柿ができるまでの工程をていねいに説明し、渋い小さな柿が立地条件と人間の手仕事でもっとも甘い干し柿になることがよくわかった。村人の話はおもしろく笑ってしまうシーンがいくつもあった。
干柿は、干していればできるものと思っていたけれど、人の勘とみがきによって発酵がすすみ旨みも出る。なんと手の込んだものなのだろうかと思った。

*ドキュメンタリーは東中野ポレポレにて
2.13 [水] 満山紅柿 12:30 (90分)

posted: mitsubako: 17:19PM

2008年02月03日

やがわすみこやく

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先日、東京子ども図書館を本当に久しぶりに訪ねた。松岡享子先生はご多忙なのであろう、残念ながらお目にかかれなかった。人生を子どもと絵本をつなぐ世界にかけてこられた尊敬すべき女性だ。図書館の資料室でゆっくり絵本を読んだ。書棚の上にはそのもっと先輩の石井桃子さんの100年のおはなしを記念する記事が置かれていた。

子どもたちよ
子ども時代をしっかりとたのしんでください。
おとなになってから
老人になってから
あなたを支えてくれるのは子ども時代の「あなた」です。
石井桃子

心うたれることばだ。ひとつのことに没頭し信念をつらぬいた人の口から出てくる単純であたりまえのようなことばが、なんといってもわたしの心に響いてくる。わたしはこうして日本の児童文学界を築き上げた女性たちに実に豊かな精神の遊び場をたくさんいただいと感謝している。石井桃子やくはもちろんのことやがわすみこやくの絵本をどれだけ読んだことだろうか。
詩人矢川澄子のことを再考しているうちに「ぞうのババール」をもう一度読み返した。幼いころはすっかり自分が絵本の世界に同化して、かすかな体験として残っているものだ。大人になって作者や訳者、時代背景やストリーの構造、キャラクターが見えるようになると、また違った観点で絵本を楽しみ味わうことができる。それは人生を少しだけ理解できるようになった自分を再確認する行為のようでもある。
ユリイカの特集で矢川はブリュノフの親族にファッション関係者が多かったことを、矢川とクララ社との関係とあわせて語っている。the old lady = 「ぞうのきもちならなんでもわかるおばあさん」の訳語をおばあさんにすることが不本意であったこともつげている。
この対談をまとめた文学者の武村知子は対談に寄せてこんなことばを送っている。

「ぞうのきもちならなんでもわかるおばあさん」が出てくるたびに、ババールの自立を見送るほっそりしたその後ろ姿に、遠い山妣(スミコという現象)のことを思った。ぞうのきもちなんかわかって何になるのかしら、みんな行ってしまうのに。でもどうしてか、わかりたいと思ってしまうのよねえ——そういう屈託をまるごと抱えて日々頽れながら生きてきた人の、すくっとした姿のあるページがすきだった。
ユリイカ 総特集矢川澄子・不滅の少女/没したる妣に寄せる

絵本を手にして訳者のことを思うのは不自然なことである。なぜなら訳者は影役者でいわば作者の意図を伝える媒介者だと思うからだ。
リズミカルでおもしろ悲しい「ぞうのババール」は、しかし、やがわすみこが生んで、ずっと子どもたちと共に生き続ける名作なのかもしれない。

posted: mitsubako: 17:42PM

2008年02月02日

無題

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散文は日々の生活をしめった雪のような潤いで満たしてくれることもある

posted: mitsubako: 17:36PM

2008年02月01日

あやめ雪

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赤かぶのスープをつくった日、白かぶのサラダもつくった。
その白いかぶのなまえは「あやめ雪」という。
新種の野菜と聞いたが葉の根元から葉先を走る葉脈は血液がながれているほどに
美しかった。

posted: mitsubako: 11:30AM

2008年01月30日

いい知らせ

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お知らせをひとつ。
表紙絵をてがけてくださっている仲條正義さんの個展が原宿のHBギャラリーで明日(2/15)から開催されます。
2/20(水)までですのでぜひお出かけください。
アクセスなど詳細はギャラリーのサイトをごらんください。
どうしたことか、今号は会社の在庫がもうすでに切れてしまいました。書店のあちこちでもすでに売れてしまっているようで、嬉しいやらいったい何がそうさせるのか複雑な心境です。でも、今日は1年前の今ごろ、いろいろなことで悲しくて辛くて本当に大変な状況にあった自分を思い返すようなできごとがまたありました。ささいなことではありますが、涙がとまらないほどの感情がこみあげてきてしまいます。わたしは自分が本当にやりたいことは何なのかはもうはっきりとわかっています。だから余計にその決断ができないでいる自分が情けなくて、もどかしくてたまらないのです。
今日は、本当に悲しい1日になりました。


1月30日記
日ごろ、自分のしている仕事のことを書くことはほとんどない。なんだろう、わたしの中で納得がいくほどの達成感とか、十分に貢献できているという確かな手ごたえがまだないからだろう。
年があけて新しい号が発売された。嬉しいことに発売から売れ行きが好調だ。応援してくださっているみなさん、いつもどうもありがとう。

今朝は高田敏子の散文をひろい読みしている。

ある詩人は、「現実そのものはつまらないものだ。そのつまらない現実を、少しでも豊かにたのしく変えるために芸術は存在する」と言いました。
人が絶望に落ちこむとき、それは現実をまともに受けすぎてしまうのでしょう。現実の厳しさは絶えず私達を疲れさせますが、その疲れをどういやしてゆくか。それは現実のあり方を様様の角度から見て、自分の励ましとなる思い方を作り出してゆくことなのでしょう。
<……>
詩をかくとき、私は自分の心を謙虚に謙虚にと引き下げることからはじまります。心が謙虚になりきったとき、はじめて、もののよさが見えてくるのは、そのものから教わり、学ぶ心になるからなのでしょう。
よい詩に触れたときの感動とは、詩人の心がどんなにか、たくさんのものから学びとろうとしているかの、その心に打たれるのです。私はよい詩が書けるわけではありませんけれど、一つ詩を書き上げたとき、何か一つ、今まで気づかなかったことに気づくことがうれしいのです。身辺に何気なく存在しているもの、どんなものでも、そのものに近づき、語りかける心を持ったとき、何かを答えてくれるのでしょう。
「娘への大切なおくりもの」 高田敏子より

仕事先のサイトも昨年からリニューアルをしました。毎日、今日の編集部を写真でお届けしています。

posted: mitsubako: 23:27PM | comments (4)

2008年01月28日

ぼんやりした日の翌朝

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日曜日はぼんやり体を休めながら、上橋菜穂子原作の「精霊の守り人」のアニメーションを見ていた。本来は原作から読むべきなのだろうけれど、ざっとストリーをさらうのにはアニメの方を選択した。頭の中はそんなファンタジーと同時に、美術館で見た絵画の影響で印象派が人間の内面に与えたものとは一体なんなのだろうか、と夕暮れ時の空や雲を眺めながら考え事にふけっていた。
今朝、読みかけになっていた中沢新一の「対象性人類学」を車中で読んでいたら、偶然にもこんな箇所につきあたった。

芸術による悦楽の追求
それは芸術が、高次元のなりたちをした無意識の働きを、社会の表面に引き出してくる技術のひとつであることからもたらされた特質です。そういう性質は、ホモサピエンスの先祖がラスコーの洞窟にあのすばらしい壁画を描いたときから、すでにはっきりと見届けることができますが、とくに宗教の果たしてきた社会的影響力がすっかり弱くなってしまった近代以降になると、芸術自身が自分にひめられている特質にたいしてより意識的になり、そのことを表現することこそ自分の使命であると考えるようになりました。
19世紀の後半から開始されるいわゆる「モダン芸術」の運動において、高次元無意識への通路を開くことが、大きな主題として追求されたのです。
とくに印象派が出現してからは、この主題の追求はいよいよ純化され、絵画を「様式の革命」と呼ばれるものに、追い込んでいきました。印象派の絵画では、輪郭の消失という現象がおこっています。形態の輪郭が溶解して、内部と外部の隔壁が失われて、そこから光や色彩や生命が画面全体に浸透し出していくようになりました。
さまざまなレベルで「分離」や「不均質化」をつくりだしていた非対称性の思考の産物が、解体をおこしていたのです。そして、風景を描く画家の位置までが同一性を失って、複雑化したり、揺れ動きだしたりするようになりました。
対象性人類学 カイエ・ソバージュV 中沢新一(講談社選書メチエ)より

ここ数日、ベランダのバケツにうっすら氷がはっている。脆く薄い氷の板に目を落とすとミクロコスモスが見えはじめる。

posted: mitsubako: 15:16PM

2008年01月27日

「モネと画家たちの旅—フランス風景画紀行」

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仙石原の近くにあるポーラ美術館で「モネと画家たちの旅—フランス風景画紀行」と題する印象派の展覧会が開かれている。印象派絵画は日本人にとても好まれるし、とりわけ名画といわれるものは書籍やポスターなど目に触れやすくある意味氾濫している。だが、本物に出会うのにはどれほどの機会があるのだろうか。画集も良いがやはり本物が見れるなら見ておきたい。冬休みからずっと行く予定だった展覧会行きがようやく昨日実現した。
早朝、御殿場インターから真っ白な富士山頂が見えた。何度も見ている富士山だが、絵画やテレビ、流通する旅行雑誌や広告でイメージ化されたものに慣らされていると、実際実物を前にした時の優美さに、はっとするほど圧巻させられる。雪景色の箱根は初めてで、道中、氷の花が咲いた木々を見るとその美しさにわたしの体でない何かが飛んでいってしまう。これを自然との対話といえるのだろうか。
前置きはこのぐらいにして、ゆっくり絵画と出会えるよい展覧会だった。今回はていねいに色彩の組合わせを見ようと思っていたのだ。ゴッホの「あざみの花」は印象的だった。ひまわりのイメージが強いだけにあざみをテーマに描いたことが不思議だった。ギュスターヴ・クールベの作品も数点あった。「風景」の岩は印象に残る作品だった。ポーラ美術館ではこの他に「牝鹿のいる雪の風景」も所蔵している。鹿の作品はとても好きなもののひとつだ。蛇足だが、今日あたりまでフランスのグラン・パレのギャラリーで大回顧展が開かれている。とても行きたかった展覧会だ。帰ってから久しぶりに「絵画が偉大であった時代」阿部良雄(小沢書店)を開いた。なぜならここにクルーベのことそして印象派百年を綴った文章があるからだ。クールベの「画家のアトリエ」については教えられたことがたくさんある。

——1891年にマラルメが、『文学における進化について』のジュール・ユレのアンケートに答えて、あるオブジェ(物体、対象)を名付けるのではなく暗示するところに市の妙味があると、象徴主義詩法を一般向けに分かり易く説いたくだり——
——ある特定の時刻における大気と光の状態の下に風景の与える効果あるいは印象を、修正なしの素早いタッチで描き上げる戸外制作には、小さな画面が適している。
「絵画が偉大であった時代」阿部良雄(小沢書店)/ 印象派百年——絵の小ささについてより

印象派絵画展のわきで小さく「熊谷守一 自然との対話」展も開催されていた。そこに書かれていたことばのひとつはこんな内容だった。わたしの描く画額サイズを意味があるように言う人もいるが、それは単に持って歩くのに都合のよいサイズが4号だったからというだけだ。

画家は新しい手法をもとめて旅をした。資本主義経済の背景下に、旅もある種のパッケージ化されたテーマパーク的な要素を秘めたものとなった今日、わたしはどんな手法を求めて次世代のかけらを残せるだろうかとふと思った。
絵を真剣に見た後、急にお腹がすいたので湯本まで降りて、知客茶屋で豆料理を食べてお土産に味噌豆腐を買って帰った。

posted: mitsubako: 11:39AM

2008年01月24日

雪の読書

関東地方にも昨日雪が降った。
冬の間に読もうと出してきた本や新しく買った本が1冊。猪谷六合雄の「定本 雪に生きる」、無着成恭の「ふぶきの中に」の詩集で新しく買ったのは、念願の前田夕暮の「雪と野菜」だ。
空気がぴりっとしている季節に読んでおきたいと思っている。本棚の奥の方から「そうだ、そうだ」と思って取り出してきた翌日に偶然にも雪が降ってくるとは、きっと自然現象が知らせてくれた「よき知らせ」なんじゃないかな。さっそく中沢新一のあい間に読みはじめようと思う。それからぼんやり雪を眺めて見ていたい願望もあるからなのかもしれない。

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posted: mitsubako: 08:21AM | comments (2)

2008年01月22日

ミクロコスモス

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もう何年も前のことになるが。レイラインやバイクツーリング、アウトドアに必要な基礎的なテクニックを専門に、記事を書かれている内田一成さんから中沢新一の本をすすめられたことがある。すぐに読むことができずにいたが、その後も二人の方からやはり中沢新一をすすめられ、そして最近になってまたもや。すすめる理由やアプローチはそれぞれに違うものの、こんなに人から言われるのだから「何かあるにちがいない」と思い、まずは著書のなかでも軽めの「ミクロコスモス」1巻を手にしてみた。
何かあるにちがいない「何かは」クロード・レヴィ=ストロースだった。レヴィ=ストロースの「蜜から灰へ」はわたしにとって必読中の必読書で、今もまだ途上をさまよっている。学校や授業できちんと哲学や思想を勉強してきたわけではないので、自分で理解をしていくためにさらに別の本を読んだり、人の話を聞いたり、わき道にそれたりしながら人生をかけてていねいに読み、読むだけではなくて解釈から自分のモチーフの検証をしていきたいのだ。その道のりは長い。生きているあいだにたどりつけないかもしれない。そう思いながらも中沢新一を通して理解できてくることが多いはずだと期待でわくわくしている。読書で学べることはたくさんある。心が救われることもたくさんある。感情をゆさぶられること、軌道修正をすることもある。偶然ミクロコスモスというタイトルでわたしは写真を撮影していた時期がある。ミクロコスモスが連鎖する連続性と切断のすきまにマクロコスモスが立ち現れるのだろうか。


posted: mitsubako: 23:10PM

2008年01月21日

ちえの木の実

絵本のことってどのぐらい自分は知っているんだろう。子どもの時にたくさん読んでもらって、自分でも読むようになって、小さな親戚ができると今度は人に読んであげて。短大生になって絵本の勉強をしたり、自分でつくったり、お話を覚えたり、子どもたちにお話したり……。それからしばらく休息をおいた。
その し ば ら く の間にいろんなことを人から教えられたり、感じたり、想ったり、考えたりした。
今、また絵本を見ると新しく感じることや刺激を受けることがたくさんある。神話の構造や時代背景、精神論がちょっとだけ見えるようになると作者のことが気になるようになる。もう一度、いろいろな価値観をぬぐい去ってゼロから絵本を今の等身大の感性で読んでみたいし出会ってみたいと思っている。そんなきっかけをつくってくれた大きな人に感謝。
渋谷にちえの木の実という絵本専門店がある。昔は童話屋が大好きで通っていたのに、なくなってしまいそれ以来ちえの木の実に立ち寄ることがある。今日もお店に行ってゆっくり絵本を見ていたら、とてもお年をめしたおじいさんが入って来た。店員さんは顔見知りのようで、いわさきちひろの絵本を何冊も木のテーブルに持ってきてあげて「どうぞゆっくりご覧ください。」と静かに声をかけていた。おじいさんはそのとおりゆっくりと丁寧に絵本の頁をめくるのだった。
なんでもない日常のこうした小さな出会いと親切なやりとりに心がとても穏やかになった。日頃、仕事先ではいい顔もしていられない現実が多々ある。淡白な態度で対処していかなければならないこともある。それは自分の気持ちに反する行為でありながらも、自分が倒れないためにするのだと思う。そういう姿はあまり好きではないけれど、どこかで仕事とわりきっているからなのだ。本来のわたしをとりもどしたいなら、会社という組織集団からはやっぱり身をひかなければだめなのかなとこのごろ思ったりもする。
自分の好きな世界にすっと入れる子どものような心をとりもどしたいな。そしておじいさんのようにテーブルでいつまでも絵本の頁をめくっていたい。

posted: mitsubako: 23:16PM

2008年01月20日

赤かぶのスープ

久しぶりにインターナショナルマーケットに寄り道をした。スイスの朝市で見るような野菜が3倍ぐらいの値段で空輸されて店先にきれいに並んでいる。なんでも手に入るのだが、自粛をしたい気持ちにもかられて、しばし複雑だ。安い赤かぶを買い物かごに入れた。英語ではビーツと呼ばれているかぶで表面の渋い皮の色からは想像できないワインレッド色の中身が出てくる。ロシア出身の友人宅ですごした時、赤かぶのスープが出てきて体が温まり甘酸っぱくてスパイシーな味に虜になった。以来、自己流レシピだけれど大好きなスープだ。だし汁は和風にしている。昆布とかつおでとった汁に鳥と豚をあわせたひき肉の肉団子を作る。ショウガ、にんにくなどを入れるとおいしい。そこにたまねぎやパプリカ、かぶ、トマトなど好きな野菜を入れて赤かぶと一緒にぐつぐつ煮る。味付けに塩とレモンを入れて後は好みで食べるときにサワークリームとフェンネルを散らす。
わたしの料理は素材をみつけてなんとなく頭のなかでこれとこれを一緒にしてやってみようというおおざっぱなもの。今日はこのほかにズッキーニとペパーミントのサラダに茨城産のあやめ雪という種類の美しいかぶのサラダにしてみた。思いつくときはやる気まんまんになるけど、まったく作りたくない時もある。
体が自然に欲するものはきっとその時の体調なんじゃないかと思う。

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posted: mitsubako: 16:59PM | comments (2)

2008年01月16日

Days kugenumaにて

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午後になって急に思い立って鵠沼海岸のカフェに友だちと夜行くことにした。正月も連休も休んでいたのでちょっと外気が吸いたくなった。
photologで知った古田晃広さんの小さな個展が開かれていたので行ってみる気になった。肖像写真を撮ることを中心に活動されている方らしい。家族の温かいふれあいや深い愛情を持って撮影された写真は何十年も昔の日本を思い出させるような、それでいて現代の家族像でもあるところがおもしろい。心にひっかかったので足が自然と遠い湘南へと向いたのだろう。愛を素直に表現するとこうなるのかもしれない。この純粋さがちょっとうらやましいなと思った。
カフェはシンプルでいごこちがいい。気取らない商店街の片隅にあるご飯やさんだ。
古田さんの写真アルバム
カフェはDays kugenumaで1月29日までさりげなく写真が飾ってあります。

posted: mitsubako: 00:05AM

2008年01月14日

めし

年始からひいている風邪がなかなか完治しないので、外出は控えている。
こんな時はDVDを借りてくる。成瀬巳喜男の作品をもう少し知りたくて「めし」と「山の音」を選んできた。どちらも原節子が出ている。小津安二郎を90年代にむさぼるように見ていたわたしは、このふたりの差異化に関心がある。使う俳優、ロケの場所、扱うテーマなど類似点は多いが成瀬らしさはすぐに感じとれる。小津の極限まで簡素化された作品構成は大好きだが、今どちらが好きかといえば、もしかすると成瀬の方に軍配が上がるかもしれない。
「浮雲」にしても「めし」(原作:林芙美子)にしても聡明な女性像と曖昧な男性像がからみあっている。「山の音」(原作:川端康成)にいたっては、嫁、姑、母、娘、愛人そして父の人間模様がくっきりと浮かび上がる。男性の存在は、それぞれの立場に在る女性の輪郭を出すためで、中心は女性であるところがおもしろい。成瀬は女ごころをうまく読み解いていると思うし、女から見た男性像も見事に描き出していると思う。成瀬の女性像は精神が自由で自立する大人の女性がさっぱりと描きだされている。それに比べて、母子関係から自立しきれていない日本の男の姿がたよりなく演出されている。はたして、21世紀をむかえた現代、わたしたちの家族関係はどうだろうか。家族が向き合わない希薄な関係は、自由へ向かって精神の自立にかける人間形成を逆に後退させてはいないだろうか。
小津安二郎と成瀬巳喜男のカメラワークで大きく違うと感じる点は客観性と主観性だ。小津の作品は四角のフレームをいつも外側から傍観している感覚を受けるの対して、成瀬は主体性が強いと感じる。あちら側(演出者)からカメラを見据えているように感じることがあるからだ。それにしても原節子は美しい。演技が未熟なのかそれが演技なのかはなぞを残す女優だが、彼女が居ることで周りの女優がより円熟している空気をかもしだすことに成功してる。時間のゆるす限り、今年はまた映像作品もたくさん見ようと思う。
林芙美子の原作も読んでみたいと思っている。

posted: mitsubako: 11:41AM

2008年01月06日

少女/反少女

あけましておめでとうございます。新しい1年もまた細々と自分の思いを綴っていこうと思っています。

1週間の休みは長いからと、あれこれやりたいことをいっぱいに浮かべてわくわくしていた冬の休暇。そのほとんどを風邪で寝て過ごした。
休みになるとどういうわけか具合が悪くなってしまう。首筋や肩甲骨、背骨から腰にかけて節々が痛み、体の内部から疲れの膿がじわじわと出てきているような気がした。単純に体に溜まった疲れだけではなくて、心の奥底の方から納得できずにいる気持ちとか、ストレスとかそんな日頃もやもやと鬱積したものが、こうして熱と痛みによって放出され、浄化していく。薬でとめずに出してしまおう、そうすれば気分もぐっと楽になるはず。
風邪をひいていなければ、きっと野原へ散策に出かけていたかもしれない。
おかげで、積まれた本の中から読んでみたり、借りてきたビデオやDVDをごろごろしながら見て過ごした。カルロス・サウラ監督の「カラスの飼育」、ニーツチュカ・キーン監督の「ネズの木」、フィリップ・カウフマン監督の「ヘンリー&ジューン」、アキ・カウリスマキ監督と成瀬巳喜男監督の「浮雲」2作。
矢川澄子のユリイカの対談や「アナイス・ニンの少女時代」、「父の娘」たちを読み終え、今はメアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」を半分ぐらい読みかけている。
「ネズの木」はグリム童話の原作をアレンジした映画で、魔女狩りや父と子、母と子の原点、アレゴリーのこと、そして深層心理などさまざまなテーマが濃厚なスープに凝縮された美しい映像作品だ。
偶然、「矢川澄子作品集成」にグリム童話とゲーテのファウストを題材にした「ねずの木」の根かたからという短編があるのを見つけた。

恋人ファウストに捨てられ、母殺し・嬰児殺しの罪を犯して狂ったグレエトヘンが、獄中で口ずさむのがこの唄です。
あはれ、我身を殺ししは
うかれ女、我母。
あはれ、我身を食ひつるは
をそ人、我父。
冷やかなる奥津城に
小さき妹
我骨を埋めつ。
羽美しき森の小鳥とわれなりぬ。
われは飛ぶ、われは飛ぶ。
(森鴎外訳)

少女のようでいて反少女的な世界をまるで夢遊病者のようにいきつもどりつしているうちに、風邪もようやく峠を越えそうだ。
さあ、現実の生活にむかって!
風邪で先延ばしになってしまった友だちたちにも早く会えますように!

posted: mitsubako: 18:22PM | comments (4)

2007年12月26日

仲田智の個展

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12月22日曇り。午後、最終日の個展会場ギャルリー東京ユマニテに友だちと行った。
仲田さんの作品は何度も見てきたし、茨城にあるアトリエで無造作に置かれている作品にも触れてきた。今回の個展は早くからはがきをもらっていたにもかかわらず、ここに会期中に紹介をしなかったことが悔やまれる。ごめんなさい。これまでと少し意気込みが変わったなと思えたからだ。
仲田さんの作品は無意図的で、自分の生活の日常がそのままマイペースに、行為あるいは労働して積み重ねられているところに魅力があるとわたしは思う。これからどんどん活躍をしていく作家のひとりだと思う。
冬のあいだにたき火をしに行きます!

仲田智さんのサイトはこちらです。http://www.nakata-satoshi.com

posted: mitsubako: 13:13PM

2007年12月25日

矢川澄子

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小さいころから絵本に親しんで、大きくなってもまだ絵本を読んでいるわたしは翻訳のことばを媒介してずいぶんと長いこと矢川澄子に触れてきていた。父性の発明、父性の役割、母性の文学。広く芸術を探して理解を深めていく上でこれらのことばが浮き上がってくる。
絵本は詩だとこのごろ思う。そして絵本というかたちを象った詩は最高の芸術だとわたしは考えている。本物の絵本はいったいどこに在るのか。

女性として名こそないけれど、これから紡ぎだしていこうとするわたしの形は、ひとりの人として大地に立つということのほかないのかもしれない。
素足でも力強く真に在るものを求めて歩いていくこと、これからそんな月日を大切に生きていきたいと思う。

posted: mitsubako: 07:55AM

2007年12月24日

ガラスの雑草

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都心はクリスマスのイルミネーションでいつの間にか空虚なライトアップに踊らされている。
小さな北欧の小物を扱う店に立ち寄った。フィンランドのデザイナー、オイヴァ・トイッカのガラスを見つけた。わたしはミニマリスティックな表現が好きなはずだのに、こうした有機的な柄に弱い。自然界の中でも花はあえて避けて撮影もしないし、描こうともしてこなかった。花鳥風月に対してのある種の偏見と、自分の中で低いものとしての順位があるからだ。が、この頃そうした価値感からくる自己コントロールを緩めていこうという内面革命が起きている。もっと自然体で感性むき出しのままの大らかなものごとの見方をすればいいと。

ガラスの雑草は、霜に閉ざされて枯れ行く植物を憶いださせる。凍る植物が大好きなわたしは、そろそろまたそんな自然界に帰っていきたい季節(とき)なのかもしれない。

posted: mitsubako: 12:23PM

2007年12月09日

ファンタジー・スケッチ

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岩波書店から出ている「センダックの絵本論」を少し前に読んだ。その中にファンタジー・スケッチという章がある。モーリス・センダック自身が想像力とテーマを紙の上で形にする訓練のために5年間ほど描いたものの一部だ。それは意識の流れの落書きだったり、夢の絵だったり、センダックの心象描写で強迫観念やあるいは、アイディアが見え隠れしている。彼の創作の原点はこれだった。
並行して藤井貞一が「父性論で文学を必ずしも読み解かなくてもいい、自由であれ」と、いったことが、絵本=詩、あるいはそれらを大義でいうところの芸術というとらえ方のなかで、今わたしに構造として見えはじめてきている。
伊丹十三を媒介として精神分析に触れながら、大江健三郎のテキストの文脈を参照し、絵本という視覚化されたものの先に詩が存在している。そしてそれをとりまく四国の深い森と濃霧が日本人というアイデンティティーをわたしにつきつけてくる。
ひとりの人間の精神論と自ら死を選ばざるをえなかった結末は、池の水鏡に映るナルキッソスと連鎖する。複雑にからみあった情報を紐解いていくと、人は意外と単純な関係の中にいるはずなのに、見えなくさせているだけなのかもしれない。
考えごとでいっぱいになったら、自然の中で一度からっぽになって生命の循環を見て再び帰ればいい。それ以上の物語性も寓意もないのではないかと、このごろ思うからだ。

posted: mitsubako: 22:34PM

2007年11月25日

四国をかけめぐる その5

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伊丹十三に没頭しているわたしに「チェンジリング読みました?」、と松浦さんに聞かれて大江健三郎の「取り替え子」を知ったのはこの旅に出かける少し前のことだった。大江健三郎に関しては、引用や文脈をズラしていく手法のことなどで、ある時期さんざん現代美術の仲間たちと話題にしていたことがあった。にもかかわらず、いつかは手にするはずだが進んで読もうとするには苦手な作家の一人だった。「絶対に読んだらいいよ。」と勧められて、文庫本を手に入れた。
さて、「四国をかけめぐる」旅と「取り替え子」は無関係かもしれない。この旅の動機もこの本ではなかった。読み始めは不慣れな文体に出くわした気分でなかなか先にいけず、ようやく面白くなりかけた頃に丁度ふたたび四国へ向かうことになった。この旅に「取り替え子」をもって行くべきか否か迷ったあげく、ちょっとでも荷物を軽くしたかったわたしは、置いていくことにした。
新鮮な朝を過ごした卯之町中町から車で約1時間で内子町に到着した。卯之町中町の工事中に比べるとぐっと整備された内子の町は閑散としていながらも清楚でさらに新鮮な空気がわたしたちを迎えてくれた。
温暖な四国ばかりをイメージしていたわたしは東京に比べて冷え込むこの地域に驚きが隠せなかった。四国といえど山あり谷ありということは足を踏み入れてみなければ体感できないことがわかった。ここは、意外に山の中なのだと実感した。その中にひっそりと銀鼠色の瓦屋根と白漆喰の壁、細やかな装飾のほどこされた家々が立ち並ぶ。虫籠窓、海鼠壁、うだつ、出格子、床几など伝統的な民家の様式を見ることができる。職人技の冥利につきる美を醸し出している。小田川の渓谷や四国カルストに囲まれた周囲は自然が豊で霧と寒暖差が生み出す情景の陰影がしみじみと感じとれる。いい町だ。
松山という都会に出る前にここに立ち寄ることができてよかったとなぜかほっとする自分がいる。
この場所は偶然にせよ、訪ねるべき場所として今回の旅にあらかじめ用意されていたのだと後になってわたしは気づくのだった。

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posted: mitsubako: 21:53PM | comments (3)

2007年11月24日

四国をかけめぐる その4

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起きたての卯之町中町の朝はすがすがしかった。朝露に濡れた町並みと澄んだ空気がことのほかおいしかった。いっぱい深呼吸をしておきたいと何度ものびをした。
高野長英が一時身を隠したともいわれるこの町は、江戸期に宿場町として栄えた。町人は今の暮らしにも井戸水を利用しているという。地元の人の話では、おいしい地酒もあるらしい。屋根のついた小さい壁が張り出すような卯建(うだつ)や白壁、出格子といった装飾が施された家が残存する。残念ながらその多くの建物が保存のための修復を行っていて、町並みは工事中だった。修復されれば、まるで時代劇の舞台を歩くようなそんな落ち着いた風情が感じられることだろう。
幕末から明治の初めに儒学者の左氏珠山が開いたとされる私塾があった。これが後の開明小学のはじまりで、この学校は明治15年に擬洋風建築の校舎に建てかえられた。あいにく月曜で休館ではあったが、ひと目見ておきたいと思い数分の散策をした。瓦屋根のこの学校の前に立つと、いきなり頭上に大きな雲が流れてきて、母校でもないのに懐かしさにひたる。ちょっとしたタイムスリップだった。
それからすぐに車に乗り込む。松山へ向かう前に、少し時間があったので内子に立ち寄ることにした。

posted: mitsubako: 22:36PM

2007年11月18日

四国をかけめぐる その3

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日曜市を満喫した後、高知から高速で四万十川へ向かった。
窪川で岩本寺の入口の前にある松鶴堂という和菓子屋を見つける。栗の季節ならではの生菓子で栗きんとん、銀杏餅をお茶を飲みながらいただく。上品でとてもおいしい。緑茶はこの地域のお茶でやわらかい味だった。おいしい和菓子とお茶に巡り会えると至福のときを感じるから不思議なものだ。小室の浜という和風カステラのようなお菓子をお土産に買って帰る。
四万十川にたどりついた頃にはもう日が少し影りはじめていた。このあたりはもっとゆっくりと次回に、水に触れながら旅をしてみたいと思う。
川にそってドライブを続け辺がもうすっかり暗くなった頃、56号の海岸沿いを走って今日の宿泊地、卯之町中町へと向かった。
卯之町中町へ着いたころには、激しく通り雨が降った。四国に来てはじめての雨になった。

posted: mitsubako: 18:47PM | comments (2)

2007年11月17日

四国をかけめぐる その2

わたしは旅先の市場が好きだ。

11月11日の日曜日の高知は穏やかな快晴に恵まれた。日曜市の鮮やかな色彩が買物を楽しくさせてくれる。
新鮮で豊富な食材に魅せられてついつい貪欲になる。市場は人の暮らしを活性させる元気の源のように思う。毎週日曜市に来て巡る季節の食材を吟味してみたい衝動にかられる。

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posted: mitsubako: 16:14PM

2007年11月13日

四国をかけめぐる その1

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きっと暖かいとだろうと思って旅に出た四国は東京に比べてはるかに秋が進行していた。
雨が降りしきる東京の厚い雲の中をぬけて、今年二度目の高松空港に降りたった。
一ヶ月半前は真夏の太陽が照りつけていたのに、今日の冷たいぐらいの爽やかな風には意表をついた感があった。
四国村をかるく巡り琴平へゆっくりと琴電にゆられていく。明るいのどかな空気に仕事でぴりっとしていた神経がやわらいでいくのがわかる。
琴平の駅を降りてすぐの商店街は懐かしさにあふれている。浪速堂という明治から続く菓子屋でナッツが詰まった焼き菓子を買ってほおばりながら参道を行く。甘いのにカレー風味がする不思議な和洋菓子だった。やがて急勾配の階段が続き、少しだけ息苦しくなってくる。785段を登って御本宮にたどり着いた頃には空の雲は薄桃色になっていた。ここの神さまはどんな神さまなんだろうと思っていたが航海の守り神がまつられているらしい。金比羅というイメージからもっときらびやかで、ややもするとチープな建造物を想像していたのは大きな誤りだった。重厚で落ち着いた建物と回廊に圧巻された。楽々と降り香川で二杯目のうどんを食べ終えると列車に乗り込んで夜の高知へと向かった。

posted: mitsubako: 16:13PM

2007年11月06日

朝露が光っているわけ

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朝露に濡れる草むらが好きだ
朝の光りをいっぱいにあびて輝いているのを見ると
お腹のあたりがしっかりとしてきて 背筋なんかもぴんとしてきて 希望がわいてくる
風にのって浮遊する羽のついた種たちを追いかけていて 着地した地面にも光るわけがあった

posted: mitsubako: 22:18PM

2007年11月04日

秋の光りのなかで

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目が不自由になった母をつれて公園を散歩した。
たんぽぽが朝露の草むらに咲いていた。
帰り道、たんぽぽの歌を母に教えながらふたりで歌って家に着いた。

posted: mitsubako: 21:59PM | comments (1)

2007年10月31日

石ころに問うように

入社をして1年がたった。辛く、悲しいことばかりで、涙をするか怒っているかの毎日がそのほとんどだった。
悩んだり、悔やんだりの連続で精神的な疲労がひどく、いつのまにか考えることすらできない状態が続いた。それでも、人生の仕事と思ってあたためてきたみつばちのことだけは、あきらめずにつないできた。この先また同じ1年がつづくと思えば、出てくるのはため息しかない。だれかのせいではないのだけれど、自分で自分の環境をつくりかえて行く魔法が今の職場ではちっとも効かない。力もだんだん尽きてきて、時々どこかへ逃亡したくなる。
ひとりで、ぼんやり湖の前に座って、空を通過する雲を見たり、湖面に浮かぶ影を追ったりしていたい。それからこの1年のわたしをすべて消してしまいたい。
羽音に耳をかたむけ、木箱を押して、たんぽぽの広がる野原でおもいきり寝転んで時間を過ごしていたい。
裸足になって澄んだ心で真理を石ころに問うように、謙虚に深く詩えるひとになれればそれでいい。

posted: mitsubako: 22:41PM | comments (1)

2007年10月28日

生命の予兆

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台風の影響で大雨の新宿、風が吹き荒れはじめた頃にロシアンレストラン「スンガリー」へ入った。酢漬けの魚やふわふわのクレープに包んだサーモンをほおばったり、笑ったり、お酒を軽く飲んだりして過ごすうちにどうやら台風は通り過ぎて行ったらしい。
ビルの地下だと窓もないので風も雨も知らず、すっかりいい気分でお店を出た時刻には雲の間からぼんやり月が見えていた。そうして、今日ひとつの新しい命の誕生の知らせを聞いた。
「おねえちゃんに赤ちゃんが今産まれた」それから彼女は自分の遠い故郷へ帰りたいと涙をこぼした。
なにひとつ言えなかったけれど、命が誕生することにはとても不思議な力がある。理由はないけれど新しい命が祝福してもらいたくて、どんなに遠いところからでも呼んでいるんだと思う。星に導かれてそこに駆けつけることが一番なんだと思う。
わたしたちは何よりもこの命につながっていて、そのことのために食べて、感じて、喜んで、哀しんで、遊んで、ちょっとだけ働けばいいんだと思う。
おめでとう、小さな命へ。

posted: mitsubako: 00:45AM | comments (2)

2007年10月21日

Jochen Lempertのミツバチの写真

蜜蝋で絵を描いている人がいると知って、画廊に先週、足を運んだ。やさしい曖昧な色味が魅力的だなと思った。
ふと、会場の隣にある本の陳列の中に写真が数点おかれているのに目がいく。モノクロ写真のミツバチやミニマルな昆虫の写真だった。ミツバチの写真は焦点がきっちりとあっているわけでもないが、かえってそれが昆虫写真とは異なって作品として成立していると感じる。作家はJochen Lempertという人で生物学を学んだ後にアート活動をはじめたという。昆虫を詩的なモチーフにひきだすことができるとはなんともうらやましいこと。ちょっぴり勉強した気分になった。わたしもこんな作風を自分でみつけだせたらなと思う。

posted: mitsubako: 18:22PM

2007年10月20日

いとおしい時間

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仕事でよく池尻大橋へ行く。地下鉄から地上へ上がるとすぐに高速道路と246が走っている。脇道に入っていくとそこは意外にも静かで、昔ながらの小さなアパートや一軒家が並んでいる。ブロック塀を歩く猫と目があったり、庭先に咲く秋の花や実の鮮やかさにはっとする。室内ばかりの仕事に追われる週を過ごして、久しぶりに日中の外界に触れれば、こんな都会の中にも驚くほど小さな自然が変化をしているものだ。
池尻大橋の駅から世田谷公園にぬけるまでの道にはそんな楽しみがある。そして足を運ぶ世田谷ものづくり学校の庭をちょっぴりのぞくのも楽しみのひとつだ。玄関先の2、3段のステップをのぼった踊り場は、花壇でもないのに淡いピンクのかわいらしい小花が群生している。かがみ込んで、その淡い色彩の絨毯をながめていると、やがて見えなかったものが見えてくる。小さな生き物たちがその群生の中でやさしく儚い生命をいとなんでいる。ふわふわと浮遊するような白い羽の虫たち、小さなシジミ蝶。名を知る虫も知らぬ虫も夕方の薄い光の中でうごめきあっている。「ふう」このいとおしい時間にため息まじりの深呼吸ひとつ。
邪魔をしないようにそっと立つと、わたしは玄関の向こう側の小さな菜園も見に行った。大きな木の上で鳥が鳴いている。ここでも深呼吸。多い茂った雑草の中に夏の暑い日、林さんと見た大根がまだ植わったままだった。枯れたハマナスの木に橙色の実がついている。下から見上げてみると空の青と白い鰯雲にむかって実が複雑に絡んでいるように思えた。ふとその先に視線を向ければ、藍の花が咲き乱れている。ここにも虫たちがまるで春の夢を見ているかのごとく花から花へと舞っているのだった。
ほんの額ほどの土地から沸き立つ生命の光景はかえってかけがえもなく広大なはらっぱを幻想という中に映しだす。いとおしいこの時間よ、ずっとこのままでと。

posted: mitsubako: 22:19PM

2007年10月15日

ZEN CENTERのこと

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「考える人」No.22の特集アメリカの考える人たちの発売を楽しみにしていた。読んでください。いいです!

精進料理のことがずっと気になっていて、でも今人気のマクロビとか自然食の本は手にする気にもなれず、ずいぶん前に水上勉の「精進百撰」を買ってぱらぱらと眺めていた。わたしがサンフランシスコに住んでいた頃、精進料理は一種のブームでルームメートのジルに毎日のように「精進料理教えて」とせがまれ、かなり我流のわたし風精進料理いや野菜料理を伝授したものだった。
「スタンダードは知らないよ。わたしのは自分でここにあるもので考えて作るだけだから」といっても彼女にしてみるとものすごい食文化だったらしい。
ある日彼女が手にしていたのはZEN CENTERから出ているレシピ本だった。「すっごいいい本があるの」と宝物のようにしていた。彼女にとってのZEN CENTERの食事は精神そのものだった。
今号の「考える人」はこのZEN CENTERのGREEN GULCH FARMのことが書かれている。わたしは急にジルの笑顔が思い出されて懐かしくなった。Tassajaraベカリーのパンはわたしのお気に入りだったしGREENSの本はいつもテーブルに置かれていた。窓辺にはわたしたちのアボガドの食べタネからひょろりと伸びた芽も並んでたっけ……。わたしにとっては人生第二のステップの土台となったこういう西海岸的カルチャーブームを現在の日本はどうとらえるのだろうか。ちょっと興味がある。

そうです、今のアメリカは嫌いです、でもそれはごくごく一部の石油資源をめぐる戦争を神の名のもとに行っている先導者たちが嫌いなのであって、マスコミやメディアにとりあげられるアメリカという名に象徴されている断片が嫌いなのかもしれないのです。

いいところもいっぱいある。悪いところを「わるい」というより、いいところを「いい」と素直に言えることが平和を生み出す小さな力になるのかもしれない。それって簡単なようで案外むずかしいことなんだけど。
なんだかGREENSの本が手元に欲しくなってきている。

posted: mitsubako: 13:30PM | comments (0)

2007年10月08日

直島の家

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直島で一軒いいなと思う家があった。
なんとなく昔どこかの街角で見たことがあったようなそんな家だった。
植木が家から生えているみたいで、緑の縁や戸袋のペンキの色が懐かしさでいっぱいになった。
歳をとったら小さくてかわいらしい一軒家に住んでみたい。

posted: mitsubako: 10:32AM | comments (2)

2007年10月07日

旅の逆もどり

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9月の旅で見た瀬戸内海の青い海と小さな島々が心の中に浮かんでいる。その後、伊丹十三の本を貪るように読み続けていて、旅はまだ読書の中でも続いている。
もうひとつ旅を逆もどりすると、伊丹十三記念館の前に丸亀の猪熊弦一郎現代美術館にも立ち寄った。何度訪れてみても気持ちの良い空間と気さくな空気が流れている。半日をぼんやりとすごして、カフェでゆっくり食事をしただけなのに、物足りない日々の生活の探し物が見つかった気分で満たされていく。
この旅のおかげで9月は気持ちよく過ぎ去っていった。
さあさあ、秋です。風も気持ちよくなってきていよいよ活動開始です。

posted: mitsubako: 21:25PM

2007年09月29日

伊丹十三記念館

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9月15日、灰塚や直島へ入る前に高松に飛んで列車で松山まで旅をした。松山は今年5月に開館したばかりの伊丹十三記念館へ道をいそぐ。しかしその日は蒸し返すように暑い。
その昔アメリカに居た頃、伊丹十三の作品を繰り返しビデオで見た。何度も何度もタンポポを……。見たというより見せられたと言った方がいいかもしれない。だから映画監督としての伊丹と料理人の伊丹は記憶の中にくっきりとあった。
伊丹が幼い頃に描いた絵日記、デザイナーになってからのイラスト、映画監督時代の絵コンテ。見ているうちに伊丹からしばらく離れていた理由はなんだったのだろうかとふと思う。最後に見たのものは確か、死後放送された医療廃棄物に対する生前の彼のジャーナリズム的視点を追ったドキュメンタリーだった。死を自ら選んだ暗いイメージと影がわたしを彼から遠ざけた要因かもしれない。触れてはいけない領域がその当時はあって、それを踏み込んでまで彼の作品性を知りたいとは思わなくなったのだろう。
記念館で流れる「遠くへ行きたい」を見ているうちに、一気に気持ちが打ち解けておもしろくなり、いつの間にかワンロールが終わっていた。死後10年というのはいろいろな気持ちを清算させる力がある。旅から帰ったらエッセイに初めて触れてみたいと思うようになった。こと精神分析に関心を持って書いた時期のものを読もうと思っている。編集責任を果たしたモノンクルという雑誌を丁寧に読みたいしそこに何かを探したいと思う。
記念館のチーズケーキとチョコレートケーキはとてもおいしい。伊丹が大好きだったものらしい。中庭のカツラの木の葉がいい香りを運んでくれる。生きていればもっと奇想天外な作品を生み出していたはずだよ、伊丹十三は。強くそう思った。
旅はやっぱりするもの。
必ず新しいものの見方や軌道修正ができて、小さな日常にくよくよなんてしている暇はないと些細なことがふっとんでいくのが見えるから。わたしは今、実に元気だ。

posted: mitsubako: 16:23PM | comments (2)

2007年09月26日

朝のバーラウンジ

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一泊だけの灰塚を過ごして岡山へ向かった。宇野港からフェリーに乗って直島に行く。ベネッセハウスのバーラウンジにかけられた岡崎乾二郎の絵画を見に。夜のラウンジも落ち着いていて良かったけれど、朝の光で見たら昨日見えなかった色がたくさん見えた。
岡崎さんが細部を撮る名人の話をしたので、わたしも撮ってみた。「えー、どこ撮ってるの」と言われはしたものの、わたしはわたしが好きな色の組み合わせのところとかフレームからちょっぴり突き出している部分を撮ってみた。細部に細やかな神経が見えたからだ。
ぱくきょんみさんと岡崎さんが並んで絵の前に立ったときは感無量だった。

posted: mitsubako: 22:47PM | comments (0)

2007年09月22日

野外舞台

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小径につながる先に野外舞台がある。
空に向かって開かれた場所はそこがあることでようやく開放された。気持ちも体も開放された。
傘を持ったちくはの大脇理智さんが踊りだした。


posted: mitsubako: 13:00PM

2007年09月10日

線的なこと

通勤はしているものの、途中下車して街中をのぞいて行くことをあまりしなくなった。ことに暑かった夏は雑踏にいると蒸し器の中にいるようで耐えられなくなる。
1日ぼんやり夏休みを過ごした。少しだけ街中にくりだして、おいしいものを頬張ったり、ぶらりと本やや洋服やを見た。なにも欲しいと思うものはなかった。無計画に飛び出したのに次々と立ち寄りたいところが頭に浮かんで、あそことあそこをつなげて行く。それも線的なことなのだろうか。
数ヶ月前に白い紙テープを文房具店で2個買った。しっかりと巻き止められたテープの端をはずすとするっと紙がゆるんでとけた。えんぴつで、数文字ことばを書いた。紙テープにことばを書いてみたくなった理由はよくわからない。ただ線的なことだろうと思えたり、旅客船の甲板に投げ込まれるはじめとしっぽの架け橋であることがモチーフの動機づけになるかもしれないと考えている。
秋が来る前に少し旅に出かけてこようかな。

posted: mitsubako: 20:54PM | comments (1)

2007年09月01日

移り変わり

採蜜の日の記憶は密度が凝縮された空気だった。
猛暑続きの8月、わたしにあの日の現実が連続する夢となってとり憑いてからは覚めやらぬ日々となった。
涼しい週末が急にやって来て、冴えの感覚がちょっぴり頭の中を支配する。新しいiMacを机の上に置きかえた。やっとOS Xユーザーの仲間入りだ。iMacに切り替えたのはいいもののデータを移しかえたり、これから新しいソフトに切り替えをしなければならない。環境が整うのはまだまだ先だ。こんな移り変わりのおかげで、テキストを書くことも、画像をいじることもしない時間が続いた。
わたしは何を選択して何をしていくかが、曖昧という境界の中に埋もれている。それでも表現として表出するどこかを求めていることだけは自覚できる。やろうと思っていることがたとえ思い通りに運ばなくても、必ずある時パチンとはじけて移行していく日がくる。その確信だけはここにある。i'm sure!
数日前に倉数茂さんの「切断と接続の美学 シュールレアリスムから連歌まで」というレクチャーを聴講した。その中世の実践美学の見解を通して、わたしの展開自体が切断と接続を繰り返すことでより洗練されて、次の時代を結ぶ一点になればいいと新しい夢がはじまった。

posted: mitsubako: 23:06PM

2007年08月20日

小さなハチかい

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最近、岩崎京子作の創作童話を読んだ。数十年前の日本の養蜂の様子だろうか。転地養蜂をする父と、はじめてその旅にこっそり同行をたくらんだ息子の話が綴られている。
巣箱を持って転々と地を移動していくこの養蜂のスタイルはどれほどの重労働であるか、今なら少しわかるようになった。
文中のこのことばがわたしの養蜂に対する憧れをひとことであらわしていると思う。

「巣ばこをのぞく時というもんは、いつも買いたての本をひらくような気がする」
小さなハチかい 岩崎京子作 萩太郎画 福音館書店

posted: mitsubako: 06:31AM

2007年07月29日

DVD PLAYER

ようやくポータブルDVD PLAYERを買った。ビデオレンタルから遠ざかっていた理由はどんどんDVD化されて、ビデオテープというアナログが消えつつあるからだ。別に映像のデジタル、アナログにこだわりがあるわけでもなく、ただ自分がどんなスタイルでこれから先こういうものとかかわっていくんだろうかと見当がつかなかったからだ。メディアの選択は自分の生活の選択とつながっている。
ある時期わたしは、ビクトル・エリセ、アレキサンダー・ソクーロフ、アンドレ・タルコフスキー、ジョナス・メカス、アモス・ギタイ、アッバス・キアロスタミ、アキ・カウリス マキ、ジャン=リュック・ゴダール、ヴェルナー・ヘルツォーク……などなど1日に何本もビデオを見まくって、ユーロスペースやアップリンクにも通っていた。もてあます暇な時間、詩と映像作品を自分の中に吸収しようと貪欲になっていた。生活の変化やメディアの形体の変容に伴ってそうした時間の過ごし方はいつの間にか自分の中から消えていった。
単純にいい作品と出会っていたい、いいものに触れていたいという思いがまたどこからか降りてきて、それにみあった環境は自分で築いていこうと思うようになっている。
大好きだった作品も通り一遍に過ぎてしまうと、ただ消費された過去の遺物と化してしまう。
好きなものを好きなだけ何度も見よう。
本も音楽も映像も。その作品を通って自分の誇りとなるまで愛着を持ってみたいと思う。
そして時と共にもう自分には必要じゃないものとすっきり別れてスマートに過ごしたい。

posted: mitsubako: 12:26PM | comments (2)

2007年07月23日

「蜜と眼」

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A-thingsのトークイベントで0号という特異なサイズがふとした日常の経験から誕生していると聞いた。
キャンバスはパンをトーストにするサイズに統一されていて、まるでバターを塗る行為から連鎖が生まれ作品に転じていく。これだけでわたしはお腹いっぱいになるような、豊かな感覚が体全体に充実感として広がっていくのを感じた。林道郎氏は今回、発売された作品集『ZERO THUMBNAIL KENJIRO OKAZAKI』の巻末で「蜜と眼」と題して岡崎の作品を語っている。
このタイトルがまたわたしにはたまらないのだ。作品のここかしこに蜜を見ていたわたしには何かひとつ、自分の探しものがある解決に導かれたと思えてならない。
不思議だけれど、感謝の気持ちで熱くなった。
誰に言おう、誰になんだろう、どうもありがとう。

作品集『ZERO THUMBNAIL KENJIRO OKAZAKI』定価1890円
一般の書店では手に入りにくいので、ご希望の方はメールでご連絡ください。

posted: mitsubako: 06:11AM | comments (2)

2007年07月22日

かわせみ

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土曜日の午後2時、吉祥寺のA-thingsで開かれている「岡崎乾二郎 ZERO THUMBNAIL」展で松浦寿夫氏(画家/西欧近代絵画史)と、林道郎氏(美術史/美術批評)によるトークイベントがあるので出かけた。岡崎さん不在で行われることに好奇心もあって楽しみにしていた。
わたしの最寄り駅に歩いて行く細道の途中には湧き水が出るところがあって、近隣の住民はそこを小さな池にして鯉や金魚を飼っている。通りがかりの人をほっとさせるスポットだったりする。いつものようにぼんやりいろんなことを考えながら歩いていると、突然バシャと水しぶきがあがり、るり色に光るものが一瞬のうちに飛び去った。
わたしは幻覚を見ているのではないかと自分の目をうたがった。でも、確かに青くきらきらと光る美しいものを見た。かわせみ、きっとかわせみにちがいない。
同じ夜、すっかり暗くなった夜道を戻りながら、もういるはずのない青い光を確かに見た場所で確信を持ちながら家路へと急いだ。
家に着くとまっしぐらにかわせみを調べた。一体こんな都心にかわせみが棲息するんだろうか。どうやら、いるらしい。夢じゃなかった。
それから「かわせみのマルタン」の絵本を引っぱり出してきて読んだ。かわせみはつがいでしか生きられない。相手が死ねば、やがて残された一羽も後を追って死んでしまう。

どうして今日あんなに美しいルリ色に偶然出会えたんだろう。それをそのまま、嬉しい予感の暗示にしたいなと思って眠った。

posted: mitsubako: 15:12PM | comments (4)

2007年07月17日

翻訳

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長い間願っていたことがひとつ叶いました。
「みつばちの木箱」の英訳ができました。タイプライターのような文字でトレーシングペーパーに印字しました。赤い帯でとめたこの11枚は明日、チリに飛んで行きます。
ゆっくりですが、わたしの夢は少しだけ前に進んで、またもどったりしながら形になっていきます。次の一歩に向けて変容を続けます。

posted: mitsubako: 07:12AM | comments (3)

2007年07月15日

直彫り

台風通過の連休、ようやく港千尋さんの「文字の母たち」を読んだ。
「書物は建築である」という冒頭の一文になんだか熱くなってうなずいたからだ。王の文字、王の身体にたとえられる王政の権力下に制作されたフランス語書体。パリ・フランス国立印刷所の図書館で港の目をひいたのは、大判で皮張り背表紙の「漢字西訳」だった。
ナポレオン一世の命令で1813年に編纂された中国語、フランス語、ラテン語の対訳辞典だという。ヨーロッパにおける漢字の活字化が他の文字の制作過程とはかなり異なっていることに港は注目している。
彫刻するだけでもかなりの数となる活字をいくつかの部首によって分類し、分合活字の方法を用いていたことは面白い。詳細は是非、本文に触れていただくとして、中国で生まれた活字が朝鮮にわたり、のちに西洋の活版印刷の発明後、ヨーロッパで活字化され、キリスト教と共にふたたび東の文化圏に戻ってきた漢字。長崎に伝授された活版印刷技術を学んだ一日本人の技が、現代に続く明朝体活字の始まりであったというから活字のもつ壮大な記憶に胸が熱くならないではいられない。活字は母から生み出され子へと伝達される身体の記憶だ。
活字の母型製造は精密な種字の彫刻をもとに型どりをする。この種字は種字彫刻師の直彫りの技術にかかっている。肉眼ではとうてい見えないような細かい字形をルーペでのぞきながら、しかも逆文字を直に彫るのだから。これはまさに身体の生き写しのような行為、魂が打ち込まれる過程といっても過言ではないはずだ。わたしが一番感動した一節を引用しておきたい。

字を彫る人の姿勢は、ルーペを使っているとはいえ、基本的には字を読む人の姿勢と同じである。彼や彼女は椅子に座り、小さな字を見つめる。そのとき字を彫ることは書物のアルファであり、印刷された字を読むことは書物のオメガであるが、その最初と最後がひとつにつながるように、同じ身体によって担われていることが、重要なのである。
その身体感覚は、おそらくデジタルの時代にこそ求められるものだろう。文字を作り出すことと読むことを結びつけ、書物のアルファとオメガをつなげるためには、これまで人間の手によって彫りだされてきた、すべての文字が必要になるだろう。それらの母型をとおして立ち上がる記憶は、未来の書物の血肉となるであろう。
「文字の母たち」港千尋 インスクリプト

あらためて、テキストを意を介して読むのではなく、テキストと余白が作り出す造形的な、あるいは建築的な構造を読みとっていきたいと感じる一文であった。

posted: mitsubako: 23:11PM | comments (1)

2007年07月09日

小さい桃

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窓辺からさっきまで見えていた枝が切り落とされた
果実は夢想の扉を開いて 桃源郷へころがりおちた

posted: mitsubako: 06:07AM

2007年07月07日

赤い夢

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赤い粒子は集まって 褪せない夢を構成する

posted: mitsubako: 11:08AM

2007年07月06日

柑橘系

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みつばちが好んで集まるからよく見てみると華麗に見えていた小さな花なのにちょっと色気があった

posted: mitsubako: 22:01PM

2007年07月03日

赤の採集

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posted: mitsubako: 22:06PM

2007年07月01日

あまずっぱい

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水彩絵の具を使うとしたら 心に想い描く色は こんな色がいいと思う。

posted: mitsubako: 21:56PM

2007年06月27日

ZERO THUMBNAIL

おぼろ太陽ってあるのかな。ビニールテープでぴちっと空に貼りつけたような太陽を真正面に大正通りをいそいだ。
A-thingsのドアを開けると0号の小さな作品がいくつも壁にかけられていた。当たり前のように「作品タイトルを読みたいのですが…」と画廊の女性に声をかけると「タイトルはそこの薄いシートの中にあります。」と言われた。「あの、テキストじゃないんですね。」としつこく念を押すように言うと「ええ。」とさっぱりとした答えが返ってきた。
ちんぷんかんぷん(大黒天の挨拶)、鼻息と歯ぎしり(内省のための媒体)、頭寒足熱(ハルモニアの国外逃亡)、生活の為来たり(コッコとついばむ)それから平らであるという想念(お愛想はナシ)がとても心にひっかかる作品だった。
お隣のA-materialsのお店に飾られた真っ赤な小作品も印象的だった。
もっともっとわたしもアカデミックに生きたいと作品の前で、小さくつぶやくように祈った。
ゲストブックに名前を書いた。わたしは伊達浩史さんの次だった。

posted: mitsubako: 22:57PM | comments (2)

2007年06月06日

目の前が暗くなる

立ちくらみで突然目の前が真っ暗になることがある。
もしもこんな現象が長時間にわたって、あるいはずっとずっと続くとなるとかわりに体のどこを使って見ることができるんだろう。
目の治療で数日、母が病院の暗室で過ごした。あれこれと先々の心配事を話す母の話を半分に、タレルが作品化する光や知覚のことを考えていた。
よく見えていないにもかかわらず、だいたいの日常生活のことはこれまで通りできる。長年培った勘で感性を支え、やがては彼女の感性で触れるものが増えていくのではないかと思う。

「音から離れていた」と数週間前に書いたばかりなのに、新しくスピーカーとCDプレイヤーを買った。一番はじめに聞いた曲は「クープランの墓」。プーランクの歌曲全集も手に入れたので暇な日は床にごろんとしながら音楽を聴いてみるのも悪くない。

posted: mitsubako: 07:40AM

2007年06月05日

A-things

エンガワの木原くんから早くにお知らせをいただいていたのに書くのが今日になった。

6月6日、明日から岡崎さんの個展がA-thingsではじまる。
題してZERO THUMBNAIL。0号とサムネイルの小品シリーズというから珍しい個展
でもある。会期は8月8日までで、途中7月7日に作品の入れ替えがある二部構成。66、77、88で覚えておくとちょっと楽しいし、8で終わるもの嬉しい。

ART TRACEから発行されている白いセミナー集録シリーズ「絵画は二度死ぬ、あるいは死なない」の林道郎さんがテキストを書かれるカタログも出版されるらしい。サイ・トゥオンブリ、ロバート・ライマン、中西夏之などを読んでいたから林さんのテキストでつづられる岡崎乾二郎にも興味がある。今から楽しみだ。

A-things
180-0004
東京都武蔵野市吉祥寺本町2-28-3-1F
Tel・Fax│0422.20.3088
URL│www.a-things.com

posted: mitsubako: 12:05PM

2007年06月03日

ある記事

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航空便の封筒にのって新聞記事が送られてきていた。
なにかとコラージュしようとほっておいたらそのまま置き去りになった。
だから、ただデジカメで撮ってここに記録してみた。

posted: mitsubako: 10:48AM

2007年05月24日

群崩壊症候群

イタリア、スイス、アメリカ、カナダと各国からミツバチの群崩壊症候群が伝えられて来たのは去年から今年の冬あたりだった。
ある日、巣箱からミツバチの姿が突然に消えてしまう。ウイルスなどによるミツバチの病気が原因であれば、死骸もありそうなものだが、巣箱周辺には一匹の死骸も見つからないから謎めいている。自然科学界では、農薬や抗生物質などのストレスによるものかもしれないとの見解もあるが、詳しいことはわかっていない。わたしは、もちろんこの現象に驚きと自然界に何かを暗示させる行動であるとは思うものの、一方で「群崩壊」の響きに感化されていて、これに返す表現をずっと考えている。なぜか事態をただ深刻に受け止めて眉をひそめているというよりは、天にむかってぱらぱらと散っていく蜂の姿を思い浮かべては、愛おしいがゆえに哀しさを胸にせずにはいられなくなる。
なんだって崩れてしまうことはある。自然のすごさはそれも含めて生の存続に立ち向かっていることだと思う。
明日は大きな決意がひとつある。この時ばかりは光をどうか与えてくださいと願うのみだ。

posted: mitsubako: 22:12PM

2007年05月22日

空が明るいうちに

夕方の空が明るいうちに仕事先を出た。
杖をついて歩く老人、子どもの手をひいていそいそと帰る通勤姿の母子、自転車の買い物かごをいっぱいにして元気に走る主婦。どんな大都会の谷間にも生きて暮らす人の姿がある。夕方になると母親のことを急に思うのはなぜだろう。幼い頃の街角にあふれる人々の様相から大きく変化を遂げたとはいえ、象徴される夕方の風景ってあるなぁとふと感じる。
ここ数十年、日のあるうちに仕事から帰宅できた日なんてあっただろうか。わたしの背中と足元を照らすのは大概、月と星空だった。一日中人にもまれ、夜道でほっと一息ついて、ひとりの時間になれるのは、眠る30分前。
夕方を思って、夕方から夜をゆったりくつろぎに使うことだけでもどんなに豊かでありがたい時間だろうと思えてくる。
明るい空に、早々と登場した三日月に「ありがとう」と挨拶をしてみた。

posted: mitsubako: 22:36PM | comments (2)

2007年05月15日

夜の柑橘香

あちこちの庭先で小さな白い花をいっせいにつけた甘夏の樹木に、蟻たちが集まっている。ふんわり浮かぶ白い雲のように、つかみどころはないけれど、やわらかに包みこまれるように嗅覚が誘われていく。初夏の夜道は柑橘香に漂いながら異国情緒な夢を一つ、ぽろんと落ちかけた白い花を一つ、手のひらにのせた。

posted: mitsubako: 06:41AM

2007年05月11日

青いシグナルの一群

巣分かれをした蜜蜂の一群が青色の信号機に留まるというニュースがテレビや新聞で報じられている。蜜蜂の分封を知っていれば、この行動自体はそれほど驚くことではない。駆除をするくらいなら、養蜂家にお願いをして新しい巣を用意して入れてやればいいのにとみつばち好きのわたしは思ったりする。
自然溢れる岩手のある地域でも、分封した蜜蜂が電柱に集まっているという話しを何度か聞いたことがある。空洞の電信柱のボルトの穴から中に入ることもあるらしい。
なぜ青信号に留まるのかと疑問もあるようだが、それなら蜜蜂の研究で知られるカール・フォン・フリッシュの「ミツバチの不思議」の蜜蜂の色覚についての章を読むと興味深い。人間と昆虫の色覚の違いや色のスペクタクルを認知する幅が違うことなどがわかってくる。人間と蜂はどうやら異なる色の世界を見ているし、花の方は環境に応じて生きるために都合のよい花の色を紫外線を通して表出しているようだ。そうなると色とは概念的にとらえてはみても実は仮想的な虚構の世界であったりするのかもしれない。
*花展 カール・フォン・リンネ 国立科学博物館

posted: mitsubako: 19:07PM | comments (0)

2007年05月10日

浄められた夜

かつてウィーンに滞在中、イリ・キリヤン振付、シェーンベルクの「浄められた夜」を見たことがある。
音楽を鑑賞することから長い間離れている。物理的に音を聴く装置をなくしてしまったということもあるが、音を聴くことと同時並行でテキストを書くことは困難だし集中ができない。音はさもすると感情に訴えてきて、主観や感傷に陥りやすい条件をそろえてしまうからしばらく避けていたところもある。
レコードを片付けて捨てることにした。アナログのレコードのすばらしさは承知しているつもりだが、コンパクトで執着や固執しない生活を優先するならば、ここで別れを告げるのもいいかと思った。レコードとレコードの間にカンディンスキーと音楽を特集したニュースレターが見つかった。カンディンスキーはシェーンベルクと時を共にして抽象表現と無調音楽を科学による音楽と美術の解体から本能的に生きのびるためにリアクションを試みた。
カンディンスキーのコンポジションをイメージしながら、ふと文中にあるシェーンベルクの弦楽合奏作品4と弦楽四重奏第2番作品10を聴いてみることにした。運よくCDは手元にあった。その隣にJohn ZornのMusic for Childrenが並んでいて、どちらもパソコンの悪いスピーカーで聴くことにした。奇遇な音たちは日常のこうした連鎖をあたかも偶然性の一環として奇妙な冷気でかきまわしてくれることもある。
*ヘンリー・ダーガー展

posted: mitsubako: 07:01AM | comments (0)

2007年05月06日

覚めた夢 これから見る夢

ひとは抱いた夢の数だけ覚めていく
ひとつ ふたつ 頭上を流れるごとく通過する雲のように 近づいたと思えば通り過ぎて
やがては どんどん遠くなる 別れたり あきらめたり はかなく消えていく
それは悲しくて 夢なんかもう二度と見ない と心に叫んだはずなのに
また追いかけて 夢を見たくなる いつだって見ていた これから見るはずの夢


あたかも地上を照らすすべての光は、実は海から発せられ、それが空に反射していると見えるのだった。波は、その上をしっかと踏みしめて歩いてゆけそうに、堅固に見えた。逆に、そこを歩く人が沈み、陥ちこんでゆくのは空のほうである。荒れ狂う、底しれぬ銀色の深みへと、きらめく銀、いぶし銀、どこまでも銀が銀のなかで反射しあい、ゆるやかに重みもなく、波だち、かたちを変え、そびえたつ銀の空のなかへと、人は陥ちてゆくだろう。
アイザック・ディネーセン 夢みる人びと

posted: mitsubako: 13:30PM

2007年05月05日

wordless

憂鬱 無気力 消沈

こんなことがわたしの内側で繰り返される日々が来ると 一体だれが考えただろう
わたしは何のために だれのために どこへ向かっているのだろう

駅のホームに立っているとき 道を歩いているとき 浴槽で疲れを癒すとき トイレに入ったとき 空虚なあいつはかならず襲ってくる 意味もなく流れ落ちる涙に 頬はもはや濡れることに慣れて ドライな皮膚の毛穴を通って心身に浸透する
わたしがわたしであるための逃走 落ちても落ちても壊れ落ちる最後の欠片に念じてみる

なんのためでもない だれのためでもない どこでもないどこかへ

わたしの出発点はいつだって遠いland's endだったはずだ

posted: mitsubako: 12:27PM

2007年04月23日

笑った

久しぶりに灰塚で活動をした仲間や岡崎さんに会った。
2007年1月、トリシャ・ブラウンの舞台美術でコラボレーションをしたI love my robotsの報告会に駆けつけた。
トリシャの率いるダンスカンパニーの踊りはビデオで見る限りとても自由だと感じた。
若いころ、週に何度も通ったモダンダンスの公演では、ダンサーたちは筋力があって、自己表出が強く、人間の内面を奥底からすくい出して肉体で表現するドラマティックなものが多かったと記憶している。
トリシャのダンサーたちは、スレンダーで棒のよう。脱力あるいは空気に支配されて動かされているようにさえ思える。重力が感じられない軽やかさだった。
解説のなかで、なんでもない言葉だったけれど、忘れていたことにはっとした。
「あることやものにリアクションすることからはじまる…」
トリシャのチャーミングな振り付けとロボットはまるで恋いをしているようで、ユーモラスが溢れていて時々笑った。
長い長い年月を現代美術という世界で生き続けてきた岡崎さんが舞台の最後にくるりと回転して挨拶をする姿がとてもおかしかった。
いつもよりずっと気楽な自分がいた。

posted: mitsubako: 07:24AM

2007年04月21日

白の日課

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捨てようとしたグロイスの洋書
1ページづつ 白でテキストを消そう
毎日 毎日 白で塗りつぶして 無になりたい

posted: mitsubako: 22:03PM

2007年04月17日

リンネ オマージュ

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机の上に偶然置かれた紙切れ
解体したページ
白く消されたテキスト
切り抜きの向こうに油紙

凡庸な日常を切り取るとこうなった

posted: mitsubako: 23:55PM

2007年04月15日

息吹をそそぐ笛

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セメニシュケイの笛が赤く焼ける

「ぼくには人生はいつだって刺激的、最後の息をするまで生きるにふさわしいもの」
と語った血が流れたから
千の扉を開ける鍵を見つけだそうよ
だめだと思っても何度でも何度でも 心を奮い起こして赤い火を消さないように

posted: mitsubako: 18:15PM

2007年04月10日

発熱と窓辺

寝ていると 薄ぼんやり遠くに見える窓の周辺だけが頼りがいがある
白く明るいだけで あぁよかったなと思う
巣房を通した蜜蝋色に輝いて見える頃 元気になれるかもしれないと思えてくる
発熱するとできることは少なくなる
テキストを書いてみようかと椅子に座れば たちまち体に底冷えが走る
本を読もうかと思えば 目が潤む
肺や心臓が壊れないかと思うほど咳こんで 息苦しい
だからぼんやり窓辺を見ていることぐらいが一番いい
頭の中で今日のあの人のこと この人のこと たまにはいつも思わない人のことまで
祈ってみたり ノオトとえんぴつを枕元に置いて 時々浮かんだことばを書いたり 消したりした

posted: mitsubako: 07:37AM

2007年04月05日

バランス

いつもなにかに追いかけられている。夢から覚めたら夕方7時をまわっていた。
春がめぐってきた。明るい光、芽吹き、羽音、さえずり。箱のふたを開けはなったとたん、まぶしいほどの塊が息吹きの風になって飛び出していく。
春はたくさんの不純物が空気の中に詰め込まれていって、人の身体を邪魔しにきたりする。
心でわかっていても体は気がつかない。体は感じていても心で触れない。
アンバランスな感覚が体のそこここで戦っているのだ。
冴えないaprilの月は「気のせいだよ」とぼんやりつぶやいていった。

posted: mitsubako: 21:26PM

2007年03月30日

木下杢太郎の蜂

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蜂の死骸を撮しているとき、木下杢太郎のスケッチを思い出した。
わたしも描いてみようと思ったが、動かしている間に頭がぽろりとテーブルに落ちた。
プラスティックの部品のように、抜け落ちたその頭は完全に部分であった。

posted: mitsubako: 06:57AM

2007年03月28日

ある昆虫の死骸

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昆虫の死骸をもらった。
生きているときのスズメバチは、みつばちが好きなわたしにとっても天敵だと思う。
死骸を撮していると、もはやそんな記憶は消去され、絶好の被写体としてモノに
生まれ変わるからおかしい。

posted: mitsubako: 09:47AM

2007年03月27日

カール・フォン・リンネ

みつばちの木箱の中に庭師や植物学者の存在がある。誰かを特定したものではないにせよ、目に浮かぶ光景を大切に、削ったテキストのなかで残ったことばと章だった。
綿や植物をイメージしたとき、リンネを抜きには始まらなかった。
わたしは、旅をすると植物園に行くことが多い。ガラスの植物園や展示されている古い書籍を見たりするのがおもしろいからだ。そういう世界観の中にひたっていると、とてつもない夢を見ている気がするからなのだ。
リンネはスウェーデンに生まれ、植物分類学で世に知られている。大学では医学を学び、やがてウプサラ大学の植物園長になる。ここは、ぜひ訪ねてみたい植物園のひとつだ。
「自然の体系」「植物の属」「植物の種」と世界で初めて生物を分類体系した出版物として知られている。
昨夜、夕刊をめくっていて、はっとした。上野の国立科学博物館で開催されている「特別展 花」でこの初版本が2日間だけ展示公開されるそうだ。リンネ生誕300年を記念して喜ばしい企画だと思う。必ず行こうと思う。

posted: mitsubako: 10:03AM

2007年03月26日

月映は今もここに

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「若き日の美術家たち」に偶然立ち寄った。
月映の田中恭吉の木版画は魂がいつまでもそこに漂っていて好きだ。
予期もせず、今一番見たかったものに出会えると、自分が何を求めているのかおのずと見えてくることがある。
帰ってから本棚の作品集をくり返し取りだしては見ている。

posted: mitsubako: 07:08AM | comments (3)

2007年03月24日

岡崎へ

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春分の日の朝。アスピリンを一粒飲んで、松浦寿輝の詩集をかかえ新横浜駅からのぞみに飛び乗った。車掌が乗車券の見回りに来るころには、頭も少し軽くなって詩集が読める心境にまで落ちついた。名古屋までの1時間ちょっと、文字に集中したり、ぼーっと走る工業地帯を眺めたり、いい時間が流れ出した。
快晴の名古屋は寒かった。きちんと調べもせずに在来線に乗りかえて岡崎へたどり着いた頃には、もう11時をまわっていた。そこからまだ30分近く丘陵地を登ったところにマインドスケープミュージアムがあった。
「森」としての絵画——絵のなかで考える、わたしはこれを見に来た。
出品作品の岡崎乾二郎の作品を、ゆっくりといつものようにテキストと照らしあわせながら対話した。その場に包まれているとグレーに塗りつぶされて、すっかり扉に鍵をかけてしまっていた心に色彩が語りかけてくる。作為的に無心の喜びを感じる。ここに立っていることが大事な出来ごとなのだ。

山の向こうの中腹のちっぽけな村はすでに見えなくなり、ふたたび春が巡ってきた。葡萄の木はあたかも塀の笠石の下を匍う病める大蛇のように見える。生あたたかい空気のなかを褐色の光が動きまわっていた。似たりよったりの毎日が作りだす空白は伐り残した若木まで切り倒すだろう。日々の暮らしのなかで樹木の茂みは岩のように突き出ている。

自分の暮らした村がこんなに小さく思われたことはない。太陽が姿をみせた。背の高いポプラの林は風に吹き動かされる砂浜のような格好をしている。切れ目のないその連続を見ているだけで眼がくらんでくる。変り映えしない日々の連続に酔うことができたなら象や蛇をしとめた気にもなれる。蝶が舞うようにそんな風に彼はものを識ったのである。
岡崎乾二郎

4月にふたたび名古屋を訪れる。ガレリア フィナルテで「岡崎乾二郎/松浦寿夫」展が開催されるから。

posted: mitsubako: 16:37PM | comments (0)

2007年03月18日

軌道修正

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自分の行く末のことばかり考えるようになった。そうしてみては3日に一度、無力な自分に涙している。
本能とは、もうほとんど死語に近いことばなのかもしれない。わたしがこうして着地点に何かを求めてやまない最終ラウンドの呻き声は、あえて言うならば本能のような気がしてならない。身体が、あるいは生理的に精力の終章に飾る花を無性に欲しているのではないかと思うからだ。
この欲求にわたしは忠実でありたいと思うし、ありのままでありたいと思う。
週末、消耗しきった体のまま、何年も会っていない友人宅へ白い車に揺られて向かった。

テーブルに、今季で契約を終えた仕事先でもらった送別の花が生けてあった。
生きざまがここかしこに積み重ねられて居心地のいいアトリエは、今も変わらない秘密基地だった。
ふと、この花束をもらう自分の姿が、ガラス戸の向こうに青く浮かびあがってから、大気不安定な雲の層の中に消えていった。

posted: mitsubako: 13:48PM

2007年03月07日

読書欄もうひとつ

続けて読書欄から。
嬉しかったのは中条省平が「蜜から灰へ」の書評を書いていたことだ。
この本を読み進めるには時間がかかる。でも、わたしにとって神話論理I「生のものと火を通したもの」と、「蜜から灰へ」は必須必読のなかでも最重要マークがついている2冊だ。なぜなら、わたしが個人的な文章や詩を書くとき、視覚的に決定づけられる場や情況と同時にアレゴリーとして連鎖するものを常に思い巡らせているからだ。
この本書の中にも金原瑞人が言ったと同様に、人間が食することは単純に生と死に結びついていることをイメージできる。
わたしたちの目の前に溢れている食は、もはや流行やビジネスに覆い隠されている。やさしく、甘く、ファンシーなベールで包みこまれている。しかし、そうしたベールを取り去って考えてみると、そこには避けては通れない「生と死」を分かち合う魂の交換の場が再び立ちあらわれてくるとわたしは思う。

posted: mitsubako: 05:35AM

2007年03月05日

晩餐

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3月4日付の朝日の朝刊を珍しくめくった。日曜の新聞は、読書欄があるから。
金原瑞人が「食は生と死に結びつく」と題して2冊の本のレビューを書いていた。『食べる西洋美術史』宮下規久朗 光文社がそのうちの1冊だった。キリストの最後の晩餐を中心に西洋美術に現れる食べ物と食事をテーマに絵をみていくという。

食はコミュニケーションの場を作るとともに、生と、さらに死としっかり結びついているのだ。しかしそれが近代になるとこの傾向が弱くなり、みんながとりあえず食べられるようになってしまうと、食の比重が軽くなるらしい。
金原瑞人

先週末、仕事先の仲間の誕生日だったり、「お疲れさま会」だったり、試食もあって、全部をひっくるめたような遅い午後のお茶を会社のダイニングテーブルでした。7、8人が狭いテーブルを囲んで、「おいしい、おいしい」の連発。ふわっと気の抜けたひと時を過ごした。
この時、わたしはなぜか「晩餐」ということばを思い浮かべていた。そして、金原瑞人の書く「食」の近代の傾向がすぐに理解できた。食を囲むテーブルに生と死の重みはない。隠れた根底に直接触れることはない現代人のまどろみのようなものを感じるのだった。

posted: mitsubako: 06:28AM

2007年03月01日

●SUOMI

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フィンランドの母国語で自国をあらわすことばがSUOMI。沼とか沢の湿地地方を総称する呼び名だろうか。
切手に印刷されたSUOMIを昔からとても好きだった。
ロシアから移住をしてテキスタイルやファッション界で注目されているデザイナーにIVANAhelsinkiというブランドがある。
キャンプをテーゼに鳥だのマトリョーシカなどのプリント柄とかすれたスタンプを目にしている人は多いはずだ。ある日、白いギャラリーに立ち寄ったら、作品よりもIVANAhelsinkiのコレクションがインテリアとして置かれているのに目をとられて、直接問い合わせをしてみた。

気さくなメッセージと一緒にSUOMIからパッケージが届いた。
こんなカード集を作ってみたいな。

posted: mitsubako: 06:00AM

2007年02月20日

クリスティーネ回想

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雨降りの日曜の朝、新幹線に乗った。
たった30分ほどの乗車区間でも、旅気分になるから嬉しい。
熱海駅で降りた。2月の寒い時期でも駅前は人でごったがえしている。熱海特有の蒸したにおいと蒸気が沸き立っている。駅のはずれにある桜はもう花が咲いていて、メジロがたくさん蜜をすいに集まっている。花びらの桃色と羽の緑色が鮮やかで、立ち止まって上を見上げていると雑音がなにも耳に入らなくなる。
駅から徒歩10分。急勾配の坂を登って、左階段を降りたところに旧日向邸がある。タウトが建築を手がけた唯一の部屋として重要文化財に指定されたらしい。本当の目的地は三島のヴァンジ彫刻庭園美術館だった。どうせ三島まで行くならと、前から一度は訪ねておきたかった旧日向邸もと調べてみたのだった。ワタリウムで展覧会が催されていることも知らずに。
それから、三島へ向かった。古屋誠一展"Aus den Fungen"を見るために。
ポスターやフライヤーで亡き妻クリスティーネの少女のような写真がとても気になっていた。長靴をはいて、首からカメラをさげている彼女がとても愛おしいく思えたからだ。わたしが、懐古するわけもないのに、フライヤーを見た時そういう思いがこみ上げた。わたしも今日は長靴姿で、彼女の写真の前に立つ。
古屋誠一を知ったのは、だいぶ前になる。友だちの勧めでちょっとしたバイトをもらったのがデジャブの雑誌だった。たったそれだけのきっかけが、たまたま美術館の図書館でひと目ぼれした写真の少女の夫で写真家だった。こういう奇妙な偶然は大事にしておきたい。だから足を運んでみることにした。
写真展会場を2周した。1周目は写真を見て、2周目は回想をしながら。
それから、外庭に出た。冬枯れの芝に結婚式跡のブーケのかけらが落ちていた。それからどんよりと濁った池の排水溝を眺めていた。常緑樹の葉が吸口に引き寄せられて管に入れず入口をふさいでいた。お墓だと思った。久しぶりにデジタルカメラを向けて撮ってみた。

posted: mitsubako: 06:35AM | comments (2)

2007年02月19日

詩の歩道橋

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ある雑誌でアーサー・ビナードと木坂涼が、ウクライナ移民で1922年ニューヨークに生まれたグレイス・ペイリーの詩について書いていた。そのタイトル訳が「詩に書く代わりに」だ。

詩に書く代わりに

詩を書くつもりでいたけど、代わりに
パイを作ることにした。かかる時間は
だいたい同じで、ただ、パイだと
下書きも手直しもなく、いきなり
発表となる。詩は一旦、最後まで書いて
それから何枚も紙をくしゃくしゃにして
完成までの道のりは何日も何週間も。

パイの場合は、できあがる前からすでに
興味津々の見物人が、台所の床の上で
小さなトラックや消防自動車と一緒に転がって
にぎやかに声援を送ってくれる。

パイという作品は、万人に受ける。
リンゴとクランベリー、ドライフルーツの
アップリコットも入って、友人たちは
いってくれる——「一個だけ作ったの?
もっといっぱい作ればよかったのに!」

詩についてそういわれることは、まずない。

この詩はまだ続くのだが。わたしは、ある時、急に菓子を焼く。手の込んだものを焼いていた時期もあったけど、今はリンゴかはちみつ菓子を究めている。とくに粉を大切に考えてつくる。レパートリーは少ない方がよくて、それを深く掘り下げることがおもしろくなった。
菓子を焼くとはいっても頭の中ではいつも別のことを考えている。
いつでも、みつばちの木箱との関係をああでもない、こうでもないと、ほんのちょっとでもいい「つなぎ」を見つけようとする。だから、菓子を焼いているとき、書きたいことばが突然ふっと浮かぶなんてことがよくある。
パイという作品と詩の対比は台所の余白だと思う。

posted: mitsubako: 06:48AM | comments (1)

2007年02月17日

みらさかのフロマージュ

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来週アップしようとしていた文章にチーズ小屋のことを書いていた。そうしたら、広島県三良坂町の伊達さんから本当にチーズが届いた。なんて不思議な勘なんだろう。
三良坂町は灰塚アースワークスでわたしがしばらく滞在した時、車で何度も往復した町。当時、三良坂の役場でお仕事をされていた伊達さんにはいろいろとお世話になった。無口でお酒が強くて、日焼けして真っ黒でダテ男の伊達さんと呼ばれていた。わたしたちの途方もないアート計画に力をたくさん貸してくれた。なかでも草刈りと地灸。今でもとてもよく思い出すシーンだ。消えてしまった旧灰塚小学校のことは、まるで自分が卒業したかのように覚えていたりする。灰塚はふるさとのないわたしにとって、精神のふるさとなのかもしれない。
三良坂といえばピオーネ、おいしい葡萄がある。今日贈られて来たのは、「手作りチーズ工房三良坂フロマージュ」の真っ白なチーズのパッケージだった。三良坂でチーズ。なんだかとても素敵なことが、長い時間の流れのなかで熟成しているような気がして嬉しくなった。
さっそく、どれもこれもおいしそうなので食べてみた。柏の葉でくるんだローズマリーのチーズもやさしい味わいがする。フレッシュ・モッツァレラは、はじめそのまま食べてから、オリーブオイルを数滴たらして、バルサミコをかけて食べた。これもとてもまろやかでおいしい。きわめつけは、リコッタ
だった。遠野の敏江さんからいただいた大事な日本みつばちのはちみつをかけたら、この上もない夢のようなデザートになった。
伊達さんとっても素敵なおいしいものをありがとう。突然というのがまた伊達さんらしいなとほくそ笑んだのでした。

三良坂フロマージュ
729-4302
広島県三次市三良坂町仁賀1056-12
TEL:0824-44-2773
松原さんというご夫婦でやっているようです。

posted: mitsubako: 21:17PM | comments (4)

2007年02月12日

拾われっ子

こんないい歳をして自分のことを「子」なんて言うのも大した度胸だ。子どもの頃わたし相応の年齢ともなれば、すごく大人で人生のことはもうなんでも知っている人たちだと思っていた。実際、自分がそのぐらいになっても分からないものは分からない。生きていくということはそう簡単に答えが出るものでもなくて、さして若い頃と大差はないということだ。だから「拾われっ子」としてみた。
職場のキッチンで洗い物をしている時、ふと先輩の編集者から聞かれた。「こんなこと聞いてもいいのかしら、これまでどんなことをなさって来たの?」
ああ、一番困る質問だ。少なくとも90年代以降のわたしを知る人たちなら、「そうなんだよね、何やってる人かってひとことで言うのが難しい人だよね。」っと同感してくれるはず。別にそれほど複雑怪奇なことをやって来たわけではない。ただ、これといった専門があるようでない立場にいつもいることが多かった。職業分けのカテゴリーでは説明できないようなことが、わたしの仕事だったから。
一番はじめの職業はこれで、それからこういう考えで国内脱出をして、戻ってきてこんな所に就職して、会社が潰れてフリーになって。話せば長いしやったことも数えきれない。自分で選んでそうなったこともあるけれど、なんとなく二番手で事の次第に乗っかってここまで来たというのが正直なところ。
「人との出会いの数だけは半端じゃないですよ」と言うのがせいぜいで、好きなことを好きなだけやったからもういつ死んでも大丈夫とはさすがにまだ話せなかった。
「へー、羨ましいわ」彼女はずっと同じ会社で仕事を一筋に続けて来た人だから、正反対のわたしの遍歴に驚いている様子だった。

ひとりになって後でふと今日のキッチンの会話を思い出した。そうだね、わたしはいろんな人に拾われて、こうしてなんとかつないで来ることができたんだと。「拾われっ子」のわたしは、これまでに出会った多くの方々に向けて「ありがとう」をそろそろ形に残そうと試行錯誤している。

posted: mitsubako: 17:01PM | comments (4)

2007年02月09日

予感

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新宿駅を降りて、背中を照らす朝日に春を感じる。明るい陽光に照らされると誰かに後しされているような気がして、心も少しだけ大きくなる。
月も大好きだけど、太陽もなかなかいいと思う。陰と陽のはざまに世界が息合っている。
ぎゅっと黄のエネルギーが、この小さな粉塊につめこまれて、とてつもなく大きな宇宙に躍動している。

posted: mitsubako: 00:17AM

2007年02月04日

輝け!はちみつ

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「そしてさらに天使は三度手を差し伸べ、蜂蜜に触れた。するとテーブルの上に火がほとばしり、蜂蜜を焼き尽くしたが、テーブルには傷がつかなかった。蜂蜜と炎からの香りは芳しかった。」
『アセネ物語』 蜜から灰へ クロード・レヴィ=ストロース

バイダルカの本の一頁を写真に撮っている時、玄関の呼び鈴がなった。郵便小包だった。
iittalaの四角い箱の中から遠野の森の日本みつばちの蜜が届いた。
あかねちゃんと歩いた森にアフリカの原住民がかけるような巣箱を岩間くんがしかけた。
太鼓のような形をした巣箱に耳を近づけるとごーっとうなる蜜蜂の羽音がした。森の緑、唸る音。
土地のいろんな魂が凝縮された蜜は複雑な味がした。

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岩手雑感
としえさんありがとう。こんなにすばらしい蜜はほかにはないよ。

posted: mitsubako: 12:54PM | comments (2)

2007年02月01日

蜜から灰へ

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クロード・レヴィ=ストロースの「蜜から灰へ」を買った。とても欲しかった本だ。3カ月戸惑いの中で迷える子羊のように毎日涙しながら過ごした自分のために、慰めてあげようと思って手にした。探しているものを諦めてうつむいてしまわないように。
何もないわたしだけれどこれだけはずっとやってきた。だからどんなに疲れても、忙しくても、このことだけからは離れないように、わたしのことを守ろうと思う。
みつばちの木箱をさがして、わたしは本当に今歩き出している。
もうすぐ春がきたらいっぱいのみつばちに囲まれて、いい夢をたくさん見たい。

posted: mitsubako: 22:52PM

2007年01月20日

黄色い群衆

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花粉が好きだ。それを運ぶみつばちの姿が連想できるから。
庭で育った冬のばら、やさしい光の色を吸収してる。
より抽象的な視線で見つめていたらこうなった。

posted: mitsubako: 11:42AM

2007年01月15日

ポルトガルの木箱

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クリスティーナからポルトガルのみつばちの木箱の写真が送られて来た。
「涙がきっと消え去って、明るく元気なあなたになるよ」って。

なるほど夕日に照らされた木箱を見ていると、ぽっと体中にハートが
広がってどんなおまじないよりもわたしに笑顔を蘇らせてくれる。
みつばちの木箱はまた一歩小さなステップを踏み出そうとしている。

posted: mitsubako: 06:37AM

2007年01月14日

松の蜂蜜

パンデピスが養蜂家に届いて、電話がなった。「いやー、心のこもったパンデピスというんですか、送ってくれてありがとう。あなたは本当に研究熱心だね」。それから30分ほど長々と久しぶりの会話を楽しんだ。
養蜂家のところには、お菓子専門職の方からも時々蜂蜜を使ったケーキが送られてくるらしい。パンデピスに似た、蜂蜜の焼き菓子だという。本来なら、ごくごく少量にしか採蜜できない菩提樹の蜂蜜を使用してスパイスを入れるクリスマスのお菓子だと話してくれた。菩提樹の蜜は、ロシアとかある限定の地域に限られたもので時期もあるしとても珍しいものだと言っていた。
その話しをヒントに、パンデピスの味は蜂蜜によっていろいろ種類ができるなと思い試してみたくなっている。そこで、たまたま見つけたトルコの松の蜂蜜を今度は使ってみようと買ってみた。それから、いつか遠野のやさしい香りがする日本みつばちのパンデピスも作ってみたいと思う。その土地を織り込んだ食べ物はとても魅力的だとわたしは思う。それが複雑だったり単調だったりする味わいが詩になるのだから。

posted: mitsubako: 09:48AM

2007年01月09日

パンデピス pain d'epices

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蜂蜜は冬に向かう頃に採蜜したものがわたしには一番おいしく感じます。2006年11月3日にビン詰めされた蜂蜜をいつもの養蜂家から3本送ってもらいました。蜂蜜のたくわえがあるとなんとなく安心するのはわたしだけでしょうか。
このところ、僅かな時間を利用してパンデピスというパンとパウンドケーキの中間のようなものを焼いています。フランスに伝わる蜂蜜とスパイスをふんだんに使った食べ物です。1本の型に使用する蜂蜜の量は200g近いので、とてもしっかりとした個性をもった風味が味わえます。スパイスは好みだと思いますがわたしはシナモンをベースにナツメグ、クローブ、カルダモンを摺って加えています。焼いたすぐよりは、数日置くことで生地が落ちつき、スパイスの香りも熟す気がします。
これを薄く切って、ブルーチーズなどと一緒に食べても絶妙です。複雑なスパイスと甘味が好きな人にはちょっとやみつきになりそうな焼き菓子かもしれません。ほんの少しだけ、お世話になっている養蜂家へ贈り物にしようと今日パッケージをつくりました。
卵と蜂蜜をミキサーで攪拌していると羽音をうならせて木箱の温度を保っている蜂たちのことが想い浮かんできて、一日も早くみつばちの姿をゆっくりと見たいなと心の中がいっぱいになります。

つづく...

posted: mitsubako: 06:51AM | comments (4)

2007年01月08日

「薄い膜、地下の森」

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晴天と乾燥が続くはずの関東地方の冬は、雷雨や強風と大雨が入れかわり立ちかわりやって来る。冬の気象まで夏のように荒くなったと感じる。
大雨の土曜、長靴で出勤。その前に大塚愛子展「薄い膜、地下の森」に立ち寄る。
刺繍という手法や織物を素材に探求をしているアーティストとして以前から作品を見たいと思っていた。刺繍は刺すことの行為が通常だが、彼女の作品のなかではほつれや解くことも同時に作品の中で行われている。
ゴブラン織りは分厚い一枚の織物だが、解いて糸を取りだしていくと重量感がことのほか見えてくる。布の表皮は美しい模様を魅せていて、その薄い幕の裏には複雑で長い糸の束が存在していることに気づかされるおもしろい作品だと感じる。
*大塚愛子展は表参道スパイラルガーデン1Fで1月5日から1月18日まで開催中です。
また1月10日から4月22日まで府中市美術館 公開制作室で「気配の縫合—名前の前に」が公開されます。

posted: mitsubako: 09:36AM

2007年01月05日

思考というモーション

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新しい年を迎えて一通目のgood news。
詩人のぱくきょんみさんから、事前にちらりとお話を聞いてはいたものの、こうしてお知らせが届くとわくわくしてくる。
岡崎乾二郎さんとトリシャ・ブラウン・ダンス・カンパニーのコラボレーション公演がついにアメリカとフランスで開催される。アメリカでの公演日は1月18、20、21日。飛び立ってとても見に行きたい!岡崎さんはこの世界初演作品の舞台装置・美術・衣装デザインと多岐にわたる舞台芸術を勤められるという。コンテンポラリーかつ実験的な作品になるにちがいないと期待に胸がふくらむ。
20代前半、わたしは素足のダンスと出会った。小川亜矢子さんをはじめカニングハム、マーサ・ グラハムのテクニックに強く惹かれ、地味なスタジオでレッスンにあけくれる日々を送った。単純に体を使うことが気持ちがよかった。空気を掴むこと、床と対峙することが楽しかった。壁、床、空気のことばかり考えて暮らした。見たいものはその瞬間しかないからと芝居小屋でも舞台でも連日のように通った記憶が懐かしい。
ピナ・バウシュ&ブッパタール舞踊団、イリ・キリアン、フォーサイス……あげればきりがないけれど裸足と子宮を意識して身体と感情の表現に魅了される日々だった。後の自分の人生にこれがどれほどの意味を与えたかは、ややナルシストだがわたしにしか分からない。身体で覚えた記憶は心に投影され、より深くなっていくように思えるから不思議だ。

「トリシャ・ブラウン 思考というモーション」についてはこちらを
コラボレーション関連のサイトは下記からご覧になれます。
http://www.peakperfs.org/performances/trisha_brown
http://www.peakperfs.org/artists/kenjiro_okazaki
*イメージはテキストに関連はありません

posted: mitsubako: 06:14AM | comments (2)

2007年01月04日

Cy Twombly

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昨日の表参道の午後は新年の人出で賑わっていた。雑踏をよそに、美術カタログを扱う書店にぶらり立ち寄る。トォンブリの画集が目にとまるところに置いてあって、ぱらぱらと頁をめくった。
トォンブリの作品は90年代にベルリンの新ナショナルギャラリーで開催されていた展覧会でゆっくりと見た記憶がある。ミース・ファン・デルローエの箱の中で過ごしたこの時間は今でもわたしの宝物だ。
以前からトォンブリの作品性はあまりに無意図的すぎて、「いたずら書き」と称されることが多く、その評価は賛否両論だった。当時、親しくしていて、若くして亡くなった現代アーティストのM氏にトォンブリの作品に惹かれることを話すと鼻から「えー、トォンブリ」と小馬鹿に笑ってかわされた。それでもわたしはこの感覚的ないたずら書きが大好きだった。即興に近い詩人のノートに無邪気でナイーブな未完成を感じるからだ。ナイーブは哀しみと慈しみをさそう。
部屋に帰って、引き出しからベルリンで買ったカード集をとりだして一枚一枚に目をあて回想にふけった。

posted: mitsubako: 15:05PM

2007年01月02日

元旦の午後

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元旦の午後、アルザス風りんごタルトを焼きました。
一晩落ちつかせて、起きてみたらやわらかい朝陽があたっていました。
今日のお客さまとあたたかくして食べたいね。

posted: mitsubako: 08:54AM | comments (2)

2006年12月31日

雲の焼印

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いくつも思い出す、あの日の雲、この日の雲
お気に入りをとてもひとつには絞れない
どれだってその日のために目の前を通り過ぎていくんだから
しかし湿原に出現したあの雲は、焼印を押していったかのように、今でも残像が心臓のあたりに焼きついている
焼印だからもう消えない

この一年をありがとう

posted: mitsubako: 18:21PM | comments (2)

2006年12月30日

雲の一年

雲ばかり見ていた。
今年も残りわずかとなって、ようやく冬空がやってきた。雲ひとつない青空を見ていると心に焼きつくような雲のシーンがいくつもあったことを思い出す。
わたしがつく小さなため息いきの数だけ、わたしがこぼした涙の量だけ、
海面の温度と一緒になって大気層へと上昇する。
雲はわたしが吐き出したつぶやきに、ことばの創造を超えて、約束もなしに空に立ちあらわれる。
そこに詩の瞬間があるとわたしは思う。

本棚から久しぶりにシモーヌ・ヴェイユの「重力と恩寵」を手にとった。読み返そうと思ったわけではない。ただ触れたかった。詩うこと、考えること、つくることをやめて、これからの数年、わたしは純粋に食べるために労働をしようと本に手をあてて決心をした。

posted: mitsubako: 13:17PM | comments (2)

2006年12月24日

贈り物たち

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旅のおみやげ、わがままな巨人……そのほかにもたくさんメッセージや手紙をありがとう。そして、なかなか返事をしなくてごめんね。
オスカー・ワイルド原作のわがままな巨人は、わたしが大好きな話しのひとつだった。
友人がそれをアニメ化した。澁沢龍彦が「ヨーロッパの乳房」に書いたイタリアのボマルツォ庭園を背景に、ノルシュタイン監督の紙をつかった手法で長期にわたって制作されたアニメーションだ。残念なことに、まだDVDプレイヤーを持っていないわたしはこれを見ることができていない。
年末に少し時間ができたら、見てみようと思う。
写真は友人の実家を訪れた時撮影してくれたもの。秋の谷中工芸展の頃。わたしは夢を見ているかのように、溢れる喜びに満ちた笑顔だった。
夕日のローズ色に浮かぶ影、今見ているとなんとなく切ない。

*わがままな巨人のお知らせはこちらをご覧ください。

posted: mitsubako: 10:37AM | comments (1)

2006年12月17日

雫よ輝け

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雨上がりの雫が花粉ときらきらしていると嬉しくなる。
打ちひしがれた思いに浸っている時こそ、そう、明るい色を見ようよ。

posted: mitsubako: 05:04AM | comments (3)

2006年12月13日

遠い日射し

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気分を変えようと散歩に出かけた日曜の午後。公園は一面の落ち葉だった。
木陰から射し込む日の光は遠くもの哀しい。見ているだけで郷愁にさそわれる。

posted: mitsubako: 06:51AM

2006年12月12日

落ち葉と一緒

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近所の湧き水に暮らす金魚や鯉も落葉と一緒に紅くなっていた。

posted: mitsubako: 05:47AM | comments (2)

2006年12月10日

雪の障子

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「月の光も粗末にはしますまい。
わが國のありがたい古さを新しく生かしませう。
海山の間に見捨てられたものを見出して利用しませう。
簡素で住みよく、着ごこちよく、また質素でおいしい食事をしませう。
歌もうたひ、俳句も詠み、絵も、書も楽しんで生活をよくしませう。」

桑の樹皮ととろろあおいの草根を糊材に手漉きされた信州和紙の表紙の「雪の障子」。
島崎藤村の生活から見だされた小さな気づきをまとめた文庫本だ。冒頭に転記した文章は、この生活文化の本を出した月明社のことば。
生活の本とはいえ、そこに芸術の神髄が見え隠れする。悟りすぎもせず、洗練されすぎたミニマリズムでもない。
時が来たら、すべてを捨てて、本物の質素な生き方をわたしは選択したいと思う。

posted: mitsubako: 12:31PM | comments (3)

2006年12月04日

深い眠りの後に

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朝だと思って目覚めて雨戸を開けたら外は赤いぼんぼり色の夕焼けだった。

1カ月近くわたしの神経は過剰反応をしていて、休まることなく熟睡できない日々が続いている。周囲の状況からいいことも悪いことも全霊で吸収してしまうから仕方がない。心ない人のことばに傷ついたり、誠意が伝わらなかったり、強烈なアピールに驚いたり、まちがった自由思想に憤慨したり、上げればきりがない。少なくとも自分が不快と感じたことは、他の人にはそうしたくない。いやな感情とはいとも簡単に人から人へ倍増されて伝わってしまうからだ。
そのうちきっと、薄い蜜蝋のような壁がわたしの中にできてきて、すかした明るい光が見えてくるはずと慰めている。いや、今のそれは祈りに近い。
わたしはひどく脆い。繊細というより過敏すぎて感傷にうろたえてしまう。強くなろうと思えば思うほど、弱くなっていく。こういう自分がとても嫌いだ。

寝起きの体は重たい鉛のようだった。バスサルトを入れた風呂に長湯をしてみても、まだまだ重い。どんなにほぐしてみても痛みは消えない。
白い魔女がやって来て、思い煩いと引き替えに「命がほしい」と美しい手を差し出した

posted: mitsubako: 17:31PM

2006年11月27日

なんとなくコレクション

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また古道具ニコニコ堂の話。
つづけて新紀元社から出ている「なんとなくコレクション」長嶋康郎を読んでいる。五十音順で長嶋さんのコレクションの写真とそれにまつわることがらが書かれている。ご託を並べるようなことはひとつもなくて、すっきりと体験談やものには価値がないこと、そして作品としての古道具が読みとれる。
鎹継ぎと書いて「かすがいつぎ」と読む。
こんな仕事の存在を聞いたことがあっただろうか。少なくともこれを読むまでのわたしは、それを知らなかった。骨董市や骨董に格別興味があるわけでもなく、暮らしの中に取り入れているというほどでもない。あるものと言えば、祖父のほんの少しの残留品、親戚から捨てるなら趣があるからとゆずり受けたもの、そんな程度だ。
鎹継ぎとは日常で割れた茶碗などをホチキスの針のようなものでとめて修理をする技術で、針先はその陶器の表面には出ていないというからすごい。鎹継ぎの茶碗を今度探してどんなものか見てみたいと思う。この仕事の多くは在日朝鮮人が請け負っていたことから「朝鮮継ぎ」とも呼ばれるそうだ。

「修理ということ」の章にこんなことばがあった。
古道具屋の修理となるとまた別の意味でいろいろある。もちろん“いい仕事”もあるのだが、商売のことを考えるとそんなに悠長に手間隙もかけていられない(こともある)。いわゆる“ニセモノ”作りというわけではなく、お客さんの心に合った、古さを損なわず、気になるところを上手くやってみせる。安価で。

まあ、とにかく、読んでいるとその気になってくるからやっぱり長嶋さんはタダ者ではないような気がしている。

posted: mitsubako: 06:47AM

2006年11月24日

ニコニコ通信

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通勤の電車は朝がものすごく早くなって一番のラッシュ時。サラリーマンはつらいのだ。
なかなか満員電車で本を広げる気持ちにはなれない。それでもどうしても気になって数ページだけ、たった5分でも3分でも座れたら開いているのがニコニコ通信。
古道具ニコニコ堂の店主長嶋康郎さんが長年つぶやいてきたことばの数々だ。ニコニコ堂のことは、作家の岡崎乾二郎さんから昔よく聞かされていた。岡崎さんが話すからなおさらユニークでどんな仙人みたいな方だろうかと思い浮かべてはクスリと笑ってみたものだ。
これまで、長嶋さんの存在は知っていたけれど、なかなか本を手にすることはなかった。四谷のアート・ステュディウムで配られるartictocを手にして、発売されたらぜひとも読みたい『時のかたち』ジョージ・クブラーの特集で、かたちの素をテーマに長嶋さんと岡崎さんの対談が掲載されていた。長嶋さんのモノの価値観がとてもおもしろくて、おかしくて、急に本を読んでみたくなったのだ。
中谷礼仁さんが発行したニコニコ通信は長嶋さんの直筆のコピーだし、なすび新聞なんかを思い出したりもして、素朴な日常性のなかに垣間見るシニシズムとでも言おうか。シベリアンハスキーの巻なんて、なんだか笑いと涙がごちゃまぜになって何度も読みたくなるなんでもないお話。
編集出版組織体アセテートから出しているニコニコ通信の帯に岡崎さんが「ニコニコ通信は文字通り 人にニコニコを送る通信であった。」と書く。
ほんとだね。ごみかごから広い集めたような捨てゼリフがびっしりなのに、読んでるとニコニコしてくる自分がいるから不思議だ。

posted: mitsubako: 21:52PM

2006年11月18日

就職祝い

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新しい仕事先で歓迎会のあった晩、就職祝いが届いていた。送り主は、岩手のタイマグラ、山代陽子さんからだった。季刊うかたまですてきな版画山代恵子さんのイラストとともにタイマグラでの生活から食の便りを連載している。わたしは陽子さんの素朴なデザートとパートナーの奥畑さんの男の料理の大ファンだ。
フレッシュマンとはある意味、自分にこれまで構築されてきたものが全否定。ことばが通じるだけに外国にいるより気疲れする。だけど自分でそれを望んではじめたことだから前方を見て、だんだんにわたしのペースが見つかればいい。そしてなにより、とびきり大すきで信頼している人と一緒に仕事ができるんだから。
たくさんの知人、友人、旧仕事場の仲間たちから温かいことばをもらった。涙が出るような葉書もいただいた。メールもいただいた。みんなありがとう。まだまだぜんぜんいつもの自分じゃないけれど、こんな体験をしてはじめて違った自分を発見することもあるね。そして、温室のなかで大事にされることに甘えてきた自分にも気がついて、もっとしっかりしないとなぁと思ったりする。どれほど多くの人にこれまで助けられてきたことかと、今やっとわかったのは大きな収穫だ。
さて、陽子さんからの就職祝いはタイマグラの味噌に大根、手づくりのアップルチョコレートケーキにりんご2コ!「あんなに遠いところから」と頭の中に風景が浮かんで浮かんで、深夜なのに感嘆の声をあげていた。ぽろんと涙もこぼれた。ケーキのおいしかったこと。カカオが効いたブラウニー風。カカオのパーセンテージが高くなるほど腐葉土っぽい味がする。
これからタイマグラは厳しい冬の訪れ、風も吹きあれる日もあるでしょう。体に気をつけて、薪ストーブのまわりで家族と元気いっぱいに過ごしてください。

*山代陽子さんのブログ

posted: mitsubako: 19:48PM

2006年11月15日

時間軸のノーテーション

つい数日前まで続いたフレッシュマンの緊張もようやく解けてきた。もう緊張するだけしてしまえば、どこかでプツンと切れる時も来るだろうと自分をほっておいた。仕事は相変わらず、毎日が新しい。真っ白だった自分に、ちょっとづつ情報の色がつけられていく。でも、ひと眠りすればそんな色はすっと消えてしまう。都合よくできている脳みそに感謝。
ところで、今のわたしの仕事にエッセンスが一滴おちてきて、見方が転換する瞬間があった。それはなんでもない大文字のABC。時間軸にそって膨大な量のTO DO!を表記していく。たったひとことの「記号化」ということばにすっかりその気にさせられてしまった。わたしはそういう表現に弱い。ある時間軸までは、事がらの事後を追ったのだが、ある地点からは事がらの事前、つまりプレを表記していく。事がらを表記に移行しているうちに、ふと交響詩って一体どうやって譜面化していくんだろうと思った。それは予測でしかないわけで、あらかじめ、すべての音を聴いてから表記しているはずはない。作曲家はイメージの中で音の調和を聴いて表記化していくのだろうか。そんな風にやがてハーモニーが生まれるといいな。

posted: mitsubako: 23:43PM

2006年11月10日

大輪 源十

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松本のファーマーズガーデンで生産者大輪 源十と書いてある洋なしを買った。
果肉はみずみずしくて甘酸っぱかった。果実は大きさのわりに、小さな葉をつけていた。

posted: mitsubako: 06:46AM | comments (2)

2006年11月05日

リトアニアの靴

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用事で連休の東京へ出かけた。用はすぐ済んだ。内田也哉子の「BROOCH」を目にしたことのある人ならすぐにイメージできるD-BROSの企画展が、たまたま近くで開催されていたので、その後ためしに覗いてみた。細かい切り絵に投影される影、鏡に映し出された世界…ファンシーな虚像空間が意外とおもしろいなと思った。
そのままぶらりと2Fのショップを久しぶりに眺めていたら目にとまったのがこの靴だった。「made in lithuania」リトアニアというだけで 、一挙にいとおしくなってしまうからどうしようもない。初めてこれを足にして、草の上を一歩あるきはじめた小さな子どもの足が浮かんでくる。口をあけて笑っているだろうか、青い空を見上げただろうか……。
そして、この靴は今、わたしのテーブルの上に置いてある。
十一月一日からフレッシュマンになった。まるで、この靴を足にした子どものようだ。自分の衝動買いが、滑稽に思えてくすりと笑った。

posted: mitsubako: 09:59AM | comments (4)

2006年10月29日

こんな記事が…

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あまり日曜日にブログを更新をしないから、今日は日曜版ということかな。
数日、家を空けていて、たまった新聞をぱらぱらと開いてみたら、こんな記事が掲載されていた。
わたしは、企業広告ということをどれだけ意識して生活をしてきただろうか。手にする雑誌、目にする美術作品、テレビ番組。上げればきりがないけれど、わたしが面白いと思ったり、感動をするものは大概、企業スポンサードの傘下だったりする。美術という世界に少しだけ足を踏み入れたとき、企業スポンサード、自治体のスポンサードにいやというほどお世話になった。けんかもたくさんした。それが、いいとか、悪いとかそんなことを言いたいわけではない。
心身に対して共感や問い、時には怒りを与える媒体は、協賛なくしてはなかなか表現できない時代が続いた。送り手も受け手もうすうすそんな色を気づいてはいても、そんなもんさと見て見ぬふりをして過ごしてきた。でも、今すこしづつ、わたしの周囲は変わりはじめている。ネットや小冊子をうまく活用して自分たちのメディアは自分たちで作ろうとする小さな動きだ。それよりもずっとずっと大先輩で親分格のような媒体が「暮しの手帖」だったのではないか。
協賛なしのメディアはとても自由で、どこ吹く風って感じで向こうの方にかっこよく存在するように思っていたけれど、その存続には厳しさが伴うはずだ。だってそれをわたしが手にしようとするなら、そのメディアに一票投じるような気持ちがあるからだ。荒々しく、スピーカーをつけて駆けめぐる宣伝カーとは違うけれど、日々の静かな選挙戦のようだなと思ったりする。

*記事は朝日新聞2006.10.26 朝刊 コラム:「ひと」松浦弥太郎さんです。

posted: mitsubako: 15:06PM

2006年10月26日

乾いた実

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1年前、野山に落ちていた山椒の実。
枯れて、乾いても、まだ艶がある。

posted: mitsubako: 06:32AM

2006年10月25日

かくし味

おいしいものをおいしく感じるのは、食べるもののもつ旬とか、料理方とか、好みとかにもよるし、そして自分のいる場所とか、心の具合とかもわたしの場合は大きく影響する。
塩からいものはからく、甘いものはあまくと素朴で単純な味に出会って歓喜することもあれば、塩が効いているのにからくない、甘味もあるけれどあまくないような微妙でいろいろな味わいのするものも工夫があって好きだ。
この間、口にした和菓子は餡のなかにほんのりとリキュールチョコのかくし味がした。チョコレートと聞くと意外な感じがするかもしれないが、案外かくし味に使われていることがある。その昔、オーブンで鳥を焼いてくれた人が焼いた肉汁をベースにソースを作って、その中にも苦味の強いチョコレートを入れてコクを出していた。カレーのルーにもちょっぴり入れることもある。
かくし味はなくても間に合うかもしれないけれど、少し加えるだけで料理にさらに風味がます、ちょっとした心づかいのようなセンスなのかもしれない。

ところでその和菓子、見た目にもうつくしかったのに、食べたさ一心で写真におさめるのを忘れました。

posted: mitsubako: 08:37AM

2006年10月23日

砂の上の鳩

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足の裏は内蔵とおなじぐらいに大事なものがたくさんつまっていると聞いたことがある。
そして、感覚も…、と思う。
先週、気分転換に浜辺を歩いた。海水は冷たくなってきたけれど、波際は太陽の光さえあたっていれば、ぬくぬくとあたたかい。
素足でぺたぺたと足裏のスタンプを押しながら歩けば、すぐに足の裏には厚みがあったんだと思うほど、ぽかぽかにすっぽりと包まれてしまう。しばらく無心で歩いた後に、乾いた砂の上に寝転んで、足を光りにあてて干してみた。わたしは、こんなことぐらいで、気分が浄化される。自分が気持ちよくなれるおまじないをいくつか知っている。

ふと、気がつくと隣で、一羽の鳩が砂にうずくまって体を温めていた。「なにしに来たの」。

posted: mitsubako: 08:57AM | comments (3)

2006年10月18日

「地球の上に生きる」

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肌寒い夕べ、だのに夏物のパンツとブラウス、素足にサンダルで出かけてしまった。
中途半端な時刻だから、お腹がすくだろうとミロワールで途中、カフェオレ大福とついでに四角いクッキーを買って、ピクニック気分になる。口のなかで溶けるようなクッキーがおいしくて道中がどんどん楽しくなってくる。
定刻の午後6時半、kurkkuにはもう人の列ができていた。ぶらりとショップをのぞいているうちに、受付がはじまった。ゆっくり中へはいると、kurkkuのカフェの女性がひとりひとりにお茶とお菓子を運んでくれている。ホットジンジャーティーと玄米もち。黒ごまペーストとかぼちゃあんの色彩豊かでコクのある、おいしい二度目のおやつに嬉しくなった。お茶はからだが温まるし。
おもてなしって心がなごむな、そんないい待ち時間だった。

アリシアの弾き語りがはじまった。自分の人生を歌にしてカリフォルニアのウィラーズランチでの生活や「地球の上に生きる」が出版されるまでのこと、ハワイで生活をしたこと、そして今は両親の介護をしていることを話してくれた。
なんだろう、彼女の持つ空気には、何かに固く囲まれているようにも思えたり、まったくその反対に流れるような自由さがあったりする。でもなぜか重いという感覚がわたしの中に残った。たぶん、今のわたしがとてもかろやかだからなのかもしれない。
文化も異なる、政治も異なる、ことばも……谷川俊太郎さんが「地球の上に生きる」の帯に書かれていたことばに今、共感できる。
「この本にしるされたことを、かたっぱしから自分の手で試したい、せめて試すことを夢見たい。それだけでも私の人生は、きっと根本から変わるだろう。」

平和を愛する表現は実にいろいろで、ひとりひとりなんだ。

*「地球の上に生きる」 アリシア・ベイ=ローレル 草思社
*kai-wai散策のmasaさんのサイトにはもっとくわしくアリシアのことが書かれています。

posted: mitsubako: 23:03PM

2006年10月17日

午後の谷中

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わたしはつくづく自分のリズムはアンダンテぐらいだと思う。「マイペース」とか「のんびり」はかなり良心的な見解で、じつはのろまなんだと思う。ぴんと張りつめていた時間から放たれたすぐ、ちょっとだけブルーになる。だけど、瞬く間に元気をとりもどす、きっと、いつものように。

谷中の午後の空の下、友人のyamaさんとm-louisさんのお宅へ行った。今、開催中の谷中工芸展で「谷中M類栖/1f」丸井金猊リソースver1.0を主催しているからだ。丸井金猊のリソースはこれまでにも数回わたしは目にしている。新しい谷中という地でようやくギャラリーにまで展開したm-louisさんを見ていると、こつこつと積み重ねられた記憶と「時」がそういう方向にもっていってくれて、そうなったような自然な流れを感じる。
丸井金猊の繊細かつ斬新な絵画と同時にm-louisさんの活動を垣間見ることができて嬉しかった。その場に家族とか血筋のような赤いものはあまり感じないのがまた新鮮だった。
それからアトリエ アラン ウエストさんのところへお邪魔した。アランさんのアトリエの前は何度も通り過ぎたことがあるけれど、アランさん本人にお会いしたのは初めてだ。
彼の床の間の考察は自由だ。日本人の居住空間から床の間が消えていったのも、おもしろさが失せたからだろうと彼はいう。規格化された床の間からは個性が消失し、有用性もなくなってしまったからなのだろうか。
考えてみると、小さいころ、床の間がわたしの部屋だったことがある。本棚と机がそこにはめ込まれて、妙な空間だったことを覚えている。まがった床柱が邪魔で、薄暗い感じが嫌いだった。
アランさんの目線でアランさんのような作家によって、いったん床の間の概念が崩されて、また、新しい床の間という空間が息づいてくるのかもしれない。

2軒訪問するだけで、ゆったりとした十分な時間が過ぎて、下町はもう夕方。
谷中ボッサで何度目かのお茶をyamaさんとして、ぽそぽそと自分たちの会話をかわした。yamaさんから彼女が取材と構成を手がけた本をいただいた。長年の雑誌連載のものなどを再編集したものだそうだ。『アンビエント・ドライヴァー』細野晴臣。
なんとなく熊野のにおいがするな…なんて目次を見ながら思った。今日はもうかれこれ10数年近く、兄貴分で親しい友人に会う。音好きの編集者なのでこの本を持って出かけよう。

*yamaさんのブログはこちらから。
*m-louisさんのブログはこちらから。
*谷中工芸展2006はこちらをご覧ください。

posted: mitsubako: 08:23AM | comments (2)

2006年10月13日

海から聞こえてくる

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この地点にたって このぐらいに海が聞こえてくればいい

どこまでが水平線で いったいどこから先が 果てしないどこかなのか 

わからなくたっていい ここにわたしが 今たっているんだ

posted: mitsubako: 08:22AM

2006年10月12日

思いでとか記憶とか…

旅先や幼少、大好きな人の思いでとか記憶はどうやって残しているんだろう。
ここ数回の週末、ようやく重たい腰をあげて数年来、放置していた大掃除をはじめた。だから指が少し傷だらけで痛む。
机の引き出しとか、本棚とか、押入とか…。どこもかしこも溢れるモノ、もの、物。
一体どうすればいいんだ。シンプルにしたい、モノが少ない暮らしにしたいと願いながらもなかなか真剣にこうやって取り組むことができないでいた。でも…そろそろ限界がきた。
仕事の関係上、書籍はその時必要なものがとても多いし、あれやこれやと気になる紙切れとかチラシとか捨てられずにとってあるものも多い。とくに旅先で見つけた小物たちは久しぶりに見ると新鮮だったり、懐かしかったりでいろいろな思いが蘇ってくる。
だけど、今本当にわたしが必要なものってそんなに多くはないと思う。
思いでや記憶を自分の心のなかだけで記憶しきれないほどの情報や時間の流れの中で生きているからそういうことになるのだろう。「忙しい」ということにろくなことはない。時間をかけてものを見たり、必要な見極めができないから、慌ててその場しのぎでモノを買ってしまったり、「いつか…」と思って積み上げていく小冊子やらフリーペーパーが読めずに埃にまみれて忘れ去られている。
やっと今、わたしは自分の暮らしを少し変えたいなと思い始めている。
そうして願わくば、最後に大事な本と大事な手紙だけがテーブルに残る…ゆっくり草木を見つめて、繰り返し好きな詩や本を声に出して読んで、心の中で感じることができればそれが安心していられるわたしの創造の場になる、そんな気持ちがする。

posted: mitsubako: 08:17AM

2006年10月11日

一枚板のトタン

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錆びた一枚板のトタンの向こう
雲が浮かぶ自由なところが広がっているにちがいない

わたしは小さい時からずっとそう思って立っていた

posted: mitsubako: 08:12AM

2006年10月10日

「澪の蓮 2006」

谷中工芸展の蓮のポスターから蓮つづきで「澪の蓮 2006」を。
カヤグムの通信と一緒に「澪の蓮 2006」のチラシがきょんみさんから届いた。きょんみさんいつもありがとうございます!
「澪の蓮 2006」は林英哲が太鼓の組曲として舞台化したものだそうだ。
朝鮮の白磁、高尚な白といえば、すぐに柳宗悦を思い浮かべる。が、その宗悦に朝鮮芸術を伝え続けた浅川巧の存在は、歴史上おもてだって現れることはなかったという。林業技師で、植民地時代の朝鮮半島にわたり、現在のソウル郊外にある朝鮮総督府農商工部山林課 林業試験所に配属された。植林という職に従事し、人や自然、民間工芸を愛し柳宗悦と共に朝鮮民族博物館設立の陰の力となった人だという。40歳という若さで急性肺炎により死去。朝鮮の土となった日本人だ。

「僕はいつでも、至る所で山野や木や草や虫を友として終わりたい」

*「澪の蓮 2006」の詳しい情報はこちらから

posted: mitsubako: 08:16AM

2006年10月09日

谷中M類栖/1f

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谷中工芸展2006が今週末から10月23日まで開催されます。谷中の街が展示スペースと化し、点在する場所から場所をマップで辿っていくうち、街にも触れ、作品も見ることができるという楽しい企画です。初期のころ、おもしろい企画と思って散策がてら1日巡った記憶があります。もうそれが、今年で14回ということ、そして今年は友人のm-louisさんの実家が展示会場のひとつとして参加します。谷中M類栖/1f 丸井金猊リソースver1.0と題して、m-louisさんの亡くなられたお爺さまの個展を開催されます。
以前、三鷹に立派な丸井邸があり、時間をかけて一部のパーツを移されて、この谷中に新しい邸宅を築かれました。その建築過程や丸井金猊の作品は、折々、見せていただいたり、ブログでまとめられています。
日々の詳細の積み重ね、そして、ていねいに着々と編集をされた個人史、いや家族史といったらいいのでしょうか。現代のツールを巧みに利用して整理をされているのには脱帽です。
わたしもぽつりぽつりと祖父の写真の整理をしてはいますが、なかなか満州の話しも書くことができず、話しが聞ける伯父も、もう80を過ぎているとのことで、もしかすると断片的な母の記憶のみからしか書けるものはないままになってしまうかもしれません。

丸井金猊の作品はもちろんのことととして、しかしその影で、ある眼差しと幻想をもってこの展示自体を作品化しているm-louisさんの手法(?)を見てこようと思っています。
ご案内状をありがとう。豆粒のわたしがこんな形で参加できて嬉しいです。

*m-louisさんのブログはこちらから。
*谷中工芸展2006はこちらをご覧ください。

posted: mitsubako: 07:58AM | comments (2)

2006年10月05日

橙色のコスモス

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橙色のコスモス畑を通ったら、きっといるとはわかっていても、ほんとにいるとやっぱり笑顔になる。
花の少ない夏の時期を過ぎて、やっと蜜にありつける短い季節がやってきた!

posted: mitsubako: 07:20AM

2006年10月04日

丘の畑

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小高い丘の上の畑は花盛りだった。原色のケイトウやひまわりが空に向かって咲いていて、クレヨン畑の鮮やかさだった。

posted: mitsubako: 07:13AM | comments (2)

2006年10月02日

ことりへ

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夏のおわりごろ、『草木祭』を持って散歩に出ることが多かった。この本と一緒だと、草木の声が聞こえてきて、いつもは見えなかった情景が見えてくるような気がするから。
たとえば、ひまわり。枯れた花につけた種子はからからと風にむかって最後のひとこと、「ことりへ」。

posted: mitsubako: 06:45AM

2006年09月28日

空白のあと

これからまた本が読めるんだろうか しばらく、こんな心持ちが続いていた。
空白のあとをとりもつかのように開いた本に偶然こう書いてある。

「この一冊の詩集を読んだなら誰でもが、詩についての共感を持つだらう。今迄に他の詩人の詩を愛してゐた人は、もう他の詩へ移って行くのがいやになるだらう。……」

まだ読める時間があるのに、わざわざ一章づつ読んだり。
繰り返し同じ章を読んで、できるだけ最後のページをめくるまでの時間をじらして。
読み終えても、余韻にひたっていたいから、その本をかかえて散歩に出た。
いつまでも、他の活字を読む気になれなくて、しばらくそんな自分をほっておくことにした。

空白から幾日も過ぎて、手がのびて開いた本のそこここに、これまで触れたテキストの印象が映っている。

posted: mitsubako: 07:21AM

2006年09月27日

詩というのかさえも

「記号説/う・む」のライブで松井茂さんがこう話した。
ぼくは詩人であるにもかかわらず、北園と新國の出会いは美術や音といった別の表現者を介してだった。
高橋悠治さんはこう話した。
若い時から北園の詩を読んでいたんです。

わたしは『白の断片』という詩集を手にして見たときから。

高橋悠治さんがキーボードを軽くタッチする指をずっと見ていた。
細くて白くてすっとした指先は、繭から細い糸をひきだす女性の指を連想させる。

糸一本を風になびかせて、あつい雲の層から湿度をたて糸、よこ糸に織る

くりかえし くりかえし 織って やがて リズムがうまれる

そうして空に染まる秋あかねの布がふんわり宙にひるがえっている

ことばにならないイメージの連鎖がときどき起こります、それは詩というのかさえもわかりません。

posted: mitsubako: 07:19AM

2006年09月22日

秋に変わる体

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蒸し返すような湿度の夏が終わった。
夏というよりは、約4ヵ月近い梅雨の連続で隆起する雲の層ばかりが記憶に焼きついている。わたしは空しか見ていなかったのだろうか。

秋雨はうなされた夏の夢遊からゆっくりとわたし全体を冷ましていく。鈍った脳や神経に目覚めの響きが奏でられる。ちょうど今は、引き合いの時刻で眠気と目覚めの境目あたりに、体を起こしてのびをしている。
血液が循環しだしたらわたしの体は「わたし」の存在を自覚する。

posted: mitsubako: 19:53PM

2006年09月21日

肌で感じる風

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先週の金曜日、夕方は涼しい風だった。その前日から、急の仕事が舞い込んでめずらしく自宅で明け方までやって、そのまま仕事先に出た。眠らないと心身共に中に浮いた気分で翌日を過ごすことになるから、めったにそんなことはしたくない。翌日も持ち越しの仕事で午後一までにあげなければならず、それなりに四苦八苦の2日間だった。そうしてすべて終えた金曜日、「今日はこれで閉店」と隣席の青年に言って、7時過ぎには仕事先を出てしまった。
一仕事終えた安堵感と少し秋めいた外が心地よくなって、はおっていた長袖のカーディガンを脱いで、半袖で風にあたった。いつもなら、並木の手前で地下鉄の通路を歩くのに、今日はできるだけ風と空気を吸っていたい、だから地上の歩道を歩いて行った。都会なのに鈴虫の大音響。どこに鳴ける場所があるのかと思うけど、この日ばかりは近くを走る車の往来よりも勝っていた。
少しひんやりするぐらいの風を素肌でうけているのが好きだ。こうして、なにもかもの疲れを風にぬぐっていってもらいたい。

*イメージは別の日の夕暮です。

posted: mitsubako: 19:50PM

2006年09月20日

ハンノキのコンサート

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まだまだ蒸し暑さの残る日曜日、台峯ウォークで知りあった市川節子さんのおさそいで、はじめて「ハンノキのコンサート」へ出かけた。
ひとつは、CONSERVACIO PATAGONICA=コンセルパシオン パタゴニカ。パタゴニアのある地域を国立公園として保護化していく運動に参加をしたパタゴニア社の赤星昭彦さんの話しを聞きたかったからだ。この保護活動地域はもともと、広大な羊毛産業のために開拓された牧草地帯だった。一時期、羊毛はこの地域の一大産業であったけれど、現在では需要もめっきり減り羊毛の価値も下がり、牧場閉鎖に追い込まれ放置に近い状態となっている。当時、放牧用に張り巡らされた有刺鉄線はのべ800kmにも及び、もはや不要となったこの鉄線には、生息動物がひっかかり命を落としてしまうことも多いという。赤星さんは、各国のボランティアメンバーに加わり、この有刺鉄線の除去作業を行って来た。将来的には、牧草地帯を本来のパタゴニアの生態系に戻していくことが大きな目的となっている。
このボランティア活動に参加中は、地元のガウチョのコミュニティに寝泊まりをしたという。興味深かったのは、ガウチョたちは複数の家族で共同の暮らしをしていて、食事は地域内にある食堂に行って全員でするという話しだった。
アイセン地域は現在ダム計画がもちあがっていて、これにより多くの雇用が約束されるという。しかし、一時的なこの計画が本当にこの地域の未来を生きたものにするのかどうかは、大きく政治的にも二分されるという。どこかで聞いたような話しだ。
大なり小なり、わたしたちは、何か行動をおこす際に、環境とのかねあいを黙視できない時代になった。
資源、物資は必要ではあるものの多くを望まない、そこそこの加減に落としていかなければとつくづく思う。遠く地球の反対側のことだけではない、わたしが生きていること自体が世界の環境に関わる影響は良いも悪いも含めてそれなりだ。より良くしていくためには小さすぎる存在であるし、悪影響を残していくにはやっかいな存在だったりする。そんな自分に気づかされる1日だった。
講演のあとは、荒井靖水さんと荒井美帆さんの薩摩琵琶、二十五絃筝のアンサンブルを初めて聴いた。武智由香さん作曲の『糸の道』はとても美しく、沖縄のあけずば織を思いおこすような繊細さだった。今週末に行く高橋悠治さんのライブとも関係の深い方なので繋がり続きのイベントに楽しみがふくらんだ。
市川節子さん、これからも台峯の活動どうぞがんばってください。優しい人柄が心に残るすてきな方だなと思います。

*市川さんが主宰するフレンズ・オブ・カマクラ・台峯についてはこちらに書きました。

posted: mitsubako: 07:44AM

2006年09月19日

湯浅八郎記念館へ

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本当にしなければならないのは実は掃除。だけど休日ともなるとすぐにどこかへ出かけたくなってしまう。この後きっと……。
久しぶりに国際基督教大学内(ICU)にある湯浅八郎記念館へ行った。ICUは高校生ぐらいのころからよく遊びに行ったキャンパスだ。知人の宣教師のベビーシッターで夏休みは泊まりがけで行っていたので、近くの野川公園とか、ICUキャンパスとかは入り浸りだった。桜の頃もこのキャンパスは美しくチャペルまでの直線の並木はピンクのトンネルになる。昔は友だちと何度か花見にもいったっけなぁ。そんな懐かしいところへ足を運んだのは、今、開催されている寄裂(よせぎれ)展をのぞいてみたくなったからだ。
なんどもなんども縫い合わせつくろった跡、思いがけない余り布で組み合わされたパッチワーク。そこには人の暮らしや、誰かを思った時間が凝縮されている。
湯浅八郎はICUの初代学長で各地の民芸品の収集家でもあった。ユニークなのは、「そばの猪口」のコレクション。常設で資料室のガラスだなにずらりと並ぶ。絵付けだけでも見ていると楽しくなる。
帰りはゆっくり木々の中を散策しながら、あちらこちらから聞こえてくる学校の声を耳にしてなんだか学生気分にひたったのだった。


posted: mitsubako: 07:41AM | comments (2)

2006年09月13日

記号説/う・む

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水牛通信のサイトを時々読んでいる。
つい最近、『記号説/う・む』高橋悠治による北園克衛と足立智美による新國誠一がCD化されたので詩を聞いた。これに関連して秋分の日に渋谷のUPLINK FACTORYでライブイベントがあるのでわたしはそれに行くのを心待ちにしている。
北園のplastic poemは写真がおもしろくなってきて、眺めたり、Webで公開されているテキストで好きなものを読んだりしている。
読んで感化を受けた感情の流れを、写真に撮ってみようとどこかへ出かけてみる。室内で構成してみることもある。なぜ、そんなことをしてみたくなるのかは自分にもまったくわからない。でも、そうやってみたくなる。

posted: mitsubako: 07:45AM

2006年09月12日

あかね便り

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先週末金曜日、めずらしく仕事の後に友人と会った。友人に疲れは見えたけれど次の夢に向かって元気になろうとしている姿があって嬉しかった。ほんのちょっとでもいい、乾いた地面に水滴が空から落ちてきて、小さなうるおいからたくましく若い緑を伸ばしていってくれたらと応援したい。その夜、遠野のあかねちゃんの話しをして帰ったら、偶然だなぁ、あかねちゃんから太陽や林がいっぱいに描かれた封筒が届いた。開いてみると、手紙にみつばちの絵を描いて送ってくれた。あかねちゃんにどんなお返事を書こうかな…それを考えている時間はとても楽しい。
遠野はきっともう秋がはじまっていて、もう少しすると蜂蜜の収穫をするころか。あかねちゃんに案内してもらった林の中の日本みつばちは、熊やスズメバチにやられず元気で生きているんだろうか。
運ばれた小さな心に、きゅんと遠野の草木のかおりが恋しくなった。

今週は次からつぎへと届くものがあって嬉しい。日曜日、最新号の Arne 17号が届いた。みんなの笑顔がいっぱいの楽しい号だよ♥
そして遠くはポルトガルからすてきなお便りが……。

posted: mitsubako: 07:44AM

2006年09月10日

フレンズ・オブ・カマクラ・台峯

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めずらしく、読んでいない本はたくさんあるのに、次に読みたいものがなんだかわからなくて本箱の前にぺたんと座ってしまうことがある。宇井純さんの『住民を結ぶ旅』をぱらぱらめくっていた。

「高度成長のもたらした精神的荒廃の一つは、私たちが自分の生活の存続を信じて疑わず、生存の基盤がくずれかかっても常にどこかの権威にたよって生きてゆけるのではないかと信じこんだ点にある。
地域住民の生活を、外から呼びこんだ大資本にたよって豊かにできるという図式も、外からの権威を呼んでそれにたよって運動が展開するという希望も、この点ではひとしく虚妄であり、幻想にすぎない。住民がその住んでいる地域で経済的にも精神的にも自立することの大切さを正面に押出した政治的な討論が、今こそ必要だろう。」

この序を読んだ翌日、2年前の秋、「フレンズ・オブ・カマクラ・台峯」の方々と鎌倉の台峯緑地を歩いた時の主催のおひとり、市川節子さんから郵便が届いた。
ハンノキのコンサートのお誘いだった。テーマは「自然に学ぶ」。パタゴニアでの自然保護活動のトークと薩摩琵琶の演奏会の二部構成で北鎌倉の円覚寺塔頭、白雲庵で催される。企業協賛はあるものの、市民運動でこの総面積約28haに値する緑地を開発事業から守りぬいて緑地保存が約束された土地だ。わたしは、久しぶりにコンサートへ行って市川さんにお会いしたり、お話を聞きたいと思っている。
*第7回ハンノキのコンサート
2006年9月17日(日)13:30開演
場所 北鎌倉 円覚寺塔頭 白雲庵 詳細やお問い合せはこちらから
以前の記録をつづくに転記しました。

つづく...

posted: mitsubako: 07:39AM

2006年09月06日

Blossom Time

白いフィルムの中に波止場がうすぼんやりと見えかくれする。ふりそそぐ太陽の光、あまりに光が白すぎて波は見えてこないけど、潮のかおりにのって汀の音が聴こえてきたり、消えていったりする。
このイメージに音楽をつけるとしたらBlossom Time。

*CD セレクトはFabio。Loren Connors & David Grubbs“Arborvitae”Hapnaから届いた曲を聴いてみた。

posted: mitsubako: 07:28AM

2006年09月05日

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みつばちが針を刺すときは自らの命をも断ってしまう。だから、そうすることは最後の手段になる

糸を針にとおし、連続して布に刺す指の運び
指を押す力は意外に強く、指貫なしでは皮膚に押し痕を残してしまう
繰り返すうちに指の感覚がなくなって、ついついぷすりと布をつき抜き、指の肉に刺さる
木綿生地に薄っすら、血痕がにじむ

季刊『銀花』にポシャギの絵本のことが載るときょんみさんからお知らせいただいて、ようやく手にしました。韓国に風呂敷のような布ポシャギがあるというのを知ったのは、その昔、きょんみさんがお話くださったのがきっかけでした。きょんみさんはポール・クレーのはがきのコレクションをしているとも伺い、クレーの色彩の組合せと、韓国の伝統工芸でパッチワークのような布と布を組み合わせたチョガッポに感じることを話してくださいました。

母の手仕事をモチーフにした『銀花』のページをめくるごとに、不思議とわたしはみつばちの針のことを考えました。それから、次にただの趣味としてある時に刺繍を楽しんでいた母の作品が思い浮かびました。そして、最後に壁にかかることばの刺繍絵を見ていました。
ペンを持つことがすくなかった女性たちは針を持ってそこに空想を抱き、喜びや哀しみの生活詩を描いていったのかもしれません。

*写真は祖父が安東基督教育嬰堂(康徳九年仲春)から贈呈いただいたもの。刺繍は
『これらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。
の一部。

posted: mitsubako: 07:23AM

2006年09月04日

空いろのたまご II

すこしだけこのたまごのこと。
イースターエッグの色づけしたたまごみたいですね。これが、にわとりが産むたまごの色だというから不思議です。『満州走馬燈 きよしのメモリーマップ』のなかにトルコ石の卵という章があってコルリが産む卵が青いとか。それを思い浮かべながらこのたまごのことを見ていました。
みつばちの観察に養蜂園に通うようになってしばらくしてから見つけたたまごです。南米原産のアローカナの原種が産む卵だそうです。でも、遠く地球の反対側に住むチリの友だちにこの原種のことを聞いてみたら、おそらくは輸出用のにわとり種ではないかと言われました。もし、パタゴニアの先住民のことを知りたいならMapuche族のことを調べるといいと教えてくれましたし、すぐには関連する詩が見あたらないけれどパブロ・ネルーダの詩を探すといいとも言われました。
眺めていたい微妙な色のたまごです。みんなにプレゼントしたくなるような不思議なたまごです。でも中身は普通のたまごと同じです。
空いろのたまごにコメントを送ってくださった千洋ちゃん、tomorowさん、masaさんありがとう!

posted: mitsubako: 07:00AM

2006年09月01日

空いろのたまご

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posted: mitsubako: 07:17AM | comments (3)

2006年08月24日

edからの写真

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カナダに住むedからプリントが届いた。カナダの雲に、この夏撮りためた雲のテクスチャーを背景にそえた。

posted: mitsubako: 07:59AM

インディゴの烏の羽根

ブルーシリーズと題してデジカメで再現する青写真もどきを時々投稿している。
烏の羽根を道で拾った日、持ち帰って曇りガラスに貼り付けて撮影をした。
「烏の忘れもの」

eleggenehiというアメリカに住むアーティストはハート型で何かを造って、空とか、草とかそんなものばかりを写している。それがどこか、そらさびしくって、やさしくって、気持ちがいいなぁと思うところがあって時々彼の写真を見ていた。

この間、わたしの烏の羽根にこんなコメントをくれた。
all you do is beautiful and strong-there's a peacefullness to it-the native americans belive when you find a feather it is left there to show your on the right path..:)

ありがとう。すごく嬉しかった♥

posted: mitsubako: 07:55AM

2006年08月23日

猛暑と向き合う

仕事へ出る前に朝のニュースを見ていた。一大事件などはもうほぼ終わっていて、都会のセミ特集が流れていた。渋谷の街の夜のこと。街路樹が植わる土からはい出した幼虫は、昼間の熱もまだ冷めやらぬアスファルトの上を歩く。見つけた羽化先は自転車のタイヤ。タイヤの凹凸部分に足をひっかけ、ネオンきらめく宵の中、いよいよ殻をやぶる時がやってくる。どんな環境でも虫の繁殖はこうして繰り返される。
その晩、仕事帰りの道を歩いていた。ひどく靄のかかった蒸し暑い夜、何かが起きそうな予兆を感じながら樹木の多い細道にさしかかった。騒々しい虫の音、そう、声とはとても表現できない機械仕掛けのようで、その場所だけ盛り上がっている。生まれて初めて聞くようなこの大音響のノイズに、今朝方、テレビで見たセミの生命力を今度は体感した。人間も沸き返ろうよ。もっと精気を出してさ、って励まされている気がしてきた。

posted: mitsubako: 07:54AM

2006年08月22日

ありがとう。

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4つ葉のクローバーをありがとう。
遠野のあかねちゃんからお手紙が届いた。ぴかぴか光るボールペンで漢字がたくさん並んだ住所だね。

岩手の子どもたちの夏休みはもう終わった。全校生徒69人だったけ?車の中で足し算したね。
あの道を通って、あの空の下、ちょっと道草する元気な赤いランドセルが見えてくる。

あかねちゃん、ありがとう。大事にします。

posted: mitsubako: 07:46AM | comments (2)

2006年08月21日

「百枚の手紙」

今日のタイトルは『杏っ子』の中から。
『蜜のあはれ』『火の魚』『女ひと』そして、一気に『杏っ子』のあと残り数十ページを読もうとしている。同じ作家の作品を続けて4冊読むのも初めてのことかもしれない。

杏子の女友だちが書き続けたものを犀星にだけ読んでもらいたいと手帖を差し出した。
「誰か一人だけに見せたいんです。ただの一人の人、」
この手帖には、自分にあてて百枚も綴った記録を或る人から渡され4、5枚の返事では済まないような気がして、一生返事の書けない手紙に対することがらが書かれたものだった。「白状の詩業」「美しい人」と話しはつづく。

「恋愛」杏子は結婚をする。その前に何度も見合いをするのだが、父と娘はこんな会話をかわす。森鴎外にしても徳田秋聲でも、菊池寛だって、娘たちは大してえらくない人と結婚をさせた。えらい人には癖があって厭なものだから平凡がいいと犀星は言う。
「えらくなれなかつたらお金が取れないじゃないの。」
「それなんだ、其処で何時も問題は行詰まるんだが、食べられるだけ取ればその中で遣り繰りをして、愉しいものを最少限度にすくひ上げるんだね、卵五つを買ひ菊一本を買ひ蜜柑七つを買ひ古本で文庫を一冊買ひ、……」
「また始まったわね、千圓を一萬圓に使えと仰有るんでせう。」
「さうだよ、我々貧乏人は千圓をこなごなに碎いて、そのかけらで、想像も出来ない生活の設計が出来上がるんだ、林檎や夏蜜柑は二十五圓出せば買へるんだ、驚くじゃないか、あんな立派な奴を二個も買へば二日間はある、印度林檎を一箱買ふ奴はその美しさも、詩情も喜び持てない、夏蜜柑一つだって座敷の真中に置いて見たまへ、いかなるものも壓倒されるし、よく考へると此の小さい奴の威張らない美しさに負けてしまふ。」

犀星はこれを読み終えたらしばらくはお休みにしようと思う。次に手にしたい本が手元にあって、もうわくわくとしていて、読めもしないはずなのに二冊の本をかかえて移動している。

posted: mitsubako: 07:49AM

2006年08月16日

島ノ唄

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ワッタリ ヨウヤ サネクム ヨヤァム
クァナシ マガミル ワッタリヤ サネクム ヨヤァム

奄美大島の里英吉さんが喉から唄うこの声は何かの生き写しのように高潮してくる。
映像、音どこか荒削りなこのフィルムの中に吉増剛造という淡く儚い詩人の魂が遊歩する。
『どこにもない
 ところからの
     手紙』 ジョナス・メカス を好きであれば、そこから連鎖して見てみたくなるフィルムだ。少なくともわたしはそうだった。先週末、雷雨の激しい通過の後、レイトショウのポレポレ東中野へ出かけた。1998年のあれは秋だったか、Alain Jouffroyさんとのイベント後、「お土産詩」を来訪者に送ってくれると吉増さんがおっしゃって、数週間後、美しい原稿用紙がポストに届いた。
「僕の死後の白いはな」という詩で奄美の帰りの飛行機で書いたとしるされていた。20年もの間、奄美や沖縄を巡りつづけてきたというから「お土産詩」もその間に生み出されたものなのだったかと、月日の経過や場にまつわる魂の出会いを覚える。
わたしは、この詩人の描き出す文字のかたちが好きだ。体で音を聞き、体でことがらを見、体で文字を打つ。まるで、いのちと引きかえにするかのように肉体から生み出されることばはもはや意味をもたず魂だけが宿る。わたしはそんなことを再認識した晩だった。鋭い魂、嗅覚、聴覚、詩(死いや視)覚の蘇生に刺されたな…と感じた。

*「島ノ唄」はポレポレ東中野で、モーニングとレイトショウの2本上映中です。毎週末の夜にはライブトークイベントがあって、9/1(金)は松浦弥太郎さんだそうです。

posted: mitsubako: 07:08AM

2006年08月14日

鬼灯(ほおずき)

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「お盆」とは幼少の頃から無縁に等しかったわたしは、この時期がくると街の花屋の店先にならぶ仏壇用の花とか、精霊馬、蝋燭などを見かけると、ちょっぴり陰気くさいなと感じていた。たった一度だけ、四国の小さな小さな島で父方の祖母のおそらく新盆に、長い時間船に乗って連れて行かされたことがある。その島はまだ当時土葬で、暗い早朝からたたき起こされ、提灯を手に墓場へ歩いて行ったり、浜辺で土葬の故人の霊を祀る儀式があったような記憶がある。まだ幼稚園児だったわたしには、それは暗い真夏の怖くて眠い思い出でしかなかった。でも、不思議と提灯の明かりに白く浮かび上がる浴衣姿の人々だけは、心の中で他のなにかのイメージとごちゃまぜの残像となって、いまだに美しささえ覚える。
宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』の話しに出てくるからすうりの灯りをわたしは長いこと、鬼灯だと思っていた。自分がお盆のころに見たあの朱の強烈な灯りが、そっくりからすうりとすり替わっていたのだ。
亡き人の魂を馬のような速さで迎え、今度はゆっくりと牛のような遅さで見送る。精霊が闇夜で提灯をともせるようにと鬼灯を飾る。
こんなことを考えていた時、一枚の鮮明な絵はがきが手元に届いた。

posted: mitsubako: 07:56AM

2006年08月02日

玉蟲

ふたたび、室生犀星の本を読んでの感想。
火の魚を読んだ後は随筆女ひとを今読んでいる。これはこれで、また夢中になって読める部分が多々あるのだが、火の魚の中に玉蟲という章がある。
あはれということばの奥にちらつくはかり知れない人のゆらぎ。

「あはれといふ程のことはないが、いじらしいものが溢れてゐないこともない。
詩を書くことを知らない人間は平常の生活の中でふと思ひついて詩の中にはいりこんでゐるものだ。どんな人間も何時も詩とか小説を知らずに書いてゐて、しかもそれらに羞かしさうに謙虚に行うてゐるものに思われた。日は晴れ亘り、その日の色にすかして眺める玉蟲のかがやきが……」

わたしも知らずに描いているんだろうか…そうでありたいと切に願うのは一体なぜだろう。

posted: mitsubako: 07:48AM

2006年08月01日

岡崎乾二郎展

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たった2日たらずの遠野の旅は、わたしの体の中が今一番欲しいと思っていたもので包んでくれた時間だった。深い霧の中に佇む時間と草のかおりは記憶の奥深いところにあるなにかを引き出してくれたように思う。
それから数日後、ゆーじん画廊からDMが届いた。ゆーじん画廊のDMはいつもテキストが添えられていて、誰の個展の案内であってもなんとなくテキストを読んでいる。はがきの作品を目にした時、もうすぐに岡崎さんだとわかった。

「家から出れば名を捨てて、ただ青き野にのまれる。木の葉のさやぎ、草原の眩さ。八月など二度三度、夕立がきて途端、辺りはひっそりする。水のたぎち。家と家との佇まい。ぼくらの立つこの土地。ぼくらの眺めるこの山、川、草、木。ひとつひとつ、それにふさわしい気もちをもち、それぞれに、もはや心の在りかのすべてを引き裂き、与えてしまう。」

はがきの岡崎さんのテキストはこれだった。遠野の風景とか、群馬のアトリエとか、どこか知らない草原とか、いろんなイメージが湧いてきて、何かに向き合おうとするわたし、向き合いたいわたしがそこに立っているなと感じた。

個展は渋谷のゆーじん画廊です。宮益坂にある古いビルの中です。期間中にわたしも必ず行こうと思います。
2006/7/25-8/10 11:00am-7:00pm(月休廊)
東京都渋谷区渋谷2-19-15 tel:03-3400-8575

posted: mitsubako: 07:47AM

2006年07月31日

夕涼みの少女 あれから

去年の今日という日はちょっぴりセンチメンタルな気分だった。あれから1年、窓辺の少女は今日も夕涼みをしているんだろうか。
夕暮れ時、にじんだ水彩絵具の雲を見つめていたり、ねぐらへ帰って行くからすの姿が消えてしまうまで見送っているよりも、明日の現実を考えるちょっと大人になってやしないだろうか。いや、それもそうだけど、彼女は大好きな詩集を手に、窓辺で朗読を男の子に聞かせていたよ。月が出ると蜜蝋に火をともして大きな本を広げてみたり、時おり「ふー」と深い息をしてみて「人生は詩ね」なんて優しくつぶやいたりしている…。
うすら灯りに羽根ペンで彼女はこんなことばを書いてみます。

賞賛にあたいするような美しいことばや、たとえ芸術にひきあげることはできなくとも、ぐっとわたしの文脈に引き寄せてそれらを書きとめることだけはしていたい。

posted: mitsubako: 07:38AM

2006年07月21日

夕刻

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そういえば、ある日の夕刻、窓から雲ばかり眺めているときがあった。
金魚の夕焼け。

posted: mitsubako: 07:53AM

2006年07月20日

火の魚

…永い作家生活の中でも、ひよんな事から、妙にその作品が成功したとも成功しないとも限らないのに、頭にのこって自分だけがそれを大切にあつかふ作品が二三篇はあるものだ、…

『蜜のあはれ』を読んでからすぐに読み始めたのが『火の魚』。『蜜のあはれ』は最後まで読み終えてみると、読書中に感じたこととは別の後味があった。先日、金魚を昇華するとは書いてはみたものの、終わりの印象はまったくそれとは異なって感じた。
後記 「炎の金魚」を読んだからだ。
靄のなかに在りつづける自己を洞察するもうひとりがこれを描かせている、混沌とした内面の暴露であるように思う。

…それでも五体のどこかに不死身のところがあって、幾ら年月が経っても死なない部分が色を変えずにつやつやと生きていて、そこを敲きさえすれば、扉はひとりで開き、中の物が見え聴こえる音は聴こえ、たすけを呼ばなくともたすけてくれる…

この活字を追っているうちにわたしの胸の中が熱くなった。
なんとなく、この世界にもう少し触れてみたくなって、それで続けて『火の魚』を手にした。今、「運命論者」というところで読み進めるのがとまっている。

軽井沢で台風がやって来て、木々が倒れ、川は音をたてて流れるなか、牛乳を運ぶ少年、新聞を濡れずに届けた少年のことが淡々と描写されている。
やがて、台風が去り、夜間に郵便配達が雑誌や手紙の束を届けに来たときのこと。

…汽車が不通だったものですから遅くなりましたと言つて去った後、一層のしづかさを感じた。古い黒い鞄をかかへた配達の人が、今夜は実に遠くから旅して来たような気がした。…

この情景は、いとも自然にわたしの目の後ろの方でイメージと化して、深いため息となる。

…詩を失った詩人は台風のすぎた山野の景色と同じものを、心のすがたに現してゐるものだ。呼んでも帰って来ない詩は、帰って来ないのではなくて、既う私の中に、相果ててゐるのである。…

国木田独歩の小説「運命論者」を台風の去った山野を彷徨いながら記憶の中から呼び起こそうとする犀星。このことばが自分の思いのままであるゆえに、ある作品の一部に題名として残した静かな文章がなんとはなしに好きだと思える。そして大それたことを言うようだけど、「文章うまい…」と呟いてしまった章でもあった。

posted: mitsubako: 07:35AM

2006年07月13日

夏がくる

台風の発生をニュースで聞くようになって、激しい雨が降る日があると「ああ、夏がくる」と心の中で繰り返しつぶやいている。
どうして大人は夏休みにしないんだろう……。

青い空や真っ白な雲、トンボやセミ、深い緑の木々や色鮮やかな花…どれも大好きな光景だのに暑さだけはどうしても苦手だ。
それはもう小学生のころから始まっていた。炎天下の校庭で、朝礼というものがあった。わたしはすぐに頭が割れるように痛くなって気もち悪くなっていたものだ。今、思えば炎天下も苦手な上に、多分朝礼というものも苦手だったのではないかと…。
ぶつくさ言ってもやってくるものはやってくる。
4、5年も前になるけれど冷たい夏のデンマークへ旅をしたことがある。こんな夏なら快適、わたしは元気に過ごせるのにと思っていた。それでもデンマークの友だちは日が出ると「暑い」と袖なしになって真夏のかっこうをする。こんなの日本の春の陽気なんだけど。太陽のすくない北の国の夏は格別、人々がそのときを待ちわびて謳歌する。
水着なんていらない、裸になって体中に光りを浴びる。待っていた光へ溢れるばかりの喜びの表現。
ボーンホルムという島へ渡って数日過ごした。どこへ行ってもざくざくと切ったレモンがたっぷり入ったピッチャーから水がコップへとそそがれる。

そうだ、暑い夏は冷たいレモン水をがぶがぶ飲もう!
このちっちゃな宣言はわたしの覚悟のようなものかもしれない。

どうして大人は夏休みにしないんだろう……。

posted: mitsubako: 07:42AM | comments (1)

2006年07月12日

青いさかな

深海の青色にきらきらと光がさして姿を現す人魚。

さかなは水中で自在に泳ぎまわるっているが水面を隔てたあちら側の世界ではほとんど生きていくことは難しい。その隔たりや体の形から時として不自由な哀れみをさそう生き物でもある。
目、口、鰓、鱗、そしてにおい、感触…そのどれもが冷たく無表情に感じる。

わたしが出会ったさかなの描写のなかでそれとは異なる溢れる力を感じる一節がある。

私は魚の生けるがままに生き、魚の喜べるがままに喜び、魚の悲しめるがままに悲しみ、朝より夕に、夕より夜に、私の心を青く描くことによって、はつきりと命を把握してゐる。
『朝、青く描く』生命 前田夕暮

posted: mitsubako: 07:41AM

2006年07月11日

蜜のあはれ

ぱくきょんみさんの『いつも鳥が飛んでいる』、わたしの読書術にもう一回読んでみようと思った文人が室生犀星だったとある。彼女はその続きに「読書とは、ある作家を通して違う作家を知る経験だとつくづく思う。」と書いている。
巡り巡って、わたしも犀星の『蜜のあはれ』を読み始めたばかりだ。
犀星の描く金魚…もしかしてあの死んでいったあわじゃないかと思うほど不思議な懐かしさを抱いている。そうして、この本を読み終えたら、わたしは次にこれとこれのページをめくってみたいとすでに頭の中で線をつなげている。
きょんみさんは犀星から富岡多恵子の『随筆 女ひと』へとつないでいて彼女の筆力に感動よりも「やっつけられた」という。わたしは、自分の中にあてはめられることばが見つからなくてうろうろしていたら、そうだ、わたしは犀星の「あたいは殺されない」にちょっとやっつけられた気分がしているのかもしれないと思った。
だって、いくらみつばちが大好きでも、こんな風にあるいっぴきとの関係を昇華した描写にもっていけないものって具合にだ。ただただ、あたいのようにだだをこねてみたくなる気分だったりする。
そうしてわたしは「さかな」というモチーフに人が抱くイメージとか感触とかが気になりだしている。

posted: mitsubako: 07:40AM | comments (2)

2006年07月06日

なんでも億劫

アイロンかけはそんなに嫌な仕事ではなかったはずだのに、近ごろはとても億劫になる。とくに蒸し暑い梅雨時のアイロンはかける前からむっとする思いがして、後でにしようと週末の家の仕事で最後まで残っている。
できるだけアイロンをかけなくてすむものを着ているけれど、時々アイロンをかけたブラウスを着てみたいことがある。なんだろう、気持ちを正すというのか、だらけた日々をぴしっとしたいからなのか。
考えてみると、この頃億劫になることが随分増えた。まぁいいや、今じゃなくても…と置き去りにしていることがたくさんあって、ただごろんと横になって本を読んだり好きなものを眺めていたくなる。プチ旅に出たいと思いながらもなんとなくそれも、また来週と延ばし延ばしにしている。ぱっと軽やかにあちこち出かけて、ぱきぱき物事をこなせる時もあるけれど、体が億劫で気乗りがなんとなくしないこともあるさと甘やかしてみたりしている。
そうしてもうすぐ、わたしの苦手な暑い夏がやってくる。

posted: mitsubako: 07:52AM

2006年07月05日

室生犀星

萩原朔太郎で今気になる3冊は狭い部屋の中の場所にそれぞれ置いてある。『月に吠える』はパソコンが置いてある机のすぐそばに。『青猫』は大好きなテーブルの上に。『のすたるぢあ』は枕元の近くの本の山に。きちんと置いているわけではないけれど、たとえ部屋の中であったとしても、それを見たいと思う場所がどうやらあるらしい。その理由はあんまりよくわからない。そしてある時、突然片づけがはじまる。朔太郎にこうして親しんでいて、そのすぐそばに偶然あったいろはの小冊子のことを思い出した。室生犀星の特集号を見ていたら、栃折久美子さんの金魚の魚拓の装幀本が目にとまってこれから『蜜のあはれ』を読んでみようかなと思っている。室生犀星と題しておきながら、実は金魚のことが心に浮かぶ。今のわたしなら、サイアノ色に金魚を撮ってみたい。
数年前、黒い出目金を一匹飼ったことがある。真っ黒ではないけれど、ややチョコレートがかった稚魚を買っていつでも仕事をしているパソコンから見えるところに置いていた。「ちょこ」という名前をつけた。
黒い出目金は動作がにぶくて、のんき、穏やかだと人から聞いて飼ってみたくなったのだ。その通り、突起している目のせいか、エサもさっと上手にとれる方ではないしゆらゆらおっぽを動かしてのんびり遊泳するさまをガラスの向こう側に見ていると、自由な空間とは決していえないのにあたかも自由そうに見えたりする。
「ちょこ」は不慣れな飼い方ですぐに死んでしまった。死んでしまった金魚の顔ははっきりと覚えている。それでも懲りなくて、もう一度だけ飼ってみたいと思った。今度は、できるだけ元気そうな稚魚を選んだ。黒出目金にしてはすばしっこく、前の「ちょこ」より今度の「ちょこ」の方が敏感だと思った。こんなちびな頭の中にも頭脳や性格あるんだと思った。
金魚は群れて生きるものだから、仲間がいた方が長生きするとまた人から話を聞いて、それじゃあ赤いのを一匹と口紅をつけて目をぱちぱちするような顔をしたのを選んでやった。それは「あわ」という名にした。泡のようにはかない金魚の命からそうつけた。
「ちょこ」と「あわ」は愛称がよかった。テリトリー争いもせず「あわ」は「ちょこ」の後ろについてよく泳いでいた。黒と赤のコントラストの2匹は2年半ぐらい生きた。「ちょこ」が先に死んで、そのあとすぐ「あわ」も死んていった。

今はからっぽのガラスボールがただ置いてある。

posted: mitsubako: 07:51AM

2006年06月27日

乾いたにおい

にわかにほっとするどこか懐かしいにおい

においのトーンはとんがりもせず 消えてなくなるほどでもない
甘くもなく 爽やかすぎもしない
人から人へといくども読まれた古本のように
少し黴びた紙のにおいがする

乾いた赤い大地 アリゾナの砂
カチーナがすっと目の前をかすめて遠くへかけていった…

posted: mitsubako: 07:36AM

2006年06月26日

薄暮

萩原朔太郎の『のすたるぢや』をめくっていてふっと目に止まったのが薄暮だった。
青く暮れて行く川縁の前方にテクスチャのような青草が茂っている。
流れゆく川と止まった時間。
止まった時間とはイメージの印象ではなくて、撮影者が息をのんで止まっている撮影時間を思うからだ。この青い空気の中には人影はないけれど藪にひそむ人の気配が見えてくる。『月に吠える』の序に詩の表現について朔太郎はこう書いている。

感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させることである。

高校生のころ、現代国語の授業で朔太郎の詩を読んだ。先生が朔太郎が好きだったこともあって、ぎゅうぎゅうと押し込められるようにして聞かされたことは覚えているけれど、肝心の朔太郎については真っ白なままだった。
生まれて初めてニューヨークへ夏の旅をして、おしゃれで大人びた同世代のアメリカン・ガールズに憧れ、女学生らしい女学生を脱出しなければなんて企んでいた頃だったから。当時のわたしにはこうした詩人の描写する憂鬱とか陰影をこころで探れるほどの繊細さは育っていなかった。朔太郎は暗い…と印象づけてしまって以来なかなか進んで読む気持ちにはなれなかった。

それから何十年もたった今、サイアノの表現者としてこれほど透明感のある人がいるだろうかと共感できる。

薄暮色、黒板に大きく書かれた朔太郎という名前、先生はどうしているだろうかと郷愁の授業風景を懐かしむ自分がここにいる。

posted: mitsubako: 07:35AM

2006年06月23日

青の蛾

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落ちたところは水瓶のなか
小さな風が羽をそっとまわしてる

水に散らばる粉々に光があたってはねかえる

posted: mitsubako: 07:04AM

2006年06月22日

日本民藝館

駒場の日本民藝館に少し前になるけれど久しぶりに行った。
このことをすぐに書けなかったのは、あまり書きたいと思う気持ちにただならなかったからだ。旧柳宗悦邸が再建されてその公開があったので、ぜひ見ておきたいと思って出かけた。
わたしとこの駒場の民藝館はもうずいぶんと長い出会いで、何度となく訪れるのが好きな場所のひとつだ。益子参考館もあわせて、日頃、がらんとした、どこか遠く忘れられてしまったような静けさと落ちついた暗さの館が魅力だ。
ところが、旧柳邸の公開は少しは混雑も予想はしていたものの、民藝館の方々もどうやってこの集まった方々に満足に館内を見てもらえるかで大慌ての様子だった。もしかすると民藝館はじまって以来の大混雑ではないかとわたしは思ったほどだった。
結局、ひととおりは見たもののどうにも気持ちが落ちつかなくてわたしは入口を出て、すみに据えられた水瓶のなかなんかを覗いていた。

小さな蛾の死骸が浮かんでいるのをしばらく見てから駒場公園の新緑の中を気持ちよく歩いた。

静かになったらまたそのうち柳さんの精神に触れたいと考えている。

posted: mitsubako: 07:08AM | comments (3)

2006年06月21日

涙のこと

梅雨の夜、ぼんやりした月を見ていると涙がこぼれると書いたら、「そんなに哀しいことばかりなのか」と人から聞かれた。
涙はどういう時にこぼれるんだろう。
哀しいという思いや、気持ちは人にとても伝わりやすいことだけど、自分が嬉しいと思ったり、愛おしいと思ったり、大きな優しさにふれたときそれをどうにも伝えきれなくていっぱいになることってないだろうか。わたしの流す涙はそんな時の方がおおいように思える。
「ありがとう」とだけしか言えない…「それで十分だから…」。といわれても、もっともっとそれよりたくさん思っている。だのにその心が表せないでいると、ふっとした身の周りの自然なできごとに感情が奪われてそこに何かをたくしたくなるんだ。
そうなんだよ、だから見て見ぬふりをしていてほしい。

posted: mitsubako: 07:06AM

2006年06月19日

巡る土曜日

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先週末、大事な方から教えていただいた詩人の記念館へと早起きをして東京へ向かった。
梅雨の晴れ間とまでは言えないけれど、その日は薄日さす雲がいく層にも重なる朝だった。朝起きるとたいていは空を見る。どこへ行こうとも、なにを撮ろうとも思っていないのになぜかピンホールの準備までして重たい袋をしょって出かけた。
静まりかえった記念館で一週間の心の疲れが消えていく。自分の思うこととは何か異質で知らなくてもいいようなものばかり頭をかけめぐる仕事をしていると、本当に知りたいことの世界に入るために入口が必要になる。
記念館から外へ出るとなんとなく久しぶりの海岸へいってみたいと思った。JRにゆられて1時間、鎌倉の駅についた。人ごみを見て、失敗した…と思った。そうは思いながらも足は海へと向かってしまう。わたしの好きな冬の海にくらべて人はずいぶん増えていたし、水もにごっていた。それでも、曇り空の雲は絶妙で海ではなくて雲を見ていると飽きない。そして針穴で数枚ためし撮りをしてみると、晴天の時とはちがう淡いブルーで風とか波とか空気を取り込んでいた。そんなことに熱中しはじめた矢先「すいません」…と声がかかった。ふりかえればわたしを女子学生が取り囲んでいる。
「記念写真を撮ってください」というと5台ものインスタントカメラやデジカメやらをわたしの足元に置いて「うちら並びますから!お願いしま〜す」。
「えっ?インスタントカメラって使ったことないけど?」と戸惑うわたしに「押すだけなんで」とすっかりならんでポーズを撮って待っている。
なんでもいいや、彼女たちがこれを見たとき「楽しかったね」と思える1枚をたとえインスタントだろうがなんだろうが撮ってやろうじゃないか!という気になった。
何度も何度も、「ありがとうございます!」といわれた。ミニミニの制服のスカート、いろんなグッズをかばんにぶら下げて、どこにも接点がないような彼女たちが一瞬ちょっぴりわたしと身近になった。
それからわたしは大仏へと向かった。大勢の人でごったがえす中、不思議ともうそんなことも気にならず、ひたすら集中をして大仏を撮ってみた。「いいね、それ、すぐ見れるから」とか「あー知ってますよ、そのポラロイドのピンホール。そっか、大仏なんか撮るですね」。とまぁなんと大勢の人に声をかけられたことか…。
巡る土曜日、静かに過ごす時間も大事だけれど、見知らぬ人とのたわいもないできごともそう悪いものじゃないと思う。

posted: mitsubako: 07:04AM | comments (4)

2006年06月16日

青の気配

わたしは今、デジタルの青色写真にちょっぴり凝っている。
サイアノタイプという古典的な技法があって、1842年イギリスのジョン・ハーシェルによるそれは発明だったという。ジョン・ハーシェルは天文学者で、南アフリカにわたり喜望峰で南の星空を観測し記録を残した人物だった。青写真ということばがあるけれど、もともとはこのサイノアタイプという技法から転じた意味をもつ。感光剤を塗った原紙の上に写し出したいものをのせて露光させる。薬品を洗い流し乾かすと、光を通した部分は濃い青色に、光を通さない部分は白く痕跡が残るいたってシンプルな方法だ。
アンナ・アトキンスという女性写真家はこの手法で "British Algae : Cyanotype Impressions" 『イギリスの藻 : サイアノタイプの刻印』というカタログ集を出版した。

Blue Prints The Natural World In Cyanotype Photographs という洋書はおそらく多くの方が知っているものだが、わたしはこの本の中のとくにとんぼの羽が好きだ。多彩色のイメージも楽しいけれど、青という1色の淡さや深さは神秘な空気を取り込む魔法がある。
最近、枯れた花びらや、虫、ひもなどをくもりガラスにあてて、射しこむ光に透かしてマクロ撮影するのがおもしろい。青で仕上げるとまるで深海のようにも見えたり、ひっそりと静まりかえったなにかをとらえていたりする。そのなにかをわたしはとりあえず今は気配ということばにおきかえている。

posted: mitsubako: 07:05AM

2006年06月14日

チャット

イギリスに住む友だちとこの頃はチャットをしている。
考えてみれば、まだインターネットというものがほとんど普及しておらず、個人でメールアドレスを持つにはとても高かった頃からわたしはプロバイダに入っていた。
その頃のチャットは本当になんということもない画面に文字が表示されるだけで、それでもリアルタイムで打ち込まれていく様子を見て感激したものだ。今のチャットはもっとインターフェイスがよくできていて、絵文字まで打ち込める。
「元気?」「週末は何してた?」なんてどうでもいいおしゃべりをただしているだけだけれどメールとは違う奇妙な存在がむこう側にある。

ある時ほんの少しだけプライバシーに立ち入った話しになった。その友だちは今真剣に取り組みたいことがある。わたしはそれをやったらいいともっと適切なことばと思いで伝えたかったけれど、それにはやっぱり本当にここにいて、しっかり相手を見て声をかけてあげたいと思う。エールを送ってあげたいしhugしてそう思う気持ちを伝えられたらなと思う。
それができない物理的な距離はやっぱり淋しい。

posted: mitsubako: 07:17AM

2006年06月13日

梅雨の月

どんよりした重たい夜、おそく仕事場を離れるときわたしは上を向いて歩く。
ビルとビルの間に、いやもしかすると東京タワーの近くに、それよりももっともっと高いところにぼんやり梅雨の月が見えているかもしれないからだ。
その日は、天に届きそうな権威的なビルの影に薄く薄く半月が出ていた。
なまあたたかい空調の風に吹かれながら、ため息をついてぼんやりつったて見ていた。
そしたらすっと涙がこぼれた。
都会にもたまにはいい夜もあるんだ。

posted: mitsubako: 08:36AM | comments (2)

2006年06月12日

朝起きて、小さな苺が熟しているのを眺めていると色っぽいと思うことがある。
どこか艶めかしくて、誘われているように感じる。

昔いただいた匙の写真を薄暗い部屋のテーブルで撮っているとき、どうして口元に運ぶところが朱色なんだろうと思った。

口紅はあまりつけないけれど、苺と匙の赤を見ていたら、口紅の美しさが許せるようになった。自分には似合わないけれど、それをつけるのも悪くないとふいに思った。

posted: mitsubako: 07:16AM

2006年06月07日

青い檸檬

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いつだっただろうか、青焼きの校正紙が机の上に置かれていた
紫陽花の写真が妙にぼんやりと紙の上に印刷されている
いつもならそれほど目にとめないような花のイメージ
なぜかその青焼きを欲しいと思った

*机の上に檸檬が置かれているのを見てふっとそのことを思い出しました。

posted: mitsubako: 07:00AM

2006年06月05日

テーブルと匙

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口もとへ匙の赤をはこぶ

*この匙をいただいた方はもうすでに亡くなりました。豆でもすくってみてくださいといわれました。

posted: mitsubako: 07:22AM

2006年06月02日

今日はhappy

朝、出かける途上の道ばたで、みつばちに出会ったらhappy day

そんな小さな賭けごとをしながら駅まで歩くのが楽しみだ。
リトアニアかどこかの田舎道、両脇に無造作に生えた花の小道を入ると家がある…こんなフィルムシーンのような雑然とした古い小さな家が実は、自分の住むところからたった50mほどの距離に在る。
今、夏の花々が咲き乱れ、ごちゃごちゃしていて通りすがりに「いい感じだぁ…」と思いながら撮影に狙っている場所だ。そこをはさんで車の往来が激しい街道が、前を通っているとは思わせないような撮り方をしてみたいと目論んでいる。
ところで、その小さなスポットは夏の花、アオイ科の花々がぱっと明るく朝を迎えてくれている。まっすぐ空に伸びる茎に大きな太陽の花、その中央にむかって花粉を体中にかぶった一匹のみつばちがやって来ている!きっと明日も同じ時刻にやって来る…そう思うとそわそわした気分で落ち着かない。
そいつは花粉まみれで貪欲そうに見えるのに、それでもまだ花へ向かっていく、姿が小さいくせにとても大きな支配者に見える。

今日はhappy!

posted: mitsubako: 07:59AM | comments (0)

2006年06月01日

薄暗さの先に

谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を読んでいる。
ずいぶん若い頃にいくつかの谷崎文学には触れたものの、随筆はこれがはじめてになる。
写真に興味を持つようになって「暗さ」ということをあれこれ考えているうちに読んでみたくなった。もちろん、タイマグラをはじめとして、このごろ訪れてみたくなる日本の残された生活空間にも影響されているのは間違いない。
古い日本家屋は室内が薄暗いことが多い。文化財などの茅葺屋根の住居や、寺院などに訪れると、室内の薄暗さに目が慣れるのに時間がかかる経験をすることは多いであろう。
せっかく据え付けられた室内の調度品もよく見えないではないかと思ったりするが…。

日本の料理は食ふものでなくて見るものだと云はれるが、かう云ふ場合、私は見るものである以上に瞑想するものであると云う。さうしてそれは、闇にまたたく蝋燭の灯と漆の器とが合奏する無言の音楽の作用なのである。

なるほど谷崎のことばに吸い込まれていくと薄暗さにこそ控えめに深さを見せる数々の日本の感性を再認識できる。やっとこうした感性の世界が見えるようになってきた時、運よくめぐりあった随筆だ。
はかり知れない手仕事や感覚の世界をもったところに生まれでたわたしは恵まれていると思えたし、少しでもその感覚を自分のものにできたらなんて欲が湧いてくるのだ。

posted: mitsubako: 07:30AM

2006年05月31日

空にむかって

つかの間の青空にむかって
紙屑をまるめてほおってみた
何度も何度もほおってみた

そうしているうちにすっきりとした気持ちになった

posted: mitsubako: 07:39AM

2006年05月30日

飛ぶ紙

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posted: mitsubako: 07:37AM

2006年05月29日

たとえ紙切れだったとしても…

北園克衛が「造形詩についてのノート」の中にこんな一文を書いている。

詩人が選ぶ表現の道具のひとつにカメラがある。カメラは失敗した1握りの詩の紙屑からも美しい詩をとりだすことができる。

ただただ、なんの目的もないけれどそうしていることが、いやそうすることがたぶんわたしの道なんだろうと思う。生きている間はきっとどこかに書いて、落ち込んで、涙して、また書いて、喜んで、笑うんだと思う。
日常のなかでなんでもないことのように書きつづける、わたしはそうしていたいと思う。

posted: mitsubako: 07:33AM | comments (3)

2006年05月24日

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古くなって使いこむほどに味わい深くなる……。

posted: mitsubako: 07:58AM

2006年05月23日

ある人から鉄のペーパーナイフをいただいた。南部鉄だ。
わたしは鉄瓶がとても好きでもう10年以上も前に旅先で立ち寄った小さな店で小型の鉄瓶を買った。それが岩手でなくて松島あたりだったというのも不思議だが。
火にかけている時の熱気をおびた鉄瓶を眺めているのも好きだし、しゅん、しゅん、と沸騰して湯気が出ているのを見るのも好きだ。
先日、岩手へ行った時、めずらしく盛岡の街を半日だけ歩いた。何度も訪れている街なのに、こうしてお店を見るのは初めてのこと。こんなことなら堀井和子さんの『北東のシンプルをあつめにいく』をもって来るんだったなぁ、と思いながら閑散とした街を楽しんだ。
中目黒のちょっと粋なHIGASHIという和菓子屋に南部鉄の作品を置かれている鈴木盛久工房をた訪ねてみた。民芸よりもぐっと洗練された数々の作品をひととおり見て、工房をのぞかせていただいた。灰のかかったような工房はどこを切りとっても現代美術だと思った。そして、工房で息を吸った時、奥畑さんが話していた、人間と鉄の関係は長いから体内で受容できる組織が完成されているということをふっと思い出した。
わたしが鉄に親しみを感じるのはそんなことからもあるのかもしれない。

posted: mitsubako: 07:44AM

2006年05月22日

夜雲

こんなタイトルがあるかは知らない。
金曜日、いつものように夜道を歩いて仕事先からの帰路だった。その日は5月というのに湿度が高く、初夏に漂う樹木のにおいがしていた。
暗い夜だって空を見上げながら歩くことの多いわたしは、「あぁ…」と声を出したくなった。空の上を高速道路のように白い雲が流れていく。フィルムを見ているように流れを変え、形を変容させあっという間に通過していく。
街灯でさえあれだけ神秘に見えていたから、これがもし月あかりや夜空そのものの暗闇で見ることができたなら、体を震撼させる何か大きな力があるようにやっぱり思うだろう。
雲がかけぬけるから空は詩になるんだろうか…。

posted: mitsubako: 07:03AM

2006年05月18日

すこしだけ伝えられること

だいすきでだいすきでどうしようもならない気持ちは宝ものだよ。
だいすきがたとえすれちがってもそのときそう感じて胸がいたくなるのは
生きていてそうおおくあることでもないから…。
いや、そうおおくあることなのかもしれないけど…。

青い空の草原に風がふいて
雲がつぎからつぎへと流れていく
ときがたって ひとり そこで涙するのもわるくない

posted: mitsubako: 07:28AM

2006年05月15日

針穴と心象

針穴写真は人の心の目といわれる。のらりくらりとそれを楽しんで少し時が経った。
わたしは市販のポラロイド社のものを使っている。やり始めた頃は、本当にこんなもので何が撮れるのかと疑心暗鬼だった。失敗に失敗をかさね、露光時間が長すぎて真っ白のまま出てくる。フィルム代はかかるしおもちゃにしてはかなり高価な遊びだなぁとちょっぴりストレスすら感じるようになっていた。それでもなんとなく持ち出してみてはブレのおもしろさに惹かれて細々と続けていた。ある時ちょっとばかり抽象らしきものが撮れて意表をついた。
箱を固定することにあえて執着していなかったわたしは、急の気変りで地面に固定して撮るようになった。あきらかにブレの少ない遠近感が不思議な風景が焼きつけられるようになってきた。
もうあれからどれぐらい、わたしは針穴の指をはずしたんだろう……。
このごろ、わたしの目がこの針穴のファインダーになってきたと感じる。見えていないはずなのに、フィルムをはがした時に浮かびあがる風景が心にイメージできるからだ。
5月の連休のほんの2日だけわたしは、突然、再び岩手県のタイマグラへ向かった。針穴がつかんだ村々の風景は、そこにかつてあったはずの気配をまるでそのまま取り込む装置だと思った。
戻ってから夜中に怖い夢でうなされた。取り残された場を撮りすぎて余計なものまでつれかえったかなと思った。

posted: mitsubako: 07:46AM

2006年05月01日

心身を休める

わたしは、心身をかならず休めることを自分の生活の中であたりまえにしてきた。
世の中の動きはそれとは反対の方向へ進んでいても、わたしはわたしでいられる範囲で自分のできる仕事をしたいと思ってきた。
自分の心身が健康でなければ、仕事はできないと思うからだ。

みつばちたちは、休みなく死ぬまで働いているようだけれど、わたしは今週は、ゆっくりとした心持ちで時を過ごせたらなと思っている。

それぞれの場にあって心も体も豊かな時を過ごしてください!

posted: mitsubako: 11:15AM

2006年04月26日

泡色の乾燥

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淡泊なはなびらはいっときで乾燥したはなびらに濃縮される

posted: mitsubako: 07:57AM

2006年04月24日

やまばちのはちみつ

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岩間くんの家にやってくる遠野のやまばちのはちみつは大事にしている。
わたしがお世話になっている蜂やさんのはちみつと同じように結晶になっている。色はすこし淡いミルキーだ。あと1週間もすれば、去年岩手に行ってからもう1年が経つ。そろそろ、春の目覚めのころ、あのころのことを思い出すとその瞬間だけ長閑な気持ちになれる。夢のような春の魔法をまた感じることができたらなぁ…。

はちみつの味もやさしく包まれたあの日の光をぽっと蘇らせてくれる。だからわたしはみつばちが好きなのかもしれない。

posted: mitsubako: 07:46AM

2006年04月19日

種と枯れたはなびら

伯父から生前の形見にもらったさくらの木のテーブルは、まだイスも修繕をしていないまま一番のお気に入りになっている。このテーブルを利用して、テーブルコンポを続けている。テーブルコンポとは、ただ、このテーブルの上で散策途上に拾ったものとか庭で収穫したものとかを並べて写真に撮ることを自分流に名づけた一応わたしの仕事だ。
じっくりと種やら、放置して枯れた花びらを眺めるのはこの上なく楽しい。外界のさくらの花が散って集めてきたものをピンセットで並べてみた。これを何日も置いているうちに乾いて、室内の風で机の上に散らばっていた。故意にはできない散らばりがいいなと思って1枚撮ってみたり、コピーを切り抜いていた書籍の抜粋の上に散らばる感じにまた1枚という具合だ…。
生から朽ちてもそこには美しさが溢れている。「美」ということばは本当はあまり好きではない。美的を一度はすべて排除した上で今はもう、そういうことはどうでもいいかなと思えるようになった。

たんぽぽの種を風に吹かれないようにと持ち帰った。
昨年咲いたあじさいがドライフラワーのまま公園に残っていてそれもちょっとだけ摘んできた。
種や朽ちた植物の世界には、瑞々しく自生していたころとは違ったかたちがある。形見にちかいと思えるのはわたしのただの幻想だろうか。
それらを眺めているとき、自分が死んだらたんぽぽの種のようになりたいと思った。

posted: mitsubako: 07:40AM

2006年04月14日

野草

「春先は気ぜわしい季節……」と書いているのは甘糟幸子さん。ずっと前に購入していてやっと昨日から手にした『野草の料理』の1節だ。長閑な春をのんびり楽しもうというのは、おろかな都会化されたわたしの考えで、収穫を自分でしない者の思いなのだろう。
冬を終えていっせいに芽をだしはじめる野草は一番の旬のごちそうに見える。この感覚は岩手で出会った山の主、奥畑さんの中にも感じたし、海岸へ散歩にでかけたときに出会った主の中にも感じた。
散策をしていて周りの世界がごちそうに見えるというのはすばらしい感覚だと思う。もともと人にはそういう感覚があったはずなのに、いつのまにか古の人が持ち合わせた過去のこと、ひょっとすると野生とか野蛮とかそんなニュアンスにも受け取られてしまいそうなものかもしれない。

春が気ぜわしいと感じるのは、ごちそうの旬が瞬く間に過ぎ去ってしまう機会を逃さないためにだ。わたしもこの1年ばかり写真を撮る楽しさを覚えて、別の意味でこの惜しさ加減に遭遇している。ああ、つくしだ!いい色の芽が出ていると通勤途上に目にするものは、週末までは待っていてはくれない。春とはあっという間に草花を成長させてしまう魔力がみなぎっている。

posted: mitsubako: 08:51AM | comments (2)

2006年04月05日

もう一度

春がやって来た。
気持ちをもちなおして、もう一度スタート地点にもどってみようと思ってピンホールを片手に近くの公園へ出かけた。タンポポが咲く草むらと同じ高さになって針穴から指をはずす。頭の中でカウント、「1…、2…、3…。」
光ってなんだろう。
ものってどうして見えるんだろう。
色ってなぜあるんだろう。
そんなことを考えるためにもう一度はじめからやりなおしてみたくなった。

今日のタンポポはきっと春の喜びをつたえられるよ。

posted: mitsubako: 07:51AM

2006年04月03日

どんよりとした心

ことばと写真の表現とは…こんな非日常的なことに、この数ヶ月、だらだら、ぼんやりと考えを巡らせる時間が続く。ひどく行きづまっているということでもないけれど、これだけ長いあいだ、先が見えなくて、うろうろとしているのもめずらしい。それはそれでいい。いつかきっと解放たれると思っている。

こんなときに何度も足元から救い出されるような鍵とエールをくれた人たちがいる。まったくの他者であるわたしに対して示唆的なことばを送ってくれるとは…。
ある人は、自分がこれまでに影響を受けた作家リストを送ってくれた。50人もの名前を書いてくれて、自分の本棚からこの選出をするために思いおこしてページをめくる機会を与えてくれてありがとうとお礼までいわれた。
またある人は、わたしの単純な構成が好きだといって、実験映画の抽象作品について2,3のコメントを残してくれた。
他にもたくさんことばをくれた人たちがいて、即座にそれに向かうことはできないにしても、ポツリポツリと振り返ったり、作品を読んだり見たりしていくうちに考えや気持ちが整理されかけてきている。でもまだ遠いなぁ。行きつく先はとても遠い。

richard avedonの写真集を手にして、これまで通り過ぎてしまっていたronald fischerという"beekeeper"の写真がとても好きになった。
疲れて眠気が襲っているにもかかわらず、アンリ・カルティエ=ブレッソンの“疑問符”を夜中に見たりした。彼はインタビューのなかで、「自分がその場にいなければならないという不安感にひたる…」ということを語っていた。わたしが海に通いたくなるのは、少しその気持ちに近いかもしれない。自分がその場にいない間にいろんな現象が起きているに違いないと思うとそわそわして落ち着かなくなるからだ。
「決定的瞬間」とは、それまで、ただ偶然性がもたらすできごとだと思っていた。その瞬間に自分が居あわせている、わたしの目が捕らえていることだと思ったのはこの数日ぐらいからだ…。

posted: mitsubako: 07:49AM

2006年03月29日

和紙

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漉き加減で和紙の厚みがきまって来る。できたて生の和紙が一枚一枚と重なっていく。

posted: mitsubako: 07:21AM

2006年03月27日

漉く

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冬の冷水でもさいた繊維と調合をした水で漉くという行為が繰り返される。
窓辺から薄暗いファクトリーの中に少しだけ外の光が射し込んでくる。

posted: mitsubako: 07:16AM

2006年03月24日

木の皮をさく手

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蒸した木の皮は湯気が出ているうちにさく。
表面からは想像もつかない、裸にされた木の肌が繊維となる。

posted: mitsubako: 07:37AM

2006年03月22日

蒸すかおり

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その日は植物の枝を大釜で蒸す年に2回の1日だった。
蒸すかおりは甘く、包まれていくととろけた気分になる。

posted: mitsubako: 07:45AM

2006年03月20日

灰汁

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植物の繊維には強烈な灰汁がある。
灰汁はたいてい煮出したり晒してとりのぞかれる。
澄んでいくには繰り返し繰り返す。

灰汁の原液に不思議とこころを奪われた。

posted: mitsubako: 07:36AM

2006年03月15日

幻灯機のせかい

以前はもう少し自分周辺のことがらを書いていた。その頃、とらやのホームページの「歴史上の人物と和菓子」のコーナーで中勘助について触れていることを紹介したことがある。
今月は、宮沢賢治のことが書かれていたので、たまには『うかたま』に続いてこんなことを書いてみたくなった。
岩手でミツバチを飼われている横沢さんのところへ、フィールドノートの陽子さんと遊びに行ったとき、横沢のおばあちゃんが地域につたわるお餅のことを話してくれた。5月だったからおそらく柏餅のような葉にくるむ餅菓子のことだったように記憶する。すらすらとそんな話をしてくださったのだが、もっとこういうお話をきちんと書きとめておくべきだったなと今になって思う。
ところで、とらやのページだ。賢治の書いた『鹿踊りのはじまり』とあったので、古い文庫本をひっぱり出してまた読み返してみた。食べかけの団子を鹿のために残していくというところから、人と鹿の不思議な世界がはじまる。賢治の世界でわたしをすぐそこへ引き込んでくれる装置が「幻灯機」だ。
この素朴な創作が遠野地方に伝わる伝統芸能「鹿踊り」のもとになったといわれている。
その土地固有とされる文化はある人の空想や幻想が原形だったりするものだと妙に納得する自分がいる。その空想や幻想は土地が人にもたらす発酵加減なのかもしれない。

posted: mitsubako: 07:38AM | comments (3)

2006年03月10日

すべる海

しばらく流感でうやもやとした時をすごした。2月の中旬にどんよりした磯へ深呼吸をしに出かけたとき、闇の予兆を感じていた。大仰だけれど、この過程は通過するべくしてやって来たと思う。
この日の穏やかな海は格別だった。陸のはらっぱにも季節があるように、海草にもどうやら季節がある。冬から春先にかけて海水の透明度がクリアになると海草類がよく見える。波の動きに身をゆだねた茂る海草の流れを眺めているのはいつまでだって見ていたい。この海草のおかげで海水は豊かな養分が含まれていて、そこにわずかながら光が射すと海面は神秘な表情をいくつも描きだす。真っ青に晴れ渡った海面より、こうした微妙な天候の魅力に、はるかにとりこになっている。
「なめらかで、鏡のような海面を50cmぐらい浮上して移動してみたい…」わたしもだ。

posted: mitsubako: 07:43AM | comments (2)

2006年03月08日

新聞の切り抜き

「これ」っと小さな新聞の切り抜きをもらった。
毎年春になると家に鬼がやってくる岩手の自然に囲まれたある村の記事だった。節分には「鬼はうち」とピーナッツをまいて、今年も恐しいはずの鬼を実は待っているのだという。鬼の正体はミツバチだった。おそらくヤマバチだろう。秋に1リットルほどの蜜の収穫をいただいた後は追い払って山へ返してしまうのだが、春になるとそこにもどってきて巣をつくるそうだ。なんとうらやましい理想的な暮らしだろう。ミツバチが棲みつくおかげか夏には蚊もよってこないそうだ。しかしハチは刺されれば蚊より大ごとになる。筆者は何度か刺されて病院へ行ったこともあると書いていた。
ほんの数行の記事の中にのどかな岩手の春の風景がイメージできた。そして今年は、遠野のミツバチに会うことができると嬉しいと思っている。

posted: mitsubako: 07:28AM

2006年03月02日

黒い夢

喉に針がささったような痛みを覚えた金曜日の夜から急に発熱がはじまった。ぐんぐん上昇する熱、頭痛、足や背中、首すじの痛みで、わたしはわたしの身体を身体だと自覚する。

自然と潤む目の涙、鼻水、吐き出す息の蒸気で顔中が高温の温室の中にいる。

ぼんやりと夢を見た。
あまりよくは覚えていないのに、確かにそこへ行ったような記憶だけが残る不思議な夢だった。

だれかに会わなければいけない
わたしは慌てていた
いつもなら間違わずに4階の部屋へ行くはずが
知らないうちにわたしが入口を間違えたことになっている
夢はそこからはじまった

「古い階段だ!」と足の底できしむ音を気にしながら懐かしい倉庫を上がる
4階の入口は壊れた錠がぶらさがった木戸だった
戸は簡単に開いて足を1歩踏み入れると床が音をたてた
このままだと下へ落ちると直感する
わたしはここで、はじめて自分がおかしな場所へ来たと気がつく
もと来た通りに降りて引き返そうと思うのだが、とびらは外から鍵がかかっている
そんなはずがないのにそうなのだ
どうやってその戸を開けたかは夢の都合で、次の断片ではもう1階の入口の扉についていた
扉を開けるとがらんとした倉庫の1階があってそこから遠くの風景が見える
夕暮れ時の広大な空き地にかすかに紺色の山並みが見えている
ふと視線を向けると外の小さな流し場にひとりの女性がうつむいていた

「かぎですか?」とわたしが訪ねると「そう」とだけ答え、なんの違和感もな
く、鍵の隠し場所を教えてくれるのだ
小さな錆びた空き缶はにごった水がたまっている
そこへ錆びた鍵を入れるとしばらくして浮き上がってくる……

浮かないようにする方法を教えようとしていたのに、その人に教えることもできないままわたしは目が覚めて別れてしまった。伝えたいことが伝えられないあまりに心残りな思いにしょんぼりした。
そしてあきらかに、まだわたしの体の節々は痛むのだった。

*流感にかかりました。熱の後の体は浄化された気分です。これを持続できるような生活をしなければと思います。

posted: mitsubako: 07:53AM | comments (1)

2006年02月13日

魂の往来

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「ぼくは水際で口笛を吹きながら
ぼくの指のあいだで湯気をたてている星を見る」

詩:波は死の舟を揺する ビセンテ・ウイドブロ

血液は頭のこめかみあたりを時々とくとくと流れる
わたしの魂はこの流れによって脳のどこかであるいは皮膚で存在を意識している
大きな衝撃に打たれて
まるで疲れ果てた時に襲われる混沌と現実をさまよう意識の移動

魂の往来とはそんなことか
臨死を1週間通りこして 彼女はしばらく旅立っていった。

*伯母が突然倒れてまもなく命をひきとりました。どうぞやすらかに魂が解放されますように……。

posted: mitsubako: 07:47AM

2006年01月30日

『ハチヤさんの旅』

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先週1週間、通勤で一緒だった本です。
沢木耕太郎さんが転地養蜂家の1年を追ったこの絵本はわたしにとってはまぼろしの絵本でなかなか手にすることができずにいたものでした。
イメージとしての養蜂はおそらくこうした転地養蜂の方が多いのですが、今ではこうした方法で養蜂をする方はとても減っています。このジプシー的な生活は、やったことのないわたしにしてみれば夢のような理想型に近い感覚を覚えますし敬服するばかりです。
わたしがお世話になっているハチヤさんは定置養蜂家です。昨日、電話で少しお話をしてみて初めて若い頃のことを知りました。まだ、湘南に西湘バイパスができていない頃、石ころの転がる道をミゼットに蜂箱を乗せて松田のみかん畑まで運んでいたそうです。
今、在る姿は長い時間をかけてあちこちの養蜂を見られてたどりついた形なんだということを知りました。
ところで、先日の雪でみつばちのことが心配だったので質問をしてみました。
「巣箱の中でお腹がいっぱいになるから、蜜や花粉をとりには行かないけどね、30分ぐらいは運動をしに外を雪の中でも飛んでいますよ」
うわぁ、雪の中を飛ぶみつばちの光景…とても見たかったです。

そして、冬の間みつばちになかなか出会えないでいるわたしにぴったりの絵本をくださった友だちに心から「ありがとう」を送ります!

月刊たくさんのふしぎ 『ハチヤさんの旅』沢木耕太郎/内藤利朗 1987年5月号 福音館書店

posted: mitsubako: 07:16AM

2006年01月26日

日曜日のこと

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澄んだ空気、路面は雪どけ水でぬるっとウェット。雨上がりの日の空気よりもっとあまい味がすると思いながら滑らないように日曜日の坂道を上がっていった。谷中M類栖邸の前で3人の顔がにこやかに迎えてくれる。わたしにとって初めて、デジタル一眼レフで撮影する方々と同行の1日がはじまった。

masaさんは谷中界隈を歩いて歩いて歩き回っている。だからまるで自分の町内のように体の中にこの街の地図が浸透している。街の片隅の小さな営みや消え去っていくものを叙情や情緒ということではなくて淡々と遊びの延長で記録化をしている。
なんと優しい方だろうとこの日の笑顔を見てそう思った。

nodocaさんはとにかく撮ることが大好きなのだろう。わたしの観察する限り、撮ってないようでいて撮っている、撮っているようでいてタバコをふかして公園のベンチでひとり休憩をしている、そんなさりげない、でもぬけめない人だった。

友人のm-louisは半住民のはずなのによそ者っぽくこの街を客観視しながらこれから時折この街の情景を収集していくのだろうか。考えてみれば、さまざまなプロジェクトを一緒にやっては来たものの、写真を一緒に撮り歩くなんてこれまで想像もしなかったことだ。

この日のわたしの撮影枚数はいつもの半分ぐらいで154枚。そのうちの38カットは削除した。残りの中でもこれと思うものはただの1枚もなかった。わたしは、何度も通いなれて、何時になるとあの花のあたりにみつばちが飛んできて、あのあたりは夕方のこのぐらいの時刻にこんな影が壁にうつるということを知り尽くしているところしか今まで撮影をしたことがなかった。だからわたしはあっちこっちにこんなものがある、あんなものがあるということをインプットするだけでどうやら頭が精一杯だった。

以前にこんなことを書いたのを思い出す。みつばちは自分の巣箱の位置と蜜源の位置を太陽との接点から正確にわり出して記憶している。新しく巣箱から飛び立つ働きばちは、記憶飛行というのをする。蜜を集めるわけでもなく、ただ巣箱の周りを集団で飛んでまわって帰ってくる。雪道を歩きながら、今日はわたしのその日みたいだと心の中で笑った。わたしは自分の撮りたいものがあらかじめイメージ化していて、そのイメージに近づけるように撮りたがるんだということがこの日わかった…。

上から下まで冬山登山の風貌で久しぶりの友だちに会いに、それから初めての友だちに会いに、谷中へ出かけた日のできごとだった…。

posted: mitsubako: 08:46AM | comments (4)

2006年01月18日

婦人之友

母が兼ねてから購読を続けている雑誌に『婦人之友』がある。もう何十年と読み続け、変わらない価値観のようなものに共感をしているようだ。わたしは婦人ではないけれど、ある日、母はこの人のところへ行ったのかしら?と雑誌を机に置いていった。
2006年2月号 座談会「冬ごもりの中で育つもの」に登山家の田部井淳子さん、編集者の渡部和さんと奥畑充幸さんの顔があった。そう、あの岩手のフィールド・ノートでお世話になった奥畑さんだった。
田部井さんは福島出身、渡辺さんは福島の方と結婚をされて伝統工芸のからむし織りをされたりしている。共通の話題は、長い冬だった。1年の約半分を雪や厳寒に見舞われる地域での暮らしと人の関係を語り合ったものだった。
寒くなった時よりは、その兆しがあらわれる頃が一番つらいと誰もが言う。体が自然現象から記憶した「またあの寒さがやって来る」と知らせを受けるからだ。そんなことを「てわっさ」の季節、気がもめると言うのだそうだ。
ゴールデンウィークにタイマグラを訪ねて、夜、薪ストーブに当たりながら毎晩、奥畑さんや陽子さんから伺ったお話がかいつまんで書かれているのを、うんうんと頷きながら読み進めた。冬は、じーっとストーブの回りで過ごす……ほとんど動かないと笑顔で話す陽子さんのことを思い出した。今は丁度その冬ごもりの頃。人は陽気が良い時期には体を使って労働をし、寒くなれば体をやすめる。じっくりとわたしを見つめながら春を待つ。こうした感覚を本来、人は持ち合わせていた。
わたしは、それほど暑くもなく、それほど寒くもない適温の中で暮らしているけれど、でも体のどこかでその人間の長い記憶がまだ生きているような気がして、うずうずしたりわくわくしたりしている。

posted: mitsubako: 07:01AM | comments (2)

2006年01月16日

雪の巣箱

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岩手の横沢村から雪の中のみつばちの巣箱の写真が届きました。
こんなに降り積もる雪の中でもみつばちたちは巣箱の中で生きているそうです。
横澤隆雄さんはこんな風にお手紙に書いています。
「…巣箱の口に耳を近づけるとゴーッというみつばちの生を感じとることができます。その音を聞きながら、この箱も大丈夫、こっちの箱も大丈夫!!と雪の中を歩き回る毎日です。……」


生命力とはどんなに小さなものの中にも宿っていると力強く感じた瞬間です。
横澤さんすばらしいお写真とお手紙をありがとうございました。とても嬉しかったです。

posted: mitsubako: 07:04AM | comments (0)

2006年01月12日

くちなしの実

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何度となく場所を移されても毎年ひとえの白い花を咲かせるくちなし。
その花を見ると ああ、白い十字架 と思う。

昨年、いつもよりたくさんの実がなった。
「生前の形見」で書いた伯父からもらった机は今ではすっかりわたしの創作の場に落ちついている。この上で写真を撮るのも好きだし、ここでペンをもって紙に書くのも好きだ。何もしないでひじをついてぼんやり机の傷やしみを見ているのも好きだ。

それで、くちなしの実をここに並べてみた。

posted: mitsubako: 08:04AM | comments (2)

2006年01月05日

いつもの休日のように

少しの休息をしました。
いつになく寒い新年、雨上がりの水たまりや水滴を追いかけたり
朝靄に白く光る霜の草原を散歩していつもと同じにようにあれこれと
考えを巡らす日々でした。
一匹、植木鉢に飛んできたみつばちを見かけました。
さぁ、今年もはじまりです。

posted: mitsubako: 06:55AM

2005年12月22日

無題

RIMG0991.jpg

どうぞよい夜を…

posted: mitsubako: 07:59AM

2005年12月21日

空にむかって

RIMG0931.jpg

冬の青空にむかって歩こう
いっぱいに開いた青にむかって

だいすきなこと を だいすきといえるように
かわいた空気のむこうに共鳴するぐらいのこころで
鋭くとがった氷の柱につき刺すぐらいのときめきを

とめどもなく溢れるおもいを あの青にむかって
viva!

posted: mitsubako: 07:45AM

2005年12月19日

come on!

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きゅんとさむいのがやってきた日
朝がたから白い息をはいて 空き地の塀をよじのぼった
霜一面 
地面はたんぽぽの墓場だった

posted: mitsubako: 07:25AM | comments (1)

2005年12月08日

道草だらけのわたしだけど…

RIMG0504.jpgいろいろ考えてしまうことが多すぎて、自分では持ちきれなくなってしまうことがタマにある。そのたんびに弱虫だなぁ〜と思う…。最終的には「わたし」なんだけれど、それがどうにも定まらなくて、何をやってるんだかわからなくなる。航海術も知らないのに海に出てしまって途方に暮れているといった感じだ。
それでも、何かを考えていたい!そんな気力がいつもおへそのあたり、いやガッツだ、ガッツのあたりにあるんだ。だから、やっぱりやってみては再考し、ダメなら壊して、またやり始めればいい。

"no object, no forcus, no image" by James Turrell

「見なれないものを、見なれたものにする。見なれたものを、見なれないものにする。Making the strange familiar Making the familiar strange」by William. J. Gordon
浮谷東次郎が15歳の時クライドラーにまたがり『がむしゃら1500キロ』の旅をした。
この旅の結びにこんなことばがある。
「旅は、おもしろい、旅は道づれとかなんとかいう。自分という人間を相手は知らないし、自分も相手の人間を知らないから、旅は道づれなのだ。まったく新しい気持ちで、いつもの何倍もの好奇心と感受性をもって、人や、景色や、いろいろのものに接する事ができるのだ。だから、ごくあたりまえの事でも、すばらしい事に感ぜられるのだ」この浮谷が体得したことを筆者がウィリアム・J・ゴードンの発見に照らしたものだ。

このふたつのことばが、時間を経て私の頭の中で今結ばれている。みつばちの木箱の前身でやっていた活動がある。その頃から「対象」というものを意識しはじめた。対象がなんであるか知りたいかったし、貪るように学んでみたかった。

"no object, no forcus, no image"
見えないものを見えるようにする、対象物のないところに光りが射すそうしたひらめきのあることばと私は一体どこで出会うのか。
道草だらけのわたしだけど…。

*『blog考』として以前に掲載したものをだいぶ削ってみました。金関寿夫、ジェームス・タレル、浮谷東次郎、ゲーリー・スナイダーが連鎖を生んで何かが見えはじめたことを、残しておきたかったからです。

posted: mitsubako: 07:29AM

2005年12月05日

静かなる憤慨

RIMG0581.jpg世の中で起きていることや風潮はなにで判断をしてるのかといえば、わたしは実はよくはわかっていなかったりする。だのに時々心の底の方から無性にこみ上げてくる怒りのようなものがある。マスに対して訴えてくるメディアとはあまり向かいあわないようにしているつもりでも、通勤をしたり、人が多数集まる場へ行けば、何かしらの風潮を察知しないわけにはいかないし、仕事ということからもそういう情報はたえず欲していなくても一方的に伝えられてくることだってある。
世の中は加速的に自然環境を意識したモチーフで氾濫をしている…と感じはじめたのはここ3、4年ぐらいのことか。とりわけそれが誇張されはじめていると感じたのはわりに最近だ。環境や自然共生に対することばの輸入がされて、それに類する造語とか新しい啓蒙雑誌が続出。どこを見渡しても似たような書き手と似たような記事紹介…あげればきりがないけれど「あれ?これって前に掲載されてなかったけ…」と錯覚をおこしてしまうほどだ。生活や健康に対して人間が心地よく生きるためには永遠の理想がある。現代のような形でスタイルとしての提案がなかった時代を生きた古人たちは一体、何を手本にそれぞれの生きざまを想い描いたのだろう。
今の情報のありかたとは違った時代に生きた人々は、もっと五感を使い、心を使い、自然と対話し、プリミティブな魂の根底で語りあってはいなかっただろうか…。
偶然だが、金関寿夫さんの書籍を読みはじめてみて、歌の消えたわたしたちの生活は、こむずかしいコンセプトをかかげ、学術的にあるいは体系化された二次的な、ことばを借りていうならば、魔法のことばが消えたスタイルの提唱の渦中に在る。こうして提唱されているものは、現代の「消費」社会に連動をしているもので、表向きはビジネスとかけ離れたイメージを売っていても結局はビジネスの対象や消耗される商品を生み出す契機となんらかわりはないという構造がなんとなく見え隠れしている。ましてや、そうした用語に登録商標化など必要だろうか。これでは、どこどこのお菓子の元祖はここだ!と主張しているだけのことで、そんなことに労力を費やしていること自体、ますますおかしな世の中になったものだと思って呆れ果てている。
あたりまえだけど、そんなことが本質ではないはずだ。もうやめようよ、そんなことを吹聴しなくても、それに向かっている人たちって案外、こことかそことかにいたりするよ。目だたないかもしれないけれど、普通にそうしている人たちにどれだけ本当の力をわたしは借りて生きているんだろうか。
ところで、憤りは鎮めよう…そして無言の亀になろうと思う…。

posted: mitsubako: 07:22AM

2005年12月02日

黄身しぐれ

RIMG0475.jpg好きな和菓子は何かと聞かれたら即座に答えられるだろうか。確実にその中のひとつにあげられるものに「黄身しぐれ」がある。接写機能がすぐれたカメラになってそこいら中のものをクローズアップ…。とうとう「黄身しぐれ」までクローズアップされてしまった。近所の和菓子屋さんも何十年もたつうちに、職人の代がかわり、こんな街の片隅でも、はやりを取り入れ洗練された生菓子がガラスケースに並ぶようになった。
昔は、草もち、桜もち、うぐいすもち、柏もち、くず桜、水ようかん、栗むしようかん、黄身しぐれ、大福などが季節ごとの定番として売られていたぐらいで、餡はとても甘味が強い単純な純風の和菓子屋だった。それが、すっかり甘味をおさえた和菓子に時代と共に変化してちょっとしたお茶の時間を十分に楽しめる味を売る店になった。
「黄身しぐれ」はあのもろい表皮がとても好きだ。卵の風味がしてぽろぽろ崩れながら口の中ですーっと溶けていく。クローズアップした写真を眺めていたらふっと、どうして黄身しぐれと呼ぶのだろうかと不思議になった。
時雨は陰暦の10月。初冬のころに、いっとき風が強まってぱらぱらと降ってはやんで通り過ぎてゆく雨のことをいう。今さらだが、黄身しぐれは、丁度、今ごろの季節にあった和菓子なんだと知った。素朴な月を象った形のようにも見えるこの和菓子は「時雨」という命名から涙をさそう。なんと深い豊かな味わいなのだろう…こんな食文化圏に生まれて本当に幸せものだ…。

posted: mitsubako: 07:59AM | comments (2)

2005年12月01日

カメラ

gr.jpg前にも書いたけれど、カメラのことはまるで詳しくない。祖父は長崎に生まれ、その街の気風からか1900年代初めには、もうすでにかなりのカメラ撮影をしていた。祖父が長生きでもしていてくれれば、きっともっとわたしにいろいろ教えてくれただろうにと残念でならない。わたしは、完全にデジタルからカメラの世界に入った。それから今少しだけ暇があれば、ピンホールを楽しんでいる。ここ数週間、銀塩時代に脚光を浴びたといわれているRICOH GRモデルとやらのデジタルを使用させてもらっている。自分では、これまでのデジタルカメラとの差異がまだわからないのだが、テスト撮りでたまったものを眺めていると、やっぱり何かが違うような気がしている。なんとなくだ。使い方もまたいつもの通り、すぐにマニュアルからは入らないので、ただただひたすら試すのみ。それでも風合いとか臨場感が増して撮れているように思ったりするのは錯覚なのか…魔法なのか…。
このカメラは1.5cmの近距離でマクロ撮影が可能だ。実は、これで、みつばちの接写をしてみたいのが当面の小さな夢だったりする。マクロだけど、昆虫写真みたいじゃないみつばちを撮るぞ…というのがちっぽけな願いだ。だけど、気がつけば辺りのみつばちの姿はめっきり少なくなった。巣穴であたたかく今年の収穫を少しづつ食べながら春を待つのだろう。ゲルハルト・リヒターが写真を絵画に置き換えたように、わたしは春が訪れるまで、わたしの好きな冬の情景をおさめてそこからことばをひろってみよう…。その冬だってなかなかそれらしくはやってこないこの頃だけど…。

posted: mitsubako: 07:25AM

2005年11月30日

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余は霜を愛す。其の凛として潔きが為に。其の牢晴を報ずるが為に。
清美なるは霜白き時の朝日なり。

『自然と人生』というタイトルをもし英語で訳すならnature and lifeとしてしまいそうだが、調べてみると、この訳はnature and manになっている。なるほど、その方がもっと自然との関係が対峙的に見えてくるように思う。
徳富蘆花の『自然と人生』は岩波の文庫本で持っていて、通読したことはまるでないのだけれど、時々、ぱらりと見ては漢字に感慨を覚えてしまう。
今年の2月、琵琶湖を旅したとき、枯れ行く蘆の群生が見たくて新幹線に飛び乗った。この時、蘆花が引用した清少納言のことばをもう一度読んだ。「蘆の花は見所とてもなく」だ。見所のないところがまたたまらなく愛することの対象となる…なんとなくそれは今のわたしに身にしみてわかるようになったことのひとつだ。
蘆花は、蘆花なる所以をここに見いだした文章を書いている。

静更に寂として、唯限りなき蘆花の蕭々として風に鳴るあるのみ。

くどくどした解説文はなく、漢字の組合せにすっきりと削られた一文は、風景が視覚的に蘇る、案外ミニマムな表現なんだとこのごろ思う。

posted: mitsubako: 07:23AM

2005年11月28日

逗子

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逗子、鎌倉、北鎌倉といった湘南地方は本当に小さいころから馴染んだ土地だった。満州から引き揚げた母方の祖父は北鎌倉の円覚寺の裏山にウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計で一軒の家をかまえた。南側が開いていて、太陽が射し込み、芭蕉が揺れるいい木の家だった。
母は満州生まれの北鎌倉育ちだったから今ほど観光地化していない時代の古き鎌倉を知る人だ。今はもうすっかり変わりはてた鎌倉にはあまり足を運ぶこともなくなった。北鎌倉の家もいつの日かとり壊されていて、空き地になったところを訪ねた母の残念そうな表情は今でも覚えている。それでも、彼女の記憶の中にイメージとしていつまでも残っているその場所を語る顔には喜びがあった。
わたしは、それほど遠くない小さな旅にこの頃は逗子を選ぶ。以前なら車を走らせて、片道3時間ぐらいのドライブで山村へ出かけていくのもよかったけれど、この頃は、もっと近場でたっぷりとその場を散策するのが一番のリフレッシュだったりする。自転車が一緒だとなおさらご機嫌だ。
逗子の蘆花記念公園からのんびり郷土資料館まで散歩をして、閑散とした庭で半日をぼんやり過ごし、夕方、夕日の浜辺へ降りるというのがお気に入りだったりする。
郷土資料館は大正元年に建てられた徳川家の元貴族議員の別荘だ。木造の平屋で広い縁側からは逗子海岸が見渡せる。木枠のガラス戸に囲まれた廊下からは中庭が歩くたびにちがった風情を見せ、こと秋の光と木々の紅葉に囲まれた周囲の山は気持ちを落ちつかせてくれる。日本の家屋は窓の木枠や、すりガラス、ちょっとした隙間が微妙に光りの射し込み具合を陰と陽にわける。時間の経過と共に光の遊びを感じて、住まうとはそうしたことに慣れ親しみ、愛でることなのではないかと考えたりする。
この他にも小さな山道コースがいくつかあって、逗子・横須賀の自然を楽しませてくれる。1度や2度でその良さはわからない。四季折々に足を運ぶごとに愛着とちょっと不便に魅力を発揮している土地柄が見えてくる。

posted: mitsubako: 07:10AM

2005年11月24日

自分の字

自分の書く字をどう思うだろうか。字はその人となりをあらわすといわれるけれど必ずしもそうともいえないこともある。最近、人の字を見る機会がものすごく減ったと思う。パソコンになったというのもあるけれど、手書きの文字にも一種のはやりがあるので、描くのがうまい人は少し練習をしているとなんとなくそんな字が描けてしまうのだ。
その昔高校生のころ、まるい文字がわたしのクラスで流行った。友だちと時間があればノートにサインペンでころころ文字を何度も練習をした。
そういえば、黒板に文字を書くことももうないから忘れていたけれど、あれはあれでまたひとつの技でもあった。先生自身のことはあまり好きではなかったけれど、その字がとても好きで眺めているのが楽しかった。大きな、大きな字でキーワードになる熟語しか書かない。文章を書く時には縦書きだった。
先生のことは忘れても、その字の形は今でもよく覚えていたりする。
時々、墨跡の冊子を見てみたりすると、成人らしい文字に感動したりする。
心が伝わる文字、考えた跡が残る文字、はしり書きの文字…
自分で字を書いているとそういうことが浮かんできたりする。

posted: mitsubako: 07:00AM

2005年11月22日

体をあたたかく

風邪の季節がやってきました。
わたしは必ず、一度や二度は冬の間に風邪をひいてしまいます。今年は、ひきそうだと思うことがもう何回かあって、なんとかくい止めています。ひいてしまって熱でも出せばそれはそれで体の浄化になるのでしょう。それにしても、あの怠さとか、目から鼻のまわりが湿地帯のようになる時は重たくて、煩わしくて、願わくば自分の身体を脱ぎ捨てたいという思いがします。
冷えたものを飲んだり食べたりはできるだけせずに、季節のものを食べて、体をあたたかくしたいものです。野菜のスープとか、ホットアップルジュースとか…あたたかくて湯気がふぁーっと広がるものをふうふういいながら口にしたいものです。
眠る前には足先が冷えないように、そろそろ湯たんぽの準備。ふとんへもぐりこめばぽかぽかだとわかっていると安心して眠りにもつけそうです。湯たんぽのちゃぷちゃぷいう音は不思議と心が落ちついて、だんだんに眠りの世界へとさそってくれます。
自然酵母の発酵の温度は36度前後、みつばちの巣箱の温度もだいたい36度ぐらいに保たれています。人の体温も昔は36度前後といわれていたので、36度線を大事にあたたかくしていたいです。
“体をあたかかく…”

posted: mitsubako: 07:54AM

2005年11月11日

久しぶりのおしゃべり

R0010004.JPG*2004年11月27日のblogから
2年ぶりだろうか、P3ギャラリーの伊藤忍さんと、久しぶりにお昼を食べながら、午後のひと時おしゃべりをたくさんしたのは。忍さんとは四谷の東長寺内にP3があった頃からの友人で、私はその時、現代美術のひとつの大きなイベントを抱えていてP3には大変にお世話になっていた。アートと環境を視点に置いて様々な現代美術作家との展開を試みていたP3では、『SURVIVAL GUIDE』で知られるボスニアのFAMAというアーティストグループをはじめインゴ・ギュンター、蔡國強などと画期的な展覧会企画を行っていた。
忍さんとはプライベートで頻繁に遊ぶことはあまりない。けれども、時おり会って話しをすると、その間の空白は不思議と何もなかったかのように自然と打ち解けて、話し合える大切な友人のひとりだ。多忙で、しっかりとアートマネージメントの仕事をしていて、どこにも角がなく、本当に素敵な女性だ。忍さんに会うと、「慌てない、焦らない」っとゆったりしたマイペースを取り戻せたりする。今、私は仕事がピーク状態なのに、なぜか、忍さんにどうしても会いたくて、今日はそれが叶ってとても嬉しかった。そして、なぜそんなに「今」会いたかったのか話しをしているうちにわかってくるのだった。

今まで、お互いの家族の話などした事がなかったが、今日は、忍さんのお母さんが秋田の出身で、家庭科の先生をやっていたことを聞きいた。秋田と聞いただけで、私の頭の中には豊かな食文化圏が浮かび、秋田の白玉粉の話しやパンを焼く時の粉の話しをした。家庭科の先生だったお母さんは食べ物に関してとてもうるさかったという。それは決して洒落た食事ではなくて、体と心にバランスを保つ栄養をよく気をつけてくれた真心が感じられるいい話しだった。なるほど、こうして食べ物に気をつけて育てられた忍さんだから、どこか和む温かさがあるのだなと感じたのだ。
それから話題は少しP3のことになった。P3には、秘物が置かれている。ジョージ・ダイソンのバイダルカが数隻眠っているのだ。このバイダルカ、もともとは人さまからのお預かりものだったそうだが、所有がこの度P3に渡ったそうだ。何度か見せて頂いたことのある美しい船だ。これで、海にぽっかりと浮かぶことができたら、自分はきっと地球の母胎の中にいると感じるはず。そして、幻とも言われるバイダルカを現在売りに出している。忍さんは、本当に使ってくれる人のもとにこのバイダルカが渡ってくれると嬉しいと話していた。ミクロネシアでスターナビゲーションを学んだ石川直樹さんが、もしかするとバンクーバー島の南端からアラスカのグレイシャー湾に至る「沿岸水路」の海域を、このどれかのバイダルカで渡るかもしれないと話していた。そんなことが実現したら、私はその旅の記録を是非、読んでみたいと思う。バイダルカについて詳しくお知りになりたい方はP3代表の芹沢高志さんが翻訳をされた『宇宙船とカヌー』(ケネス・ブラウワー著、ちくま文庫)をお読みいただくと面白いと思う。そして、もちろん最近新しくなったP3のサイトもご覧下さい。バイダルカは当初、130万円ほどで販売をする予定だったようだが、P3では信じられないほどの価格での販売が可能なよう。
このあとはひとしきり私の養蜂園観察の話しを聞いてもらい、現代社会では見えにくくなってしまったり、封じられてしまった自然界の人間の感覚や感性、身体機能などの話しに盛り上がった。
忍さんには遠野で田舎暮らしをしている友人がいる。質実剛健な生活をしているという。早池峰山を目の前に広がる田畑にポニーがゆったり歩いて、老人が朝から日が暮れるまで、草取りをしている牧歌的な風景に心を打たれたという。きれいだ、美しいということだけではなくて、何でもないような風景の中に自給自足をまかなうための家族や家畜の役割があって自然の営みに融合しているのだと。
「みつばこちゃんもみつばちを飼いに遠野に行く?」っと忍さんにさそわれて、とても行きたいと思っている。それほど遠くならない日に遠野を訪れる機会があるような気がしている。
こうして、忍さんと話した後の私はなんとも言えない豊かな心持ちになって元気に月の夜道を歩いて帰っていった。切手の写真は、2年前に忍さんがブータンの旅をした時に頂いたおみやげだ。

わたしが岩手にふたたび出かけるひとつのきっかけは、こんなおしゃべりからはじまった…。

posted: mitsubako: 09:36AM | comments (4)

2005年11月10日

ローカル線のプチたび

PB050068.jpg冬の到来の前に晩秋のプチたびをしたいと頭に思い浮かべているけれど、なかなかプランが実現しない。どこへ?というのもだいたい決まってはいない。でも、できれば、ローカル線を乗り継いだたびをしたい。ローカル線は落ちつくし、懐かしさもあるし、小さな駅のはらっぱとかも魅力だから。
ローカル線というとすぐ東北を思い浮かべてしまう。岩手は紅葉の時期も過ぎて、ガラスに霜がはりつく季節を迎えたようだ。これからがまた一段と美しいときなのだろう。今、青く光沢のある表紙に朱色で『光太郎智恵子』とかかれた書簡を読んでいる。ここには人を思いやる心づかい、繊細な心がちりばめられている。ていねいに、人に伝える心が見えてくる。速攻は時として重要だけれどたびとか人の心は時をかけて、いちいちていねいにかかわっていきたい。見えていない時とか、通り過ぎた街角とかをゆっくり記憶の中で覚えておきたい。
さて、いったい、いつどこへいくんだか…まだわたしも知らない。

posted: mitsubako: 07:33AM

2005年11月04日

朱色のゴム長ぐつ

R0010007.jpg昨年の今ごろ、朱色のゴム長ぐつが欲しくてこんなことを書いていたのだなとあらためて笑みを浮かべてしまいます。そのお気に入りの長ぐつを買いました。養蜂園に何度かそれを履いて出かけたり、雪の日の公園を歩いたり、今年の夏は何度となく水まきで活躍しました。年季がはいって自分にしっくりくるまでどのぐらいの月日がかかるのでしょうか。

2004年の9月のはじめ頃、街中で朱色のひざ下まである長ぐつを見つけました。今日は、いよいよそれを買いに行こうとお店に行ったのですが……、

店員さんに「すみません、もう売り切れてしまいました。」と言われました。たぶん、Scotland製のものだったと記憶しています。オリーブ色とか黄色の長ぐつはよく見かけるのですが、朱というのは珍しいなと思いましたし、だいたい見ていてとても明るくて楽しい気持ちで仕事ができそうだと思ったので、次の機会にでも買おうとしていたのです。物を買うとき、瞬間的にどうしてもこれが欲しいという時と、少しづつ気持ちが向いて行く時とあります。長ぐつは、はける日の楽しみを温めていたのですが、品物の流通がスピーディな東京で残っているわけがなかったと、あらためて残念でなりませんでした。朱色のゴム長ぐつで麦踏みをしたかったし、近隣の田んぼへも田植えの手伝いをしに行ってみたかったのに、、、っと後から後から頭の中でぐるぐるとイメージがわいて来るのです。そんなモノにこだわってもどおって事はないのですが、なぜか時々どうしてもそれがいい時があるのです。大げさですが一生はき続けてみたかったのです。
そうして長ぐつを買うはずだった私は、本屋へ立ち寄って猪熊弦一郎さんが特集されていた小さな冊子“いろは”の3号と“ハチがいる!”を買って帰りました。猪熊さんはまだ生きていらした頃に講演を聞きに行きました。その頃は80歳後半で、お元気でピンクのシャツ姿で小磯良平の話をされたのですが、ユーモラスで前向きで本当に素敵な人でした。歳をとっても明るい色を好むのはいいですね。
もう何十年も前になりますが、まだ短大を卒業して青くさい頃の私は、猪熊さんが表紙を描かれた小さな月刊誌に文章を書かせて頂いていたことがあります。今思えば、恥ずかしくなるような内容を掲載できたのも、若気のいたりであったと思えます。尖っていた頃の懐かしい思い出がよみがえると同時に、心は鋭くはありたいけれど穏やかに猪熊さんのように快活に、歳を重ねられたらなと思います。きっとその頃、朱色の長ぐつをはきながら草や木に囲まれていることを夢みながら。

posted: mitsubako: 07:34AM | comments (2)

2005年11月01日

新聞の切り抜き

PA290017.jpg先週、姉から新聞の切り抜きが送られてきた。
韓国の大邱(DAEGU)に地下鉄が開通。その式典のイベントに養蜂家が呼ばれたそうだ。パフォーマンスで体中をミツバチで覆って登場したらしい。
ヨーロッパではこういう人をたくさん見るけれど、おそらく養蜂の父とも呼ばれる
L.E.Snelgove氏が書いた『Swarming, its control and prevention』のカバーページの影響なのかもしれない。
わたしは、百済の太子余豊璋が奈良の三輪山に蜂を放った…を思い出した。





posted: mitsubako: 07:28AM

2005年10月27日

夕焼け

sunset_051027.jpg

1年まえの丁度この日わたしはこんなことを書いていた。その時はサーモンピンクの夕焼けの写真を載せていたけれど、ときが過ぎて、今日思う色はむしろこんな夕焼けだったりする。
1年まえのこの日からかぞえて、この間、サーモンピンクの夕焼けを見た。志村ふくみさんの『色を奏でる』を読んでいたので糸の染色や織りにできたらと思うような空だった。自分で何かを生み出すことができる人ってうらやましい。こうして、瞬間に感じたものを織り込んで形にすることができたらどんなに嬉しいことだろう。私には、果たしてどんなことが生み出せる。
そんなことを考える秋の頃は熟れている。夕焼けを見て、小粒の涙が出そうになるときもあるし、満ちたりた笑顔であたたまるときもあるよ。

posted: mitsubako: 07:08AM

2005年10月25日

ピンホールノート

ピンホールカメラで撮影をしたいけれど、なかなか天気と自分の休みが出会ってくれない。前に練習で撮ったものの中からお気に入りを集めてノートを作ってみている。すごく簡単なもの。アイディアは森田千晶さんという方の和紙でできたnotebookがとてもすてきだなと思ったので少しヒントをもらってアレンジしてみた。
ただ、表紙部分をダンボールみたいな厚紙にして、中ページはわたしが好きなトレペ。
単純にじゃばらに折って好みのテープでとめただけだ。
肝心の写真を何で台紙につけようというのに迷っている…。

ならべてみるとぼやけた失敗作の数々も撮ろうと思って撮れるものではないので今ではかえってそれがいいなと思えたりする。
偶然が生み出す魔法の不完全性を集めたおかしなピンホールノートがここに1冊誕生…。

posted: mitsubako: 07:48AM

2005年10月18日

インクとペン

PA160002.jpg友だちとおそろいのペンをまた買った。
時々、自分が昔にメモしたものをぱらぱらと見ることがある。あるノートのあるページにこんな落書きを残していた。

錬金術の4つのエレメント「土・水・風・火」
紙(固体)→ 土または地
インク(液体) → 水
声(発声) → 風または空気
燃焼 → (火)

なんのために残したつもりだったかは忘れてしまった。でも、ちょっと面白いなと思った。nodocaさんという方は撮影された写真から栞をつくられていて、この夏、暑中お見舞いのはがきと一緒に同封くださった。お礼のはがきをお送りしたら、わたしの筆圧はインクとよくあうと言ってくださった。そんなことがとっても嬉しかった。インクのにじみとか、かすれとか紙と出会ってできる文字がとても好きだからだ。
インクとぺんの夢は無限大だ…。なにを落書きしようかな…。

ところで、別にわたしは不老長寿をめざしてはいないはず。

posted: mitsubako: 07:31AM | comments (2)

2005年10月17日

重たい本

PA160001.jpg『アマゾン河の博物学者』を読もうと思ってからもうかれこれ3年以上の時が過ぎてしまった。未開の地に幻の昆虫を求めて彷徨う話しは、観察記録的でもあり、美しい描写でもある。わたしは、この本の60ページあたりぐらいまでを、すでに4回読みなおしているはずだ。なのに、必ずその辺りで止まってしまう何かが起こる。
なぜだろうと思っていたけれど、それは本の重さにあるのではないかと、ふっとこの頃思う。寝ころんで読めないし、荷物が多い時には持ち歩きからは外されてしまう。そうしているうちに疎遠となって、ゆっくりと時間のある時に読もうと思う本として置き去りにされてしまうのかもしれない。でも、気になって、気になって仕方がなくて、また手にするのに…。同じことの繰り返しをしている。
数年前の夏、スイスのルツェルンという街の自然博物館でDr. H.C.Walter Linsenmaierという学者の昆虫コレクション展と偶然に出会った。いまだにそのことはよく覚えていて生前彼が使っていた机とか引き出しとか採取道具とかの展示が見事でひどく心を打たれた。昆虫を追い、その形態や生態そのものに魅了されロマンを抱く気持ちが、わたしのみつばちのことに二重写しになるからなのかもしれない。
いや、もしかするとある種のユートピアへの逃避なのかもしれない。ある人が熱中して恋い焦がれた探求心を辿って擬似体験をできる喜びが重たい本の向こうにはある。
擬態と変容はどんなに理屈があったとしても「不思議」ということにとどめておきたい想像の世界があると思う。

posted: mitsubako: 07:13AM

2005年10月12日

遠野の友だちへ

P9180041.jpgわたしがみつばちが好きで追いかけてまわっているように、自分の大好きなものがあって大事にしている人と話すのはたのもしい。どのぐらいにそれに熱狂しているかが、なんとなくわかるからだ。悲しい体験をすると人の心がわかるようになるというけれど、大好きなものがあって、「好きだ、好きだ」と思う気持ちを共有できるのは、やっぱり自分の大好きがあってはじめてわかるものだと思う。
遠野の友だちは馬が大好き。そうしたら、いつのまにかわたしも何か馬のことに出会うとすぐにその友だちのことを思い出してしまい、そわそわ知らせたくなって落ち着かなくなったりする。きっと喜んでくれるとわかるからなのかもしれない。この間新聞に北海道の馬のことが掲載されていた。すぐにここへ書こうと思っていた矢先、ブログのトラブルに巻き込まれてしまってお預けになってしまった。
真っ先に、デジカメを持ち出して、記事の写真だけは撮っておいた。(そう、わたしはこのごろなんでもデジカメでとりあえずスキャンしてしまうようになった。)
体に北海道の地形を象った模様のある子馬のことだ。偶然だろうけれど、よく人はこうした錯覚じみた夢に未来を描く。月に兎がいるだとか、そうした寓話的な発想はいつの時代でも微笑ましいものだとほっとする記事だった。
ところでこの子馬、大きくなってもはたして北海道の形を保つだろうか?膨張して南米大陸になっていたりはしないか…ちょっとばかげた心配なんかしたりした。

posted: mitsubako: 07:55AM | comments (2)

2005年10月09日

秋のひまわり

P9180002.jpg

どんよりした曇り空だから、あお空をおくります。
秋なのに、ひまわりの仲間の花が生き生きと咲いているのを見ると元気でいなきゃと励まされている気がします。

*blogツールや週末にかけて契約しているサーバの不具合などでご迷惑をおかけしました。ごめんなさい。

posted: mitsubako: 16:03PM

2005年10月02日

大失敗

ふあぁ。。。
大失敗でした。blogツールをアップグレードしようとして中のプログラムを壊してしまいましたとさ...。でも、わたしには考えがあるのでもう大丈夫です。

0地点にもどりました。
今、最大に必要と思った文章だけここへ引越ました。
すっきり今日からこの場所ではじまります。

posted: mitsubako: 11:12AM

2005年09月21日

ピンホールカメラ

pinhole_001.jpg祖父、松尾則民のことを以前に書いた。その後、彼の撮影した満州での写真など、ここに掲載をしてみようかと考えたけれど、なんとなく今はやめることにした。そのかわりにデジカメで初めて写真がおもしろくなりはじめたわたしは、最近アナログに興味を覚えている。絞りとか、シャッター速度とかまったくもって理解をしていなくて、マクロだって勝手にマクロモードとやらが撮影をしてくれていた。よくわからなくて感覚で撮っていただけだ。だから、逆光に向かっても写すし、なんでもかんでも撮っていて、本当になんだかさっぱりわからないまま奔放な撮影をしていた。
ピンホールは、自分で作ればいいのだけれど、まず手始めはポラロイド社のものを買ってみた。はじめは、このシンプルな装置がかえって難解に感じたけど、何十枚か捨て撮りのような練習をしているうちにすぐ楽しくなった。そうして光の関係と向き合うようになった。
朝日って大事だ。
光って1日のあいだにものすごい変化する。そんな当たり前を今知った。もっとすがすがしい秋になったら、早朝から朝の光でぼやんとしたジョナス・メカスのフィルムのような写真が撮れるようになれたらいいな。

*写真は初回のなかからです。

posted: mitsubako: 08:16AM

2005年09月14日

BOOKSから 「前田夕暮」

このあいだ、少し疲れて家に帰ると、いつもの白い地に赤い文字でArneと印刷された封筒が届いていた。なんとなく急いで開けてみた。青空の下、りんごの樹には赤い実がなっている爽やかな表紙が目に飛び込んできた。ぱらりとページをめくってから、わたしが、すぐ、そう、真っ先に読むコーナーはやっぱりBOOKS。いつだったか、松浦弥太郎さんが、「前田夕暮」を読んでいるとサイトに書かれていたことを思い出した。そのことが、ここにもっとたくさん書かれていて、短い文章なので2度繰り返し読んでしまった。『朝、青く描く』この本のタイトルだけで、なにかを感じて感動してしまうってどういうことだろう。

そうして文末に「私を裸で青い草のなかにおいてもらいたい……」と前田夕暮のことばで終わるこの文章。手にしたことも読んだこともないのに、たったそれだけのテキストのフレーズで、わたし自身がどうしようもないぐらいに揺り動かされて、青く透明な鋭い1本の草に心臓を刺されたような気持ちになった。わたしはしばらく呆然としていた。

なんだかわからないけど、「わたしを青い草のなかにおいてください」といいたかった。

posted: mitsubako: 08:26AM

2005年09月13日

沖縄の街角で

okinawa_bunko.jpgもう何年も昔のことです。沖縄に初めて行った時の写真が出てきました。
なんでもないような街角に本棚がありました。「ここから自由にとり出して、また読み終わったら返すんですよ。」とあちこち同行をしてくださったOkinawanが話してくれました。都内でもメトロのホームにキヨスクみたいな古本の本棚が置かれているように、ここでも古くなった本を街角で無人で貸出しをしているのです。手作りの本棚にぎっしりと本が入っていて、ちょっと借りて、木陰で読んでなんて気軽さが、とても新鮮だった記憶が蘇ります。
本棚にはたしか「借りる喜び 返す楽しみ」と書かれていたように思います。
偶然、本やお話のことを少し書いていた矢先、こんな写真が出てきたので、続きで書きとめておこうと思います。
こうやって写真を撮っていたということは、この頃もうすでに、本箱が気になる存在だったんだなと思います。
いっとき自分の中からすっかり冷めて消えてしまったかもしれないことも、こうしてあるとき急に繋がることがある、こういうことはわりと生きているあいだによく起こることです。ちょっとだけ長く生きてみるのも悪くないなと思えた瞬間です。

posted: mitsubako: 18:38PM

2005年09月12日

ぷーたろうのこと

phootaro.jpgむかし、山の奥の奥に太い大きな木で組み立てられたログハウス風のれすとらん“ぷーたろう”がありました。
長年のあいだ、どっしりとした山小屋でお客さんを迎えていたぷーたろうが、ある時閉店することになりました。それはそれは立派な木材で建てられていたものですから、閉じてほおっておくのはもったえない。そこで、ある先生がお願いをして、このログハウスを移築してもらうことにしました。
子どもたちがたくさん集まるところに、一度取り壊されたぷーたろうの木材が運ばれて来て、あっという間に組まれて、またもとのぷーたろうが建ちました。古い木のぬくもりがあたたかで、少し暗い空間が、あの子やこの子の格好の遊び場となりました。
それからは、ぷーたろうはお話の部屋となってそこで楽しい素話を聞いたり、絵本を読んでもらったりするところとなりました。
しんしんと降る雪の日、ぽつんとテラスから誰もいないぷーたろうを眺めている人がいました。

いつでも人を迎える役割を果たしてきたぷーたろう、時代が変わっても、その温かさを人に伝え続けてぽつりと建っていてくれるんだろうなぁ。

posted: mitsubako: 18:41PM

2005年09月09日

ちいちゃい、ちいちゃい

P9040002.jpg「むかし、ひとりのちいちゃい、ちいちゃいおばあさんが、ちいちゃい、ちいちゃい村のちいちゃい、ちいちゃい家に住んでいました。……」
babay mammothにからめて松岡享子さんのこととかを連載しているうちに書棚からほこりのかぶった本をとりだしてみたくなった。
イギリスとアイルランドの昔話。
松岡さんの恐い素話ってこの「ちいちゃい、ちいちゃい」だった。何十年も前のお話なのにこんなに鮮明に残っているなんてすごいことだと思う。

それから『なぞなぞのすきな女の子』とか『それ ほんとう?』はいつまでたっても大好きだ。

「あめりかうまれの
ありのありすさんが
あるあきの
あかるいあめのあさ
あたらしい
あかいあまがさをさし
ありあわせの
あおいあまぐつをはき
あつぼったい
あめいろいのあまがっぱをきて
あるところを
あるいていたら……」
『それ ほんとう?』の作者は松岡享子さん絵は長新太さんだ。

あんなのもあったけ、こんなのもあったけと次々と思い出す。
ほんとうは大人の方がお話を楽しんでたのかもしれない……。

*イメージは本文とは関係ありません。昔に受け取って心に残るポストカードを載せてみました。

posted: mitsubako: 18:44PM

2005年09月08日

babay mammoth 3のまき

P7290008.jpgみつばち好きのわたしが今ここにあるのはいくつもの体験とか出会いによる。「きっかけは何だったんですか?」とよく聞かれるけれどあまり特定ができない。
昆虫はキライではなかったけれど、格別スキというわけでもなかった。
ビクトル・エリセのフィルムを見たり、イリヤ・カバコフの蠅の話しを聞いたり、ルイス・セプルベダの『パタゴニア・エキスプレス』とかブルース・チャトウィンの『どうして僕はこんなところに』を読んだり、あちこちの国でおいしいはちみつを食べたり……。
松岡さんとの出会いもそのひとつだったろうと確信できる。
別にでもそれはみつばちに限定しなくたって、もしかするとわたしの生き方とか、思想とかそういうものにまで及んでいる。“みつばちの木箱” = わたし だから。

絵本、今ならきっともっとのびのびと自分の“好き”を伝えられそうな気がする。
自分をとりまいていたいろんなフレームが取り除かれて、今現存することを認められるようになったから。
そのうち、庭の片隅にみつばちの巣箱を置いて、食べ種をまいて育てたりしてる、不思議なおばあさんが絵本を読んでくれたり、お話をしてくれるお部屋があるよ…なんていわれるときが来るかもしれないなぁ。。。
babay mammothには福音館書店の絵本づくりのこととかモトスミ・オズ通りとかおもしろい記事がたくさんあった。雑誌の引用を少しだけ掲載しておきます。
「……ちっちゃいうちに、愛情に包まれた言葉をちゃんと身につけておくと、あとの人生、生き易いんじゃないかな。言葉には必ず音が隠れてると思うんだけど、音楽って無意味な所が強みでしょ?言葉は意味があるのが、強みでもあり弱みでもある。無意味なことも、意味あることと同じように大事だって思えると、僕はいいと思う。(哲学者の)鶴見俊介さんが、non senseは世界の肌触りだって言うんです。人間は世界の意味を一生懸命つけようとしてるけど、意味だけでは追求しきれないものがあって、それを肌触りって言ってるんだと思うんだけど。……」
babay mammoth no.2より抜粋:谷川俊太郎 絵本作家インタビュー ちいさな子どもと絵本について

btw:偶然この雑誌ですてきなことを見つけた。でも確率がひくくなるといやだから内緒!

posted: mitsubako: 18:46PM

2005年09月07日

babay mammoth 2のまき

P7290012.jpgわたしが大人になってからの好きな絵本は80%ぐらい松岡さんの影響があるといっても過言ではない。ストリーテラーという仕事があることや、文庫という楽しさを知ったのもこの時だった。いつか文庫を持ちたいなと夢見ていたこともあった…。ほんの数回だけ自宅を開放して読み聞かせをやったこともあったけれど、自分の都合でそう長くはできなかった。こういうことは気長にずっと続けないと意味がない。悔い改めはやまほどあるけどそれは心の底で自分で自分に折をつけるとして。。。

素話やリズミカルなうたあそび、わらべうたに関心が深まったのもあの頃からだった。子どもたちの本棚に置くものを選ぶのはひと苦労だった。あまりに意図しすぎてもよくないし、かといって自分の“好き”だけでは偏ってしまう。わたしはいろんな挑戦をした。いつだったか、朝日新聞で動物記が連載されている時期があって、子どもたちの本棚にそんな新聞を置いてみたことがあった。それが、とても人気なのには驚いた。子どもだからという枠をとりはずして、その当時自分の思う限りの選出をした。
子どもに新聞ってどうなんだろう?というわたしの好奇心と、ちょっと大人っぽく新聞を読んでみたい子どもの背のびごころがピタリとあった喜びだった。でもなぁ、今思うとやっぱりちょっと笑えるセレクトだった。その時出会った子どもたちはもう今は立派な成人。どんな大人になっただろう。
本は好きだろうか。
ちょっと気になったりする。

posted: mitsubako: 18:49PM | comments (0)

2005年09月06日

babay mammoth 1のまき

seetal-08.jpg
8月の終わりごろ、突然久しぶりに数冊雑誌を買ってみた。
まるで買わない時もあるし、たくさん買ってみたくなる時もある。

創刊当初、おもしろいなと手にしたことのあるmammoth。baby mammothが出たのを知ったのはつい最近だった。relaxは時々。「平和がいいね」が特集だったので3回ぐらい書店でページをめくっていたけどついに買ってみた。paperskyは秋田のこと、アーネムランドのことが出ていて……っとそんな調子で5、6冊ごっそり手に入れてしまった。なので車中読書はしばらく雑誌たちだった。

babay mammothは赤ちゃんのだいすきな絵本特集。でも、わたしを買う気にさせてしまったのは東京子ども図書館の記事だった。いろいろ話したいけれど、1年分のノートになってしまうから。何をどう切り口にしていいやら、あふれる思いですぐにいっぱいになってしまって伝えるのがへたくそでいやになる。手短に話すと、東京子ども図書館の松岡享子さんは忘れられない恩師のひとり。松岡さんにしてみるとものすごい数の生徒を送り出したわけだから、今さら恩師なんていわれてもだけれど。
わたしの方は熱烈なファンで片思いの生徒って感じぐらいの関係にしておこう。

松岡さんは絵本の世界と子どもをつなぐたくさんのきっかけや種をまいてくださった。授業のはじまりにおはなしろうそくのうた遊びがすっと始まって、素話をしてくださった。いつが始まりで、いつが終わりだかわからないような、お話の世界へ引き込まれていく。
恐ろしい昔話は本当に恐ろしかったし、ことば遊びは口がまわって思わず笑いがこぼれる。一度、素の声を耳にすると、人をすっとそこへ入り込ませる不思議な魔力をもった人柄だった。なにしろ、松岡さんご自身がお話が好きで好きでたまらない。無邪気でそのことだけを伝えるまっすぐな人、えくぼのできる笑顔がステキな人だった。

posted: mitsubako: 18:51PM

2005年09月05日

そのコ

P9040010.jpg

花柄の地に切手がちりばめられた装幀のこの本は前から持っていた。

きのう『横断歩道』を読んでこんな場面が写真に撮れたならって
わくわくしてきたところがあって栞をはさんだ。

それはここのページのこのことば……

「あなた
わたし
あなた
わたし横断歩道で立ち止まってはいけないの

渡ればいい
渡ればいい
ふり返ればいい
逆光を受けたひとの景色はバツにみえて
それで
あなた
わたし
マルにできる」


……どうしてこんなことばが生まれてくるんだろう……。
ちょっと羨ましいなと思ったのも確かだった。

『そのコ』書肆山田 ぱくきょんみ著

posted: mitsubako: 07:28AM

2005年08月13日

スタイル

若いということはそれだけで美しい
そう思えるのはもしかしたら実に自分が歳を重ねてから気がつくのかもしれない。
わたしを振りかえると、当時の自分は理想に燃えて、先がとてもつもなく長い人生を重く感じていたように思う。わたしのことだけで精一杯。憧れのあの人この人の生き方をスタイルで模倣してみて模索して。余裕がなくていつも何かを追っかけて走っていた。

30代に入ってからのわたしはその中から少しだけ取捨選択をしてわたしの路線を築きはじめたくなった。膨大な情報の中に生きていながら、わたしには余分だと思うこと、思うものを徐々に削ってできるだけミニマムにして行こうと決めた。
精神性という意味で多大な影響をいただいた方々の色を捨てて、もう一度わたし自身のこととして消化し、時代や流行すたりに流されない「らしさ」を見つけてきた。
今、ゆっくりと迷いながらも時間をかけて温めてきたものが、やわらかに人と共有できるスピリットになりつつある。手にとるように、少数だけれど、分かち合える人々が世界にいると実感できるようになった。

これからのわたしはもう追っかけすぎたり、走ったりしないで、ていねいにことがらと向き合っていこうと思っている。
太陽が昇って沈むまで1日の人のできることはそんなに多忙ではないはずだ。冷静に自分を客観視できる孤独なひとりの時間をしっかりと持つ。浮かれた饗宴まがいの世界観にはもう関心はほとんどない。
スタイルにとらわれず、わたしの熟成の道を歩めばそれでいいと思うから。

posted: mitsubako: 18:35PM

2005年07月19日

ある家族の残像

裸ん坊の女の子がお父さんとお母さんと手と手をつないで真ん中に、夕暮れの海のお散歩。
空も 雲も 砂浜も じっとしている岩も 打ちよせる波も 浜辺に咲き乱れるカンナの群生も夕刻色にどんどん染まっていく。潮が満ちてきて、ぼーっと立ちつくすわたしたちをすい込むよ。不透明で不純物がつまった海水が どどん としぶきをあげて打ってくる。
砂浜はきらきら焼きついたオレンジに輝きだして、波の跡を残しては消え、残しては消えている。
裸ん坊の女の子はしっかりと砂浜に足をつけて、どんどんどんって跳ねてみる。お父さんもやってみる。それからお父さんは白い泡の波に向かっていった。
やさしいロングスカートの裾をもったお母さんと女の子は手をつなぎながら波際をしばらく歩いていた。体を海に浸したお父さんは、今度は女の子をだっこして少しだけ大きな波に体を触れさせてあげたよ。女の子は大喜びの笑い顔。
お父さんと女の子が砂浜で夕日色になって遊んでいるころ、お母さんは波の中に足を入れはじめた。ひざまでつかっているうちに、波しぶきでスカートが濡れる。お母さんは体全体で海を感じはじめた。
わたしたちは、この光景の瞬間を見逃してはいなかった。そしてひとりの美しい女性の姿をそこに見た。
帰るころにはわたしたちはこの家族の光景がとても好きになっていた。

posted: mitsubako: 18:59PM

2005年07月15日

赤い砂

R0010005.JPGカチーナドールに憧れて、厚紙で動くカチーナを2つ作ってダンスのコマドリをして遊んだことがあります。そのタイトルが『赤い砂』。
カチーナ信仰はプエブロ・インディオが主に雨の精霊を呼ぶ儀式としてアメリカ先住民の間に起源したものといわれています。なかでもとりわけホピ族の神話や人形についての考古学的な研究は1870年代末にかけて発見され、その後、西洋の芸術家や詩人たちに大きな影響を与えてきました。
今日は作家ホルスト・アンテスが収集をしていた中から79点のカチーナ・ドールを神奈川県立近代美術館葉山に見に行きました。カチーナドールはハヒロハコヤナギの根の部分を原木としていて、ボディを彫ってから、赤土色や黒や緑など鮮やかな色どりに着色をして羽根や布、植物で飾られています。アニメーションの原形と同じようにその象ったものに息吹を吹き込むと精霊がやどり守護神の象徴となるものです。ズニ族のカチーナも陳列されていました。彼らのカチーナは両腕が動くように作られているのだそうです。
ホピの世界観は、上方に生を営むもの、下方に死後の世界とふたつで構成されていて、調和が保たれることが理想とされてきました。けれども人間の悪い行いで混乱が起き、フィリップ・グラスの作品ともなった調和なき世界=コヤニスカッティとなってしまったのです。守護神は人間に太陽と月を与え、トウモロコシの栽培を教えました。形状や色の異なるトウモロコシの実を選ぶことで、言語が異なる種族が生まれて、ホピ族は短いトウモロコシを選び簡素で平穏な生活を営むことになったという伝承があるそうです。
カチーナの中にはまるで、秋田のナマハゲのような役割のものがありました。そしてもうひとつおもしろかったのは、ゲゲゲの鬼太郎の目玉おやじのような形状をしたカチーナがあって「アヤカチーナ」というのです。Ayaは発芽や発育というような意味合いがあるようで4月ごろの儀式でかけっこをするカチーナなのだそうです。肝心のホルスト・アンテスの作品よりは、カチーナドールに魅せられて去りがたい展覧会でした。
わたしがカチーナドールを知ったきっかけは亡くなられた猪熊弦一郎さんのおもちゃ箱。そしてサンフランシスコでZUNI Cafeというのがあったはずで、ZUNIという音とか文字の並びが印象的で調べたらズニ族のことだったという記憶があります。
思いがけない遠い記憶がこうしていつか出会って線になる、そんな今日でした。

posted: mitsubako: 18:49PM

2005年06月01日

鉄道草

brasil.jpg読書は旅と結ばれることがしばしばある。出会いがあるからだろうか。
を開こう。心と同じように体も開こう。

島崎藤村の『千曲川のスケッチ』に鉄道草というのがある。私は別の本を読み漁っていて鉄道草ということばに触れて以来、妙にこのことばにひっかかっていた。明治維新以降、近代国家を目指した日本列島は凄まじい勢いで鉄道開発を進めた。この開発で敷かれた線路沿いに帰化植物が、並行して各地へと侵入していったという。御維新草と呼ばれた雑草だ。
帰化植物に敏感な日本人が、見過ごされてしまいそうな雑草の微妙な変化を捉えたことばなのだろうか。あるいは、見慣れた光景から一転して植生の変化に危機を覚えた名称なのだろうか。私にはわからない。

岩手を旅した時、地元の方の勧めもあって山田線というローカル線に乗った。ゆっくりとした列車の旅はいいものだ。旅と速度はその時々に私が目的とすることと深く関係する。だから、選ぶ乗物にもこだわったりする。歩いた方がいいと思う時は私の足を使うし、風や空気を感じたい時には自転車に乗る。
蜜蜂岩という固有名を耳にしたことはあるだろうか。これが、中国の現存する駅名だと聞いてから、また私の好奇心の虫が胸の中で騒いでいる。汽車がスイッチバックするポイントとなる駅だそうだ。こんな辺境へ、途方もないロマンを追ってカメラを抱えて旅する人が多数いると知って驚愕した。
どうだろう、これまで自分が見てきた故郷といえる原風景はいくつもある。しかし、この中国に残存する風景はあなどれない。水牛がゆったりと水田を耕す、こんなところが実在するのかと目を疑う。

『ブラジルへの郷愁』は思想の流行や時代がすたれても、私が一番好きな写真集だ。どんなにかこの本の項をめくったことだろう。いや、この思想家の本を写真集として見る私は少しまちがっているかもしれない。

人は、どうしてもその瞬間、その1シーンを何かに収集しておきたくなるものだ。いづれはいらなくなるものなのに、なぜか永遠性を求めて自分のそばに置いておきたくなる。
珍しさに好奇の目を持つことは生きていて当たり前のことだ。でも、無我夢中で収集に走り、人に見せたがる心理が働きすぎると一種の博覧会的な発想が誰の中にも生まれかねないから油断はできない。私は時々、そうした後ろめたさ、罪意識のようなものにかられてすべてがいやになることがある。
私がそう意図していなくても、そういう方向になってしまう可能性を秘めていることを認識しておくべきだと自分に言い聞かせている。だから、『ブラジルへの郷愁』はとどめとなったりもする。いずれ書くかもしれないが、たかが個人の私の祖父にもそうした歴史に左右された純粋性を見逃すことができないでいる。

蜂蜜猟というのがある。日本も含め伝統的に世界の各地で行われてきたものだ。養蜂以前の人間と蜜蜂、養蜂と並列して存続している猟、あるいはもっと究極に言えば自然と人の深層を知る上でその固有の民族性や信仰心、生活様式は興味をそそるものだ。私は激変するテクノロジーの時代にありながら、よりプリミティブな生活環境に身を置く人々に、時折感嘆の声を発している。なぜなんだろうか。運命とは憶測を超えて何を意図しようとしているかは私の思考域では及びもつかないということなのか。

ここに羅列してきたことは、この数週間、岩手から戻って頭の中で巡る雑感を束ねたものだ。
今、なぜか、アマゾンの密林でイゾラドとの接触を武力封鎖で保護するシドニー・ポスエロと沢木耕太郎のやりとりが心の中をひどく占めていて映像が浮かびあがって来る。同時に、霧に包まれた、ベルナー・ヘルツォークの『フィッツカラルド』のシーンが交差する。未だ足を踏み入れたことのない密林へのほのかな憧れと私の愚かな夢の衝動が連鎖して途切れる。

こうして止めどもなく、迷宮を彷徨うかのように私にまつわりついている事柄をどんな風に表現していくかは私次第で、私の創意力にゆだねられている。どうするんだ、私。毎夜そんな気持ちに駆られて変な時刻に突然目覚める自分が在る。

私が回帰的、回顧主義的に「自然」を口にする。もし、その多様性の存続を第一義的に考慮するならば、極力その他の存在に関心を持ちつつも無干渉であること、この言い方は排他的な感じがするとすれば、隣人の存在が当たり前だと思うこと、特別なまなざしを向けすぎないことが案外糸口だったりするかもしれない。よかれと思ってやりすぎることが、余計なおせっかいだったりすることは自分の身近を振り返ったってあったりすることじゃないか……。

*蜜蜂岩に関しては眞崎弘海さんという方のサイトの『ライカと鉄道写真』から知り、眞崎さんからよりポイントのわかるサイトを教えて頂いた。この岩がどうして蜜蜂岩という名なのかこれから調べてみたいと思っている。眞崎さんどうもありがとうございます。

**近頃見ているサイトを連鎖してみました。

posted: mitsubako: 19:08PM

2005年05月27日

生前の形見

my_birthday.jpg

何十年前の今日、今このエントリーを書いている時刻、私はまだ母の体内の中だった。外界に生まれ出て空気を吸って人間となった不思議な日だ。
私は生まれた時からよく泣く赤ん坊だったという。
1カ月近くも前になるが、80歳を越えた伯父から桜の木のテーブルと椅子をもらった。伯父の母、富美さんもこのテーブルで食事をしたし、今は亡き伯父の妻、私の伯母であり私の母の姉である基恵子もお茶を飲んだりしたのだろう。
親友が泊まりに来た晩、真夜中なのに一番目のお客さんでこのテーブルにろうそくの灯りをともして和菓子を食べた。「このテーブルと椅子いいねぇ。ねぇ、ねぇ、あきることがあったら欲しい、そんな日はこないか…。」といった。
伯父は、生きている間に台所の片隅に小物が積まれていたこのテーブルと椅子をくれた。生前の形見だ。私も、それがいつなのかはまだわからないけれど、そろそろだなと思ったらこれを親友に今度は私の生前の形見としてあげられるだろうか…。

posted: mitsubako: 19:03PM

2005年03月11日

仙台

COW BOOKSのweb store WEEKLY HIGHLIGHTS nakameguro、今アップされている中に『駄菓子のふるさと』というのがある。紹介を読んだ時からずっと気になっていた一冊だった。私は、幼少期のほんの数年、仙台市南小泉…たしか古城というところに住んでいた。もしかするとその辺の近くだったのかもしれない。仙台市の駅からバスに長い時間ゆられて、下車する停留所近くの道は石ころがごろごろして、大揺れになったことを覚えている。螻蛄も停留所にいた。確か、とさつ場があったし、バスの終点は刑務所だったと記憶する。子どものころに感じることは、大人になって行ってみると、もっと近距離だったり、大きく感じていた物は大抵小さかったりする。
すぐ隣にあっちゃんという子がいて、その子の家の前には大きな井戸があった。私は底の方を覗くのが大好きだったし、ポンプを身体いっぱいで押すのがすごく楽しかった。
麦藁帽子をかぶって、1日中小川におたまじゃくしを取りに行ったり、トンボを追いかけて遊んだ。駄菓子のこともなんとなく覚えているけれど、駄菓子はいいものだとわかるようになったのは大人になってからだ。普通の生活の中に溶け込んでいるものは、あまりにも当たり前すぎて人はその有り難さとか良さを取り立てて考えたりはしないのかもしれない。
どんな世界にもハイなものとロウなものがある。どちらがどうで、こうだとはいえない。どちらにも究極のよさがあるはずだ。ただ、もし私だったら、気づかないうちに人の中にすっと溶け込んでいるものが、毎日あたりまえのように人に愛されていたら本望だなと思ったりする。

蜜蜂のことを書いた国内の本を時々古書検索している。『蜜蜂余生』中勘助というのを見つけた。気になったので、中勘助のことを調べていたら『銀の匙』のことが書かれていた。
とらやのサイトで「歴史上の人物と和菓子」という中にも中勘助のことが書かれていて、その画像を見てはっとした。欲しい本がどんどん増えていて、リストを書いてみているけれど、どうしたらいいんだろうと思う。しばらく検索は控えないと……。

ところで、東京は下町に今滞在中だ。東京に住むのは初めてだ。これを機にぶらり下町駄菓子散策をしてみようかと思う。

posted: mitsubako: 20:02PM