2008年05月11日
日々雑感

5月の連休が終わると1年の半分ぐらいが過ぎてそろそろ本腰を入れて動こうという気分になる。
連休最後の日に蜂場へ出かけた。ふりそそぐ太陽の光りの中で何万匹というみつばちの羽音を久しぶりに聞くと気持ちが落ち着く。羽音の波長がわたしのアルファ波状態に関係するのではないかと思うほどだ。みつばちたちは今年も元気に繰り返し蜜を集めるのに忙しくしている。この姿を見ると「よかった」という安心感と元気がわいてくる。それから躍動感をわけてもらって、自分らしさをとりもどせるから不思議だ。
連休明けには友だちと馬喰町Art+Eatで開催されている柳銀珪(りゅうんぎゅ)さんの写真展のオープニングに行った。何年かぶりの伊部年彦さんに出会った。南天子画廊での個展はとても印象的な作品だった。Art+Eatは武さんの軽食がとてもおいしくて楽しいひとときを過ごす。
わたしの部屋に灰塚アースワークで廃校になった旧灰塚小学校の理科室の机がある。連休中にあれこれとプランを練っていて、これに少しだけ手を加えたいなと思いナチュラル素材のペンキを購入した。アメリカの開拓時代に使われていた色調を使用していて主成分はミルクだそうだ。Buttermilk Paint Colorsで色はyellowish whiteにしてみた。ペイントをしたら、花粉の撮影をまたはじめる季節がやってきている。
最近はすこし絵も書き始めている。えんぴつと水彩。いろいろなところでインスピレーションをもらっているから形にしたくなった。友だちのmariaは白壁にワイヤーをひっぱって自分が感化を受けたものをつるしていくインスピレーションワイヤーを日々の生活に取り入れている。わたしのスペースにはそれに似合うところが今ないので、とりあえずノートでやってみようかなと思う。そうして今年はいろいろなことへの再スタートを!眠らせていた自分の感覚や感性をきちんと研ぎ澄まして、等身大でものごとを見つめなおして行こうと思う。
もうひとつ、刺激があったのはポポンタのこと。幡ヶ谷にある友だちのお店がオープンしてはや1年を迎える。まだ2回しか行けていないけど、これからはもっともっと行けるようにしたいと思う。このあいだ、仕事の同僚とクスクスを食べに行った。本当にていねいな味付けをしていて気持ちがいいなと思う。お店の名前のポポンタはタンポポを反対から声にだして読むとそうなる。このお店のロゴデザインやサイトのデザインをしたのは昨年の夏、早朝からはじめての採蜜に駆けつけて撮影をしてくれた松村大輔さん。温かいポポンタのもてなしがそのままサイトになった感じがする。
いろいろなことが少しづつだけれど周辺で動きだした。わたしはわたしの好きなことをそのままやればいいんだと思えるようになった。
posted: mitsubako: 17:22PM | comments (2)
2008年05月04日
客間の主人 澁澤龍彦

神奈川近代文学館で澁澤龍彦回顧展 ここちよいサロンを開催している。
私は『ヨーロッパの乳房』を読んでボマルツォ庭園の存在を知ったのが、そもそもの澁澤のはじまりだった。幻想に満ち偏愛主義的なイメージが強い澁澤にはなにかが立ちはだかっていて、むしろなかなか読書に入り込めずにいた。にもかかわらず、気にかかる人物のひとりで、いつか必ず読む時がくることも予めわかっているつもりだった。おそらく、詩人で元妻だった矢川澄子の方から澁澤を見ていたから、女性的な感情がわたしの中に無意識に働いて、作品をその事実とは別に切り離して客観的に見ることができなかったからなのかもしれない。それぐらいわたしには澁澤の存在と彼女の最期が衝撃であったのだ。
ここちよいサロンの監修は詩人の高橋陸郎だった。生前の澁澤の生き方をサロン=客間の主人とたとえ、主人を媒介に芸術や思想に心を通わせる文化人が多岐にわたって、その主人(あるじ)を慕い集った。客間を巡り回想する趣向がこらされている。以前、『舞踏会の手帳』というクラシック映画があったが、故人を回想しながら客人として自分もサロンに招き入れられている気持ちで澁澤を知っていく感があった。
澁澤の本はとくに後期のものがおもしろいと人から勧められている。『ねむり姫』、『うつろ舟』、『高丘親王航海記』など身体的に澁澤が不調を感じはじめてから病床で死を迎えるまでの作品群だ。
幼少の頃も病弱で、植物や昆虫などミクロコスモスな世界観と対話をしていた澁澤にやや好感を持ちはじめる。澁澤がサロンを開き日夜、文学や芸術論に花を咲かせていた場所は鎌倉の山ノ内。ひょっとすると母の実家のすぐそばだった。
まもなくパリ時代の堀内誠一とかわした89通の往復書簡が晶文社より出版される。春の終わりから不透明な視界がつづく梅雨の季節、幻想の澁澤の世界にひたってみようかと思っている。
posted: mitsubako: 15:17PM | comments (0)
2008年04月30日
若いみつばち

体の色が透き通るぐらいに薄いみつばちが飛んで来た。
若いみつばちなのだろうか。
庭に一歩出てみれば羽音が聞こえる季節になった。
posted: mitsubako: 00:48AM
2008年04月29日
ピンク

毎年、牡丹の花が咲く
千枚の花びらの奥に花粉の群生がある
ピンクが勝ちか、黄が勝ちか、散るときはどちらも同時だ
posted: mitsubako: 10:35AM
2008年04月19日
『小さな建築』をめぐる千一夜

象設計集団の創設メンバーである建築家・富田玲子のシンポジウムに行った。第1回目のテーマは「子どもの居場所」で、語り手は詩人の谷川俊太郎、教育学者の佐藤学そして富田玲子。
富田玲子は「あいまいもこ」の建築空間をスライドを通して紹介していく。選出した写真の意図と組み合わせが一つひとつ詩のように建築それ自体と連鎖するシーンが美しいと感じた。そこにはやさしい光りがある。
「谷川さんは何歳までが子どもとだと思います?」と静かに富田さんが語りはじめた。生まれた小さな子どもの最初の居場所は「だっこひもでくるまれた布の中」という。小さくて、あたたかくて、やわらかいということが居場所のはじまりではないかと富田さんは考える。
子ども1人。柱1本がひとりであることの居場所になる。子ども2人。子ども3人。明るく落ち着く北の光、教室と庭の真ん中にある隙間、音に対してやさしい材質の床や壁。内と外の境界がはっきりとしないあいまいで不思議な空間を「あいまいもこと」呼ぶ。
佐藤学は国内外の教育現場を知るフィールドワーカー。西洋の学校建築の流れにはふたつのルーツがあるという。それが教会と監獄だ。日本の学校建築の二つのルーツは民家と兵舎。明治33年にいわゆる学校のビルディングタイプができあがる。以来、質実剛健で廊下は北が規則となった。いくつもの海外の学校を見てきて佐藤さんも富田さんも印象に残ったのが偶然イギリスのShady Hill Schoolだったという。1918年に創立、ケンブリッジのハーバード大学の裏手の林の中にある。空間と教育現場が共鳴しあい棲まい、憩い、交わり、学びあう場所としての学校が成立している。
・ルーム(居場所)としての学校
・ホーム(家庭)としての学校
・コミュニティ(共同体)としての学校
子どもサイズで作られている学校で、自分の存在が感じられたり、静かで彩がとてもいい。こうした環境は声を荒立てずにおだやかで静かに暮らせるということにつながる。静かな落ち着いた環境は思考を深める。日本の画一化された学校はPタイルでコンクリートの硬質の素材がもとになっている。硬い床や壁は声がキンキンと反響するので、聞こえづらく話し声がさらに大きくなって騒々しくなる。
谷川俊太郎は無意味、言語以前に触れる詩創活動をおこなっている。自分の存在を意味論をあえて排除することで、身体を通じて言語以前を再現しようとしている。谷川さんは学校ぎらいだった。学校は意味空間を強要するところがあって反発を覚えたという。「学校」という詩を朗読。この詩のなかで学校を火事にしてしまう。そんな谷川さんが、学校の校歌の作詞をしている。戦後30年ぐらいのころに作ったものには校名、場所性などを織り込むことが重要な要素であった。しかし時代の変化とともに本質に向き合う詩を求められることが多くなってきた。
今では、時代の政治形態の影響を受けないような文化を伝える詩に変っていっている。
こうしたそれぞれの3人の仕事とディスカッションを通し、「居場所」=自分の座標、あるいはポジショニングは意味だけでは伝たわらないものを持ち合わせていることが見えてくる。それが身のおき方や呼吸、そして距離感であり、人と共有できる心の加減は空間と密接な関係がある。それは、建築以前を「あいまいもこ」に包んでいる建築空間のなかで起きる衝撃ではないか。
『小さな建築』富田玲子著 みずず書房
posted: mitsubako: 18:25PM
2008年04月13日
crumpetの朝

のんびりした休日を過ごすことにした。まだ風邪が完全に治っていないからだ。
crumpetというイギリス風のマッフィンのようなものを焼いてみた。アメリカだとボストンからさらに北上したイギリスのなごりが残る地方などでこれを焼く専門店もある。粉の加減や焼き具合がむずかしくて、まだ「これ」という要領を得ていないけれど、そこそこおいしく焼けた。セルクルで形を整えたけれど、本物のクランペット型が欲しいなと思う。はちみつと一緒に食べた。



posted: mitsubako: 18:45PM
2008年04月05日
ライラック

風邪で出かけるのはとても億劫な毎日。せっかくの春なのに野原に行かれないのは残念。日だまりにちょこんと座って本でも読みたいけれど、活字を追うと涙目になって疲れてしまうからこれもまた残念。とにかく何もしないで休むが一番っていうことだ。そこで、庭に出た。ライラックの紫が目にとびこんでくる。カメラを持ち出して、この一時だけの鮮明な春の色を永久にとどめておきたいとシャッターをきる。そうしているうちに半日カメラと遊んでいた。被写体に向かう久しぶりの集中力だった。自分のまわりに色を集めておきたいから、いろいろな光りの角度を四角いフレームにおさめていく。デジカメの鈍いシャッターを押すたびに、やりかけで止まっていることを出発点にもどってはじめなきゃという気持ちが盛り上がってくる。まるで、光りの庭で久しぶりの色を再認識したように。
posted: mitsubako: 18:00PM
2008年04月03日
April

先週末、熱を出した。桜の花が満開のAprilなのにじっと寝ていた。
少しよくなったかと思えば、ぶりかえし喉のあたりがひりひり痛む。
その間に桜は散り始めた。
仕事場のすぐそばの桜が西日にあたって桃色に花を染めていた。
夕日のころの桜の色はこんなに艶やかなのかと初めて思った。
石井桃子さんが亡くなられました。わたしが見た桜の桃色のはなびらのように散って行かれたのでしょうか。
たくさんの絵本をどうもありがとうございました。
posted: mitsubako: 08:18AM | comments (1)
2008年03月28日
ざくろの赤

ざくろの赤は女性の赤 象徴のように思う。
朝食のヨーグルトに4、5粒散らしてみた。
posted: mitsubako: 21:55PM
2008年03月24日
果樹園

果実の種を植えるのがとても好きだ。いつごろ大きな木になるのかも、いつごろすずなりの実がなるのかも分からないけれど、成長していくことだけは知っている。「いつかきっと」を夢みることができるから種を植えるだけで毎日が楽しくなるんだと思う。
人に教えられて果樹園に行った。こんな実がたくさんなる果樹の下にみつばちの木箱を数箱置いてみたいと思う。
posted: mitsubako: 23:29PM
りんごのタルト

このあいだ久しぶりにりんごのタルトを焼いた。いまひとつ味に満足がいかなかった。タルト生地にりんごを並べるだけでクリームなどはいっさい流し込まない。由緒正しいお菓子よりは、粗野で素材をあまり調理しすぎないお菓子をこの頃作っている。最後にぱらぱらとタイムやローズマリーをばらまくのが今のお気に入りだ。りんごのタルトにはローズマリーにしてみた。
posted: mitsubako: 23:19PM
2008年03月22日
果実とナッツ

ブルックリンから届く朝食の風景を見ていて、わたしの朝を見直すことにした。いつも朝食を食べないわけではない。少しの工夫と自分の好きな果実やナッツをもっと無造作にテーブルに置いてみることにした。
これで朝日がさーっと射しこんで、ことりの声でも聞きながらの朝食なら、なお心地いいはず。一日のはじまりをやぶる朝の儀式を楽しくするだけで、万事がゆとりのあるいい日のように思えてくるから不思議だ。
posted: mitsubako: 16:18PM
2008年03月11日
「かつら文庫の50年」記念の集い

2008年3月に101歳になられた石井桃子さん。彼女が生み出した名著の数は、もはや言うまでもない。「かつら文庫」が誕生して50周年を迎え、その活動の歴史と石井桃子さんの功績が新聞や雑誌などで取り上げられている。「幼なものがたり」によれば、浦和に生まれ、身近な家族や近所かいわいの人々にいつも囲まれて、かかわりをもって暮らし、時には現実と物語の世界のあいだを行ったり来たりした天真爛漫な女の子が、後の石井桃子を児童文学者に育て上げたといっても過言ではないだろう。わたしが思い描いていたおとなしくて優等生のように本を読みふけっていた少女のイメージは払底され、むしろ躍動的で活発な子どもであったことを知ってほほえましく思う。このことは、楽しい幼児体験がなによりもファンタジーにつながる基盤をはぐくんだ証ともいえよう。
石井桃子さんが荻窪に家庭文庫を開いたのは、「子どもから学ぶ」という一貫した姿勢のひとつで、それを実践する場であった。岩波新書からこの文庫の7年の記録を綴った『子どもの図書館』が出版されると、大きな反響を呼んで、子どもたちのために何かをしたいと思っていた庶民の心に共感を与え、各地で次々と家庭文庫が開かれるようになった。しかし、石井桃子さんの意図は家庭文庫を広めることでは決してなく、「本をつくる側」がもっと子どもの目線に立つために研究をし、広義の意味で機関としての役割を担うためのものであった。それと同時に子どものための図書館は、国の税金でまかなわれ、公共のサービスとして社会に根づいていくべきものと考えていた。かつら文庫はそのためのプロットタイプだったとも言える。
その後も、かつら文庫を個人活動にとどめることなく存続させていくために、慈善的志向の強い土屋文庫、子どもと本の関係を実践的に見ていく現場としてのかつら文庫、子ども図書館ができるサービスとは何かを検証する松の実文庫、これらの3つの流れをくんで東京子ども図書館という財団法人に組織化した。社会とつながりを持ち、それを事業として組織的に運営をしていったこの女性たちの50年の仕事は大いに注目するにあたいする。
開演前、席を探して通路を歩いていたら、短大時代の恩師芝恭子先生に偶然お会いした。懐かしい思いがいっきに蘇ってきた。
2008年3月5日(水) 13時〜15時30分 有楽町朝日ホール
主催 財団法人東京子ども図書館
posted: mitsubako: 08:02AM
2008年03月08日
林のり子さんのパテ屋


時間は前後する。2月のある日、尾山台の方の農園を見学に行った帰りに、10年以上も前にぱくきょんみさんから教えてもらっていた林のり子さんの「パテ屋」にぶらり立ち寄った。林さんの活躍ぶりはきょんみさんからいく度となくうかがっていて、昨年は、馬喰町にオープンしたART+EATのオープニングのお知らせまでいただいていた。その時!がどうやらおとずれたようだ。
林のり子さんの「パテ屋」とカフェの「えんがわ」がある玉川田園調布の家のお話は象設計集団の富田玲子さん著『小さな建築』のなかに詳しく書かれている。「えんがわ」の主宰は富田玲子さんの娘さんで林なゆたさんという。女性が仕事と家を持つことはこれまでの概念から考えると日本ではなかなか難しいことだった。林のり子さんのパテの味には知恵と工夫をこらして女性が好きなことを仕事にして生きてこられた味わいが深く感じられる。これから時々、パテ屋さんに通いわたしの人生のパテの味探しをしたいなと思う。林のり子さんは聡明な美しい方だなと思った。ところで、象設計集団の富田玲子さんのことは、また近いうちに書きたいと思う。4月に彼女の講演があるので聞きにいく予定だ。
*写真は「えんがわ」、料理は林のり子さんのパテです。夕方の光りがテーブルをやさしくつつんでくれました。
posted: mitsubako: 11:54AM
2008年02月05日
満山紅柿

故小川伸介監督の未完の遺作「満山紅柿 上山--柿と人とのゆきかい」をレイトショーで見てきた。このドキュメンタリーは5,6年前になるだろうか、アテネフランセでの上映期間をのがして以来、なかなか見る運が巡ってこなかった作品だ。ふとしたことで東中野のポレポレで上映されることを知って駆け込んでいったとでもいえようか。
過疎化がすすみ、消えゆく村のドキュメンタリー作品はこれまでにもいくつか見たことがある。テレビ番組などでもとりあげられたりすると、ぼんやり見てしまうことがある。先日も過疎化とは逆に、本土から若者の移住者が相次ぎ、ちょっとしたベビーブームがおきている沖縄西表島の放映を見てじわじわと感動した。番組タイトルは「古老の島 祈りの島~沖縄西表島 都会の青年と伝統の暮らし~」でETV特集だった。
満山紅柿で小川監督が大島渚のインタビューを受けて語ったことばが印象深く心に残る。
村々が自然に消えていく…不自然なことなのだけれど、ろうそくの火が消えていくようにすっとなくなっていくと。
小川伸介さんはもともと岩波映画製作所を経て、70年代後半より山形県上山市牧野に拠点を移し「ニッポン国・古屋敷村」「1000年刻みの日時計--牧野村物語」で知られた監督でもある。
「満山紅柿」は村で柿むきをする老人たちをユーモラスな切り口で記録されていた。干柿ができるまでの工程をていねいに説明し、渋い小さな柿が立地条件と人間の手仕事でもっとも甘い干し柿になることがよくわかった。村人の話はおもしろく笑ってしまうシーンがいくつもあった。
干柿は、干していればできるものと思っていたけれど、人の勘とみがきによって発酵がすすみ旨みも出る。なんと手の込んだものなのだろうかと思った。
*ドキュメンタリーは東中野ポレポレにて
2.13 [水] 満山紅柿 12:30 (90分)
posted: mitsubako: 17:19PM
2008年02月03日
やがわすみこやく

先日、東京子ども図書館を本当に久しぶりに訪ねた。松岡享子先生はご多忙なのであろう、残念ながらお目にかかれなかった。人生を子どもと絵本をつなぐ世界にかけてこられた尊敬すべき女性だ。図書館の資料室でゆっくり絵本を読んだ。書棚の上にはそのもっと先輩の石井桃子さんの100年のおはなしを記念する記事が置かれていた。
子どもたちよ
子ども時代をしっかりとたのしんでください。
おとなになってから
老人になってから
あなたを支えてくれるのは子ども時代の「あなた」です。
石井桃子
心うたれることばだ。ひとつのことに没頭し信念をつらぬいた人の口から出てくる単純であたりまえのようなことばが、なんといってもわたしの心に響いてくる。わたしはこうして日本の児童文学界を築き上げた女性たちに実に豊かな精神の遊び場をたくさんいただいと感謝している。石井桃子やくはもちろんのことやがわすみこやくの絵本をどれだけ読んだことだろうか。
詩人矢川澄子のことを再考しているうちに「ぞうのババール」をもう一度読み返した。幼いころはすっかり自分が絵本の世界に同化して、かすかな体験として残っているものだ。大人になって作者や訳者、時代背景やストリーの構造、キャラクターが見えるようになると、また違った観点で絵本を楽しみ味わうことができる。それは人生を少しだけ理解できるようになった自分を再確認する行為のようでもある。
ユリイカの特集で矢川はブリュノフの親族にファッション関係者が多かったことを、矢川とクララ社との関係とあわせて語っている。the old lady = 「ぞうのきもちならなんでもわかるおばあさん」の訳語をおばあさんにすることが不本意であったこともつげている。
この対談をまとめた文学者の武村知子は対談に寄せてこんなことばを送っている。
「ぞうのきもちならなんでもわかるおばあさん」が出てくるたびに、ババールの自立を見送るほっそりしたその後ろ姿に、遠い山妣(スミコという現象)のことを思った。ぞうのきもちなんかわかって何になるのかしら、みんな行ってしまうのに。でもどうしてか、わかりたいと思ってしまうのよねえ——そういう屈託をまるごと抱えて日々頽れながら生きてきた人の、すくっとした姿のあるページがすきだった。
ユリイカ 総特集矢川澄子・不滅の少女/没したる妣に寄せる
絵本を手にして訳者のことを思うのは不自然なことである。なぜなら訳者は影役者でいわば作者の意図を伝える媒介者だと思うからだ。
リズミカルでおもしろ悲しい「ぞうのババール」は、しかし、やがわすみこが生んで、ずっと子どもたちと共に生き続ける名作なのかもしれない。
posted: mitsubako: 17:42PM
2008年02月02日
無題

散文は日々の生活をしめった雪のような潤いで満たしてくれることもある
posted: mitsubako: 17:36PM
2008年02月01日
あやめ雪

赤かぶのスープをつくった日、白かぶのサラダもつくった。
その白いかぶのなまえは「あやめ雪」という。
新種の野菜と聞いたが葉の根元から葉先を走る葉脈は血液がながれているほどに
美しかった。
posted: mitsubako: 11:30AM
2008年01月30日
いい知らせ

お知らせをひとつ。
表紙絵をてがけてくださっている仲條正義さんの個展が原宿のHBギャラリーで明日(2/15)から開催されます。
2/20(水)までですのでぜひお出かけください。
アクセスなど詳細はギャラリーのサイトをごらんください。
どうしたことか、今号は会社の在庫がもうすでに切れてしまいました。書店のあちこちでもすでに売れてしまっているようで、嬉しいやらいったい何がそうさせるのか複雑な心境です。でも、今日は1年前の今ごろ、いろいろなことで悲しくて辛くて本当に大変な状況にあった自分を思い返すようなできごとがまたありました。ささいなことではありますが、涙がとまらないほどの感情がこみあげてきてしまいます。わたしは自分が本当にやりたいことは何なのかはもうはっきりとわかっています。だから余計にその決断ができないでいる自分が情けなくて、もどかしくてたまらないのです。
今日は、本当に悲しい1日になりました。
1月30日記
日ごろ、自分のしている仕事のことを書くことはほとんどない。なんだろう、わたしの中で納得がいくほどの達成感とか、十分に貢献できているという確かな手ごたえがまだないからだろう。
年があけて新しい号が発売された。嬉しいことに発売から売れ行きが好調だ。応援してくださっているみなさん、いつもどうもありがとう。
今朝は高田敏子の散文をひろい読みしている。
ある詩人は、「現実そのものはつまらないものだ。そのつまらない現実を、少しでも豊かにたのしく変えるために芸術は存在する」と言いました。
人が絶望に落ちこむとき、それは現実をまともに受けすぎてしまうのでしょう。現実の厳しさは絶えず私達を疲れさせますが、その疲れをどういやしてゆくか。それは現実のあり方を様様の角度から見て、自分の励ましとなる思い方を作り出してゆくことなのでしょう。
<……>
詩をかくとき、私は自分の心を謙虚に謙虚にと引き下げることからはじまります。心が謙虚になりきったとき、はじめて、もののよさが見えてくるのは、そのものから教わり、学ぶ心になるからなのでしょう。
よい詩に触れたときの感動とは、詩人の心がどんなにか、たくさんのものから学びとろうとしているかの、その心に打たれるのです。私はよい詩が書けるわけではありませんけれど、一つ詩を書き上げたとき、何か一つ、今まで気づかなかったことに気づくことがうれしいのです。身辺に何気なく存在しているもの、どんなものでも、そのものに近づき、語りかける心を持ったとき、何かを答えてくれるのでしょう。
「娘への大切なおくりもの」 高田敏子より
仕事先のサイトも昨年からリニューアルをしました。毎日、今日の編集部を写真でお届けしています。
posted: mitsubako: 23:27PM | comments (4)
2008年01月28日
ぼんやりした日の翌朝

日曜日はぼんやり体を休めながら、上橋菜穂子原作の「精霊の守り人」のアニメーションを見ていた。本来は原作から読むべきなのだろうけれど、ざっとストリーをさらうのにはアニメの方を選択した。頭の中はそんなファンタジーと同時に、美術館で見た絵画の影響で印象派が人間の内面に与えたものとは一体なんなのだろうか、と夕暮れ時の空や雲を眺めながら考え事にふけっていた。
今朝、読みかけになっていた中沢新一の「対象性人類学」を車中で読んでいたら、偶然にもこんな箇所につきあたった。
芸術による悦楽の追求
それは芸術が、高次元のなりたちをした無意識の働きを、社会の表面に引き出してくる技術のひとつであることからもたらされた特質です。そういう性質は、ホモサピエンスの先祖がラスコーの洞窟にあのすばらしい壁画を描いたときから、すでにはっきりと見届けることができますが、とくに宗教の果たしてきた社会的影響力がすっかり弱くなってしまった近代以降になると、芸術自身が自分にひめられている特質にたいしてより意識的になり、そのことを表現することこそ自分の使命であると考えるようになりました。
19世紀の後半から開始されるいわゆる「モダン芸術」の運動において、高次元無意識への通路を開くことが、大きな主題として追求されたのです。
とくに印象派が出現してからは、この主題の追求はいよいよ純化され、絵画を「様式の革命」と呼ばれるものに、追い込んでいきました。印象派の絵画では、輪郭の消失という現象がおこっています。形態の輪郭が溶解して、内部と外部の隔壁が失われて、そこから光や色彩や生命が画面全体に浸透し出していくようになりました。
さまざまなレベルで「分離」や「不均質化」をつくりだしていた非対称性の思考の産物が、解体をおこしていたのです。そして、風景を描く画家の位置までが同一性を失って、複雑化したり、揺れ動きだしたりするようになりました。
対象性人類学 カイエ・ソバージュV 中沢新一(講談社選書メチエ)より
ここ数日、ベランダのバケツにうっすら氷がはっている。脆く薄い氷の板に目を落とすとミクロコスモスが見えはじめる。
posted: mitsubako: 15:16PM
2008年01月27日
「モネと画家たちの旅—フランス風景画紀行」

仙石原の近くにあるポーラ美術館で「モネと画家たちの旅—フランス風景画紀行」と題する印象派の展覧会が開かれている。印象派絵画は日本人にとても好まれるし、とりわけ名画といわれるものは書籍やポスターなど目に触れやすくある意味氾濫している。だが、本物に出会うのにはどれほどの機会があるのだろうか。画集も良いがやはり本物が見れるなら見ておきたい。冬休みからずっと行く予定だった展覧会行きがようやく昨日実現した。
早朝、御殿場インターから真っ白な富士山頂が見えた。何度も見ている富士山だが、絵画やテレビ、流通する旅行雑誌や広告でイメージ化されたものに慣らされていると、実際実物を前にした時の優美さに、はっとするほど圧巻させられる。雪景色の箱根は初めてで、道中、氷の花が咲いた木々を見るとその美しさにわたしの体でない何かが飛んでいってしまう。これを自然との対話といえるのだろうか。
前置きはこのぐらいにして、ゆっくり絵画と出会えるよい展覧会だった。今回はていねいに色彩の組合わせを見ようと思っていたのだ。ゴッホの「あざみの花」は印象的だった。ひまわりのイメージが強いだけにあざみをテーマに描いたことが不思議だった。ギュスターヴ・クールベの作品も数点あった。「風景」の岩は印象に残る作品だった。ポーラ美術館ではこの他に「牝鹿のいる雪の風景」も所蔵している。鹿の作品はとても好きなもののひとつだ。蛇足だが、今日あたりまでフランスのグラン・パレのギャラリーで大回顧展が開かれている。とても行きたかった展覧会だ。帰ってから久しぶりに「絵画が偉大であった時代」阿部良雄(小沢書店)を開いた。なぜならここにクルーベのことそして印象派百年を綴った文章があるからだ。クールベの「画家のアトリエ」については教えられたことがたくさんある。
——1891年にマラルメが、『文学における進化について』のジュール・ユレのアンケートに答えて、あるオブジェ(物体、対象)を名付けるのではなく暗示するところに市の妙味があると、象徴主義詩法を一般向けに分かり易く説いたくだり——
——ある特定の時刻における大気と光の状態の下に風景の与える効果あるいは印象を、修正なしの素早いタッチで描き上げる戸外制作には、小さな画面が適している。
「絵画が偉大であった時代」阿部良雄(小沢書店)/ 印象派百年——絵の小ささについてより
印象派絵画展のわきで小さく「熊谷守一 自然との対話」展も開催されていた。そこに書かれていたことばのひとつはこんな内容だった。わたしの描く画額サイズを意味があるように言う人もいるが、それは単に持って歩くのに都合のよいサイズが4号だったからというだけだ。
画家は新しい手法をもとめて旅をした。資本主義経済の背景下に、旅もある種のパッケージ化されたテーマパーク的な要素を秘めたものとなった今日、わたしはどんな手法を求めて次世代のかけらを残せるだろうかとふと思った。
絵を真剣に見た後、急にお腹がすいたので湯本まで降りて、知客茶屋で豆料理を食べてお土産に味噌豆腐を買って帰った。
posted: mitsubako: 11:39AM
2008年01月24日
雪の読書
関東地方にも昨日雪が降った。
冬の間に読もうと出してきた本や新しく買った本が1冊。猪谷六合雄の「定本 雪に生きる」、無着成恭の「ふぶきの中に」の詩集で新しく買ったのは、念願の前田夕暮の「雪と野菜」だ。
空気がぴりっとしている季節に読んでおきたいと思っている。本棚の奥の方から「そうだ、そうだ」と思って取り出してきた翌日に偶然にも雪が降ってくるとは、きっと自然現象が知らせてくれた「よき知らせ」なんじゃないかな。さっそく中沢新一のあい間に読みはじめようと思う。それからぼんやり雪を眺めて見ていたい願望もあるからなのかもしれない。


posted: mitsubako: 08:21AM | comments (2)
2008年01月22日
ミクロコスモス

もう何年も前のことになるが。レイラインやバイクツーリング、アウトドアに必要な基礎的なテクニックを専門に、記事を書かれている内田一成さんから中沢新一の本をすすめられたことがある。すぐに読むことができずにいたが、その後も二人の方からやはり中沢新一をすすめられ、そして最近になってまたもや。すすめる理由やアプローチはそれぞれに違うものの、こんなに人から言われるのだから「何かあるにちがいない」と思い、まずは著書のなかでも軽めの「ミクロコスモス」1巻を手にしてみた。
何かあるにちがいない「何かは」クロード・レヴィ=ストロースだった。レヴィ=ストロースの「蜜から灰へ」はわたしにとって必読中の必読書で、今もまだ途上をさまよっている。学校や授業できちんと哲学や思想を勉強してきたわけではないので、自分で理解をしていくためにさらに別の本を読んだり、人の話を聞いたり、わき道にそれたりしながら人生をかけてていねいに読み、読むだけではなくて解釈から自分のモチーフの検証をしていきたいのだ。その道のりは長い。生きているあいだにたどりつけないかもしれない。そう思いながらも中沢新一を通して理解できてくることが多いはずだと期待でわくわくしている。読書で学べることはたくさんある。心が救われることもたくさんある。感情をゆさぶられること、軌道修正をすることもある。偶然ミクロコスモスというタイトルでわたしは写真を撮影していた時期がある。ミクロコスモスが連鎖する連続性と切断のすきまにマクロコスモスが立ち現れるのだろうか。
posted: mitsubako: 23:10PM
2008年01月21日
ちえの木の実
絵本のことってどのぐらい自分は知っているんだろう。子どもの時にたくさん読んでもらって、自分でも読むようになって、小さな親戚ができると今度は人に読んであげて。短大生になって絵本の勉強をしたり、自分でつくったり、お話を覚えたり、子どもたちにお話したり……。それからしばらく休息をおいた。
その し ば ら く の間にいろんなことを人から教えられたり、感じたり、想ったり、考えたりした。
今、また絵本を見ると新しく感じることや刺激を受けることがたくさんある。神話の構造や時代背景、精神論がちょっとだけ見えるようになると作者のことが気になるようになる。もう一度、いろいろな価値観をぬぐい去ってゼロから絵本を今の等身大の感性で読んでみたいし出会ってみたいと思っている。そんなきっかけをつくってくれた大きな人に感謝。
渋谷にちえの木の実という絵本専門店がある。昔は童話屋が大好きで通っていたのに、なくなってしまいそれ以来ちえの木の実に立ち寄ることがある。今日もお店に行ってゆっくり絵本を見ていたら、とてもお年をめしたおじいさんが入って来た。店員さんは顔見知りのようで、いわさきちひろの絵本を何冊も木のテーブルに持ってきてあげて「どうぞゆっくりご覧ください。」と静かに声をかけていた。おじいさんはそのとおりゆっくりと丁寧に絵本の頁をめくるのだった。
なんでもない日常のこうした小さな出会いと親切なやりとりに心がとても穏やかになった。日頃、仕事先ではいい顔もしていられない現実が多々ある。淡白な態度で対処していかなければならないこともある。それは自分の気持ちに反する行為でありながらも、自分が倒れないためにするのだと思う。そういう姿はあまり好きではないけれど、どこかで仕事とわりきっているからなのだ。本来のわたしをとりもどしたいなら、会社という組織集団からはやっぱり身をひかなければだめなのかなとこのごろ思ったりもする。
自分の好きな世界にすっと入れる子どものような心をとりもどしたいな。そしておじいさんのようにテーブルでいつまでも絵本の頁をめくっていたい。
posted: mitsubako: 23:16PM
2008年01月20日
赤かぶのスープ
久しぶりにインターナショナルマーケットに寄り道をした。スイスの朝市で見るような野菜が3倍ぐらいの値段で空輸されて店先にきれいに並んでいる。なんでも手に入るのだが、自粛をしたい気持ちにもかられて、しばし複雑だ。安い赤かぶを買い物かごに入れた。英語ではビーツと呼ばれているかぶで表面の渋い皮の色からは想像できないワインレッド色の中身が出てくる。ロシア出身の友人宅ですごした時、赤かぶのスープが出てきて体が温まり甘酸っぱくてスパイシーな味に虜になった。以来、自己流レシピだけれど大好きなスープだ。だし汁は和風にしている。昆布とかつおでとった汁に鳥と豚をあわせたひき肉の肉団子を作る。ショウガ、にんにくなどを入れるとおいしい。そこにたまねぎやパプリカ、かぶ、トマトなど好きな野菜を入れて赤かぶと一緒にぐつぐつ煮る。味付けに塩とレモンを入れて後は好みで食べるときにサワークリームとフェンネルを散らす。
わたしの料理は素材をみつけてなんとなく頭のなかでこれとこれを一緒にしてやってみようというおおざっぱなもの。今日はこのほかにズッキーニとペパーミントのサラダに茨城産のあやめ雪という種類の美しいかぶのサラダにしてみた。思いつくときはやる気まんまんになるけど、まったく作りたくない時もある。
体が自然に欲するものはきっとその時の体調なんじゃないかと思う。


posted: mitsubako: 16:59PM | comments (2)
2008年01月16日
Days kugenumaにて

午後になって急に思い立って鵠沼海岸のカフェに友だちと夜行くことにした。正月も連休も休んでいたのでちょっと外気が吸いたくなった。
photologで知った古田晃広さんの小さな個展が開かれていたので行ってみる気になった。肖像写真を撮ることを中心に活動されている方らしい。家族の温かいふれあいや深い愛情を持って撮影された写真は何十年も昔の日本を思い出させるような、それでいて現代の家族像でもあるところがおもしろい。心にひっかかったので足が自然と遠い湘南へと向いたのだろう。愛を素直に表現するとこうなるのかもしれない。この純粋さがちょっとうらやましいなと思った。
カフェはシンプルでいごこちがいい。気取らない商店街の片隅にあるご飯やさんだ。
古田さんの写真アルバム
カフェはDays kugenumaで1月29日までさりげなく写真が飾ってあります。
posted: mitsubako: 00:05AM
2008年01月14日
めし
年始からひいている風邪がなかなか完治しないので、外出は控えている。
こんな時はDVDを借りてくる。成瀬巳喜男の作品をもう少し知りたくて「めし」と「山の音」を選んできた。どちらも原節子が出ている。小津安二郎を90年代にむさぼるように見ていたわたしは、このふたりの差異化に関心がある。使う俳優、ロケの場所、扱うテーマなど類似点は多いが成瀬らしさはすぐに感じとれる。小津の極限まで簡素化された作品構成は大好きだが、今どちらが好きかといえば、もしかすると成瀬の方に軍配が上がるかもしれない。
「浮雲」にしても「めし」(原作:林芙美子)にしても聡明な女性像と曖昧な男性像がからみあっている。「山の音」(原作:川端康成)にいたっては、嫁、姑、母、娘、愛人そして父の人間模様がくっきりと浮かび上がる。男性の存在は、それぞれの立場に在る女性の輪郭を出すためで、中心は女性であるところがおもしろい。成瀬は女ごころをうまく読み解いていると思うし、女から見た男性像も見事に描き出していると思う。成瀬の女性像は精神が自由で自立する大人の女性がさっぱりと描きだされている。それに比べて、母子関係から自立しきれていない日本の男の姿がたよりなく演出されている。はたして、21世紀をむかえた現代、わたしたちの家族関係はどうだろうか。家族が向き合わない希薄な関係は、自由へ向かって精神の自立にかける人間形成を逆に後退させてはいないだろうか。
小津安二郎と成瀬巳喜男のカメラワークで大きく違うと感じる点は客観性と主観性だ。小津の作品は四角のフレームをいつも外側から傍観している感覚を受けるの対して、成瀬は主体性が強いと感じる。あちら側(演出者)からカメラを見据えているように感じることがあるからだ。それにしても原節子は美しい。演技が未熟なのかそれが演技なのかはなぞを残す女優だが、彼女が居ることで周りの女優がより円熟している空気をかもしだすことに成功してる。時間のゆるす限り、今年はまた映像作品もたくさん見ようと思う。
林芙美子の原作も読んでみたいと思っている。
posted: mitsubako: 11:41AM
2008年01月06日
少女/反少女
あけましておめでとうございます。新しい1年もまた細々と自分の思いを綴っていこうと思っています。
1週間の休みは長いからと、あれこれやりたいことをいっぱいに浮かべてわくわくしていた冬の休暇。そのほとんどを風邪で寝て過ごした。
休みになるとどういうわけか具合が悪くなってしまう。首筋や肩甲骨、背骨から腰にかけて節々が痛み、体の内部から疲れの膿がじわじわと出てきているような気がした。単純に体に溜まった疲れだけではなくて、心の奥底の方から納得できずにいる気持ちとか、ストレスとかそんな日頃もやもやと鬱積したものが、こうして熱と痛みによって放出され、浄化していく。薬でとめずに出してしまおう、そうすれば気分もぐっと楽になるはず。
風邪をひいていなければ、きっと野原へ散策に出かけていたかもしれない。
おかげで、積まれた本の中から読んでみたり、借りてきたビデオやDVDをごろごろしながら見て過ごした。カルロス・サウラ監督の「カラスの飼育」、ニーツチュカ・キーン監督の「ネズの木」、フィリップ・カウフマン監督の「ヘンリー&ジューン」、アキ・カウリスマキ監督と成瀬巳喜男監督の「浮雲」2作。
矢川澄子のユリイカの対談や「アナイス・ニンの少女時代」、「父の娘」たちを読み終え、今はメアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」を半分ぐらい読みかけている。
「ネズの木」はグリム童話の原作をアレンジした映画で、魔女狩りや父と子、母と子の原点、アレゴリーのこと、そして深層心理などさまざまなテーマが濃厚なスープに凝縮された美しい映像作品だ。
偶然、「矢川澄子作品集成」にグリム童話とゲーテのファウストを題材にした「ねずの木」の根かたからという短編があるのを見つけた。
恋人ファウストに捨てられ、母殺し・嬰児殺しの罪を犯して狂ったグレエトヘンが、獄中で口ずさむのがこの唄です。
あはれ、我身を殺ししは
うかれ女、我母。
あはれ、我身を食ひつるは
をそ人、我父。
冷やかなる奥津城に
小さき妹
我骨を埋めつ。
羽美しき森の小鳥とわれなりぬ。
われは飛ぶ、われは飛ぶ。
(森鴎外訳)
少女のようでいて反少女的な世界をまるで夢遊病者のようにいきつもどりつしているうちに、風邪もようやく峠を越えそうだ。
さあ、現実の生活にむかって!
風邪で先延ばしになってしまった友だちたちにも早く会えますように!
posted: mitsubako: 18:22PM | comments (4)
2007年12月26日
仲田智の個展

12月22日曇り。午後、最終日の個展会場ギャルリー東京ユマニテに友だちと行った。
仲田さんの作品は何度も見てきたし、茨城にあるアトリエで無造作に置かれている作品にも触れてきた。今回の個展は早くからはがきをもらっていたにもかかわらず、ここに会期中に紹介をしなかったことが悔やまれる。ごめんなさい。これまでと少し意気込みが変わったなと思えたからだ。
仲田さんの作品は無意図的で、自分の生活の日常がそのままマイペースに、行為あるいは労働して積み重ねられているところに魅力があるとわたしは思う。これからどんどん活躍をしていく作家のひとりだと思う。
冬のあいだにたき火をしに行きます!
仲田智さんのサイトはこちらです。http://www.nakata-satoshi.com
posted: mitsubako: 13:13PM
2007年12月25日
矢川澄子

小さいころから絵本に親しんで、大きくなってもまだ絵本を読んでいるわたしは翻訳のことばを媒介してずいぶんと長いこと矢川澄子に触れてきていた。父性の発明、父性の役割、母性の文学。広く芸術を探して理解を深めていく上でこれらのことばが浮き上がってくる。
絵本は詩だとこのごろ思う。そして絵本というかたちを象った詩は最高の芸術だとわたしは考えている。本物の絵本はいったいどこに在るのか。
女性として名こそないけれど、これから紡ぎだしていこうとするわたしの形は、ひとりの人として大地に立つということのほかないのかもしれない。
素足でも力強く真に在るものを求めて歩いていくこと、これからそんな月日を大切に生きていきたいと思う。
posted: mitsubako: 07:55AM
2007年12月24日
ガラスの雑草

都心はクリスマスのイルミネーションでいつの間にか空虚なライトアップに踊らされている。
小さな北欧の小物を扱う店に立ち寄った。フィンランドのデザイナー、オイヴァ・トイッカのガラスを見つけた。わたしはミニマリスティックな表現が好きなはずだのに、こうした有機的な柄に弱い。自然界の中でも花はあえて避けて撮影もしないし、描こうともしてこなかった。花鳥風月に対してのある種の偏見と、自分の中で低いものとしての順位があるからだ。が、この頃そうした価値感からくる自己コントロールを緩めていこうという内面革命が起きている。もっと自然体で感性むき出しのままの大らかなものごとの見方をすればいいと。
ガラスの雑草は、霜に閉ざされて枯れ行く植物を憶いださせる。凍る植物が大好きなわたしは、そろそろまたそんな自然界に帰っていきたい季節(とき)なのかもしれない。
posted: mitsubako: 12:23PM
2007年12月09日
ファンタジー・スケッチ

岩波書店から出ている「センダックの絵本論」を少し前に読んだ。その中にファンタジー・スケッチという章がある。モーリス・センダック自身が想像力とテーマを紙の上で形にする訓練のために5年間ほど描いたものの一部だ。それは意識の流れの落書きだったり、夢の絵だったり、センダックの心象描写で強迫観念やあるいは、アイディアが見え隠れしている。彼の創作の原点はこれだった。
並行して藤井貞一が「父性論で文学を必ずしも読み解かなくてもいい、自由であれ」と、いったことが、絵本=詩、あるいはそれらを大義でいうところの芸術というとらえ方のなかで、今わたしに構造として見えはじめてきている。
伊丹十三を媒介として精神分析に触れながら、大江健三郎のテキストの文脈を参照し、絵本という視覚化されたものの先に詩が存在している。そしてそれをとりまく四国の深い森と濃霧が日本人というアイデンティティーをわたしにつきつけてくる。
ひとりの人間の精神論と自ら死を選ばざるをえなかった結末は、池の水鏡に映るナルキッソスと連鎖する。複雑にからみあった情報を紐解いていくと、人は意外と単純な関係の中にいるはずなのに、見えなくさせているだけなのかもしれない。
考えごとでいっぱいになったら、自然の中で一度からっぽになって生命の循環を見て再び帰ればいい。それ以上の物語性も寓意もないのではないかと、このごろ思うからだ。
posted: mitsubako: 22:34PM
2007年11月25日
四国をかけめぐる その5

伊丹十三に没頭しているわたしに「チェンジリング読みました?」、と松浦さんに聞かれて大江健三郎の「取り替え子」を知ったのはこの旅に出かける少し前のことだった。大江健三郎に関しては、引用や文脈をズラしていく手法のことなどで、ある時期さんざん現代美術の仲間たちと話題にしていたことがあった。にもかかわらず、いつかは手にするはずだが進んで読もうとするには苦手な作家の一人だった。「絶対に読んだらいいよ。」と勧められて、文庫本を手に入れた。
さて、「四国をかけめぐる」旅と「取り替え子」は無関係かもしれない。この旅の動機もこの本ではなかった。読み始めは不慣れな文体に出くわした気分でなかなか先にいけず、ようやく面白くなりかけた頃に丁度ふたたび四国へ向かうことになった。この旅に「取り替え子」をもって行くべきか否か迷ったあげく、ちょっとでも荷物を軽くしたかったわたしは、置いていくことにした。
新鮮な朝を過ごした卯之町中町から車で約1時間で内子町に到着した。卯之町中町の工事中に比べるとぐっと整備された内子の町は閑散としていながらも清楚でさらに新鮮な空気がわたしたちを迎えてくれた。
温暖な四国ばかりをイメージしていたわたしは東京に比べて冷え込むこの地域に驚きが隠せなかった。四国といえど山あり谷ありということは足を踏み入れてみなければ体感できないことがわかった。ここは、意外に山の中なのだと実感した。その中にひっそりと銀鼠色の瓦屋根と白漆喰の壁、細やかな装飾のほどこされた家々が立ち並ぶ。虫籠窓、海鼠壁、うだつ、出格子、床几など伝統的な民家の様式を見ることができる。職人技の冥利につきる美を醸し出している。小田川の渓谷や四国カルストに囲まれた周囲は自然が豊で霧と寒暖差が生み出す情景の陰影がしみじみと感じとれる。いい町だ。
松山という都会に出る前にここに立ち寄ることができてよかったとなぜかほっとする自分がいる。
この場所は偶然にせよ、訪ねるべき場所として今回の旅にあらかじめ用意されていたのだと後になってわたしは気づくのだった。


posted: mitsubako: 21:53PM | comments (3)
2007年11月24日
四国をかけめぐる その4

起きたての卯之町中町の朝はすがすがしかった。朝露に濡れた町並みと澄んだ空気がことのほかおいしかった。いっぱい深呼吸をしておきたいと何度ものびをした。
高野長英が一時身を隠したともいわれるこの町は、江戸期に宿場町として栄えた。町人は今の暮らしにも井戸水を利用しているという。地元の人の話では、おいしい地酒もあるらしい。屋根のついた小さい壁が張り出すような卯建(うだつ)や白壁、出格子といった装飾が施された家が残存する。残念ながらその多くの建物が保存のための修復を行っていて、町並みは工事中だった。修復されれば、まるで時代劇の舞台を歩くようなそんな落ち着いた風情が感じられることだろう。
幕末から明治の初めに儒学者の左氏珠山が開いたとされる私塾があった。これが後の開明小学のはじまりで、この学校は明治15年に擬洋風建築の校舎に建てかえられた。あいにく月曜で休館ではあったが、ひと目見ておきたいと思い数分の散策をした。瓦屋根のこの学校の前に立つと、いきなり頭上に大きな雲が流れてきて、母校でもないのに懐かしさにひたる。ちょっとしたタイムスリップだった。
それからすぐに車に乗り込む。松山へ向かう前に、少し時間があったので内子に立ち寄ることにした。
posted: mitsubako: 22:36PM
2007年11月18日
四国をかけめぐる その3

日曜市を満喫した後、高知から高速で四万十川へ向かった。
窪川で岩本寺の入口の前にある松鶴堂という和菓子屋を見つける。栗の季節ならではの生菓子で栗きんとん、銀杏餅をお茶を飲みながらいただく。上品でとてもおいしい。緑茶はこの地域のお茶でやわらかい味だった。おいしい和菓子とお茶に巡り会えると至福のときを感じるから不思議なものだ。小室の浜という和風カステラのようなお菓子をお土産に買って帰る。
四万十川にたどりついた頃にはもう日が少し影りはじめていた。このあたりはもっとゆっくりと次回に、水に触れながら旅をしてみたいと思う。
川にそってドライブを続け辺がもうすっかり暗くなった頃、56号の海岸沿いを走って今日の宿泊地、卯之町中町へと向かった。
卯之町中町へ着いたころには、激しく通り雨が降った。四国に来てはじめての雨になった。
posted: mitsubako: 18:47PM | comments (2)
2007年11月17日
四国をかけめぐる その2
わたしは旅先の市場が好きだ。
11月11日の日曜日の高知は穏やかな快晴に恵まれた。日曜市の鮮やかな色彩が買物を楽しくさせてくれる。
新鮮で豊富な食材に魅せられてついつい貪欲になる。市場は人の暮らしを活性させる元気の源のように思う。毎週日曜市に来て巡る季節の食材を吟味してみたい衝動にかられる。





posted: mitsubako: 16:14PM
2007年11月13日
四国をかけめぐる その1

きっと暖かいとだろうと思って旅に出た四国は東京に比べてはるかに秋が進行していた。
雨が降りしきる東京の厚い雲の中をぬけて、今年二度目の高松空港に降りたった。
一ヶ月半前は真夏の太陽が照りつけていたのに、今日の冷たいぐらいの爽やかな風には意表をついた感があった。
四国村をかるく巡り琴平へゆっくりと琴電にゆられていく。明るいのどかな空気に仕事でぴりっとしていた神経がやわらいでいくのがわかる。
琴平の駅を降りてすぐの商店街は懐かしさにあふれている。浪速堂という明治から続く菓子屋でナッツが詰まった焼き菓子を買ってほおばりながら参道を行く。甘いのにカレー風味がする不思議な和洋菓子だった。やがて急勾配の階段が続き、少しだけ息苦しくなってくる。785段を登って御本宮にたどり着いた頃には空の雲は薄桃色になっていた。ここの神さまはどんな神さまなんだろうと思っていたが航海の守り神がまつられているらしい。金比羅というイメージからもっときらびやかで、ややもするとチープな建造物を想像していたのは大きな誤りだった。重厚で落ち着いた建物と回廊に圧巻された。楽々と降り香川で二杯目のうどんを食べ終えると列車に乗り込んで夜の高知へと向かった。
posted: mitsubako: 16:13PM
2007年11月06日
朝露が光っているわけ

朝露に濡れる草むらが好きだ
朝の光りをいっぱいにあびて輝いているのを見ると
お腹のあたりがしっかりとしてきて 背筋なんかもぴんとしてきて 希望がわいてくる
風にのって浮遊する羽のついた種たちを追いかけていて 着地した地面にも光るわけがあった
posted: mitsubako: 22:18PM
2007年11月04日
秋の光りのなかで

目が不自由になった母をつれて公園を散歩した。
たんぽぽが朝露の草むらに咲いていた。
帰り道、たんぽぽの歌を母に教えながらふたりで歌って家に着いた。
posted: mitsubako: 21:59PM | comments (1)
2007年10月31日
石ころに問うように
入社をして1年がたった。辛く、悲しいことばかりで、涙をするか怒っているかの毎日がそのほとんどだった。
悩んだり、悔やんだりの連続で精神的な疲労がひどく、いつのまにか考えることすらできない状態が続いた。それでも、人生の仕事と思ってあたためてきたみつばちのことだけは、あきらめずにつないできた。この先また同じ1年がつづくと思えば、出てくるのはため息しかない。だれかのせいではないのだけれど、自分で自分の環境をつくりかえて行く魔法が今の職場ではちっとも効かない。力もだんだん尽きてきて、時々どこかへ逃亡したくなる。
ひとりで、ぼんやり湖の前に座って、空を通過する雲を見たり、湖面に浮かぶ影を追ったりしていたい。それからこの1年のわたしをすべて消してしまいたい。
羽音に耳をかたむけ、木箱を押して、たんぽぽの広がる野原でおもいきり寝転んで時間を過ごしていたい。
裸足になって澄んだ心で真理を石ころに問うように、謙虚に深く詩えるひとになれればそれでいい。
posted: mitsubako: 22:41PM | comments (1)
2007年10月28日
生命の予兆

台風の影響で大雨の新宿、風が吹き荒れはじめた頃にロシアンレストラン「スンガリー」へ入った。酢漬けの魚やふわふわのクレープに包んだサーモンをほおばったり、笑ったり、お酒を軽く飲んだりして過ごすうちにどうやら台風は通り過ぎて行ったらしい。
ビルの地下だと窓もないので風も雨も知らず、すっかりいい気分でお店を出た時刻には雲の間からぼんやり月が見えていた。そうして、今日ひとつの新しい命の誕生の知らせを聞いた。
「おねえちゃんに赤ちゃんが今産まれた」それから彼女は自分の遠い故郷へ帰りたいと涙をこぼした。
なにひとつ言えなかったけれど、命が誕生することにはとても不思議な力がある。理由はないけれど新しい命が祝福してもらいたくて、どんなに遠いところからでも呼んでいるんだと思う。星に導かれてそこに駆けつけることが一番なんだと思う。
わたしたちは何よりもこの命につながっていて、そのことのために食べて、感じて、喜んで、哀しんで、遊んで、ちょっとだけ働けばいいんだと思う。
おめでとう、小さな命へ。
posted: mitsubako: 00:45AM | comments (2)
2007年10月21日
Jochen Lempertのミツバチの写真
蜜蝋で絵を描いている人がいると知って、画廊に先週、足を運んだ。やさしい曖昧な色味が魅力的だなと思った。
ふと、会場の隣にある本の陳列の中に写真が数点おかれているのに目がいく。モノクロ写真のミツバチやミニマルな昆虫の写真だった。ミツバチの写真は焦点がきっちりとあっているわけでもないが、かえってそれが昆虫写真とは異なって作品として成立していると感じる。作家はJochen Lempertという人で生物学を学んだ後にアート活動をはじめたという。昆虫を詩的なモチーフにひきだすことができるとはなんともうらやましいこと。ちょっぴり勉強した気分になった。わたしもこんな作風を自分でみつけだせたらなと思う。
posted: mitsubako: 18:22PM
2007年10月20日
いとおしい時間

仕事でよく池尻大橋へ行く。地下鉄から地上へ上がるとすぐに高速道路と246が走っている。脇道に入っていくとそこは意外にも静かで、昔ながらの小さなアパートや一軒家が並んでいる。ブロック塀を歩く猫と目があったり、庭先に咲く秋の花や実の鮮やかさにはっとする。室内ばかりの仕事に追われる週を過ごして、久しぶりに日中の外界に触れれば、こんな都会の中にも驚くほど小さな自然が変化をしているものだ。
池尻大橋の駅から世田谷公園にぬけるまでの道にはそんな楽しみがある。そして足を運ぶ世田谷ものづくり学校の庭をちょっぴりのぞくのも楽しみのひとつだ。玄関先の2、3段のステップをのぼった踊り場は、花壇でもないのに淡いピンクのかわいらしい小花が群生している。かがみ込んで、その淡い色彩の絨毯をながめていると、やがて見えなかったものが見えてくる。小さな生き物たちがその群生の中でやさしく儚い生命をいとなんでいる。ふわふわと浮遊するような白い羽の虫たち、小さなシジミ蝶。名を知る虫も知らぬ虫も夕方の薄い光の中でうごめきあっている。「ふう」このいとおしい時間にため息まじりの深呼吸ひとつ。
邪魔をしないようにそっと立つと、わたしは玄関の向こう側の小さな菜園も見に行った。大きな木の上で鳥が鳴いている。ここでも深呼吸。多い茂った雑草の中に夏の暑い日、林さんと見た大根がまだ植わったままだった。枯れたハマナスの木に橙色の実がついている。下から見上げてみると空の青と白い鰯雲にむかって実が複雑に絡んでいるように思えた。ふとその先に視線を向ければ、藍の花が咲き乱れている。ここにも虫たちがまるで春の夢を見ているかのごとく花から花へと舞っているのだった。
ほんの額ほどの土地から沸き立つ生命の光景はかえってかけがえもなく広大なはらっぱを幻想という中に映しだす。いとおしいこの時間よ、ずっとこのままでと。
posted: mitsubako: 22:19PM
2007年10月15日
ZEN CENTERのこと

「考える人」No.22の特集アメリカの考える人たちの発売を楽しみにしていた。読んでください。いいです!
精進料理のことがずっと気になっていて、でも今人気のマクロビとか自然食の本は手にする気にもなれず、ずいぶん前に水上勉の「精進百撰」を買ってぱらぱらと眺めていた。わたしがサンフランシスコに住んでいた頃、精進料理は一種のブームでルームメートのジルに毎日のように「精進料理教えて」とせがまれ、かなり我流のわたし風精進料理いや野菜料理を伝授したものだった。
「スタンダードは知らないよ。わたしのは自分でここにあるもので考えて作るだけだから」といっても彼女にしてみるとものすごい食文化だったらしい。
ある日彼女が手にしていたのはZEN CENTERから出ているレシピ本だった。「すっごいいい本があるの」と宝物のようにしていた。彼女にとってのZEN CENTERの食事は精神そのものだった。
今号の「考える人」はこのZEN CENTERのGREEN GULCH FARMのことが書かれている。わたしは急にジルの笑顔が思い出されて懐かしくなった。Tassajaraベカリーのパンはわたしのお気に入りだったしGREENSの本はいつもテーブルに置かれていた。窓辺にはわたしたちのアボガドの食べタネからひょろりと伸びた芽も並んでたっけ……。わたしにとっては人生第二のステップの土台となったこういう西海岸的カルチャーブームを現在の日本はどうとらえるのだろうか。ちょっと興味がある。
そうです、今のアメリカは嫌いです、でもそれはごくごく一部の石油資源をめぐる戦争を神の名のもとに行っている先導者たちが嫌いなのであって、マスコミやメディアにとりあげられるアメリカという名に象徴されている断片が嫌いなのかもしれないのです。
いいところもいっぱいある。悪いところを「わるい」というより、いいところを「いい」と素直に言えることが平和を生み出す小さな力になるのかもしれない。それって簡単なようで案外むずかしいことなんだけど。
なんだかGREENSの本が手元に欲しくなってきている。
posted: mitsubako: 13:30PM | comments (0)
2007年10月08日
直島の家

直島で一軒いいなと思う家があった。
なんとなく昔どこかの街角で見たことがあったようなそんな家だった。
植木が家から生えているみたいで、緑の縁や戸袋のペンキの色が懐かしさでいっぱいになった。
歳をとったら小さくてかわいらしい一軒家に住んでみたい。
posted: mitsubako: 10:32AM | comments (2)
2007年10月07日
旅の逆もどり

9月の旅で見た瀬戸内海の青い海と小さな島々が心の中に浮かんでいる。その後、伊丹十三の本を貪るように読み続けていて、旅はまだ読書の中でも続いている。
もうひとつ旅を逆もどりすると、伊丹十三記念館の前に丸亀の猪熊弦一郎現代美術館にも立ち寄った。何度訪れてみても気持ちの良い空間と気さくな空気が流れている。半日をぼんやりとすごして、カフェでゆっくり食事をしただけなのに、物足りない日々の生活の探し物が見つかった気分で満たされていく。
この旅のおかげで9月は気持ちよく過ぎ去っていった。
さあさあ、秋です。風も気持ちよくなってきていよいよ活動開始です。
posted: mitsubako: 21:25PM
2007年09月29日
伊丹十三記念館

9月15日、灰塚や直島へ入る前に高松に飛んで列車で松山まで旅をした。松山は今年5月に開館したばかりの伊丹十三記念館へ道をいそぐ。しかしその日は蒸し返すように暑い。
その昔アメリカに居た頃、伊丹十三の作品を繰り返しビデオで見た。何度も何度もタンポポを……。見たというより見せられたと言った方がいいかもしれない。だから映画監督としての伊丹と料理人の伊丹は記憶の中にくっきりとあった。
伊丹が幼い頃に描いた絵日記、デザイナーになってからのイラスト、映画監督時代の絵コンテ。見ているうちに伊丹からしばらく離れていた理由はなんだったのだろうかとふと思う。最後に見たのものは確か、死後放送された医療廃棄物に対する生前の彼のジャーナリズム的視点を追ったドキュメンタリーだった。死を自ら選んだ暗いイメージと影がわたしを彼から遠ざけた要因かもしれない。触れてはいけない領域がその当時はあって、それを踏み込んでまで彼の作品性を知りたいとは思わなくなったのだろう。
記念館で流れる「遠くへ行きたい」を見ているうちに、一気に気持ちが打ち解けておもしろくなり、いつの間にかワンロールが終わっていた。死後10年というのはいろいろな気持ちを清算させる力がある。旅から帰ったらエッセイに初めて触れてみたいと思うようになった。こと精神分析に関心を持って書いた時期のものを読もうと思っている。編集責任を果たしたモノンクルという雑誌を丁寧に読みたいしそこに何かを探したいと思う。
記念館のチーズケーキとチョコレートケーキはとてもおいしい。伊丹が大好きだったものらしい。中庭のカツラの木の葉がいい香りを運んでくれる。生きていればもっと奇想天外な作品を生み出していたはずだよ、伊丹十三は。強くそう思った。
旅はやっぱりするもの。
必ず新しいものの見方や軌道修正ができて、小さな日常にくよくよなんてしている暇はないと些細なことがふっとんでいくのが見えるから。わたしは今、実に元気だ。
posted: mitsubako: 16:23PM | comments (2)
2007年09月26日
朝のバーラウンジ

一泊だけの灰塚を過ごして岡山へ向かった。宇野港からフェリーに乗って直島に行く。ベネッセハウスのバーラウンジにかけられた岡崎乾二郎の絵画を見に。夜のラウンジも落ち着いていて良かったけれど、朝の光で見たら昨日見えなかった色がたくさん見えた。
岡崎さんが細部を撮る名人の話をしたので、わたしも撮ってみた。「えー、どこ撮ってるの」と言われはしたものの、わたしはわたしが好きな色の組み合わせのところとかフレームからちょっぴり突き出している部分を撮ってみた。細部に細やかな神経が見えたからだ。
ぱくきょんみさんと岡崎さんが並んで絵の前に立ったときは感無量だった。
posted: mitsubako: 22:47PM | comments (0)
2007年09月22日
野外舞台

小径につながる先に野外舞台がある。
空に向かって開かれた場所はそこがあることでようやく開放された。気持ちも体も開放された。
傘を持ったちくはの大脇理智さんが踊りだした。
posted: mitsubako: 13:00PM
2007年09月10日
線的なこと
通勤はしているものの、途中下車して街中をのぞいて行くことをあまりしなくなった。ことに暑かった夏は雑踏にいると蒸し器の中にいるようで耐えられなくなる。
1日ぼんやり夏休みを過ごした。少しだけ街中にくりだして、おいしいものを頬張ったり、ぶらりと本やや洋服やを見た。なにも欲しいと思うものはなかった。無計画に飛び出したのに次々と立ち寄りたいところが頭に浮かんで、あそことあそこをつなげて行く。それも線的なことなのだろうか。
数ヶ月前に白い紙テープを文房具店で2個買った。しっかりと巻き止められたテープの端をはずすとするっと紙がゆるんでとけた。えんぴつで、数文字ことばを書いた。紙テープにことばを書いてみたくなった理由はよくわからない。ただ線的なことだろうと思えたり、旅客船の甲板に投げ込まれるはじめとしっぽの架け橋であることがモチーフの動機づけになるかもしれないと考えている。
秋が来る前に少し旅に出かけてこようかな。
posted: mitsubako: 20:54PM | comments (1)
2007年09月01日
移り変わり
採蜜の日の記憶は密度が凝縮された空気だった。
猛暑続きの8月、わたしにあの日の現実が連続する夢となってとり憑いてからは覚めやらぬ日々となった。
涼しい週末が急にやって来て、冴えの感覚がちょっぴり頭の中を支配する。新しいiMacを机の上に置きかえた。やっとOS Xユーザーの仲間入りだ。iMacに切り替えたのはいいもののデータを移しかえたり、これから新しいソフトに切り替えをしなければならない。環境が整うのはまだまだ先だ。こんな移り変わりのおかげで、テキストを書くことも、画像をいじることもしない時間が続いた。
わたしは何を選択して何をしていくかが、曖昧という境界の中に埋もれている。それでも表現として表出するどこかを求めていることだけは自覚できる。やろうと思っていることがたとえ思い通りに運ばなくても、必ずある時パチンとはじけて移行していく日がくる。その確信だけはここにある。i'm sure!
数日前に倉数茂さんの「切断と接続の美学 シュールレアリスムから連歌まで」というレクチャーを聴講した。その中世の実践美学の見解を通して、わたしの展開自体が切断と接続を繰り返すことでより洗練されて、次の時代を結ぶ一点になればいいと新しい夢がはじまった。
posted: mitsubako: 23:06PM
2007年08月20日
小さなハチかい
最近、岩崎京子作の創作童話を読んだ。数十年前の日本の養蜂の様子だろうか。転地養蜂をする父と、はじめてその旅にこっそり同行をたくらんだ息子の話が綴られている。
巣箱を持って転々と地を移動していくこの養蜂のスタイルはどれほどの重労働であるか、今なら少しわかるようになった。
文中のこのことばがわたしの養蜂に対する憧れをひとことであらわしていると思う。
「巣ばこをのぞく時というもんは、いつも買いたての本をひらくような気がする」
小さなハチかい 岩崎京子作 萩太郎画 福音館書店
posted: mitsubako: 06:31AM
2007年07月29日
DVD PLAYER
ようやくポータブルDVD PLAYERを買った。ビデオレンタルから遠ざかっていた理由はどんどんDVD化されて、ビデオテープというアナログが消えつつあるからだ。別に映像のデジタル、アナログにこだわりがあるわけでもなく、ただ自分がどんなスタイルでこれから先こういうものとかかわっていくんだろうかと見当がつかなかったからだ。メディアの選択は自分の生活の選択とつながっている。
ある時期わたしは、ビクトル・エリセ、アレキサンダー・ソクーロフ、アンドレ・タルコフスキー、ジョナス・メカス、アモス・ギタイ、アッバス・キアロスタミ、アキ・カウリス マキ、ジャン=リュック・ゴダール、ヴェルナー・ヘルツォーク……などなど1日に何本もビデオを見まくって、ユーロスペースやアップリンクにも通っていた。もてあます暇な時間、詩と映像作品を自分の中に吸収しようと貪欲になっていた。生活の変化やメディアの形体の変容に伴ってそうした時間の過ごし方はいつの間にか自分の中から消えていった。
単純にいい作品と出会っていたい、いいものに触れていたいという思いがまたどこからか降りてきて、それにみあった環境は自分で築いていこうと思うようになっている。
大好きだった作品も通り一遍に過ぎてしまうと、ただ消費された過去の遺物と化してしまう。
好きなものを好きなだけ何度も見よう。
本も音楽も映像も。その作品を通って自分の誇りとなるまで愛着を持ってみたいと思う。
そして時と共にもう自分には必要じゃないものとすっきり別れてスマートに過ごしたい。
posted: mitsubako: 12:26PM | comments (2)
2007年07月23日
「蜜と眼」

A-thingsのトークイベントで0号という特異なサイズがふとした日常の経験から誕生していると聞いた。
キャンバスはパンをトーストにするサイズに統一されていて、まるでバターを塗る行為から連鎖が生まれ作品に転じていく。これだけでわたしはお腹いっぱいになるような、豊かな感覚が体全体に充実感として広がっていくのを感じた。林道郎氏は今回、発売された作品集『ZERO THUMBNAIL KENJIRO OKAZAKI』の巻末で「蜜と眼」と題して岡崎の作品を語っている。
このタイトルがまたわたしにはたまらないのだ。作品のここかしこに蜜を見ていたわたしには何かひとつ、自分の探しものがある解決に導かれたと思えてならない。
不思議だけれど、感謝の気持ちで熱くなった。
誰に言おう、誰になんだろう、どうもありがとう。
作品集『ZERO THUMBNAIL KENJIRO OKAZAKI』定価1890円
一般の書店では手に入りにくいので、ご希望の方はメールでご連絡ください。
posted: mitsubako: 06:11AM | comments (2)
2007年07月22日
かわせみ
土曜日の午後2時、吉祥寺のA-thingsで開かれている「岡崎乾二郎 ZERO THUMBNAIL」展で松浦寿夫氏(画家/西欧近代絵画史)と、林道郎氏(美術史/美術批評)によるトークイベントがあるので出かけた。岡崎さん不在で行われることに好奇心もあって楽しみにしていた。
わたしの最寄り駅に歩いて行く細道の途中には湧き水が出るところがあって、近隣の住民はそこを小さな池にして鯉や金魚を飼っている。通りがかりの人をほっとさせるスポットだったりする。いつものようにぼんやりいろんなことを考えながら歩いていると、突然バシャと水しぶきがあがり、るり色に光るものが一瞬のうちに飛び去った。
わたしは幻覚を見ているのではないかと自分の目をうたがった。でも、確かに青くきらきらと光る美しいものを見た。かわせみ、きっとかわせみにちがいない。
同じ夜、すっかり暗くなった夜道を戻りながら、もういるはずのない青い光を確かに見た場所で確信を持ちながら家路へと急いだ。
家に着くとまっしぐらにかわせみを調べた。一体こんな都心にかわせみが棲息するんだろうか。どうやら、いるらしい。夢じゃなかった。
それから「かわせみのマルタン」の絵本を引っぱり出してきて読んだ。かわせみはつがいでしか生きられない。相手が死ねば、やがて残された一羽も後を追って死んでしまう。
どうして今日あんなに美しいルリ色に偶然出会えたんだろう。それをそのまま、嬉しい予感の暗示にしたいなと思って眠った。
posted: mitsubako: 15:12PM | comments (4)
2007年07月17日
翻訳

長い間願っていたことがひとつ叶いました。
「みつばちの木箱」の英訳ができました。タイプライターのような文字でトレーシングペーパーに印字しました。赤い帯でとめたこの11枚は明日、チリに飛んで行きます。
ゆっくりですが、わたしの夢は少しだけ前に進んで、またもどったりしながら形になっていきます。次の一歩に向けて変容を続けます。
posted: mitsubako: 07:12AM | comments (3)
2007年07月15日
直彫り
台風通過の連休、ようやく港千尋さんの「文字の母たち」を読んだ。
「書物は建築である」という冒頭の一文になんだか熱くなってうなずいたからだ。王の文字、王の身体にたとえられる王政の権力下に制作されたフランス語書体。パリ・フランス国立印刷所の図書館で港の目をひいたのは、大判で皮張り背表紙の「漢字西訳」だった。
ナポレオン一世の命令で1813年に編纂された中国語、フランス語、ラテン語の対訳辞典だという。ヨーロッパにおける漢字の活字化が他の文字の制作過程とはかなり異なっていることに港は注目している。
彫刻するだけでもかなりの数となる活字をいくつかの部首によって分類し、分合活字の方法を用いていたことは面白い。詳細は是非、本文に触れていただくとして、中国で生まれた活字が朝鮮にわたり、のちに西洋の活版印刷の発明後、ヨーロッパで活字化され、キリスト教と共にふたたび東の文化圏に戻ってきた漢字。長崎に伝授された活版印刷技術を学んだ一日本人の技が、現代に続く明朝体活字の始まりであったというから活字のもつ壮大な記憶に胸が熱くならないではいられない。活字は母から生み出され子へと伝達される身体の記憶だ。
活字の母型製造は精密な種字の彫刻をもとに型どりをする。この種字は種字彫刻師の直彫りの技術にかかっている。肉眼ではとうてい見えないような細かい字形をルーペでのぞきながら、しかも逆文字を直に彫るのだから。これはまさに身体の生き写しのような行為、魂が打ち込まれる過程といっても過言ではないはずだ。わたしが一番感動した一節を引用しておきたい。
字を彫る人の姿勢は、ルーペを使っているとはいえ、基本的には字を読む人の姿勢と同じである。彼や彼女は椅子に座り、小さな字を見つめる。そのとき字を彫ることは書物のアルファであり、印刷された字を読むことは書物のオメガであるが、その最初と最後がひとつにつながるように、同じ身体によって担われていることが、重要なのである。
その身体感覚は、おそらくデジタルの時代にこそ求められるものだろう。文字を作り出すことと読むことを結びつけ、書物のアルファとオメガをつなげるためには、これまで人間の手によって彫りだされてきた、すべての文字が必要になるだろう。それらの母型をとおして立ち上がる記憶は、未来の書物の血肉となるであろう。
「文字の母たち」港千尋 インスクリプト
あらためて、テキストを意を介して読むのではなく、テキストと余白が作り出す造形的な、あるいは建築的な構造を読みとっていきたいと感じる一文であった。
posted: mitsubako: 23:11PM | comments (1)
2007年07月09日
小さい桃

窓辺からさっきまで見えていた枝が切り落とされた
果実は夢想の扉を開いて 桃源郷へころがりおちた
posted: mitsubako: 06:07AM
2007年07月07日
赤い夢

赤い粒子は集まって 褪せない夢を構成する
posted: mitsubako: 11:08AM
2007年07月06日
柑橘系

みつばちが好んで集まるからよく見てみると華麗に見えていた小さな花なのにちょっと色気があった
posted: mitsubako: 22:01PM
2007年07月03日
赤の採集

posted: mitsubako: 22:06PM
2007年07月01日
あまずっぱい

水彩絵の具を使うとしたら 心に想い描く色は こんな色がいいと思う。
posted: mitsubako: 21:56PM
2007年06月27日
ZERO THUMBNAIL
おぼろ太陽ってあるのかな。ビニールテープでぴちっと空に貼りつけたような太陽を真正面に大正通りをいそいだ。
A-thingsのドアを開けると0号の小さな作品がいくつも壁にかけられていた。当たり前のように「作品タイトルを読みたいのですが…」と画廊の女性に声をかけると「タイトルはそこの薄いシートの中にあります。」と言われた。「あの、テキストじゃないんですね。」としつこく念を押すように言うと「ええ。」とさっぱりとした答えが返ってきた。
ちんぷんかんぷん(大黒天の挨拶)、鼻息と歯ぎしり(内省のための媒体)、頭寒足熱(ハルモニアの国外逃亡)、生活の為来たり(コッコとついばむ)それから平らであるという想念(お愛想はナシ)がとても心にひっかかる作品だった。
お隣のA-materialsのお店に飾られた真っ赤な小作品も印象的だった。
もっともっとわたしもアカデミックに生きたいと作品の前で、小さくつぶやくように祈った。
ゲストブックに名前を書いた。わたしは伊達浩史さんの次だった。
posted: mitsubako: 22:57PM | comments (2)
2007年06月06日
目の前が暗くなる
立ちくらみで突然目の前が真っ暗になることがある。
もしもこんな現象が長時間にわたって、あるいはずっとずっと続くとなるとかわりに体のどこを使って見ることができるんだろう。
目の治療で数日、母が病院の暗室で過ごした。あれこれと先々の心配事を話す母の話を半分に、タレルが作品化する光や知覚のことを考えていた。
よく見えていないにもかかわらず、だいたいの日常生活のことはこれまで通りできる。長年培った勘で感性を支え、やがては彼女の感性で触れるものが増えていくのではないかと思う。
「音から離れていた」と数週間前に書いたばかりなのに、新しくスピーカーとCDプレイ