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2006年10月20日

蜂のこと 最終

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「みつばちの木箱」のカテゴリーの中でももっとも大事に考えているものに「蜂のこと」があります。わたしが、ある養蜂家と出会ってすごした1日のことを書いていったもので、全部で30章になりました。2005年の夏、これ以上は書き足さないと思って最終章を書きました。けれどもサイトに上げないまま、また時が過ぎました。各地の養蜂の話しも書き足していこうと考えたからです。1年たってこれを読みかえしてみたら、なんだか今あげておかなければと急に思い立ちました。

2005年の7月の間もわたしは、数回養蜂園の近くを訪ねました。養蜂園は夏場は少し荒々しい感じになります。暑さを嫌い、花の少ないこの時期のミツバチはいつも以上に懸命に生きている感じがするのです。遠い遠い蜜源を求めてひたすら飛び回ります。巣内の温度を調整するのに水をとりに行き、温度を下げるためにファンの役割をする部隊。その目的は次の繁殖のためだけです。そこにおそらく意図や感情をプラスしているのはわたしのようなミツバチ好きの幻想とお話のデフォルメ、あるいはことばの隠喩にほかなりません。
観察や、養蜂家に会うたびにある時期、自分が書いてきたみつばちの木箱のコンセプトがなんの裏付けものなくただの夢事のようなものではないかと落胆した時期がありました。科学的な姿勢や生態を知ることは、こうしたお話の世界を時として鋭く批評します。余分な装飾的なニュアンスはいらないのではないかと思ったからです。それから、ミツバチの写真をたくさん撮り始めました。そのものの姿をそのままに伝えることのできる道具を使ってみようと思ったからです。いろいろな場で撮影をした写真を見てくれた人の話を聞くと、それでもこんな返事が返ってきました。「なんか虫の写真って感じがしないんだよね」「詩的な写真ですね」「表情がかわいらしい蜂」まだまだいろいろありますが、そこにどうしても、撮影者の主観というものが表出してしまうように感じ、また悩みました。
そんなもやもやとした混沌のトンネルを通ってわたしは少しだけ、わたしとみつばちの関係にはっきりとではないけれど、この方向でいいんだと思えるようになりました。それは、このことばとこの日のできごとでだと思います。
いつだったか養蜂園をおとづれる前に養蜂家に電話をしました。玉川大学ミツバチ科学研究施設をおとづれたことを話したり、今年のみかんのはちみつの状況を聞いたりしました。「あなた、しかし、本当に熱心だね。もう、あとは飼うだけですよ。こればかりは、どんなに本を読んだり調べたりしてもね、これということは説明できないの。ミツバチはね、その時の天候とか状態によっていつも対応が変わるから。ただね、生きものだから大事に育てられる人じゃないとね。まぁ、ミツバチを売る人からするとね、すぐダメになってまた買ってもらえる方が儲かるからって悪い商売をする人もいるんですよ。あなたはわたしがはじめでよかった。1年とか2年でだめでした、辞めますというんじゃ意味がない。ミツバチの都合にあわせて続けていくことができるというのがまずは一番の条件だね。これからは、趣味養蜂家というのが生き残る時代ですよ。」
わたしは“趣味養蜂家”ということばに響きました。海外の養蜂家とやりとりをしていると、定年後の楽しみとして養蜂を始めている人がとても多い。アマチュアと言いつつも養蜂の歴史も違うし、養蜂に関する一般的な関心度がとても高いので、その腕前や構築された養蜂の知識は及びもつかない水準にあります。養蜂家の言う趣味養蜂家というのは、とても意味の深い要素をもっていると思うのです。それは高価なはちみつを売る商売、あるいはまがいものをはちみつビジネスとして利潤を追求するものとは異なる道です。
少しだけの、本物のはちみつを隣人と分かち合う。みつばちの生態を見つめ、自分の都合ではなくみつばちの都合に合わせた生活をしていくと、知らないうちに自然を愛する環境に近づいていく。そうした穏やかなココスモロジの中に愛をもって仕えていくこと。そんな奥の深い深い世界だとわたしは考えています。養蜂家としての誇りは人一倍かもしれませんが、「趣味」ととどめるところにこの養蜂家の奢らない姿があって、すてきな表現だなと思えるのです。

「後はもう飼うだけか……」。

わたしの経済的なものと自分の生活環境がととのったらやってみようと思います。やり始めれば、長い付き合いになるからです。ただ、それはあまり遠い先には設定できません。養蜂家もそれほど若いわけではないので、本当のことを教えてくれる、本当の養蜂家からわたしは学びたいと思っています。冬の初めに近い秋からはじまったみつばちの観察を書いた「蜂のこと」はこれが終章です。あとは季節が巡るのと同様に、同じことが繰り返されるからです。
身近なところでミツバチをみつけたら、どうぞ立ち止まって静かにミツバチを見守ってください。どんな花が好きで、どんな時刻に飛んでくるのか、体の色や大きさを、どうぞ見てください。羽の模様や体毛、つけている花粉だんごの色、蜜を吸う口を観察してください。
わたしも毎日そんなことばかりを考えて、街や自然の中を歩いたり走ったりしていると思います。本当の蜂蜜は大量にはできません。ミツバチが集められる蜜の量だけです。これが、一番お伝えしたかったことです。
隠喩のつもりではじめたこのみつばちの木箱はこのまま続けても大丈夫という確信のようなものが、わたしに芽生えています。お話は少しだけ削られたり、増えたり、ひとつのコンセプトを何度も何度も創っては壊し創っては壊していますが、きっとこれから先も、大きく変わることは、もうないと考えられるようになってきました。
30章にわたり書いた「蜂のこと」は、これから時間をかけてみつばちの木箱のお話のひとつとしてつくりかえられる予定です。そのためには、あまり長すぎても、多すぎてもだめなのです。

posted: mitsubako at <10:39AM>

comments:

桜の洞をみつけました。

posted: どうむ on 2007年01月12日 09:58

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