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2007年08月16日

初めての報酬

Category: 蜂のこと

納屋に収穫した蜂蜜を置いて戻ってきた蜂やさんから、「今日は暑い中、初めてなのによくがんばってくれました。助かりました」と言われ、お礼とかかれた封筒をいただいた。
収穫した蜂蜜をいただけただけでも最高の喜びを感じていたわたしに、さらにお礼の袋とは。少し戸惑いはしたけれど、特別な意味を持つと考えて遠慮なく受け取ることにした。
日々、自分の仕事で収入を得てはいるものの、お礼としていただいたお金は採蜜が仕事であるということ、初めての仕事への報酬であることをわたしに認識させてくれる貴重な価値があると思った。お金が目的ではないことは十分にわかっている上で、あえて報酬を与えてくださったことに養蜂家という職業の尊さを味わうことができ、純粋に誇らしい気持ちになった。
いただいたお礼の袋は普段のさいふとは別に大切に机の引き出しにしまった。このお金はとても特別な時に使いたいと思う。

posted: mitsubako: 06:38AM

2007年08月15日

喜びの過程

Category: 蜂のこと

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マーサ・グラハムの踊りの中に喜怒哀楽をはっきりと体現するシーンがあったと記憶する。両足をそろえてぴょんぴょんとはね回る歓喜の表現。

蜜蓋を開けられた巣板は遠心分離器に並べられた。巣全体の状態に応じて速度を決めて機械を回転させる。溜まった蜜は一斗缶にそそぎ、蜜漉しにもう一度とおして空いた一斗缶に流し込んでいく。はちみつの一斗缶を持ち上げるには相当の力がいる。蜂やさんの奥さんは長年この夏の採蜜にかり出されるから、小さな体でもなんとか持ち上げて移動も注ぐこともできる。初めてのわたしは一斗缶ですら持ち上げられないというのに。
奥さんは夏の採蜜ほど嫌いなものはないという。毎年この時期がくると離婚をしたくなるだそうだ。
本当の喜びを味わうには通過するべき道のりがいくつもあるとわたしは思う。
午後をまわっても誰も作業をとめようとはしない。わたしは早朝からの労働ですっかり体力を消耗してしまい、頭がもうろうとしてきて立っていることすら容易でない暑さにとうとう負けてしまった。「ちょっと休みます」。すると「自分が無理と思ったら休んだ方がいいよ」蜂やさんの親戚で手伝いに来ていたおばさんが言った。蜂場の小屋に入って横になるとわたしはあっという間に寝入ってしまった。
耳もとでやぶ蚊のいやな羽音がして、目が覚めたのは午後3時を過ぎていた。外から聞こえてくる蜂やさんたちの声も午前中のような張り合いはなく、いよいよ採蜜作業も最終にさしかかっているようだと察知した。片付けをしてすべてが終了したころには夕方の真っ赤な太陽が海に重く沈みかけていた。
一日の終わりに「今日をありがとう」と言った。声にはでないほどの疲労感とじんわり喜びを感じた。

posted: mitsubako: 06:37AM | comments (2)

2007年08月14日

採蜜の仕事

Category: 蜂のこと

採蜜の現場は終始、戦闘状態だった。
巣箱から巣板を取り出す作業は単純な行為でありながら、巣箱のみつばちの反応は予測はついてもその行動に100%確信を持つことは、相手が昆虫がゆえに難しい。
みつばちの行動が感情によるものではないと思えるだけに経験と勘と自分の体力だけをたよりに、暑くなる前にどれだけ蜜蓋作業の場所まで運べるかが目前の仕事となる。
蜜蓋開けのポジションをもらったわたしは特に誰かが事前に教えてくれるということもなく見よう見まねで仕事を始めることになった。ここでは自分で体験をして経験にしていくしか学ぶ方法はない。
蜜で重くなった巣板を持つだけでも汗が額から落ちてくる。ネットですっぽりと覆った自分の顔の汗をぬぐうことはできない。巣板内の状態は様々でどれひとつとして同じものはない。全面が蜜蓋で封印されているものもあれば、半分以上はふんわりした濃い茶の膜におおわれた巣房であったり、あるいは女王蜂の育つ王台がひとつ突起しているものもある。誤ってナイフで巣房の入口を切ってしまえば、育っているさなぎの命を奪うことになる。素早く見分けて損傷をなるべく少なく蜜蓋を開けることがわたしの仕事だ。蜜の蓋が外されれば、中から当然のように蜂蜜がしたたり落ちてくる。その蜜をかぎつけて一時的に巣からおいだされた蜂たちが自ら蜜に向かって飛び込んで来る。羽が蜂蜜につかって溺れれば、そのみつばちの命はそれまでとなる。蜜蓋を開ける最中に飛んでくるものはみつばちだけではない。カオス状態になっているみつばちをエサにスズメバチは周辺を獲物ねらいにしぶとく飛びかってくる。人間も昆虫も採蜜という極上の贈り物をわかちあうために犠牲を払う繰り返しの儀式は、やがてトランスとでもいえるような心身的な興奮状態を生みだすとわたしは感じた。
現代人の仕事にはなかなか見えにくくなりつつある労働の原点を幻覚の中にしばしわたしは見たように思う。

posted: mitsubako: 09:36AM

2007年08月11日

蜂場の臨場感

Category: 蜂のこと

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わたしは前日の晩から興奮のしどおしでなかなか眠りにつけなかたった。漸くうとうとしかけたのは午前2時をまわっていたから、この日の睡眠は1時間ちょっと。暑さに弱い自分の体力が持つのか不安だった。そんな心配をよそに、気温が32度以上あがる山のてっぺんで、炎天下の採蜜作業が幕を開けた。
大仕事にとりかかる前、蜂飼いたちが一服するタバコの煙は朝靄の中に収穫を予想させる希望の造形をもくもくと立ち表しては消えていく。燻炎器の口から漂う木くずのにおい、みつばちが醸しだすワックスや甘い蜂蜜のかおりが一緒くたになった蜂場を一体どう描写したらいいのだろう。ことばを失うほどにわたしに訴えかけてくるこの場所は、感性の源流がつまった何かとしかいいようがない。
もはや春のやさしい花影はなく、夏の草木に蔽われた蜂場は深い緑に囲まれて、蒸し返す空気とぎらぎらする光の中をみつばちたちがごうごうと唸っている。みつばちらが収穫した蜜を人間たちの手によってこれから横取りされる危機を鋭敏に察知した彼女らはやや殺気だっている。一方、採蜜に向かう人間は10や20は刺されることを覚悟して怒る彼女らと対面する緊迫感で精神のレベルは高潮していく。こんな瞬間に置かれたわたしはあえて冷静さを装って蜜蓋あけのナイフを握った。

*友人のnodocaさんにこの晴の日の舞台の写真を撮ってもらいました。早朝から忙しいなかかけつけてくれてみつばちに刺されながらも撮影をどうもありがとう。とても嬉しかったです。

posted: mitsubako: 23:49PM

2007年08月06日

採蜜の朝

Category: 蜂のこと

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明け方4時をまわる頃、車に乗り込んで養蜂園に向かった。
「朝5時ちょっと前に集合ね」という蜂飼いのおじさんからの連絡を受けて、期待でいっぱいの朝の道を走った。あたりが明るくなりかけた朝靄の山道は、セミや野鳥の鳴き声がまるで寝覚めを祝福しているかのごとく賑だった。
集合場所から車で10分ほど、この場所で生まれて初めてのわたしの採蜜がはじまった。

posted: mitsubako: 10:16AM | comments (3)

2006年10月20日

蜂のこと 最終

Category: 蜂のこと

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「みつばちの木箱」のカテゴリーの中でももっとも大事に考えているものに「蜂のこと」があります。わたしが、ある養蜂家と出会ってすごした1日のことを書いていったもので、全部で30章になりました。2005年の夏、これ以上は書き足さないと思って最終章を書きました。けれどもサイトに上げないまま、また時が過ぎました。各地の養蜂の話しも書き足していこうと考えたからです。1年たってこれを読みかえしてみたら、なんだか今あげておかなければと急に思い立ちました。

2005年の7月の間もわたしは、数回養蜂園の近くを訪ねました。養蜂園は夏場は少し荒々しい感じになります。暑さを嫌い、花の少ないこの時期のミツバチはいつも以上に懸命に生きている感じがするのです。遠い遠い蜜源を求めてひたすら飛び回ります。巣内の温度を調整するのに水をとりに行き、温度を下げるためにファンの役割をする部隊。その目的は次の繁殖のためだけです。そこにおそらく意図や感情をプラスしているのはわたしのようなミツバチ好きの幻想とお話のデフォルメ、あるいはことばの隠喩にほかなりません。
観察や、養蜂家に会うたびにある時期、自分が書いてきたみつばちの木箱のコンセプトがなんの裏付けものなくただの夢事のようなものではないかと落胆した時期がありました。科学的な姿勢や生態を知ることは、こうしたお話の世界を時として鋭く批評します。余分な装飾的なニュアンスはいらないのではないかと思ったからです。それから、ミツバチの写真をたくさん撮り始めました。そのものの姿をそのままに伝えることのできる道具を使ってみようと思ったからです。いろいろな場で撮影をした写真を見てくれた人の話を聞くと、それでもこんな返事が返ってきました。「なんか虫の写真って感じがしないんだよね」「詩的な写真ですね」「表情がかわいらしい蜂」まだまだいろいろありますが、そこにどうしても、撮影者の主観というものが表出してしまうように感じ、また悩みました。
そんなもやもやとした混沌のトンネルを通ってわたしは少しだけ、わたしとみつばちの関係にはっきりとではないけれど、この方向でいいんだと思えるようになりました。それは、このことばとこの日のできごとでだと思います。
いつだったか養蜂園をおとづれる前に養蜂家に電話をしました。玉川大学ミツバチ科学研究施設をおとづれたことを話したり、今年のみかんのはちみつの状況を聞いたりしました。「あなた、しかし、本当に熱心だね。もう、あとは飼うだけですよ。こればかりは、どんなに本を読んだり調べたりしてもね、これということは説明できないの。ミツバチはね、その時の天候とか状態によっていつも対応が変わるから。ただね、生きものだから大事に育てられる人じゃないとね。まぁ、ミツバチを売る人からするとね、すぐダメになってまた買ってもらえる方が儲かるからって悪い商売をする人もいるんですよ。あなたはわたしがはじめでよかった。1年とか2年でだめでした、辞めますというんじゃ意味がない。ミツバチの都合にあわせて続けていくことができるというのがまずは一番の条件だね。これからは、趣味養蜂家というのが生き残る時代ですよ。」
わたしは“趣味養蜂家”ということばに響きました。海外の養蜂家とやりとりをしていると、定年後の楽しみとして養蜂を始めている人がとても多い。アマチュアと言いつつも養蜂の歴史も違うし、養蜂に関する一般的な関心度がとても高いので、その腕前や構築された養蜂の知識は及びもつかない水準にあります。養蜂家の言う趣味養蜂家というのは、とても意味の深い要素をもっていると思うのです。それは高価なはちみつを売る商売、あるいはまがいものをはちみつビジネスとして利潤を追求するものとは異なる道です。
少しだけの、本物のはちみつを隣人と分かち合う。みつばちの生態を見つめ、自分の都合ではなくみつばちの都合に合わせた生活をしていくと、知らないうちに自然を愛する環境に近づいていく。そうした穏やかなココスモロジの中に愛をもって仕えていくこと。そんな奥の深い深い世界だとわたしは考えています。養蜂家としての誇りは人一倍かもしれませんが、「趣味」ととどめるところにこの養蜂家の奢らない姿があって、すてきな表現だなと思えるのです。

「後はもう飼うだけか……」。

わたしの経済的なものと自分の生活環境がととのったらやってみようと思います。やり始めれば、長い付き合いになるからです。ただ、それはあまり遠い先には設定できません。養蜂家もそれほど若いわけではないので、本当のことを教えてくれる、本当の養蜂家からわたしは学びたいと思っています。冬の初めに近い秋からはじまったみつばちの観察を書いた「蜂のこと」はこれが終章です。あとは季節が巡るのと同様に、同じことが繰り返されるからです。
身近なところでミツバチをみつけたら、どうぞ立ち止まって静かにミツバチを見守ってください。どんな花が好きで、どんな時刻に飛んでくるのか、体の色や大きさを、どうぞ見てください。羽の模様や体毛、つけている花粉だんごの色、蜜を吸う口を観察してください。
わたしも毎日そんなことばかりを考えて、街や自然の中を歩いたり走ったりしていると思います。本当の蜂蜜は大量にはできません。ミツバチが集められる蜜の量だけです。これが、一番お伝えしたかったことです。
隠喩のつもりではじめたこのみつばちの木箱はこのまま続けても大丈夫という確信のようなものが、わたしに芽生えています。お話は少しだけ削られたり、増えたり、ひとつのコンセプトを何度も何度も創っては壊し創っては壊していますが、きっとこれから先も、大きく変わることは、もうないと考えられるようになってきました。
30章にわたり書いた「蜂のこと」は、これから時間をかけてみつばちの木箱のお話のひとつとしてつくりかえられる予定です。そのためには、あまり長すぎても、多すぎてもだめなのです。

posted: mitsubako: 10:39AM | comments (1)

2004年12月11日

蜂のこと その30

Category: 蜂のこと

●蜂と共に暮らすとは
もし、58歳ぐらいまで生きていたとしたら、わたしはどんな暮らし方を選んでいるんだろう。
蜂のことを書いてきてみつばちを見つめる目が少しだけ育ったように思う。何がわかったとか、何ができるようになったということではまるでないけれど、もし、こういう風なことになったら何を探せばいいかという方法とか、質問できる人とかそういうことがいつでも自分の周り在るようになったから。
なぜ58歳なんていう中途半端な年齢を選んだかというと、Max Westbyが今その歳だからというだけだ。人として、養蜂家として今とても信頼し尊敬できる人物だ。
大学の教鞭の職をリタイヤしてからはフランスのバーガンディー地方へ移り住み、エコロジカルな「食・住」を実践しながらミツバチを飼い、ブリキの彫刻家としても第二の人生をはじめているこの人のことを書きたくなった。
バーガンディーはフランスの東部に位置しワインの産地でもある。Maxはもともと神経科学が専門で、長い間ナマズの研究などをしていたらしい。アカシアの樹の下、ブドウが茂る片隅にミツバチの木箱が積み重なって置かれている。養蜂はアマチュアだといいつつも、イギリスの科学系サイトにコラムを投稿する執筆者のひとりだ。
昆虫、植物、いやすべての自然を愛し、人権を守るためのアクションもする。ボランティアでパーキンソン患者を訪問したりそのハートとフットワークには、溢れる何かが輝いている。それでいて、フランスっぽいシニカルで滑稽なおしゃれな初老だと思う。
ある時、彼の飼うミツバチで、羽もちぎれるほどに働いた最期の頃の姿をとらえた写真を見た。とても黒かった。だいたい1カ月前に飛び立った頃の若い時期と比較すると本当に消耗しきった老いた姿だった。
「とても体が黒い」とわたしが反応すると、このミツバチの種固有のものであることを教えてくれた。イギリスのヨークシャーという種類の蜂だった。この種はイタリアンのようにどんどん繁殖をしていかず一定を保つということらしい。わたしはミツバチ科学研究施設の中村先生の話を思い出した。ニホンミツバチは、必要以上に花粉や蜜源を集めてどんどん子どもを増やすことはせず、どんなに花が豊富な好条件でも自分たちの許容範囲をとどめている性格があると。それに比べると西洋ミツバチは、花があれば集められるだけ食糧を集め調子にのって子どもを増やしていっぱいになってしまうそうだ。「ニホンミツバチのような謙遜なかしこい生き方はわたしたちに何か意味を伝えているようです。」と言われたことがずっと心に残っていた。
ただしMaxは、ヨークシャーよりは、イタリアンの方が飼いやすいと言う。ニホンミツバチもヨークシャーと同様、巣が気に入らなければどこかへ行ってしまうし、飼い慣らすということを主眼にすると扱いはむずかしいと一般的にいわれている。人間の都合よりは、ミツバチの生態として調和がとれていることに目を向けることは、どこかゆとりを感じさせられる。

お世話になっている養蜂家がいつかこんなことを言っていた。「ミツバチのことを知っているとか、養蜂をしているというと西欧の人からすぐに信頼されます。それぐらい養蜂という職業は海外では認められているのね。」
確かに、わたしのみつばち好きは海外の友人からも温かく支持されている。ブラジル人の友人が"Abejas e colmenas"と命名してくれたんだったし、イタリアの友人はわざわざ故郷のイタリアンのミツバチの写真をいくつも撮影してくれた。岩手に住むアメリカの友人も故郷へ帰った時、偶然ミツバチの分封に出くわし、その一部を撮影してきてくれた。
ノイバレーに住む友人は路上で売られるノイバレーの蜂蜜の写真や、趣味養蜂の方の蜂を撮影してくれた。
日本でミツバチを飼う方々にもとても親切にしていただいてわたしはこれ以上何を望むのか?というほどhappy smilingな日々だったりする。

posted: mitsubako: 22:35PM

2004年12月10日

蜂のこと その29

Category: 蜂のこと

●しびれる森の蜜
蜜の獲得には養蜂をして蜂蜜を採蜜する方法と、蜂蜜猟をする方法があります。
岩手の川井村の方が、ヤマバチの話しをしてくださった時、「ハチミツの精」の話しがすぐに浮かびあがってきたのです。
なんでも、ある方が山に入って蜜を見つけ、それを口にするとしびれるという話しだったのです。だから、森で見つけた蜜はその場では食べないというのです。
中南米の伝説の話しはいい伝えによくあるように、少し教訓めいたところがあります。でも、もうひとつわたしが少し想像をめぐらすのは、蜜酒で酔うということです。蜜酒はヨーロッパなどで飲まれるものではあるものの、この酔いと、川井の方が体験されたしびれになにか連鎖するものがあるように思えたりしてしかたがありません。
一方、確かにしびれを催す有毒な花からの蜜がまざるという説も聞いたことはあるけれど、科学的にどうしたという立証よりは、靄に包まれたような奥深い森の中で、したたる黄金色の蜜と酔いは人間の欲深い深層心理をつく幻想的な話しだと思うのです。

あまり踏み込みすぎないでおきたい世界だと思います。

posted: mitsubako: 22:34PM

2004年12月09日

蜂のこと その28

Category: 蜂のこと

●ハチミツの精
アラワク族のインディオはハチミツが好きだった。昔は森の中にハチの巣がいっぱいあり、ハチは養蜂をしなくても蜜を見つけるこができた。
毎日おのをかついで、森に出かけて行く熱心な男がいて、どこにハチミツがあるかぴたりと探し当ててくるのだった。
ある日、いつものように樹木の空洞を伺った。そしておのを当てようとすると、突然、小さな叫び声がした。
「お願いです、切らないで」驚いた男は手を止めて穴の中にいるものを怖々覗いてみた。
「わたしはハチミツの精で、名前はマパ。この巣を視察していたの。もう少しでわたしの体まで切られてしまうところだったわ。」手のひらに乗りそうなかわいい妖精と男はすぐに仲良くなった。この日以来、男はハチミツのありかを探すのに少しも苦労をしなくなった。そして妖精は料理が上手で植物の根から酒を造ることも知っていた。こうして男の家にはいつもおいしいご馳走が絶えず、連日連夜、仲間を招待して宴が繰り広げられていた。男には忘れてはいけないことがひとつだけあった。決して、他人の前でマパの名前を大声で呼んではいけないと。もし呼んでしまえば、永遠に男のもとを去ることになるのだった。
ある日も男たちは酒をのんで語りあかしていた。とうとうつぎ足す酒がなくなる程にまで飲み酔い、すっかり上機嫌になっていた男は口をうっかりすべらせてしまった。
「心配するな、マパがすぐに酒をつくってくれるさ」っと。
こう言うなり、男の頭上を小さなハチが飛んで行った。ハチは森に消え去ってしまい二度と戻ってはこなかった。それ以来、男は幸運に見放され、もう二度とおいしいハチミツを見つけることも、美酒に酔うこともできなくなってしまった。

*川井の民話の要約を掲載したので、もうひとつお話を載せてみた。“みつばちの木箱”の話しを作る前にいろいろと調べていた中に中南米のこの伝説があった。ハニーハンティングの話しだ。ハニムーンや蜜酒というつながりを知ったきっかけの好きな話しのひとつだ。

中南米伝説の旅 ハチミツの精から

posted: mitsubako: 22:33PM

2004年12月08日

蜂のこと その27

Category: 蜂のこと

●岩手県『川井の民話』から
遠野市立博物館の宇野理恵子はハチに関する俗信についても書かれていました。「蜂が家の中に巣をつくると縁起がいい」と思われていることがあるようです。これを読んだ時、川井村北上民俗資料館で購入した『川井の民話』の中にそれに類似するような話しがあったので、ここに付け加えておこうと思います。
『川井の民話』からの要約
「はちの巣むご御用」
おじいさんと、おばあさんと、1人息子があった。けれどもその息子はお酒や博打を
やって家も屋敷もなくしてしまった。それから家もないことだしと歩きはじめた。歩いたところに木があってそこに蜂の巣があった。ところが、子どもたちが、それを石で打って捕ろうとしていたところだった。そこで、この息子が、この巣を売ってくれと頼んだ。昔のお金で一厘で買った。そしてまたしばらく行くと家があった。「むこ御用」と書いてあったのでむこになろうと家に寄った。
「後ろの山の杉の木が何本あるか数えて来たら、むこにしてやろう」
そこで行ってみたが、さてどうして数えていいのか途方にくれていると、蜂が飛んで来て「三億三万三千三百三本、ブーン、ブーン」と羽音をたてている。
それで、だんなに「三億三万三千三百三本だ」と応えるとむこにしてくれた。
そうして孫もでき男の子ができてお祝いをしたそうだ。その家はだんだん蜂の巣のように年々よくなって、財産持ちになったそうな…。蜂は吉相なもんだ。そのうち長者どのになって孫末代住んだと。
採蜜のことはまたいずれ書きます。

posted: mitsubako: 22:32PM

2004年12月07日

蜂のこと その26

Category: 蜂のこと

●日本ミツバチと伝統養蜂
わたしたちが食べている蜂蜜はそのほとんどが西洋ミツバチから採ったものです。ただ、対馬、熊野、伊那などに代表される地域では日本にもともといる在来種、日本ミツバチから採った色の濃い蜂蜜を食べることがあるようです。少しづつですが、ミツバチのことを科学的な側面から、あるいは民俗学的な側面から書かれている文献を読んでいて、この頃日本ミツバチのすばらしさにひそかに憧れ、庭観察で見つけると「今日も来てくれたね」と嬉しくなるのです。なにがそんなにすごいのだろうか?
日本ミツバチのことが初めて文献の中にあらわれたのは、『日本書紀』で「百済の太子余豊、ミツバチの房四枚をもって三輪山に放ち飼う。しかれどもついに蕃息らず」と記録されているといいます。
日本ミツバチは養蜂が難しいともいわれます。体は西洋ミツバチよりも少し小さめで色は黒っぽい感じがします。山奥の大木や古木の洞などに巣をつくり、主には樹木に咲く花を蜜源として生きているといいます。こうして山に暮らすミツバチを林業などを営む山岳地域の人々は生活と共にその生態を知り、それぞれの地域で、それぞれの方法で趣味のような感覚で飼う伝統的な風習があることを知りました。
温暖な気候の地域では、なんとなくイメージもわきますが、実は、2005年の春に訪れた岩手県でもこうした伝統養蜂があることを知りました。旅の最後に川井村北上民俗資料館に立ち寄りました。この北上に残る様々な人の営みと密接に関係する民具には驚きました。冬の寒さは厳しく氷点下15度ぐらいまで下がる日もあると聞きました。こんなところでも日本ミツバチとの関係があることを民具を見て知りました。この地域では日本ミツバチのことを「ヤマバチ」と呼ぶことが多いそうです。これに対して、西洋ミツバチのことは「カイバチ」と呼ぶようです。残念ながら、今回、川井村在住の方に聞いてはいたのですが、遠野で目撃することができなかった巣箱があります。日本ミツバチを飼う巣箱に自然木を利用していているといいます。真ん中に空洞をつくり屋根をつけたようなものが庭先によく置いてあるというのです。こうして、日本ミツバチの分封群を待つのだそうです。いわゆる、四角い箱形の巣箱を作ることもあるのですが、自然木で何度か蜂が住んだことのある巣の方が蜂が入りやすいのだそうです。

遠野市立博物館の宇野理恵子さんの文献によれば、山から来るヤマバチの分封群が設置した巣箱に入りやすい条件があると書いてありました。これは、実際に遠野で日本ミツバチの養蜂経験をされた方の話しから調査を進めた資料です。
・風の当たらないところ
・西風を止めるようなガケのところ
・暑すぎないところ
・大木のあるところ
・地面に置くと木が腐るので少し間隔をあけること
・入口は東へ向ける

ミツバチは飛び立ちやすいところを好むそうです。それはちょっと西洋ミツバチの飼い方を見ていてもそう思います。わたしが見学をさせていただいている養蜂園では滑走路のようなものをちゃんと巣箱の入口にとりつけてあるのを観察の時に見て気がついていました。重たい蜜や花粉団子をつけて戻って来るわけですから着地もしやすいというのも大事なような気がします。
遠野地方では、あまり人が日本ミツバチの生活をいじらないで、できるだけ自然にまかせた放任主義で飼う傾向が強いということが書かれていました。これはすばらしいことだと思います。巣が気に入らないとすぐにどこかへ逃げ出して行ってしまう日本ミツバチはあまり管理された状態よりは自立型なのだと思います。それだけに、人はその生態を熟知して必要な時だけ手をさしのべることができないと共生はできないデリケイトな種なのだと思います。つまり、人間とミツバチの関係がより自然であるということだと思います。そして、人間ができることはできるだけ、ミツバチの好きな環境を維持してやることなのだと思います。伝統的な養蜂には、そうした長い付き合いや経験の積み重ねから生まれた知恵とか技術が凝縮されているように思います。

posted: mitsubako: 22:30PM

2004年12月06日

蜂のこと その25

Category: 蜂のこと

●記憶飛行
みつばちは記憶飛行というのをするらしい
巣箱から生まれて初めて外界に出て飛び
再び巣箱に戻ってくることをそう呼ぶのだそうだ
この季節(とき)は
花のある蜜源とかには向かわず
ただ巣箱の位置を知るために日だまりの中を飛んで帰って来る

記憶飛行とはなんと惹かれることばだろう

posted: mitsubako: 22:29PM

2004年12月05日

蜂のこと その24

Category: 蜂のこと

●『分かたれた家』A house divided Mark Thompsonの活動
1989年、まだ東西の分断が続くベルリンでひとりの作家が蜜蜂を追跡していた。19世紀に使われていた蜂捕獲箱を使い、森の樹のほこらに棲む野生の蜜蜂や、飼育されている蜂群から蜂を追って、東西6kmに渡る四方を探し求め歩いていた。作家はこの追跡方法をliningと呼ぶ。追跡から西ベルリン側のピッカードさんの養蜂場へ辿りついた。養蜂家に自分のやろうとしていることを話すと、蜜蝋を分けてくれた。この蜜蝋はまだチェルノブイリ原発前に採取された放射能を含まないもので、貴重だった。

作家は西ベルリンの壁近くにある病院を「ベタニア芸術館」としてプロジェクトの場にした。

自然を共有できるモチーフを選び、その土地固有の素材、歴史、環境、さらに人々との関係をどんどん取り込んでいく作品形態を主眼に展開したこのプロジェクトは、行き着く先が予定調和的なものではない。集めて来た蜜蝋は、作品を公開する一室のアーチ型窓に塗った。窓から射し込む光を通して、この室内が蜜蝋色に包まれる。室内に立つ2本の古びた円柱もこの蜜蝋で覆い、豊かな香りが部屋を満たす。ガラス張りの巣箱1ケースをこの部屋に設置し、巣箱に蜜蝋とピッカードさんからの分蜂群を放した。巣箱とパイプを通じて病院の内と外をつなぎ、蜜蜂は自由に外へ蜜源を求めて飛んで行く。そして、また帰ってくる。東西の花から蜜を集め、ケース内に新しい有機的な巣を形成していく模様がライブで見ることができるのだった。
この1シーン、ガラスの巣箱の中での瞑想がCalifornia College of the ArtsのMark Thompsonの作品集で見ることができる。
人間は壁を越えることができなくとも、いと小さきみつばちたちによって、ひと足先に東西融合の予兆があったことに、私は大きな意義を感じる。もしかすると、自由に見えていて、私は、見えない壁に囲まれて決して自由でないかもしれない。だけど物理的に国の政策として、こうした制約を受けたことはない。実際にこうした体験をした人々は、一概にはいえないが、我慢強く耐えることに慣れている。だから、ちょっとした弾圧とか、抑圧にも沈黙で闘える底力のようなものが静かに備わっていると私は感じることがある。東独、チェコを訪れた時に、あるいはインドネシアの作家と共にした時感じたことだった。

蜂が行きかう光景を、もしその場で見ていたとしたら、その姿に私は何を見るんだろうか。

この作品の一部は、古事記の文献に初めて蜂が現れた状況と似ており、大国主命が何かの試練のための通過儀礼として蜂の群がる部屋に閉じこめられたとあることを想起させる作品でもあったと、訳者の松香光夫氏は書いている。


もう一つの作品はここ日本で行われたものだった。
松尾芭蕉の『奥の細道』に深く共感した彼は蜂箱をしょってその足跡の一部を辿った。私はそれが一体どこあたりだったのか実際に知りたいと思う。

道連れの蜂に、作家は蜜源を求めて旅をする。蜜源に辿り着くまでは、目的に向かって歩調も急ぐ。けれどもそれに近くなるにつれて、歩く歩調も緩やかになる。場へ行き着く一歩一歩は独立したステップではなくて、この連続性が線となり、場から場へとつながりをもたらす。やがて、蜂と人との関係に相互感が芽生え、共生関係が生み出される。蜜蜂は花らか蜜を得、花は蜜蜂を媒介に花粉を運んでもらい、新しい芽生えを繰り返す。養蜂家は自分の求める蜜にしたがって蜂から糧を分けてもらう。常に蜂群の状態が将来にわたり良い状態であるようにと一部を残しておく。蜂と養蜂家の共生は自然界との深い精神性とつながりをもって調和している。この移動と共生には、何年もの月日が費やされて、はじめてバランスが保たれる。プロジェクトを通して気づかされていくこと、この「目覚め」が彼の作品意図である。
追記:旅先の途上で、彼は家族にはがきを送るという。


これは、また別のところで紹介するが、私がこの作品を知りたくなったのには大きな理由がある。1996年、岡崎乾二郎の親友でもある、ロシア人作家ヴァディム・ザハロフ氏を招待した。その際に私は、彼と同行してプロジェクトのサポートをした。無人島へ渡る計画を立て、その地を選ぶにあたり岡崎氏は「芭蕉の足跡を辿るとか、そういうことを彼に話てみて。東北がいい。」と旅先のアドバイスをもらい、松島あたりを探したが、結局、宮城県立美術館の斎さんの勧めなどで、気仙沼沖、大島に渡った。1ヶ月に渡る彼との旅のプロジェクトは、表出するものこそ違うけれど、源流がThompsonと似ている。私が未知数で体験したことが、後々紐解くように理解できるようになったりすると、その時あらためて感謝と貴重な体験をさせていただいていたことに気づく、今である。

最後になるが、Thompsonのライブ・インのガラスの巣箱には思いがある。私のプロジェクト“みつばちの木箱”の前身では、ガラスの蜂箱を考えていたことを記しておきたい。そして、エルンスト・ユンガーの『ガラスの蜜蜂』を想い起こしたりする。

※見つけられたら、Hi8から東独を旅した時のベルリンの風景をいづれここにアップします。
芸術に関するものは“草の根っこ”のカテゴリーに入れていたのですが、“蜂のこと”に入れかえることにしました。

posted: mitsubako: 21:33PM

2004年12月04日

蜂のこと その23

Category: 蜂のこと

●蜂を追う人へ
蜂のこと その19で教えていただいたMark Thompsonさんに手紙を書いた。小学生みたいな英文で恥ずかしいけれど、熱意は伝わるかもしれない。一緒に「蜂を追う人」と墨で描いた紙も送ることにした。

マーク トンプソンさんへ
玉川大学ミツバチ科学研究施設の先生にあなたのミツバチのプロジェクトのことを聞きました。私もミツバチに興味を持っています。私は"Abejas e Colmenas"、日本語のタイトルではみつばちの木箱というプロジェクトをやっています。花の開花にあわせて木箱をしょって北上する蜂飼の幻影の話しを書きました。蜂飼はその旅の途中で誰ということもなく、宛先も書かずに、ただはがきを投函するのです。蜂飼はこのお話の中では象徴的な隠喩です。
昨年の11月、私は本当の蜂飼に遭遇する機会がありました。彼は親切に、ミツバチのことやミツバチの生活について教えてくれました。そして、いつでもミツバチを観察に来てもいいと言ってくれました。私は生まれて初めて、蜂飼がこの地でどうミツバチを飼っているのかを見たのです。ミツバチの羽音があちこちから聞こえてくるのはとても心地よかったです。どうしてかわかりません、でもこの小さな生き物に対して感謝の気持ちが起きました。ミツバチは作家みたいだなぁと。
その後、私は玉川大学ミツバチ科学研究施設に、取材見学の依頼のメールを出しました。
中川純さんが、返事と一緒にあなたが活動をした二つの作品、『分かたれた家』『野性のはちの足跡を追って』のことが書かれた記事を送ってくれました。
トンプソンさんのような人が本当に実在していたことに驚きました。私の話がただの幻想ではなく真実であったことも嬉しいです。
あなたのミツバチのプロジェクトについて本や書かれたものがあれば、是非送ってください。そして、あなたが日本に滞在した時に蜂かごをしょって、松尾芭蕉の『奥の細道』の足跡をたどった旅についてももっと詳しく知りたいです。私は、あなたの活動にとても興味があります。今でも続けていますか?そうだといいです。
返事が来ることを待っています。

この手紙は明日、切手をはって投函する。

*この手紙は残念ながら差出人住所移転のためもどって来ました。その後、私は、サイトでThompsonさんのことを見つけて、メールをしてみました。返事があって新たな住所をもらいました。

posted: mitsubako: 19:20PM

2004年12月03日

蜂のこと その22

Category: 蜂のこと

●図書館で借りた書籍から
尾崎一雄の『蜜蜂が降る』を昨日図書館で読んでいました。尾崎の家の裏庭の老木に棲みついた蜜蜂のことを淡々と書いたものです。年老いた働き蜂が、降るように地面に落ちて死んでいる、蜂騒動そんなことが綴られています。私が知る養蜂家が、そこら中に死骸があると言って地面を見た時のことを思い浮かべながら読みました。これは、決して悲しいことではなくて、種が存続するためのサイクルです。蜜蜂は子どもを産むことのできる女王蜂をひと家族として巣を持ちますが、この巣が分かれてまた新しい巣ができる、この巣の単位としてでなければ種が増えるとは考えにくいようです。一度、この分封を観たいと思います。これまでは、寒い時期に観察に出かけていたのですが、これから春に向けて、蜜蜂の活動は活発になるので、羽音で沸きかえる巣箱に、私は大丈夫だろうかと、適性を試される機会になりそうです。
尾崎の文章の中にPathetic Fallacy、感情的誤謬という言葉が出て来ます。無生物に人間の感情を帰することと言っていますが、尾崎は蜜蜂という生物に感情があるように思うと書いています。働き蜂を観ていると、ひたすら蜜源に行って戻って来て貯蔵しての繰り返しの作業がどうしても機械仕掛けのように思える時があります。でも、巣箱の入口近くでもぞもぞと頭を付き合わせてたりしている様子や、こちらの様子をうかがっているように思えることもあると、すごく感情があるもののようにも思えて来るのです。
図書館で3冊の本を借りました。昭和28年に発行された『蜜蜂の不思議』カール・フォン・フリッシュ著(法政大学出版局)、『新しい蜜蜂の飼い方』井上丹治著(泰文館)、『養蜂記』杉浦明平(中央公論社)。しばらくこの3冊は私と一緒に移動をする本たちになりそうです。フリッシュの実験はおもしろいです。そして、この本は、折り目がついていたり、えんぴつで線が引かれてある箇所が残っていて、一体どんな人がこれを読んでいたのんだろうと気になる一冊でもあります。

posted: mitsubako: 22:46PM

2004年12月02日

蜂のこと その21

Category: 蜂のこと

●往復書簡 中村純さんから
私は自分がメディエータでみつばちのことを伝えているつもりでいるところがあった。けれどもこの小さな生き物を深く知る人びとに出会うたびに、それは私の奢った考えであったと羞恥しています。メディエータは私ではなく、まさにみつばちそのものだ。
ミツバチ科学研究施設の中村純さんから、5月21日に書いた「蜂のこと その20」のコラムに返信をメールで頂きました。この共感を私1人の中にとどめておきたくないと瞬時にして思いました。

読んでください、フィールドで体感した声が確かに見えます。

From:中村純
自然や環境への視点は、私自身のものではなく、ミツバチの視点だと思います。ちょっ とお話ししましたが、以前とあるNGOの要請でネパールに養蜂指導に行ったとき、山頂まで切り開いてしまった村で、とても養蜂なんかできそうになかったのですが、じゃあここでミツバチを飼うにはどうしたらよいのだろうという疑問を投げかけたら、花や花を育てる水などいくつか必要なものが出てきて、それのもとをたどるようにし向けただけで、村人の口から自然に森の再生ということが出てきたのです。NGOの働きかけとしてそういう事業もあったのに、いきなり森を再生しましょうというだけでは、いろいろな利害が対立したり、森の必然性が実生活と結びつかなかったり、水が先だとか、何が先だということで収拾がつかない状態のようでした。とりあえず苗床は作ったものの、その苗からイメージされた森の機能はなかったように見えました。それなのにミツバチがどうしたら住めるのかという風に第三者的に考えたら、あっさりと森の機能が必要だということになってしまうんです(もちろんそれを具現化するためにどうするかは別問題ですが)。森があれば水も得られ、その水で果樹も育つ。木が大きくなれば、薪もとれるし、ミツバチの巣箱の材料も森から得られる。今はほとんどいない野生のミツバチも森に戻ってくる。そのミツバチがいれば、野菜のタネだって自分たちで作ることができる。そういうことが、ミツバチひとつをイメージするだけで見えやすくなると思えました。
自分たちの生活を見直すためにも、一歩引いて第三者的視点で見ることが必要なのに、そのこと自体が何か別の客体がないと難しいのだろうと思うのです。協力隊時代はネパール人は想像力がないと思っていましたが、多分こうした視点移動ができれば、もう少しわかったんだろうと思います。
それは実は今や日本でも必要なことみたいですね。情報の表面的な部分を引き継いだような拡散(例えば自分自身も身を置いている教育もそうですが)は、伝える言葉は立派でも、また言葉の持つ意味自体は伝わっても、その事物の持つ機能性や他の物事との有機的な連関までは伝え切れていないのですが、ああそれって受け手に想像力がないからだと思うことが多いです。環境という場面では、ミツバチのように環境をマルチに利用(飼うヒトの行為も含めて)しつつも使い尽くさないタイプの生物が生きていけるかどうか、具体的に考えてみることもできるんだろうなあ、などとは思っていますが、やっぱりあくまでミツバチの側に立った発想なんです。(05.05.22)

posted: mitsubako: 22:45PM

2004年12月01日

蜂のこと その20

Category: 蜂のこと

●ミツバチ科学研究施設
5月晴れの爽やかさをいくぶん通り越した初夏の陽気の今朝、家を出る前に庭の光の中をもやもや白いものが浮遊している光景を目にしました。それは小さな虫であったり、タンポポの綿毛だったり…。それを見ているだけで空気中の密度が急に濃くなった感じがします。
電車に乗り込みました。田園の都市に向かうにつれて緑が茂り玉川学園前で降りた頃には、日中の日射しも照りつけ、暑さに弱い私は少しぼーっとして坂道を歩き始めました。降りたった駅は名前のとおり学校です。構内は森のように木々があって気持ちがいい。15分ほど歩いてやっと目的の校舎にたどり着きました。
今日、私は玉川大学のミツバチ科学研究施設の訪問を許されて、中村純さんとお会いしました。メールでは何度もやりとりをさせて頂き、いつも本当にご丁寧な、そしてたくさんの事を教えて頂いていてお会いできるのが楽しみでした。いや、本当を言うと少し緊張していました。「こんにちは」はじめのご挨拶で私は、すぐにほっとしてしまいました。とても優しい空気がそこに溢れていたからです。
研究施設で中村純さんと、榎本ひとみさんに、いろいろな資料を見せて頂き、私の小さな好奇心の中からたくさんの興味引き出して頂きました。それは、一度に全ては書けないので、「蜂のこと」を書くたびに、あるいは他のエントリーでこれから消化されてことばとなっていくことでしょう。
今日は、まずは中村さんの人となりを記しておこうと思います。本来ならば助教授でいらっしゃるし先生とお呼びするところだと思うのですが、あえてそうお呼びしないところに、私の人としての敬意というか、人に対するこだわり感を残しておきたいと思います。
今日、参考になる文献をいくつもご提供頂いて、これから私はそれを手がかりに楽しくミツバチのことをもっと考えながらそれを取り囲む大宇宙を見つめて生きたいと思います。
ミツバチ科学研究施設が定期的に発行している『ミツバチ科学』という雑誌があります。中村さんはこの編集長でもあり、研究者の立場としても数々の論文や報告を掲載されています。
2002年のVol.23号にインドの環境保全活動について書かれていたものを、今日帰ってから読みました。3時間以上にも渡って、今日お話くださった中に、中村さんの自然環境に対する眼差しとか、海外青年協力隊に参加されていたこととか、私の中に大きな共感がひろがりました。
中村さん一行はニルギリ高地を越えてウーティという辺りから深い谷間に広がる人工的な美しい風景を目にしました。イギリスのコロニアル時代に成功をおさめた美しい茶園の陰に、その美しさとは相反する住民や生態環境に大きな問題を残していたのでした。
中村さんが訪ねたキーストン財団ではミツバチと人間のための環境保全活動を行っていました。茶園で壊れてしまった本来この地の持つインド亜大陸の多様性に満ちた生態の保全
がその主眼であるというのです。そしてもう一つ、地域資源となる成果物の発掘が地元の生計を成立させるためには重要となってくるからです。
キーストン財団は、この地に住む多くの少数部族が伝統的にミツバチを飼い、ハニーハンティングをする文化であることに注目しました。ミツバチを採用した開発事業は、ここの地でここで起きたケースとして、住民の生活の維持、向上のために生物の多様性が守られねばならないことと結びつくわかりやすい事例となっているようです。
ミツバチを取り入れた開発事業は「飼う側」と「飼える環境」の両方が整っていなければなりません。森の中で自然発生的に行われてきたミツバチと人の関係はまず「自然に聞け」ではないけれど、その森に見合う生産量を超えることはできないのです。一度崩壊してしまった森に樹木が花をつけるまでにはどれだけの時の流れが必要なのでしょうか。そしてその樹木が何年も何年も生きて大木となり、ゆっくりとした時間の中に人、ミツバチ、そしてその他にもたくさんのその土地固有の生態圏を担うもののサイクルがかみあってこそ存続していけるものなのです。
何者かがそこで欲を持つと、長い間続いたサイクルは簡単に壊れていってしまう。
中村さんの書かれたこと、そして今日話したことから私はこんなことを考えました。

「自然は儚くもあるが、人のはかりしれないところでゆっくり回復する、いやもしかすると再生する力がきっとある。私はそう信じていたい。」

中村純さん 榎本ひとみさん お忙しい中、今日は本当に長い時間を割いてたくさんのことを教えてくださりありがとうございます。帰ってすぐ、家にニホンミツバチが来ていないかと探しました。
これからもよろしくお願いします。

posted: mitsubako: 22:43PM

2004年11月30日

蜂のこと その19

Category: 蜂のこと

●中村先生からの郵便
家に帰ると、ぽつんとA4サイズの茶封筒が届いていました。送り先を見ると玉川大学ミツバチ科学研究施設となっています。私はどきどきしました。養蜂家に、学術的なことを知りたいなら、この研究所に問い合わせるようにと話しを聞いていたので、サイトで調べて、メールを出しました。ひとつは、この施設への取材のお願いです。そして、もうひとつは、養蜂家と会ってから、私は自分が書いた“みつばちの木箱”が実際と大きくイメージがかけ離れていることを知りました。もっとミツバチそのものの生態を知ろうと感じたこともあって、研究所に質問をかかえて行こうと思ったのです。
すぐに研究所の中村純さんから返事が来ました。自然科学系の人でなくとも、私のように興味を持って何らかの形で人に伝えることを目的としている人なら歓迎するところです、と温かい返答をいただきました。少し詳しく、私がやろうとしている活動をお伝えし、このサイトも見て頂きました。中村純さんは、ビクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』(スペイン映画)のことも書いて来てくださったり、私の話に出てくるような木箱をしょって活動をした芸術家がいますとも知らせてくれました。長い年月をかけて制作された『ミツバチのささやき』は私がみつばちに関心を持つきっかになった作品でもあります。
木箱をしょって活動した作家のことはまったく知らなかったので、是非、教えて欲しいとお願いをしました。封筒に入っていたのは、『ミツバチ科学』(玉川大学ミツバチ科学研究施設機関誌)からの抜粋で「ミツバチを追って--私の芸術活動--」Mark Thompson、翻訳松香光夫の記事でした。彼の作品を大きくわけて、主に2つの場所で行われた活動に注目して書かれたものでした。ベルリンの壁崩壊以前の、西ベルリンの壁ぎわにある、1800年代前半から病院として使用されていた拠点と、松尾芭蕉の『奥の細道』に書かれた地の足跡の一部を追って、背負い巣箱で日本の旅をしたという記録でした。活動の写真のひとつに北カリフォルニアを歩く彼の姿がありました。この作品については、次回、もう少しよく理解をしてからここで書こうと思います。が、驚くほど私が、コアコンセプトとして書いているものと近いので、「あぁ、こういう人がいるんだ」と、またまた熱くなっている自分がいます。この記事の最後にMark Thompsonの住所があります。オークランドに住んでいるようです。私はMark Thompsonに手紙を書こうと思います。活動に出ているかもしれないけれど、引越をしていなければいいなと願って…。そして、手紙が届くことを心から祈って!
最後になりましたが、学会前の大変にお忙しい中、みつばちの切手をはって、こんなにすてきな記事をお送りくださった、中村純さん、どうもありがとうございます。私はみつばちのことで夢中になっているうちに、どんなにたくさんの人に親切にしていただいているかわかりません。
いずれ、許可を頂けたら、施設の取材をさせて頂くことを楽しみにしています。

posted: mitsubako: 21:38PM

2004年11月29日

蜂のこと その18

Category: 蜂のこと

●外来種と養蜂
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蜂のこと その1から書いてきて、いよいよ、18番目になりました。そして、そろそろ、私が1日養蜂園で過ごした記録も終わろうとしています。たった1日の出来事でしたがこんなにたくさんの事を教えてもらったなんて思いもしませんでした。そう考えてみると、毎日、私が何かを吸収する量は膨大だなぁと思いますし、だから、時々溢れてしまうのかもしれないなと思います。仕方ない、そういう自分と付き合っていかなければならないのは確かですから。
養蜂家とは、最後の方で、外来種ということについて話したりしました。最近は、魚、植物、昆虫などなど、外来種に対してあまり好意的でない話しをたくさん聞くと思います。
海外渡航が当たり前の時代となった今、これを制限しても、もう、もはやそれはほとんど無効力に等しい状態です。それに関してどうしろということを私はここで言うつもりはありません。ただ、こういう事実が私たちの見えないところで起きているということを、私も含めて自覚しなければならないとは思っています。
みつばちで一番に影響するのは花蜜を集める花の種類です。「自然というのにはね、やっぱり、そのものの法というのがあるんですよ。外来種の植物がどんどん増えることによって、みつばちにも狂いが生じます。どういうことかと言うと、花はね、花によってまず蜜を出す時間が違うんです。それから、蜜をためている部分のたまる深さも違うのです。在来種と外来種でそれが違うと、みつばちにも混乱が起きます。やがて、蜜がとれなくなるかもしれない。」養蜂家ははっきりとは言いませんでしたが、守って行くべきものがあること、自然は本来のままにしておくべき理由がどんなに小さなことにでもあるということを教えてくれたように思います。
2003年の秋は、猛暑の影響で、熊が人里に降りて来たことが話題になりました。これについて、養蜂家は興味深い見解を話してくれました。「ニュースやなんかでは、猛暑の影響だと言ってるでしょ。蜂を飼ってる人はね、みんな分かってるんですよ。それだけじゃない。外来種の昆虫類がどの山にも加速的に増えていてね、樹木を荒らしたり、森林の生態系を変えていってるんですよ。だからね、熊なんかの食べるものも減って来ている。そういうことを本当はわかっているくせに、公には公表をしていないんです。でも蜂屋さんはね、蜂といるといろんなことがわかるから、自然界で何が起きてるかも、予測がついたりするもんなんです。大変なことになりますよ。」
養蜂で使われるみつばちは家畜です。その多くは海外市場で売り買いをされて届けられるものです。皮肉なことにこの外来種のみつばちが、日本では野生化しにくい理由に、スズメバチとの関係があります。スズメバチが天敵であるために、こうして家畜として飼うことができるのです。
みつばちは人間が世話をちゃんとしなければ、飼えません。それでも、それを飼うことによって、みつばちが媒介をして人が自然とつながっていることがわかるようになります。小さなみつばちに秘められた、重力との関係、構造、メカニズム、自然的観測は計り知れない知恵の結晶でもあり、ただひたすら繰り返しの労働でもあるのです。
養蜂家からアリストテレスの動物誌を読むように勧められました。私は、動物誌やファーブル昆虫記全巻、その他にもH・W・ベイツの『アマゾン河の博物者』など本をかかえて、これから生きている間の時間を蜂のことをテーマに学んで行きたいと考えています。

posted: mitsubako: 21:36PM

2004年11月28日

蜂のこと その17

Category: 蜂のこと

PB130106.jpg●本物の蜂蜜
先日、養蜂園から、みかんの蜂蜜が届きました。ふたを開けると、柑橘の香りと蜂蜜の香りが合わさって心地よい感じの空気が漂います。ところで、養蜂園からお送りいただく蜂蜜はコチコチと固い塊です。そして、瓶の一番上は泡のような白い層があります。いっけん、なんで固まってるんだ……っと思う方もあるかもしれません。でも、これが本当の純粋な蜂蜜なのです。「本物の蜂蜜の見分けかたは、まず、固まるということです。そして、瓶に詰める時に手作業でやったというしるしがこの泡にあるんですよ。」と養蜂家が教えてくれたことを思い出します。
糖類について、私は何も知りませんでした。養蜂家は「糖には大きく分けて2つの種類があるんですよ。1つがね、多糖類、そしてもう1つが単糖類というんです。」と話し始めました。砂糖などの主成分となるショ糖がこの多糖類で、これは人間が体内に吸収すると小腸で酵素分解をしてブドウ糖や果糖になり、エネルギーとして吸収されるのだそうです。一方、蜂蜜は単糖類に属します。これは、人の体に入った時、分解をしなくてもすぐに栄養になるのだそうです。「あなたはネクターってことばを聞いたことがあるでしょう?ネクターっていうのは花蜜のことですよ。これは多糖類なんです。みつばちは、ネクターを集めて、はちの体内で唾液によって分解をするんです。」ぎっしりと蜜が詰め込まれた巣板を1枚とりだして「ほら、よく見てごらんなさい。これが蜜が集められて蝋で蓋をされた貯蔵庫ですよ。持ってごらん。重たいでしょ。」私は、そっと受け取り、手にしてみました。ずっしりとした重みが、この薄い巣板から感じることができました。「よく、できてるでしょ。六角形というのは、最小限の構造で最大のものを貯蔵できるんですよ。ハニカム構造って言うでしょ。それは本来はこのみつばちの巣のことから由来してるんです。それから、養蜂家は言いました。「これをなめてごらんなさい。」
指先に、初めて、みつばちの巣に蓄えられた蜜をほんのちょっとつけて、それを口に運びました。今まで口にしたことのないような、花の味がじわじわと広がっていくのを感じました。どんなたとえようもないほどの感動の一瞬でした。「あなたがね、今指につけたそのちょっとの蜜は、一匹のみつばちが300往復して集めた蜜の量ですよ。」

posted: mitsubako: 21:33PM

2004年11月27日

蜂のこと その16

Category: 蜂のこと

bee_016.jpg●蜂の冬の過ごし方
一昨日、養蜂家に久しぶりに電話をしました。ひとつは、みかんの蜂蜜を買いたかったのと、もうひつは、雪の時は蜂はどうしていたのかを知りたかったからです。他にもっと先にお話を書きたいことがあったのですが、新鮮な印象のうちにこのことを先に書きたいと
思いました。
「この辺のみつばちはね、だいたい、巣箱の温度を20°ぐらいまで下げて中で蜂球運動をしてるんですよ。室内に貯蔵してあった蜜を食べながら摩擦熱をおこして巡回するような運動です。巣箱の入口はだいぶ小さくしてあるんですがね、風が入らないように、入口の門番がうろうろうろうろしてるんですよ。」そうだ、そういえば、私が1月2日にこっそり巣箱を覗きに行った時、入口付近に顔を出したりひっこめたりしているのがいたな、と思いました。「だいたい、5°〜9°もあれば、太陽の光が出てる時は飛ぶのもいるんですよ。それにね、掃除をする役のが、フンや死骸を外に命がけで運び出しますからね。もっと寒い北の地方なんかになると、半分冬眠をしたような状態になるんですが、この地域だと、動いているんです。ただし、この時期は卵をほとんど生まないです。
で、もうすぐ暖かくなるという、ちょっと前ぐらいから、また生みだすんですよ。蜂はね、だいたい、2カ月から3カ月先の気候を読むことができると言われてます。」私はその話しに絶句しました。それからやっとの思いでこう聞きました。「ということは、養蜂家は、そのみつばちの行動を見て、天候や気候の予測ができるというわけですか?」すると養蜂家はこう答えました。「まぁ、完全にわかりはしないけど、たとえば、去年の夏なんかは、例年になくみつばちがものすごい仕事をして蜂蜜をたくさん貯めるわけですよ。そうすると、秋に何かあるなとは思うんです。で、昨年は秋に台風が多かったでしょう。みつばちにはそうした先見性があるんです。」私は、ひどくこの話しに感動を覚えると同時に、何か無機的な労働の繰り返しと0101が並ぶ脳のようなものを、このみつばちたちに感ぜずにはおれないのでした。
最後に「夜はみつばちはどうしているのでしょう?」と聞くと、「だいたい日没前後の15分ぐらいまでと日の出10分前ぐらいから外へ飛びますが、夜は飛ばないですよ。」といいました。
「あなたね、暖かくなったら、みつばちを飼ってみたらどうですか?」

ああ、どうしたらいいんだろう、飼いたいのはやまやまだけれど……。

posted: mitsubako: 23:06PM

2004年11月26日

蜂のこと その15

Category: 蜂のこと

●アントン・ヤンシャ、蜂の種類

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ところで、このスロベニアには、巣門飾りと時を同じくして、偉大な養蜂指導者の活躍があります。この人がアントン・ヤンシャ(Anton Jansa/1734-1773)です。
ヤンシャの本は日本語に翻訳されてないんだろうなぁ。いつか読んでみたいと思います。このヤンシャは青年期に蜂を飼っていました。やがて画家を志望してウィーンへ行き優秀な成績で美術学校を卒業しました。ところが、あのマリア・テレジアに命を受けてウィーン市内に設立された養蜂学校の初代養蜂指導者に任命されたのでした。ヤンシャは雄蜂の生態に関して、女王蜂と分封の関係や腐蛆病にかかった蜂群の治癒など実践と理論をもって「養蜂家の父」といえる名声を博したそうです。
西洋ミツバチにも種類があります。イタリアンとかコーカシアンとか種があるのです。少し、養蜂の世界に入りこむと「カーニオラン」というのはよく耳にします。このカーニオランの故郷はなんとスロベニアなんだそうです。腹部に緑に光る灰色の毛があって「灰色熊のカーニオラン」とスロベニアの養蜂家たちの間で愛称があるほどだそうです。きっとそれほどまでに愛らしい種なのだろうと思います。私が見学させていただいている養蜂家のみつばちはイタリアン種です。岩手で見せていただいた横沢さんのところのはコーカシアンなのでしょうか。たぶん種類が違うように見えたのですが。
カーニオランは従順、勤勉、穏和、すぐれた帰巣・定位能力を持つ性質なのだそうです。すごいな。表記は違うけどスロベニアの伝統的な巣箱と同じ名称なんだなとも思いました。

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日本の伝統的な山蜂の養蜂もおもしろいけれど、世界にはまだきっと知らない場所でいろんなみつばちと人間の付き合い方があるんだろうと思います。そしてその背後にはこの小さな生き物の生態から見えてくるその土地々の自然に気づかされ謙虚に生きている人々がいることに喜びと共感を持たずにはいられないのです。
ところで、今年のApimondia2005(国際養蜂会議)はアイルランドで開催されるそうです。アイルランドというと、またちょっと胸がわくわくします。ケルトの源流はもちろんですが、ここは17世紀後半から19世紀カトリック修道士たちの安住の地となった場でもあります。スケリッグ・マイケル(聖マイケルの岩)はアイルランド最古の初期キリスト教修道院跡で有名な場所です。蜂の巣型僧坊という庵のようなものがいくつも作られているのです。
信州の長坂にある清春芸術村のラ・リューシュ、蜂の巣型のアトリエはずっと建築要素の高いものですが、この修道士たちの巣庵はよりプリミティブに近い感じがしてとても興味があります。人はずいぶんと長い間蜂に教えられて模倣をしてきたものがあるのだなぁと思ったりするのです。この話しはまた、少しづつ書いてみたいと思います。

資料提供:玉川大学ミツバチ科学研究施設
『ミツバチ科学(HONEYBEE SCIENCE)』2002 VOL.23 No.3 p123-126、スロベニアの養蜂 Franc Sivic
カタログ:LIVING WITH BEES / Franc Sivic
*写真はFranc Sivicさん撮影の本からです。巣箱を移動させるトラックは魅力的です。

posted: mitsubako: 23:02PM

2004年11月24日

蜂のこと その14

Category: 蜂のこと

●スロベニアの養蜂

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スロベニア共和国はこれまであまり身近に感じたことのない国でした。地図上どこに位置するのかもおぼろげだし、どこから独立したのかも曖昧だったりします。恥ずかしいことです。旧ユーゴスラビアからの独立国で、隣接する国はイタリア、オーストリア、ハンガリー、クロアチア。クロアチア以外は1度訪れたことのある国で、そう思うと少し親近感もわいて来るし、なんとなく文化圏の想像がつくような気がしてきます。
このスロベニアでは国民1000人のうち4人が養蜂家だといいますから立派な養蜂国なのです。Franc Sivicさんは花とみつばちやスロベニアに伝統的に伝わる蜂の巣箱などを写真に撮っている人です。2003年にこのスロベニアの首都リュブリャナでApimondia2003(国際養蜂会議)が開催され、カタログとして販売されていた本を、お願いしてSivicさんに送ってもらいました。ページをめくるとリュブリャナの写真が目に映りこみます。山頂に残雪の残る美しいアルプスに囲まれた街だとひと目見て思いました。そうして次々に写真を見ていくと、牧歌的で平穏な山村の田舎にいろどりの鮮やかなかわいらしい木製の蜂小屋がいくつも紹介されています。まるでおとぎ話のような世界です。きっと厳しい寒さの冬を越して、春が訪れた時、どんなにか明るく、澄みわたる、楽しげな場所なのだろうと思います。
蜂小屋には冬を乗り越えるために、そして夏の暑さから守るために、巣箱をタンスの引き出しのように積み重ねてあります。そして、赤、青、黄、緑などにペイントされていて、中には昔話のシーンを描いたものまであります。この地方に伝わる伝統的な木箱と蜂小屋のようです。こんなものが、果樹園の中に置かれているのですから夢のように美しいことでしょう。この木造の長方形で前と後ろから開ける巣箱をカーニオランと呼ぶのだそうです。
Sivicさんによれば、この民芸調の絵画は18世紀の中頃「巣門飾り絵画」として、この時代にスロベニアで開花したものだといいます。当時はオーストリア・ハンガリー帝国に含まれていた地域で、このどことなくチロル風というのか、あるいは農民田園的な絵画はなんとなく、スイスでよく目にする可愛らしい牛や花のモチーフに類似するものを感じます。これは、私の想像だけれど、おそらくスイスのアルプス地方でもきっと目にすることができるのではないかと思うのです。

資料提供:玉川大学ミツバチ科学研究施設
『ミツバチ科学(HONEYBEE SCIENCE)』2002 VOL.23 No.3 p123-126、スロベニアの養蜂 Franc Sivic
カタログ:LIVING WITH BEES / Franc Sivic

posted: mitsubako: 22:58PM

蜂のこと その13

Category: 蜂のこと

bee_013.jpg●東洋みつばちのこと
昨日、養蜂家からもらった蜂の死骸を土にかえしました。
少し、埃もかかっていたし、カビもはえかけていたので、とっておくのをついに諦めました。いわてのいちごが、食べ種から順調に育っているので、そこへそっと4匹を葬りました。私にとっては、ここしばらくのお守りのような死骸だったので、なんとなく、みつばちの好きそうなところへ返してやりたい気持ちでした。
今日は東洋のみつばち種を見たことを書こうと思います。「東洋みつばちと言われる種は、百済から日本に渡って来たといわれています。」と養蜂家は言いながら「あなたに、東洋みつばちも見せてあげましょう。」と西洋みつばちとは少し離れたところに置かれた1箱のふたを大事に開けてくれました。「東洋みつばちは少し小さいでしょう。」開けられたふたに作られた、そのみつばちの巣の形状に私は見とれていました。幾何学的な六角形と蜜蝋が実に有機的な形を生み出しているのです。これは、宝箱のようだと私は思いました。
「日本書記には、百済の太子余豊璋が奈良の三輪山に蜂を放ったという記録があるんですよ。だから、日本での東洋みつばちの原種は、それとされる説があるんです。これもその原種からのものだろうと思いますよ。」と話してくれました。今年は暑い夏に奈良の吉野へ行った時のことを思い浮かべました。神聖な奈良の地に放たれ、とびかう蜂はさぞかし神秘に満ちていただろうと思うのです。
日本の養蜂の形態が文献や資料に現れるようになるのは江戸時代であったとされています。ちょっと興味を引くのは、幕末にかけて、紀州では、貞市右衛門による、開花に合わせて、数百メートル巣箱を担ぎ移動するいわば、転地養蜂の走り、蜜市流が記録にあることです。やっぱり紀州なのか、と思った瞬間です。
そして明治維新を迎え、西洋みつばちのイタリア種が、現在の新宿御苑に持ち込まれ、飼育のしやすいこのみつばち種が普及をはじめて行くのだそうです。

posted: mitsubako: 13:53PM

2004年11月23日

蜂のこと その12

Category: 蜂のこと

bee_012.jpg●近代養蜂のこと
人が、養蜂をシステマチックに確立するのは、19世紀中頃になってからのことです。近代養蜂をもたらした、3大発明があります。
1851年、アメリカのロレンツォ・ラングストロースは、巣を1枚の板として取り外しができる、巣板を発明しました。著書に『巣箱とミツバチ』があり、現代の養蜂家が飼育しているイタリア種のみつばちを進化させたことでも有名な人物です。1857年にはドイツ人のJ.メーリングが人工巣を考案しました。これにより、繰り返し採蜜できるような丈夫な巣が確立されたのです。そして、1865年にオーストリアのフルシュカが遠心分離器の発明に成功し、採蜜は手絞りから機械により効率化が進みます。現在の養蜂に使用されている巣箱はみつばちの生態と採蜜を非常に合理化させた形と言えます。

養蜂家に「なぜ、木箱にペンキを塗るのですか?」と尋ねてみると、「本当は、塗料を塗ると蜂には良くない、巣箱が蒸れるからね。ただ、雨で木が腐るのを防ぐためだけですよ。」と話してくれました。四角い木箱は、実にシンプルですが、それは近代養蜂に集約された知恵の結晶であると知りました。「ヨーロッパの養蜂家を訪ねるとね、もっと巣箱が立派なんですよ。屋根が祠みたいになってたり、木彫りの彫刻があったりしてね。それぐらいに、養蜂ってことが神聖視されてるんだね。家具のように大事にしてて、これは曾おじいちゃんの時代からの巣箱だってぴかぴかに磨いて自慢して見せるんですよ。」
メキシコでは、もっとペイントがカラフルで赤や黒に塗られているそうです。
日本でも明治時代の諏訪式巣箱には屋根がついていて、巣箱の形や色ひとつとっても奥の深いおもしろさがあると感じたのでした。


posted: mitsubako: 13:52PM

2004年11月22日

蜂のこと その11

Category: 蜂のこと

bee_011.jpg●養蜂はいつの時代から…
今朝の嵐は台風並でした。我が家のベランダのベニヤ板の屋根を、突風が一部さらっていってしまいました。
この大嵐で、早朝から目が覚め、ごろごろと布団の中で「みつばちはどうしているだろう」と考えていたのです。自然巣の場合は雨風をできるだけ防げる場所を蜂が選ぶのでしょうが、養蜂は、人間が家畜として飼っている以上、巣箱の管理は養蜂家の長年の勘と知恵で守られているはずです。
そもそも、蜂蜜の採取と人とのかかわりは、紀元前6000年ごろからと言われています。最古の資料とされているものにスペイン・バレンシア地方にあるアラニアの洞窟の壁画があります。養蜂家もこの洞窟を一度は訪れたかったそうですが、公開日や人数の制約が厳しく、機会を逃していると残念そうに話していました。
古代エジプトのピラミッドの中にはみつばちと蘆を組み合わせたヒエログリフ(象形文字)が出てくるのです。これは、エジプト王朝のシンボルであったといわれ、みつばちは下エジプト、蘆は上エジプトの象徴とされていた、つまりこの両方を統治していた支配者がファラオであったのです。第18王朝のツタンカーメンの墓からは副葬品の中に蜂蜜が出土したのは良く知られている話しです。
バビロニアで死んだアレキサンダー大王の遺体は蜂蜜漬けでアレキサンドリアまで運ばれたと言われます。すでにエジプト人たちは蜂蜜には防腐作用があることを知っていたようです。以前に養蜂には転地養蜂と定置養蜂があると書きました。このエジプトの時代では船にみつばちを積んで、花を追いながらナイル川を上下していたと言う人がいます。転地養蜂がもうすでにこの頃には行われていたとなると、この時代のエジプトの養蜂技術は非常にレベルの高いものであったに違いないのです。歴史的なものを辿ると、ギリシャ神話や旧約聖書、ヨーロッパ中世などの話しも少しずつまた書いて行こうと思いますが、今は割愛して話しを近代に飛ばします。

*写真はプラハを訪れた時、街の建築物に彫り込まれた蜂の巣の彫刻を撮影したものです。

posted: mitsubako: 13:51PM

2004年11月21日

蜂のこと その10

Category: 蜂のこと

bee_010.jpg●12月の朝に思った蜂のこと
朝、雨戸を開けると、からっと晴れ渡る空、ちょっぴり緊張感のある空気を感じるようになりました。2004年も12月です。blogのカレンダーをせめてエントリーして12月にしなければと思い、とにかく時間のない中を書いています。忙しいからこそ書く、それも大事だと思います。
私は、いったい、今年どんなことをしただろうと通勤途上のあい間に、振り返ってみるのが、この時期です。今年はじめの目標は、確か自転車で各地を走り回ろうと、思っていたはずです。でも、今年の気候やスケジュールの関係で、なかなかいいタイミングを見つけることができず、ほとんど乗らなかったというのが、本当のところです。走るはずのために、私の時間をコントロールしようと思っていたのが、やはりできなかったのは、力不足でした。自分がやりたいと思うこと、したいと思う生活に近づけないのは、私自身の中にある意思とか、体力の弱さだと感じます。
私が自転車に乗るのは、純粋に走るのが好きだし、気持ちがいいし、楽しいからです。自転車は自立した乗り物です。私の体力さえあれば、どこでも一緒に行けます。燃料に頼らない移動手段と、時速21KMのゆっくりした速度は、知らない土地の空気とか、棲んでいるものの気配を感じるのに最適です。
今年とても感動したのは、熊野という地へ旅したこと、そして養蜂の世界を少し覗くことができたことです。熊野では、南方熊楠記念館を訪れました。前からとても行きたいと思っていながらも不便な場所に位置し、なかなか実現できなかったことのひとつです。
交通の不便さから、熊野は日本の辺境ともいわれます。けれども、その閉じた地域から、とっぴな宇宙観をもった風変わりなひとりの男が世界に向けて、メッセージを放ったのです。熊野のうっそうとした森、内なるものを秘めた地には想像もつかないほどの、エネルギーがみなぎっていると感じるのです。

養蜂には、転地養蜂と定置養蜂があります。採れる蜜の濃度の好みから、日本人は元来、転地養蜂のはちみつを好んだといわれます。私が訪ねた養蜂家には、出会い頭から、転地養蜂のイメージだけを売って、実際は定置を行っていることが多い事実を、知らされました。転地養蜂はいわばジプシーです。実は、私もこのイメージ化された“移動”ということに非常に注目をしていたわけですが、本当にこれで、実際に蜜を採って、仕事をしようとすれば、そううまく回らないことを示唆してくれました。ジプシー的な養蜂をしようとすれば、利潤ではなく蜂と共に暮らし、蜂が自分の子孫や、自分が必要とする蜜の一部を人間は、ほんの少し頂く程度であると知りました。たった、スプーン一杯の蜜のために、一匹のみつばちは300往復してもまかなえないのですから。
“みつばちの木箱”のお話で、私がイメージを膨らませて書いたことは、その瞬間に大きく崩れました。知らないということがテキストを不自由にすると同時に、自由にもする、と痛感したのです。
今、私は、ストーリーを再構築しようとは思いません。でも、このことを知った後、コンセプトが私の中でもっとコアなものになったと思っています。“移動”ということへの私のモチベーションは今も、そして、これから先も存続していきます。

posted: mitsubako: 13:49PM

2004年11月20日

蜂のこと その9

Category: 蜂のこと

bee_009.jpg●みつばちの寿命
「みつばちの死骸をもらってもいいですか?」っと養蜂家に言いました。「あー、いいよ。だけど、あんまりきれいなのはないよ。だいたい蜂は死骸を遠くに運んで行くからね。きれい好きなんですよ。」そう言いながら4匹の死骸を手に持って来てくれました。
「おしりが黒くなってるでしょ、これは年取って死んだんです。で、こっちの黒くない方は若いまま死んだんですよ。」私は、つぶさないようにこの繊細な死骸を持ち帰ろうと思いました。
「あんたが、今見てるみつばち達はだいたい来年の2月には死んでしまうでしょう。」
そう思うと今、その瞬間を懸命に飛ぶみつばちをもっとよく見ておきたいという思いがこみ上げて来ました。
夏の働き盛りの季節は約1カ月、寒い冬場は2カ月から3カ月ぐらいで巣箱のコロニー内は生死が循環しています。

posted: mitsubako: 13:46PM

2004年11月19日

蜂のこと その8

Category: 蜂のこと

bee_008.jpg●スズメバチ
数十個もおかれた木箱のいくつかに、スズメバチが死んでいました。「大きいですね」と言うと、「これは、まだ小さい方のでコガタスズメバチです。もっとね、オオスズメバチは大きいですよ。」と中から死骸をとりだしてほうりました。
けれども、養蜂家は、どんな蜂でも役に立つと言いました。農家の人はツバメが害虫をよく食べるからツバメを大事にするけれど、オオスズメバチの方がはるかに害虫を捕獲するのだそうです。それでも、養蜂をしている以上、襲撃は困るので、それは殺してしまうとあっさり答えていました。私の家には、2004年の夏、スズメバチが来ました。私は、数日窓越しに観察をしましたが、近所のことや、自分たちが刺されるのも嫌なので、結局駆除を選択しました。半分いたたまれない思いがして、こうした自分は嫌いだったことを思い出しました。
ただ、西洋みつばちを養蜂として日本で飼えるのも、皮肉なことに天敵となるこのスズメバチがいるからこそなのだそうです。もし天敵がなければ、外来種の西洋みつばちが野生化して増殖をしてしまう。それができないのはスズメバチがいるからなのだそうです。
もちろん、西洋みつばちの野生種も日本で発見はされているそうですが、今のところはまだとても希な事例のようです。
自然界と養蜂というバランスはとてもアイロニックだと思いました。

posted: mitsubako: 13:46PM

2004年11月18日

蜂のこと その7

Category: 蜂のこと

bee_007.jpg●みつばちの分業
今日は、小春日和でした。太陽がぽかぽかと暖かかったのでベランダに布団を干している時、山の上の養蜂園を思い出していました。こんな昼間はきっとみつばちが忙しそうにせっせと花蜜や花粉を運んでいるに違いないのです。その姿をまた見たくて仕方ありません。
みつばちの社会はとても細かく役割分担がされていると養蜂家は話してくれました。「大きく分けて、内役蜂と外役蜂とあるんですよ。まぁ、もっと細かく養育係とか清掃係りとかね。」以前に、みつばちの巣箱内はだいたい36°前後に保たれていると書きました。今年のように暑い夏はどうしていたのでしょうか。私は、養蜂家に聞いてみました。みつばちの中に巣箱内の部屋の番をするのがいて、暑い時期にはよく水を飲みに行き帰って来ては、含んだ水で羽を振るわせて冷風を送り室内の温度を下げる仕事をするのだそうです。「近くに水のみ場がないとだめですよ。」っと養蜂家はつぶやきました。
そうです、みつばちは水場があると、そこへ集まって来るということをわたしは初めて知りました。

posted: mitsubako: 13:44PM

2004年11月17日

蜂のこと その6

Category: 蜂のこと

bee_006.jpg●お礼のはがきを
11月13日の土曜日には、お忙しい中、長いお時間を割いて頂き、山の蜂を見せてくださりありがとうございました。西洋みつばちが懸命に淡い黄色や濃いオレンジの花粉を巣箱に運び帰る姿を初めて見て、ただひたすら感銘を受けました。
また、東洋みつばちの巣もとても美しい形をしていることに驚きました。8の字ダンスのこと、アリストテレスの動物誌と蜂飼いさんに教わったことをちゃんと本で調べてもっと蜂のことを知ろうと思いました。
さっそく、野の花の蜂蜜を、うっかがった巣箱の光景を思いながら花の香りを楽しんで味わいました。
本当にどうもありがとうございました。また、時々蜂の様子を見に是非立ち寄らせてください。


posted: mitsubako: 08:42AM

2004年11月16日

蜂のこと その5

Category: 蜂のこと

bee_005.jpg●蜂を飼うこころ
養蜂家はこれまで海外のあちこちの養蜂を視察してきたといいます。パリのリュクサンブール公園では市が主催をするはちの講習会があるそうです。これに参加するのは高校生以下の生徒たちや55歳以上の定年を迎えた人たちなどで500名ぐらい集まるそうです。視察には日本の養蜂業界の人たちと出向くのだそうですが、日本の養蜂家が質問をする内容はどこへ行っても乏しく、すぐに「これだけの巣箱でいくらぐらいのはちみつが採れるか」というような金銭や儲け話しになってしまうので、海外でも非常にレベルが低いと軽蔑をされているんだと話していました。養蜂家でさえそうなんだから、蜂を知らない人たちの低さなんていったら……。パリのオペラ座の屋上で飼っている蜂蜜が密かに日本ではブームを呼んでいますが、こういうことをして高い蜂蜜を買いに走るのは決まって日本人でこのことが外国人までスポイルしてしまうことになるんだと嘆いていました。

養蜂家は、パリの講習会で後ろの方から手をあげて質問をしたそうです。「みつばちを飼っていて一番楽しいことはなんですか?」っと。この質問で私だけが、海外のどこの会合に行っても、こっちが忘れてても覚えていてくれている人がいて声をかけてくれるといいます。養蜂家のこの質問には「人生を豊にしてくれる、人とのお付き合いがよくなる。」という答えが返って来たそうです。
1度ではとても書きつくせない蜜の濃いお話がこれからたくさんです。続きは追々、断片的に書いて行こうと思います。

posted: mitsubako: 08:40AM

2004年11月15日

蜂のこと その4

Category: 蜂のこと

bee_004.jpg●何万匹の羽音
これから冬に向かう時期は、みつばちも活動をあまりしないので木箱は1段にしておくそうです。暖かい時期になると2段3段と重ねて飼育をするのだそうです。はち箱の位置は厳密で50cmでも後方に動かしてしまうとみつばちは迷うのだそうです。みつばちは太陽、巣箱、蜜源の位置関係を角度で把握し、蜜源までの距離を尾を振るわせる震動のヘルツで測っているのだと説明してくれました。1973年にノーベル賞を受賞したドイツのカール・フォン・フリッシュ博士の20年に渡る「8の字ダンス」の研究を調べて詳しく勉強してごらんなさいと言われました。
巣枠をそっともちあげて取り出してくれるとそこにはびっしりと何万匹もの蜂がうごめいています。「みつばちはいやなことをして苛立たせない限りは刺さないですから。でもこういう時は万が一ということもあります。」と言われているのも上の空、羽音と無数のみつばちに囲まれている幸福感に一気に満たされてしまったのです。ずっと近くでその動きを見ていました。「しかし、あなた変わってるねぇ。こんなの見て普通はみんな気持ち悪いと大騒ぎするのに全然平気だね。」と言われました。私も映像で見ていた時は、きっとあの密集したみつばちに弱いだろうと思っていましたが、実際はまるで違う自分の行動と反応に私自身でさえも驚いていました。噴煙とみつばちや巣から立ちこめるほのかな蜜蝋のかおりが気持ちを穏やかにしてくれました。先日『ミツバチと暮らす四季』(スー・ハベル/晶文社)の冒頭に「誰もがミツバチの巣箱を二つか三つ持つべきだと思う。」とあると書きましたが、ほんの少しだけこの書き出しの意味がわかるような気がしてきました。

posted: mitsubako: 07:39AM

2004年11月14日

蜂のこと その3

Category: 蜂のこと

bee_003.jpg●初めての養蜂園
土曜の朝は青空が美しく、気温が12°前後まで下がり、少し肌寒く、おまけに北風も吹きはじめました。道中は輪行し最寄り駅から自転車に久しぶりに乗り8kmぐらい走って教えてもらったお宅へたどり着きました。
「あー、こないだの電話の人だね。」前おきはあまりなく「私は忙しいから、ちょっとだけ案内しますよ。」と言って軽トラックに乗せて頂いてから、巣箱の置いてある山の上までつれて行ってもらいました。
車中、日本の子どもの嫌いな昆虫第3位の中に蜂が入っていること、中国では蜂は聖虫で2番目が蚕であること、日本人ほど蜂蜜や蜂に関する知識の乏しいものはいないことなど、私がどこの誰でなんてことはどうでもよくて、もうただ“はち”の話しをしてくれることに養蜂家の誇りのようなものを感ぜずにはいられませんでした。
広場のように切り開いた一郭に木箱が一定の位置できっちりと置かれています。空がすぐそばにあるようなオープンスペースで直感でよい土地だと感じました。日が射しているので、少しだけみつばちは飛んでいました。まずその光景に感動がみなぎりました。スズメバチがまだ襲撃をしに来るのでスズメバチの捕獲カゴをとりつけてあるのですが、それをはずして、蜂箱の出入り口を見せてくれました。「薄い黄色の花粉を運んでるのがいるでしょ、それはセイタカアワダチソウとかツワブキの花の花粉です。」よく観察していると帰って来るはちの足に塊になった花粉が運び込まれています。
長さは20cmほどでしょうか、そして丁度みつばち一匹がくぐれるぐらいの高さの入口で蜜源を求めに行くもの、持って帰って来たものが慌ただしく出たり入ったりしています。あれほど、巣箱は開けたくないと言っていた養蜂家は「せっかく遠いとこから来たんだから、仕方ないけど見せてあげましょう。」とゆっくりゆっくり木箱を開けて中の様子を見せてくれました。

posted: mitsubako: 08:37AM

2004年11月13日

蜂のこと その2

Category: 蜂のこと

bee_002.jpg●養蜂家との出会い
あるひとつのことをモチーフにずっとそのことを思い続け、それに向かってこつこつと活動を続けていると必ず願うべき出会いがあります。私は生きていてそういうことばかりでしたから人はその方向に引き寄せられると確信しています。ただ、それがいつなのか、どのような形でなのかは検討もつきません。が、一番よしとする時に与えられるものだと思ったりしています。
今日は、人生の中でまた自分の心臓の鼓動が今にも宇宙のどこかへ向けて発射しかねないような出会いが待っていました。それは数日前、人から教えて頂いた養蜂園に胸騒ぎがして、即電話をしました。「あなたは、蜂蜜を買いたいの?それとも蜂を見たいの?」と電話の向こうでしゃきりとした声の質問がかえって来ました。私はなんの迷いもなく「みつばちが見たいです。」と答えました。「ほぉー、みつばちを見たいという人は賢い人だよ。」っといわれ、それから1時間ばかり日本の蜂事情に関しての話しが始まりました。「私は忙しいからね、飛んでるところを見たいならいつでも好きに見に行っていいですよ。蜂箱も、この時期は外との温度差が大きくなって来てるから、あんまり開けて見せると蜂にはよくないんです。室温がだいたい36°ぐらいに保たれてるからね。」こうして半分断られているような気もしながら、私の気持ちの方はますます、この養蜂家にも会いたくなり、この人が飼っているみつばちにも会いたくなりました。「明日行きます!」と言うと「まぁ、いるにはいるが、土曜にほかの人も来るって言ってたから、昼にいらっしゃい。1人だけにいちいち巣箱を開けてられないから。」とやっと承諾してくださいました。

posted: mitsubako: 18:32PM

2004年11月07日

蜂のこと その1

Category: 蜂のこと

bee_book.jpg●そもそものはじまり
私のblogのタイトル"Abejas e colmenas"はスペイン語の蜂の巣という意味です。いつの頃からか養蜂家という仕事をしている人に興味を持って、木箱をしょって花の開花と共に北上する旅から旅への生き方に隠喩として魅力を感じたのです。
蜂をいつか飼ってみたいと思っていて、まずは独学で庭に来る蜂を観察したり本で調べたりしています。
最近読んだ本に『ミツバチと暮らす四季』(スー・ハベル/晶文社)があります。30代後半から米国のミズリー州で養蜂を始めた女性の話しです。「誰もがミツバチの巣箱を二つか三つ持つべきだと思う。」という書き出しから始まります。蜂の習性や養蜂に必要な道具、近代養蜂の発明や偉大な養蜂家について女性の目から見た養蜂の世界を知ることのできる一冊です。
この本で初めて、アメリカの蜂事情を知りました。ミツバチは本来は新鮮な花粉を好むしこれを求めて飛び回るのですが、花粉の供給源が少ない地域では、花粉代用品を利用するし、日常的にもこれを与えることを奨めていると書いてありました。さらに、ミツバチの病気の中でとても深刻なものがアメリカ腐蛆病で、これは至るところにいるバクテリアが媒介になるのだそうです。幼虫がこれに感染をするとすぐに発病したり、35年もの感染力を持続し続けるほどの強烈なものだそうです。感染に対処できる方法は焼却のみです。すべてを焼き払い失ってしまう以外に方法はないのだそうです。そのために蜂に投薬を与えるし、品種改良家たちはアメリカ腐蛆病に抵抗力のある品種を生み出すことに熱中しているといいます。あの小さなミツバチたちは品種改良を重ね重ねできた生き物だし、投薬や代用品を食して生きているのです。昆虫の世界でもひとたびビジネスがからめばかなりブラックな世界だと思いました。私たちはそうしたみつばちの蜂蜜を大好きで食べているのですが、はたしてどうなのだろうか?と考えてしまいました。
私が知る限りでは、ニュージーランド産の蜂蜜は抗生物質の残留が少なく安全性が非常に高いと聞いています。マヌカというティーツリーの仲間やユウカリなどの蜂蜜でとても有名になりましたが。
養蜂をしないで、天然の蜂蜜が一番いいのかなぁと思ったりもします。蜂は蜂本来の好きな生き方をしていたら環境に順応して元気にいい蜂蜜をつくったのではないかと思ったりもします。
ところで、マルハナバチの仲間はむくむく、ころころとしていて私は大好きですが、なかなか家の近所でお目にかかることはありません。2004年の夏から秋はアシナガバチやスズメバチをたくさん見かけました。猛暑続きで、天敵も都会にはいないからなのかもしれません。これから少しづつ蜂のことを知ろうと思います。

posted: mitsubako: 18:24PM