« 2008年03月 | « Go to main page | 2008年05月 »
2008年04月30日
若いみつばち

体の色が透き通るぐらいに薄いみつばちが飛んで来た。
若いみつばちなのだろうか。
庭に一歩出てみれば羽音が聞こえる季節になった。
posted: mitsubako: on 00:48AM
2008年04月29日
ピンク

毎年、牡丹の花が咲く
千枚の花びらの奥に花粉の群生がある
ピンクが勝ちか、黄が勝ちか、散るときはどちらも同時だ
posted: mitsubako: on 10:35AM
2008年04月19日
『小さな建築』をめぐる千一夜

象設計集団の創設メンバーである建築家・富田玲子のシンポジウムに行った。第1回目のテーマは「子どもの居場所」で、語り手は詩人の谷川俊太郎、教育学者の佐藤学そして富田玲子。
富田玲子は「あいまいもこ」の建築空間をスライドを通して紹介していく。選出した写真の意図と組み合わせが一つひとつ詩のように建築それ自体と連鎖するシーンが美しいと感じた。そこにはやさしい光りがある。
「谷川さんは何歳までが子どもとだと思います?」と静かに富田さんが語りはじめた。生まれた小さな子どもの最初の居場所は「だっこひもでくるまれた布の中」という。小さくて、あたたかくて、やわらかいということが居場所のはじまりではないかと富田さんは考える。
子ども1人。柱1本がひとりであることの居場所になる。子ども2人。子ども3人。明るく落ち着く北の光、教室と庭の真ん中にある隙間、音に対してやさしい材質の床や壁。内と外の境界がはっきりとしないあいまいで不思議な空間を「あいまいもこと」呼ぶ。
佐藤学は国内外の教育現場を知るフィールドワーカー。西洋の学校建築の流れにはふたつのルーツがあるという。それが教会と監獄だ。日本の学校建築の二つのルーツは民家と兵舎。明治33年にいわゆる学校のビルディングタイプができあがる。以来、質実剛健で廊下は北が規則となった。いくつもの海外の学校を見てきて佐藤さんも富田さんも印象に残ったのが偶然イギリスのShady Hill Schoolだったという。1918年に創立、ケンブリッジのハーバード大学の裏手の林の中にある。空間と教育現場が共鳴しあい棲まい、憩い、交わり、学びあう場所としての学校が成立している。
・ルーム(居場所)としての学校
・ホーム(家庭)としての学校
・コミュニティ(共同体)としての学校
子どもサイズで作られている学校で、自分の存在が感じられたり、静かで彩がとてもいい。こうした環境は声を荒立てずにおだやかで静かに暮らせるということにつながる。静かな落ち着いた環境は思考を深める。日本の画一化された学校はPタイルでコンクリートの硬質の素材がもとになっている。硬い床や壁は声がキンキンと反響するので、聞こえづらく話し声がさらに大きくなって騒々しくなる。
谷川俊太郎は無意味、言語以前に触れる詩創活動をおこなっている。自分の存在を意味論をあえて排除することで、身体を通じて言語以前を再現しようとしている。谷川さんは学校ぎらいだった。学校は意味空間を強要するところがあって反発を覚えたという。「学校」という詩を朗読。この詩のなかで学校を火事にしてしまう。そんな谷川さんが、学校の校歌の作詞をしている。戦後30年ぐらいのころに作ったものには校名、場所性などを織り込むことが重要な要素であった。しかし時代の変化とともに本質に向き合う詩を求められることが多くなってきた。
今では、時代の政治形態の影響を受けないような文化を伝える詩に変っていっている。
こうしたそれぞれの3人の仕事とディスカッションを通し、「居場所」=自分の座標、あるいはポジショニングは意味だけでは伝たわらないものを持ち合わせていることが見えてくる。それが身のおき方や呼吸、そして距離感であり、人と共有できる心の加減は空間と密接な関係がある。それは、建築以前を「あいまいもこ」に包んでいる建築空間のなかで起きる衝撃ではないか。
『小さな建築』富田玲子著 みずず書房
posted: mitsubako: on 18:25PM
2008年04月13日
crumpetの朝

のんびりした休日を過ごすことにした。まだ風邪が完全に治っていないからだ。
crumpetというイギリス風のマッフィンのようなものを焼いてみた。アメリカだとボストンからさらに北上したイギリスのなごりが残る地方などでこれを焼く専門店もある。粉の加減や焼き具合がむずかしくて、まだ「これ」という要領を得ていないけれど、そこそこおいしく焼けた。セルクルで形を整えたけれど、本物のクランペット型が欲しいなと思う。はちみつと一緒に食べた。



posted: mitsubako: on 18:45PM
2008年04月06日
simply breakfast


ブルックリン在住のJennifer Causeyの朝食の風景をまとめた本をこのごろいつも眺めている。
朝の時間をほんのちょっとした美的感覚で過ごすこと。それがきっと1日をHappy Dayにする創造力につながるんだと思う。
だから今日の朝は庭の花をあつめてきてテーブルに置いた。
posted: mitsubako: on 08:17AM
2008年04月05日
ライラック

風邪で出かけるのはとても億劫な毎日。せっかくの春なのに野原に行かれないのは残念。日だまりにちょこんと座って本でも読みたいけれど、活字を追うと涙目になって疲れてしまうからこれもまた残念。とにかく何もしないで休むが一番っていうことだ。そこで、庭に出た。ライラックの紫が目にとびこんでくる。カメラを持ち出して、この一時だけの鮮明な春の色を永久にとどめておきたいとシャッターをきる。そうしているうちに半日カメラと遊んでいた。被写体に向かう久しぶりの集中力だった。自分のまわりに色を集めておきたいから、いろいろな光りの角度を四角いフレームにおさめていく。デジカメの鈍いシャッターを押すたびに、やりかけで止まっていることを出発点にもどってはじめなきゃという気持ちが盛り上がってくる。まるで、光りの庭で久しぶりの色を再認識したように。
posted: mitsubako: on 18:00PM
2008年04月03日
April

先週末、熱を出した。桜の花が満開のAprilなのにじっと寝ていた。
少しよくなったかと思えば、ぶりかえし喉のあたりがひりひり痛む。
その間に桜は散り始めた。
仕事場のすぐそばの桜が西日にあたって桃色に花を染めていた。
夕日のころの桜の色はこんなに艶やかなのかと初めて思った。
石井桃子さんが亡くなられました。わたしが見た桜の桃色のはなびらのように散って行かれたのでしょうか。
たくさんの絵本をどうもありがとうございました。
posted: mitsubako: on 08:18AM | comments (1)