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2008年03月28日
ざくろの赤

ざくろの赤は女性の赤 象徴のように思う。
朝食のヨーグルトに4、5粒散らしてみた。
posted: mitsubako: on 21:55PM
2008年03月24日
果樹園

果実の種を植えるのがとても好きだ。いつごろ大きな木になるのかも、いつごろすずなりの実がなるのかも分からないけれど、成長していくことだけは知っている。「いつかきっと」を夢みることができるから種を植えるだけで毎日が楽しくなるんだと思う。
人に教えられて果樹園に行った。こんな実がたくさんなる果樹の下にみつばちの木箱を数箱置いてみたいと思う。
posted: mitsubako: on 23:29PM
りんごのタルト

このあいだ久しぶりにりんごのタルトを焼いた。いまひとつ味に満足がいかなかった。タルト生地にりんごを並べるだけでクリームなどはいっさい流し込まない。由緒正しいお菓子よりは、粗野で素材をあまり調理しすぎないお菓子をこの頃作っている。最後にぱらぱらとタイムやローズマリーをばらまくのが今のお気に入りだ。りんごのタルトにはローズマリーにしてみた。
posted: mitsubako: on 23:19PM
2008年03月22日
果実とナッツ

ブルックリンから届く朝食の風景を見ていて、わたしの朝を見直すことにした。いつも朝食を食べないわけではない。少しの工夫と自分の好きな果実やナッツをもっと無造作にテーブルに置いてみることにした。
これで朝日がさーっと射しこんで、ことりの声でも聞きながらの朝食なら、なお心地いいはず。一日のはじまりをやぶる朝の儀式を楽しくするだけで、万事がゆとりのあるいい日のように思えてくるから不思議だ。
posted: mitsubako: on 16:18PM
2008年03月16日
若林奮
犬になった彫刻家

雨の時広い地面に水たまりができなかったが、微細な水の粒子が空間を満たすのが見えた。乾燥の日々は土の粒が空気に混じっていた。それ以上に空間全体が赤とか緑とか一色になることがしばしばあった。帰り道で犬と人にすれ違った。桑の木のところであった。私は犬を見たが、人の顔は見なかった。だが、位置は少し変わっていた。したがって、私は見る場所を少し変えていた。
{ドッグ・フィールド 若林奮}
冒頭のテキストは神奈川県立近代美術館で長く仕事をされていた酒井忠康さんがみすず書房から出された『若林奮 犬になった彫刻家』のはじまりに引用されているものだ。昨日の午後、横須賀美術館で開催中の「若林奮— VALLEYS」展に行った。こと若林さんへの関心が深まったのは、日の出の森の活動あたりからだったと記憶する。写真の「雰囲気」や「胡桃の葉」、「飛翔と振動」は広義で環境との対話を作品に昇華するプロセスをわたしに教えてくれた、個人的には心に残るメッセージと出会いがあった作品だ。自己と空間の関係を観察眼的に、感覚に置き換えるのではなく「尺度」に置き換えて測量していく。感覚はむしろ鑑賞者にゆだねられているところに、作品の持つ意味を深く感じるのだ。「雰囲気」の作品にそっと置かれた乾いた花、刻まれた線、巻かれた布。そのどれをとっても作家の繊細な神経と手を抜いた感のない緊張が、完全性と立ち向かっているように思えてきて、いたたまれない情動を覚える。ある種のわたしの感傷に無性に触ってくるのだ。若林奮へのオマージュが散りばめられた会場で、いまは、天国で犬になって走りまわっていることを祈りながら、少し涙ぐむ自分がいた。
横須賀美術館(2008年02月16日 〜 2008年03月16日)
posted: mitsubako: on 11:23AM | comments (0)
2008年03月11日
「かつら文庫の50年」記念の集い

2008年3月に101歳になられた石井桃子さん。彼女が生み出した名著の数は、もはや言うまでもない。「かつら文庫」が誕生して50周年を迎え、その活動の歴史と石井桃子さんの功績が新聞や雑誌などで取り上げられている。「幼なものがたり」によれば、浦和に生まれ、身近な家族や近所かいわいの人々にいつも囲まれて、かかわりをもって暮らし、時には現実と物語の世界のあいだを行ったり来たりした天真爛漫な女の子が、後の石井桃子を児童文学者に育て上げたといっても過言ではないだろう。わたしが思い描いていたおとなしくて優等生のように本を読みふけっていた少女のイメージは払底され、むしろ躍動的で活発な子どもであったことを知ってほほえましく思う。このことは、楽しい幼児体験がなによりもファンタジーにつながる基盤をはぐくんだ証ともいえよう。
石井桃子さんが荻窪に家庭文庫を開いたのは、「子どもから学ぶ」という一貫した姿勢のひとつで、それを実践する場であった。岩波新書からこの文庫の7年の記録を綴った『子どもの図書館』が出版されると、大きな反響を呼んで、子どもたちのために何かをしたいと思っていた庶民の心に共感を与え、各地で次々と家庭文庫が開かれるようになった。しかし、石井桃子さんの意図は家庭文庫を広めることでは決してなく、「本をつくる側」がもっと子どもの目線に立つために研究をし、広義の意味で機関としての役割を担うためのものであった。それと同時に子どものための図書館は、国の税金でまかなわれ、公共のサービスとして社会に根づいていくべきものと考えていた。かつら文庫はそのためのプロットタイプだったとも言える。
その後も、かつら文庫を個人活動にとどめることなく存続させていくために、慈善的志向の強い土屋文庫、子どもと本の関係を実践的に見ていく現場としてのかつら文庫、子ども図書館ができるサービスとは何かを検証する松の実文庫、これらの3つの流れをくんで東京子ども図書館という財団法人に組織化した。社会とつながりを持ち、それを事業として組織的に運営をしていったこの女性たちの50年の仕事は大いに注目するにあたいする。
開演前、席を探して通路を歩いていたら、短大時代の恩師芝恭子先生に偶然お会いした。懐かしい思いがいっきに蘇ってきた。
2008年3月5日(水) 13時〜15時30分 有楽町朝日ホール
主催 財団法人東京子ども図書館
posted: mitsubako: on 08:02AM
2008年03月08日
林のり子さんのパテ屋


時間は前後する。2月のある日、尾山台の方の農園を見学に行った帰りに、10年以上も前にぱくきょんみさんから教えてもらっていた林のり子さんの「パテ屋」にぶらり立ち寄った。林さんの活躍ぶりはきょんみさんからいく度となくうかがっていて、昨年は、馬喰町にオープンしたART+EATのオープニングのお知らせまでいただいていた。その時!がどうやらおとずれたようだ。
林のり子さんの「パテ屋」とカフェの「えんがわ」がある玉川田園調布の家のお話は象設計集団の富田玲子さん著『小さな建築』のなかに詳しく書かれている。「えんがわ」の主宰は富田玲子さんの娘さんで林なゆたさんという。女性が仕事と家を持つことはこれまでの概念から考えると日本ではなかなか難しいことだった。林のり子さんのパテの味には知恵と工夫をこらして女性が好きなことを仕事にして生きてこられた味わいが深く感じられる。これから時々、パテ屋さんに通いわたしの人生のパテの味探しをしたいなと思う。林のり子さんは聡明な美しい方だなと思った。ところで、象設計集団の富田玲子さんのことは、また近いうちに書きたいと思う。4月に彼女の講演があるので聞きにいく予定だ。
*写真は「えんがわ」、料理は林のり子さんのパテです。夕方の光りがテーブルをやさしくつつんでくれました。
posted: mitsubako: on 11:54AM
2008年03月03日
秋田雪見たび その8

『ノンちゃん雲に乗る』で知られる石井桃子さんの回想録『幼ものがたり』を読んでいる。桃子さんってどんな人だったんだろうと想像をふくらませて読んでいたら、四季折々という章で「雪の日」を綴った思い出が描かれていた。わたしの秋田雪見たびに重なる気持ちが描かれていた。——縁側に腰かけ、足をぶらぶらさせながら、目の前の光り輝く世界に我を忘れて見いっていたということである。——「雪の翌日は晴れ」、「雪のあした、はだか虫の先たく」。桃子さんは幼い時の体験から大人になってはじめて知ることばに、意味は調べなくとも直感的にわかることがあると結んでいる。
秋田の雪見たびは、丁度そんな「虫の先たく」日よりに恵まれた晴天だった。わたしの心に積もったほこりを雪にさらして、真っ白く先たくされたたびだった。雪見たびのおしまいにおみやげ写真を残しておこう。




ちなみに、辞書で調べてみた。
はだか虫の洗濯(はだかむしのせんたく):【意味】雪の降った日の翌日は晴れ渡る、という天気ことわざ。
posted: mitsubako: on 18:38PM | comments (1)
2008年03月02日
秋田雪見たび その7
五城目の町を散策している時に出会った自転車のおばさんが勧めてくれた村へ朝市のあと立ち寄ることにした。五城目町の中心から20分ほど奥に入った村は雪がさらに深くなる。時間的に交通手段はタクシー以外にむずかしくなったので八郎潟駅前から湯の越温泉まで乗ってみることにした。タクシーの運転手さんはこんな季節はづれのお客さんに大喜びで「ありがとう、ありがとう、助かったわぁ」を連発する。八郎潟駅からすぐのところにある和菓子屋「畠栄」のあんごま餅が名物でおばあさんの手作りだと教えてくれたので、立ち寄ってからの出発となった。湯の越温泉付近の村を散策してから温泉へ。温泉が特に大好きなわけでもなかったが、寒い地方での旅のコツはちょっとでもあたたまるために温泉につかることだと思う。都心で「お茶をする」感覚のように「温泉をする」方が土地にあっているように思うのだ。湯の越温泉の湯は硫黄臭が強く感じた。地元の方たちが圧倒的に利用をしている温泉で、気持ちの良い泉質だった。最後の秋田の晩餐はすずらん通りにある「芝良久」という店になった。カウンターでおいしいお酒と季節の肴をいただいていい気分になった。

最終日の朝は秋田の名所角館へ向かった。残念ながら雪の中の武家屋敷はそれほどぐっとくるものがなく、観光地として整備された感がわたしをそれほど惹き付けなかった。それでも「文中」で稲庭うどんをすすり、「安藤醸造元」にも立寄り、屋敷の中を見学した。奥の間に雛人形が飾られていて、はじめて江戸期の押絵雛というものを見た。平面的な押絵のつくりなのに、立たせることで立体感がある不思議な人形群だ。人々が真夜中に寝静まったころ、人形たちが賑やかな宴をはじめそうな気じがして思わずクスリと笑った。趣味とはほど遠い華やかな人形の写真も一応記録に残しておこう。角館はおそらく桜のころが雅なのだろうと思う。せっかく来たので普通の民家を見て歩いていたら近代建築にであった。「伊保商店」という雑貨屋だった。店舗の中はレトロなものが雑然と置かれていてそれほど珍しいものが陳列されているわけではない。ただ、武家屋敷の整然とした空気にそぐわないこの存在がおもしろいなと思った。しばらくしてから角館納豆を買いに河原の方へと向かった。そうこうしている間に、東京へ向かう列車の時刻が近づいてきた。





posted: mitsubako: on 17:11PM