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2008年02月24日
秋田雪見たび その6

秋田に来てまずはひなびた温泉街でのんびりした翌日は朝市へ行くことにした。男鹿半島へ行く手前の追分から北上する奥羽本線で八郎潟という駅で降りた。途中の車窓は雪の平原ばかりだった。単調な風景が精神にもたらす影響は深い深呼吸のようなやすらぎだった。
八郎潟の駅からバスに10分ほど揺られて着いたのが五城目という町だった。高知の朝市に比べると寂しいものだが市通りを何度も往復するうちにお店のばあちゃん、じいちゃんたちとすっかり顔なじみになって会話がはずんだ。料理の仕方を聞けばなんでも親切に教えてくれる。かならずおまけをくれて荷物がどんどんかさばってくる。



市場は、地元で採れる野菜も少しはある。ただ、時期的には山菜の頃ときのこの頃がいいと教えてくれた。新鮮な魚介もあるがそのほとんどは北海道からのものだ。八郎潟でとれるアミを発酵させた塩辛は調味料として地元ではおなじみのものらしかった。しょっつるは汁もののだしとしてどれほど重宝なものなのかは、旅から戻って気がついた。こういうものは地元の市場で売っているものの方がスタンダード化されていない台所の味を直接味わうことができる。春の山菜の時期にもう一度行ってみたいと実は思っている。
ひととおり買い物を済ませた後は、町を無目的に歩いて回った。





posted: mitsubako: on 20:45PM
秋田雪見たび その5

乳頭温泉郷は隣接した温泉が6軒ほどある。そのうち5軒は歩いて回れる範囲だった。こうなったら5軒制覇を考えたのだが、孫六温泉の魅力にとりつかれてずいぶんとのんびりしたので、その後は蟹場温泉、大釜温泉を巡った。妙乃湯温泉は時間の都合で、黒湯温泉は冬季は休業とあって残念ながら入れなかった。大釜の酸性質の湯も私は気に入った。このところ何度も書いている猪谷六合雄の雪に生きる暮らしの中で温泉の活用がすばらしく、旅のおかげでより現実的に書かれている内容が理解できた。千島で立てた第一の小屋の風呂場と洗濯場はガラス張りで明朗快活。かつ、機能美と合理性に富んでいる。猪谷についてはまたいつか書き留めておきたいと思う。
冬山の風情を満喫した私は翌日のプランに悩んでいた。候補はいくらでも浮かぶのだが、冬の交通事情を考えると行かれる範囲は時刻表とのにらめっこだった。
posted: mitsubako: on 11:23AM
2008年02月22日
秋田雪見たび その4

初めての冬の湯治場は思い描いていた風景そのものだった。いや、それ以上だった。屋根から地上に突き刺すつららは冬の象徴だと思っていたが、春に向かう兆しなのだということに気がついた。つららを無性にこの目で見たかったわけは、自然と重力が織りなす仕事の結晶だったからなのかもしれない。
朝の温泉は古ぼけた小屋のすきまから差し込む光りが美しく夢のようだった。裸のまんま思わずカメラを向けた。

posted: mitsubako: on 23:14PM
2008年02月18日
秋田雪見たび その3

秋田のたびに出る数日前あたりから猪谷六合雄の『定本 雪に生きる』を読んでいた。ちょっとした小屋を見ると猪谷スタイルを思い浮かべ楽しくなった。二日目は早起きをして秋田市民市場をのぞいた。雪解けを待たずに摘んだ「ひろっこ」と呼ぶあさつきが春の緑を早々と知らせてくれていた。短い時間を市場で過ごしてからフリー切符を片手に田沢湖行きの列車に乗った。田沢湖駅からバスにゆられて40分、わたしは乳頭温泉郷にやって来た。雪は朝日にきらきらと輝いていて、どっちを向いても真白な風景にすっかりうかれ気分。それから孫六温泉に向かって約20分ほどの雪道を散策しながらゆっくりと登っていった。小さな木橋を渡って、小高い雪丘の向こうにひなびた湯治場が見えて来た瞬間、感嘆の声をあげた。見たいと思っていたものが、思っていた以上の条件下にこうして出会えたとは。深い雪の山奥でこうして温泉場を開いた人に畏敬の念が沸きおこってくる。
がらんとした湯治場の玄関で「こんにちは」と大きな声で何度も声をかける。やっと奥から老婆が出て来て、今はわたしたちしかいないので好きなようにどこでも入っていいよと告げられ、朝から温泉につかることになった。


posted: mitsubako: on 22:36PM
2008年02月17日
秋田雪見たび その2


大曲を過ぎたあたりから雪は本格的になった。たびのあいだ連日吹雪いていたらどうなるだろうかと心配する気持ちをよそに、秋田に近づくにつれて夕方の青空が見えてきた。
秋田駅を降りたのはもう5時を過ぎていた。都市の駅前はどこもあまり変わらない。ジュンク堂があったりTower Recordがあったりとわたしが住んでいる町よりも便利な駅ビルでにぎわっている。人が少ないだけが東京とは違う。これから3日間秋田を拠点に行く先を決めて村を巡る。ためしにジュンク堂で秋田の出版社の本を眺めることにした。『稲庭うどん物語』無明社出版『秋田郷味風土記』秋田県農山漁村生活研究グループ協議会『秋田の湯っこ』秋田魁新報社の本を買った。そのほかにも五能線などおもしろそうな本が陳列されていた。
夜は会社の同僚に教えてもらっていた北洲に凍る夜道を歩いて向かった。日本酒とぎばさ、きりたんぽ田楽、しょっつる鍋など秋田の味をあじわった。
はるばる列車に乗り込んで、こうして郷土料理を口にするだけでも未知の土地への好奇心がじわじわと高まってくる。いいたびになりそうな予感と期待で嬉しくなったわたしはほろよい気分で頬がぽっとほてっていた。
posted: mitsubako: on 18:54PM | comments (1)
2008年02月12日
秋田雪見たび その1

秋田へ雪を見に行った。行きの東北新幹線こまちで盛岡を通過したあたりから雪景色が本格的になる。
車窓に映る山を見ながら、岩手で出会ったたくさんの方々は元気にされているだろうかと心の中にあついものがこみあげてきた。雪の盛岡で感嘆の声をあげていた雪見たびはまだほんの序の口だった。
posted: mitsubako: on 22:26PM
2008年02月05日
満山紅柿

故小川伸介監督の未完の遺作「満山紅柿 上山--柿と人とのゆきかい」をレイトショーで見てきた。このドキュメンタリーは5,6年前になるだろうか、アテネフランセでの上映期間をのがして以来、なかなか見る運が巡ってこなかった作品だ。ふとしたことで東中野のポレポレで上映されることを知って駆け込んでいったとでもいえようか。
過疎化がすすみ、消えゆく村のドキュメンタリー作品はこれまでにもいくつか見たことがある。テレビ番組などでもとりあげられたりすると、ぼんやり見てしまうことがある。先日も過疎化とは逆に、本土から若者の移住者が相次ぎ、ちょっとしたベビーブームがおきている沖縄西表島の放映を見てじわじわと感動した。番組タイトルは「古老の島 祈りの島~沖縄西表島 都会の青年と伝統の暮らし~」でETV特集だった。
満山紅柿で小川監督が大島渚のインタビューを受けて語ったことばが印象深く心に残る。
村々が自然に消えていく…不自然なことなのだけれど、ろうそくの火が消えていくようにすっとなくなっていくと。
小川伸介さんはもともと岩波映画製作所を経て、70年代後半より山形県上山市牧野に拠点を移し「ニッポン国・古屋敷村」「1000年刻みの日時計--牧野村物語」で知られた監督でもある。
「満山紅柿」は村で柿むきをする老人たちをユーモラスな切り口で記録されていた。干柿ができるまでの工程をていねいに説明し、渋い小さな柿が立地条件と人間の手仕事でもっとも甘い干し柿になることがよくわかった。村人の話はおもしろく笑ってしまうシーンがいくつもあった。
干柿は、干していればできるものと思っていたけれど、人の勘とみがきによって発酵がすすみ旨みも出る。なんと手の込んだものなのだろうかと思った。
*ドキュメンタリーは東中野ポレポレにて
2.13 [水] 満山紅柿 12:30 (90分)
posted: mitsubako: on 17:19PM
2008年02月03日
やがわすみこやく

先日、東京子ども図書館を本当に久しぶりに訪ねた。松岡享子先生はご多忙なのであろう、残念ながらお目にかかれなかった。人生を子どもと絵本をつなぐ世界にかけてこられた尊敬すべき女性だ。図書館の資料室でゆっくり絵本を読んだ。書棚の上にはそのもっと先輩の石井桃子さんの100年のおはなしを記念する記事が置かれていた。
子どもたちよ
子ども時代をしっかりとたのしんでください。
おとなになってから
老人になってから
あなたを支えてくれるのは子ども時代の「あなた」です。
石井桃子
心うたれることばだ。ひとつのことに没頭し信念をつらぬいた人の口から出てくる単純であたりまえのようなことばが、なんといってもわたしの心に響いてくる。わたしはこうして日本の児童文学界を築き上げた女性たちに実に豊かな精神の遊び場をたくさんいただいと感謝している。石井桃子やくはもちろんのことやがわすみこやくの絵本をどれだけ読んだことだろうか。
詩人矢川澄子のことを再考しているうちに「ぞうのババール」をもう一度読み返した。幼いころはすっかり自分が絵本の世界に同化して、かすかな体験として残っているものだ。大人になって作者や訳者、時代背景やストリーの構造、キャラクターが見えるようになると、また違った観点で絵本を楽しみ味わうことができる。それは人生を少しだけ理解できるようになった自分を再確認する行為のようでもある。
ユリイカの特集で矢川はブリュノフの親族にファッション関係者が多かったことを、矢川とクララ社との関係とあわせて語っている。the old lady = 「ぞうのきもちならなんでもわかるおばあさん」の訳語をおばあさんにすることが不本意であったこともつげている。
この対談をまとめた文学者の武村知子は対談に寄せてこんなことばを送っている。
「ぞうのきもちならなんでもわかるおばあさん」が出てくるたびに、ババールの自立を見送るほっそりしたその後ろ姿に、遠い山妣(スミコという現象)のことを思った。ぞうのきもちなんかわかって何になるのかしら、みんな行ってしまうのに。でもどうしてか、わかりたいと思ってしまうのよねえ——そういう屈託をまるごと抱えて日々頽れながら生きてきた人の、すくっとした姿のあるページがすきだった。
ユリイカ 総特集矢川澄子・不滅の少女/没したる妣に寄せる
絵本を手にして訳者のことを思うのは不自然なことである。なぜなら訳者は影役者でいわば作者の意図を伝える媒介者だと思うからだ。
リズミカルでおもしろ悲しい「ぞうのババール」は、しかし、やがわすみこが生んで、ずっと子どもたちと共に生き続ける名作なのかもしれない。
posted: mitsubako: on 17:42PM
2008年02月02日
無題

散文は日々の生活をしめった雪のような潤いで満たしてくれることもある
posted: mitsubako: on 17:36PM
2008年02月01日
あやめ雪

赤かぶのスープをつくった日、白かぶのサラダもつくった。
その白いかぶのなまえは「あやめ雪」という。
新種の野菜と聞いたが葉の根元から葉先を走る葉脈は血液がながれているほどに
美しかった。
posted: mitsubako: on 11:30AM