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2008年01月27日

「モネと画家たちの旅—フランス風景画紀行」

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仙石原の近くにあるポーラ美術館で「モネと画家たちの旅—フランス風景画紀行」と題する印象派の展覧会が開かれている。印象派絵画は日本人にとても好まれるし、とりわけ名画といわれるものは書籍やポスターなど目に触れやすくある意味氾濫している。だが、本物に出会うのにはどれほどの機会があるのだろうか。画集も良いがやはり本物が見れるなら見ておきたい。冬休みからずっと行く予定だった展覧会行きがようやく昨日実現した。
早朝、御殿場インターから真っ白な富士山頂が見えた。何度も見ている富士山だが、絵画やテレビ、流通する旅行雑誌や広告でイメージ化されたものに慣らされていると、実際実物を前にした時の優美さに、はっとするほど圧巻させられる。雪景色の箱根は初めてで、道中、氷の花が咲いた木々を見るとその美しさにわたしの体でない何かが飛んでいってしまう。これを自然との対話といえるのだろうか。
前置きはこのぐらいにして、ゆっくり絵画と出会えるよい展覧会だった。今回はていねいに色彩の組合わせを見ようと思っていたのだ。ゴッホの「あざみの花」は印象的だった。ひまわりのイメージが強いだけにあざみをテーマに描いたことが不思議だった。ギュスターヴ・クールベの作品も数点あった。「風景」の岩は印象に残る作品だった。ポーラ美術館ではこの他に「牝鹿のいる雪の風景」も所蔵している。鹿の作品はとても好きなもののひとつだ。蛇足だが、今日あたりまでフランスのグラン・パレのギャラリーで大回顧展が開かれている。とても行きたかった展覧会だ。帰ってから久しぶりに「絵画が偉大であった時代」阿部良雄(小沢書店)を開いた。なぜならここにクルーベのことそして印象派百年を綴った文章があるからだ。クールベの「画家のアトリエ」については教えられたことがたくさんある。

——1891年にマラルメが、『文学における進化について』のジュール・ユレのアンケートに答えて、あるオブジェ(物体、対象)を名付けるのではなく暗示するところに市の妙味があると、象徴主義詩法を一般向けに分かり易く説いたくだり——
——ある特定の時刻における大気と光の状態の下に風景の与える効果あるいは印象を、修正なしの素早いタッチで描き上げる戸外制作には、小さな画面が適している。
「絵画が偉大であった時代」阿部良雄(小沢書店)/ 印象派百年——絵の小ささについてより

印象派絵画展のわきで小さく「熊谷守一 自然との対話」展も開催されていた。そこに書かれていたことばのひとつはこんな内容だった。わたしの描く画額サイズを意味があるように言う人もいるが、それは単に持って歩くのに都合のよいサイズが4号だったからというだけだ。

画家は新しい手法をもとめて旅をした。資本主義経済の背景下に、旅もある種のパッケージ化されたテーマパーク的な要素を秘めたものとなった今日、わたしはどんな手法を求めて次世代のかけらを残せるだろうかとふと思った。
絵を真剣に見た後、急にお腹がすいたので湯本まで降りて、知客茶屋で豆料理を食べてお土産に味噌豆腐を買って帰った。

posted: mitsubako at <11:39AM>