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2008年01月14日

めし

年始からひいている風邪がなかなか完治しないので、外出は控えている。
こんな時はDVDを借りてくる。成瀬巳喜男の作品をもう少し知りたくて「めし」と「山の音」を選んできた。どちらも原節子が出ている。小津安二郎を90年代にむさぼるように見ていたわたしは、このふたりの差異化に関心がある。使う俳優、ロケの場所、扱うテーマなど類似点は多いが成瀬らしさはすぐに感じとれる。小津の極限まで簡素化された作品構成は大好きだが、今どちらが好きかといえば、もしかすると成瀬の方に軍配が上がるかもしれない。
「浮雲」にしても「めし」(原作:林芙美子)にしても聡明な女性像と曖昧な男性像がからみあっている。「山の音」(原作:川端康成)にいたっては、嫁、姑、母、娘、愛人そして父の人間模様がくっきりと浮かび上がる。男性の存在は、それぞれの立場に在る女性の輪郭を出すためで、中心は女性であるところがおもしろい。成瀬は女ごころをうまく読み解いていると思うし、女から見た男性像も見事に描き出していると思う。成瀬の女性像は精神が自由で自立する大人の女性がさっぱりと描きだされている。それに比べて、母子関係から自立しきれていない日本の男の姿がたよりなく演出されている。はたして、21世紀をむかえた現代、わたしたちの家族関係はどうだろうか。家族が向き合わない希薄な関係は、自由へ向かって精神の自立にかける人間形成を逆に後退させてはいないだろうか。
小津安二郎と成瀬巳喜男のカメラワークで大きく違うと感じる点は客観性と主観性だ。小津の作品は四角のフレームをいつも外側から傍観している感覚を受けるの対して、成瀬は主体性が強いと感じる。あちら側(演出者)からカメラを見据えているように感じることがあるからだ。それにしても原節子は美しい。演技が未熟なのかそれが演技なのかはなぞを残す女優だが、彼女が居ることで周りの女優がより円熟している空気をかもしだすことに成功してる。時間のゆるす限り、今年はまた映像作品もたくさん見ようと思う。
林芙美子の原作も読んでみたいと思っている。

posted: mitsubako at <11:41AM>