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2007年12月09日
ファンタジー・スケッチ

岩波書店から出ている「センダックの絵本論」を少し前に読んだ。その中にファンタジー・スケッチという章がある。モーリス・センダック自身が想像力とテーマを紙の上で形にする訓練のために5年間ほど描いたものの一部だ。それは意識の流れの落書きだったり、夢の絵だったり、センダックの心象描写で強迫観念やあるいは、アイディアが見え隠れしている。彼の創作の原点はこれだった。
並行して藤井貞一が「父性論で文学を必ずしも読み解かなくてもいい、自由であれ」と、いったことが、絵本=詩、あるいはそれらを大義でいうところの芸術というとらえ方のなかで、今わたしに構造として見えはじめてきている。
伊丹十三を媒介として精神分析に触れながら、大江健三郎のテキストの文脈を参照し、絵本という視覚化されたものの先に詩が存在している。そしてそれをとりまく四国の深い森と濃霧が日本人というアイデンティティーをわたしにつきつけてくる。
ひとりの人間の精神論と自ら死を選ばざるをえなかった結末は、池の水鏡に映るナルキッソスと連鎖する。複雑にからみあった情報を紐解いていくと、人は意外と単純な関係の中にいるはずなのに、見えなくさせているだけなのかもしれない。
考えごとでいっぱいになったら、自然の中で一度からっぽになって生命の循環を見て再び帰ればいい。それ以上の物語性も寓意もないのではないかと、このごろ思うからだ。
posted: mitsubako at <22:34PM>