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2007年11月05日

朗読

詩人が自らが書いた詩を、朗読で聞けることほど感銘をうけるものはない。
金曜日はときどきアヴァンギャルドの絵本論について聴講をしている。毎回ゲストに現代詩人が招かれるのだが、今回は藤井貞和さんだった。谷川俊太郎さんのお話を聞いたときには、自分がこれまで書いてきたことが違っていたのではないかと少し落ち込んだが、藤井さんの自由詩に対するエネルギッシュな発言にふたたび心が開かれたような気がした。
長い年月をかけて古典文学、折口信夫や物語文学、神話などを掘り下げて学術的に研究をされてきた藤井さんの口から「形式なんていい、意味から自由になれ」ということばを聞いて封じてしまった自分の感性を引き出してもらえた気がした。
動くことばに変換をすること、これはわたしにどれほど大きな輝きになったことか。藤井さんに感謝したい。
藤井さんが最後に『人間のシンポジウム』から詩を読んでくださった。
未来に残したい永遠のことば。こんなことが小さくてもひとつだけ達成できたらわたしの役目は終わりかなときっと納得がいくはず。
藤井さんのユーモラスな人間味あふれる話しかけ方がすなわち詩である、と笑いながらも涙がこみあげてくるのがおさえられなかった。

砂に神の誘い子を置く
「幼虫を大切にした時代、
つゆを受けてこどもたちに飲ませたおとなたち、
巣はだれのもの、子のために、
親の二の腕から血を与える洞窟のとき、
こどもたちを大切にした時代。」

「誘い子、たましいになってしまった野ウサギの子の、
綾あることば、祈願詞。 ここは野の精霊に満ちて、
素焼きの円筒のうえに、
鳥を飾る、追悼の旗を立てる遺跡。
きょうから行く、梢沈のとき、シャーラ船。」

「こどもたちを大切にした時代は、
いつだったろう。 いつやってくるだろう、
こどもを大切にする日。 期待をうらぎらなかった美しい日々は、
きっといつの日にかもっと美しく滅び去ることだろう。」

「化石をあつめること。 こどもたち、
もっと大切にもっと美しく化石はきみたちの手に。
地面がきみたちを抱いて、さらに深く降りてゆくだろう、
億という年を、一千年がうらぎりませぬように。」

ちいさな質問のあと、
大きな質問は、
火であった。 上陸した神の蛇体と子へび(こどもたちだ)、
あわせて通り過ぎる、黒い結婚の葬列の推定時刻にこそ、
過ぎてゆく、火の街道に沿って。

こんなばかげた戦争をと、ひいでた語部が語る。
ありふれてるよな、「むごたらしい」とか、
ちぎれた蛇体のどこがおかしいか、
火の通り過ぎたあとを、
子へびの死体数百は、
タイヤに引きちぎられ追いすがり頭脳を粉砕されて。

石のかげには、うめきをやめぬ、
目を刺される針のために、
赤いうろこをしたたらせる子犬と子猫と、
砂にうずもれて、
終わりし砂漠は、ここではなくて。

(反歌)
ベイルート、バグダッド、サラエボ、ベツレヘム、カブール、
と女性詩人は書いて、「無論、ここではなくて」と、
書き加える。 無論ここではなくて、われらは、
限定された死後の手を挙げる。 すっくと挙げて、どうする?
「廃墟のなかの学校」を見てきたばかりで、何が書ける?
好きになれない詩を、きっと書くことだろう。 書いたあとは、
二度とひらかないはずのノートが、きみのうえにひらかれていまある。
そう思った? 討論はいまある、と思った? こどもたち。

人間のシンポジウムから 思潮社 藤井貞和

posted: mitsubako at <23:00PM>