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2007年11月25日

四国をかけめぐる その5

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伊丹十三に没頭しているわたしに「チェンジリング読みました?」、と松浦さんに聞かれて大江健三郎の「取り替え子」を知ったのはこの旅に出かける少し前のことだった。大江健三郎に関しては、引用や文脈をズラしていく手法のことなどで、ある時期さんざん現代美術の仲間たちと話題にしていたことがあった。にもかかわらず、いつかは手にするはずだが進んで読もうとするには苦手な作家の一人だった。「絶対に読んだらいいよ。」と勧められて、文庫本を手に入れた。
さて、「四国をかけめぐる」旅と「取り替え子」は無関係かもしれない。この旅の動機もこの本ではなかった。読み始めは不慣れな文体に出くわした気分でなかなか先にいけず、ようやく面白くなりかけた頃に丁度ふたたび四国へ向かうことになった。この旅に「取り替え子」をもって行くべきか否か迷ったあげく、ちょっとでも荷物を軽くしたかったわたしは、置いていくことにした。
新鮮な朝を過ごした卯之町中町から車で約1時間で内子町に到着した。卯之町中町の工事中に比べるとぐっと整備された内子の町は閑散としていながらも清楚でさらに新鮮な空気がわたしたちを迎えてくれた。
温暖な四国ばかりをイメージしていたわたしは東京に比べて冷え込むこの地域に驚きが隠せなかった。四国といえど山あり谷ありということは足を踏み入れてみなければ体感できないことがわかった。ここは、意外に山の中なのだと実感した。その中にひっそりと銀鼠色の瓦屋根と白漆喰の壁、細やかな装飾のほどこされた家々が立ち並ぶ。虫籠窓、海鼠壁、うだつ、出格子、床几など伝統的な民家の様式を見ることができる。職人技の冥利につきる美を醸し出している。小田川の渓谷や四国カルストに囲まれた周囲は自然が豊で霧と寒暖差が生み出す情景の陰影がしみじみと感じとれる。いい町だ。
松山という都会に出る前にここに立ち寄ることができてよかったとなぜかほっとする自分がいる。
この場所は偶然にせよ、訪ねるべき場所として今回の旅にあらかじめ用意されていたのだと後になってわたしは気づくのだった。

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posted: mitsubako: on 21:53PM | comments (3)

2007年11月24日

四国をかけめぐる その4

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起きたての卯之町中町の朝はすがすがしかった。朝露に濡れた町並みと澄んだ空気がことのほかおいしかった。いっぱい深呼吸をしておきたいと何度ものびをした。
高野長英が一時身を隠したともいわれるこの町は、江戸期に宿場町として栄えた。町人は今の暮らしにも井戸水を利用しているという。地元の人の話では、おいしい地酒もあるらしい。屋根のついた小さい壁が張り出すような卯建(うだつ)や白壁、出格子といった装飾が施された家が残存する。残念ながらその多くの建物が保存のための修復を行っていて、町並みは工事中だった。修復されれば、まるで時代劇の舞台を歩くようなそんな落ち着いた風情が感じられることだろう。
幕末から明治の初めに儒学者の左氏珠山が開いたとされる私塾があった。これが後の開明小学のはじまりで、この学校は明治15年に擬洋風建築の校舎に建てかえられた。あいにく月曜で休館ではあったが、ひと目見ておきたいと思い数分の散策をした。瓦屋根のこの学校の前に立つと、いきなり頭上に大きな雲が流れてきて、母校でもないのに懐かしさにひたる。ちょっとしたタイムスリップだった。
それからすぐに車に乗り込む。松山へ向かう前に、少し時間があったので内子に立ち寄ることにした。

posted: mitsubako: on 22:36PM

2007年11月18日

四国をかけめぐる その3

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日曜市を満喫した後、高知から高速で四万十川へ向かった。
窪川で岩本寺の入口の前にある松鶴堂という和菓子屋を見つける。栗の季節ならではの生菓子で栗きんとん、銀杏餅をお茶を飲みながらいただく。上品でとてもおいしい。緑茶はこの地域のお茶でやわらかい味だった。おいしい和菓子とお茶に巡り会えると至福のときを感じるから不思議なものだ。小室の浜という和風カステラのようなお菓子をお土産に買って帰る。
四万十川にたどりついた頃にはもう日が少し影りはじめていた。このあたりはもっとゆっくりと次回に、水に触れながら旅をしてみたいと思う。
川にそってドライブを続け辺がもうすっかり暗くなった頃、56号の海岸沿いを走って今日の宿泊地、卯之町中町へと向かった。
卯之町中町へ着いたころには、激しく通り雨が降った。四国に来てはじめての雨になった。

posted: mitsubako: on 18:47PM | comments (2)

2007年11月17日

四国をかけめぐる その2

わたしは旅先の市場が好きだ。

11月11日の日曜日の高知は穏やかな快晴に恵まれた。日曜市の鮮やかな色彩が買物を楽しくさせてくれる。
新鮮で豊富な食材に魅せられてついつい貪欲になる。市場は人の暮らしを活性させる元気の源のように思う。毎週日曜市に来て巡る季節の食材を吟味してみたい衝動にかられる。

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posted: mitsubako: on 16:14PM

2007年11月13日

四国をかけめぐる その1

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きっと暖かいとだろうと思って旅に出た四国は東京に比べてはるかに秋が進行していた。
雨が降りしきる東京の厚い雲の中をぬけて、今年二度目の高松空港に降りたった。
一ヶ月半前は真夏の太陽が照りつけていたのに、今日の冷たいぐらいの爽やかな風には意表をついた感があった。
四国村をかるく巡り琴平へゆっくりと琴電にゆられていく。明るいのどかな空気に仕事でぴりっとしていた神経がやわらいでいくのがわかる。
琴平の駅を降りてすぐの商店街は懐かしさにあふれている。浪速堂という明治から続く菓子屋でナッツが詰まった焼き菓子を買ってほおばりながら参道を行く。甘いのにカレー風味がする不思議な和洋菓子だった。やがて急勾配の階段が続き、少しだけ息苦しくなってくる。785段を登って御本宮にたどり着いた頃には空の雲は薄桃色になっていた。ここの神さまはどんな神さまなんだろうと思っていたが航海の守り神がまつられているらしい。金比羅というイメージからもっときらびやかで、ややもするとチープな建造物を想像していたのは大きな誤りだった。重厚で落ち着いた建物と回廊に圧巻された。楽々と降り香川で二杯目のうどんを食べ終えると列車に乗り込んで夜の高知へと向かった。

posted: mitsubako: on 16:13PM

2007年11月06日

朝露が光っているわけ

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朝露に濡れる草むらが好きだ
朝の光りをいっぱいにあびて輝いているのを見ると
お腹のあたりがしっかりとしてきて 背筋なんかもぴんとしてきて 希望がわいてくる
風にのって浮遊する羽のついた種たちを追いかけていて 着地した地面にも光るわけがあった

posted: mitsubako: on 22:18PM

2007年11月05日

朗読

詩人が自らが書いた詩を、朗読で聞けることほど感銘をうけるものはない。
金曜日はときどきアヴァンギャルドの絵本論について聴講をしている。毎回ゲストに現代詩人が招かれるのだが、今回は藤井貞和さんだった。谷川俊太郎さんのお話を聞いたときには、自分がこれまで書いてきたことが違っていたのではないかと少し落ち込んだが、藤井さんの自由詩に対するエネルギッシュな発言にふたたび心が開かれたような気がした。
長い年月をかけて古典文学、折口信夫や物語文学、神話などを掘り下げて学術的に研究をされてきた藤井さんの口から「形式なんていい、意味から自由になれ」ということばを聞いて封じてしまった自分の感性を引き出してもらえた気がした。
動くことばに変換をすること、これはわたしにどれほど大きな輝きになったことか。藤井さんに感謝したい。
藤井さんが最後に『人間のシンポジウム』から詩を読んでくださった。
未来に残したい永遠のことば。こんなことが小さくてもひとつだけ達成できたらわたしの役目は終わりかなときっと納得がいくはず。
藤井さんのユーモラスな人間味あふれる話しかけ方がすなわち詩である、と笑いながらも涙がこみあげてくるのがおさえられなかった。

砂に神の誘い子を置く
「幼虫を大切にした時代、
つゆを受けてこどもたちに飲ませたおとなたち、
巣はだれのもの、子のために、
親の二の腕から血を与える洞窟のとき、
こどもたちを大切にした時代。」

「誘い子、たましいになってしまった野ウサギの子の、
綾あることば、祈願詞。 ここは野の精霊に満ちて、
素焼きの円筒のうえに、
鳥を飾る、追悼の旗を立てる遺跡。
きょうから行く、梢沈のとき、シャーラ船。」

「こどもたちを大切にした時代は、
いつだったろう。 いつやってくるだろう、
こどもを大切にする日。 期待をうらぎらなかった美しい日々は、
きっといつの日にかもっと美しく滅び去ることだろう。」

「化石をあつめること。 こどもたち、
もっと大切にもっと美しく化石はきみたちの手に。
地面がきみたちを抱いて、さらに深く降りてゆくだろう、
億という年を、一千年がうらぎりませぬように。」

ちいさな質問のあと、
大きな質問は、
火であった。 上陸した神の蛇体と子へび(こどもたちだ)、
あわせて通り過ぎる、黒い結婚の葬列の推定時刻にこそ、
過ぎてゆく、火の街道に沿って。

こんなばかげた戦争をと、ひいでた語部が語る。
ありふれてるよな、「むごたらしい」とか、
ちぎれた蛇体のどこがおかしいか、
火の通り過ぎたあとを、
子へびの死体数百は、
タイヤに引きちぎられ追いすがり頭脳を粉砕されて。

石のかげには、うめきをやめぬ、
目を刺される針のために、
赤いうろこをしたたらせる子犬と子猫と、
砂にうずもれて、
終わりし砂漠は、ここではなくて。

(反歌)
ベイルート、バグダッド、サラエボ、ベツレヘム、カブール、
と女性詩人は書いて、「無論、ここではなくて」と、
書き加える。 無論ここではなくて、われらは、
限定された死後の手を挙げる。 すっくと挙げて、どうする?
「廃墟のなかの学校」を見てきたばかりで、何が書ける?
好きになれない詩を、きっと書くことだろう。 書いたあとは、
二度とひらかないはずのノートが、きみのうえにひらかれていまある。
そう思った? 討論はいまある、と思った? こどもたち。

人間のシンポジウムから 思潮社 藤井貞和

posted: mitsubako: on 23:00PM

2007年11月04日

秋の光りのなかで

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目が不自由になった母をつれて公園を散歩した。
たんぽぽが朝露の草むらに咲いていた。
帰り道、たんぽぽの歌を母に教えながらふたりで歌って家に着いた。

posted: mitsubako: on 21:59PM | comments (1)