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2007年10月14日

アントニン&ノエミ・レーモンド展

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気持ちのよい秋の週末はいくつもの展覧会に足を運んでいる。
並行して読んでいるもの、頭に浮かんでいながら連鎖していないキーワードが、ふとしたことでつながる時がある。そうすると、その瞬間はかけがえもなくいい時で一歩また飛躍できる自分になれる。イリヤ・カバコフの『世界図鑑』絵本と原画展、アントニン&ノエミ・レーモンド展もその内にあげられる。カバコフ展のことはまたいつか書くかもしれない。ひとこと言っておくと、彼の「はえ」がわたしにとってのみつばちである。

話はアントニン&ノエミ・レーモンド展にしぼろう。
アントニン・レーモンドは1888年にボヘミアに生まれ、1910年にニューヨークへ移住したデザイナーだ。広告、デザインの傍ら夢を持っていた建築家への道は、地道な製図おこしの仕事から実現していく。兼ねてから交流のあったフランク・ロイド・ライトに声をかけられ帝国ホテル建設事業のために来日をした。日本との長い人生の付き合いと建築家への扉はここから開けられた。ライトの元では、下働きにあけくれ、やがて退職を決意する。その原動力が後のレーモンド夫妻をより深く日本文化を解釈し自身のスタイルに吸収していく動機になったといえよう。
外資投下の好景気と重なって1900年前半の日本は、西欧の建築論で西洋化しようとする日本の近代化の風潮と一致して外国人建築家は需要が高かった。時代の波に乗ったレーモンド夫妻は、東京女子大学、星薬科大学、各国の大使館(フランス、旧ソビエト連邦、ベルギー、カナダ、アメリカ)など着々とビジネスの好機を得ることになる。こうして得た資金でヨーロッパへの旅を実現し、当時ヨーロッパで勃興しつつあるモダニズムの流れに触れて大きな感化を受けることになる。西欧のモダニズムと並行して、彼がとりわけ関心を深めたのが日本の民家と伝統文化であった。西欧を映し出すことで日本の伝統を知り、日本の伝統に触れることで西欧の建築論をより独自のものに掘り下げていくことができたといえるのかもしれない。

壁にはられたキャプションに目がとまる。「人々と彼らの着物、家庭用品、瀬戸物、絵画、庭はみなすばらしい用途の一致を示しており、自然界のいかなるものとも同様に、時代を経て自ずと明確に発展してきた」アントニンが見た当時の日本の情景である。
彼は、1930年代には、喜び、静穏、ユーモア、自然さといった人間が人間らしく生活ができることが建築自体を洗練させるという考えにいきつき、生活様式を創造的な空間に広めていくための「芸術と自然」を日本の伝統文化の中に見いだしていったのである。
レーモンドの弟子にはジョージ・ナカシマ、吉村順三、前川國男などがいる。
芸術家たちのための週末住宅としてチリに構想を描いていたル・コルビュジエの未完の邸宅「エラズリス邸」に着想を得ていた「夏の家」の写真が心に響く。そして吉村順三の軽井沢邸と二重写しになるこの「夏の家」はわたしをひどくノスタルジックな気分にさせるのだった。その地にある素材を使い、大工と共に建設をしたというこの家は平凡であるがゆえに美しい。そこに在ることがあまりにあたりまえであるがゆえにくっきりと見えてくる思想があるのだと思える。
戦争を背景に日米関係の悪化をのがれるようにしてアメリカへ帰国をしたレーモンド夫妻は、ウィリアム・ペンの色が濃いクエーカー教徒の拠点ペンシルベニアのニューホープ州で実験プログラムを開始する。戦後にレーモンドは再び日本へ再来日をはたすがこの時、彼には5原則が明確にあげられていたという。
「建築は、simple, natural, economical, direct, honestでなければならない」
わたしはこの言葉に日本の修験道のスピリットとクエーカーの沈黙と清貧のアクションが結晶しているように感じる。

わたしは、長い時間をかけて芸術が雲のように立ちあらわれるところを探し続けているひとりだ。
今たどりついた地点は、自分が気持ちよく過ごせる環境を営んでいくことだ。そうした創意工夫が日々の日常のなかであたりまえのように働きかけられる人が真の芸術家ではないかと思う。二人称や三人称で語るべきことではなく、一人称の実にごくあたりまえの「わたし」から発することのできるものだと思う。ひとりであることに気づいて、他者と出会あうことのできる世界の実現だと思うのである。

*展覧会カタログの「レーモンドと日本」松隈洋さんの考察をとても面白く読み参照しました。
写真はカタログからの複写で「夏の家」です。

posted: mitsubako at <12:41PM>

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