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2007年09月29日

伊丹十三記念館

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9月15日、灰塚や直島へ入る前に高松に飛んで列車で松山まで旅をした。松山は今年5月に開館したばかりの伊丹十三記念館へ道をいそぐ。しかしその日は蒸し返すように暑い。
その昔アメリカに居た頃、伊丹十三の作品を繰り返しビデオで見た。何度も何度もタンポポを……。見たというより見せられたと言った方がいいかもしれない。だから映画監督としての伊丹と料理人の伊丹は記憶の中にくっきりとあった。
伊丹が幼い頃に描いた絵日記、デザイナーになってからのイラスト、映画監督時代の絵コンテ。見ているうちに伊丹からしばらく離れていた理由はなんだったのだろうかとふと思う。最後に見たのものは確か、死後放送された医療廃棄物に対する生前の彼のジャーナリズム的視点を追ったドキュメンタリーだった。死を自ら選んだ暗いイメージと影がわたしを彼から遠ざけた要因かもしれない。触れてはいけない領域がその当時はあって、それを踏み込んでまで彼の作品性を知りたいとは思わなくなったのだろう。
記念館で流れる「遠くへ行きたい」を見ているうちに、一気に気持ちが打ち解けておもしろくなり、いつの間にかワンロールが終わっていた。死後10年というのはいろいろな気持ちを清算させる力がある。旅から帰ったらエッセイに初めて触れてみたいと思うようになった。こと精神分析に関心を持って書いた時期のものを読もうと思っている。編集責任を果たしたモノンクルという雑誌を丁寧に読みたいしそこに何かを探したいと思う。
記念館のチーズケーキとチョコレートケーキはとてもおいしい。伊丹が大好きだったものらしい。中庭のカツラの木の葉がいい香りを運んでくれる。生きていればもっと奇想天外な作品を生み出していたはずだよ、伊丹十三は。強くそう思った。
旅はやっぱりするもの。
必ず新しいものの見方や軌道修正ができて、小さな日常にくよくよなんてしている暇はないと些細なことがふっとんでいくのが見えるから。わたしは今、実に元気だ。

posted: mitsubako: on 16:23PM | comments (2)

2007年09月26日

朝のバーラウンジ

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一泊だけの灰塚を過ごして岡山へ向かった。宇野港からフェリーに乗って直島に行く。ベネッセハウスのバーラウンジにかけられた岡崎乾二郎の絵画を見に。夜のラウンジも落ち着いていて良かったけれど、朝の光で見たら昨日見えなかった色がたくさん見えた。
岡崎さんが細部を撮る名人の話をしたので、わたしも撮ってみた。「えー、どこ撮ってるの」と言われはしたものの、わたしはわたしが好きな色の組み合わせのところとかフレームからちょっぴり突き出している部分を撮ってみた。細部に細やかな神経が見えたからだ。
ぱくきょんみさんと岡崎さんが並んで絵の前に立ったときは感無量だった。

posted: mitsubako: on 22:47PM | comments (0)

2007年09月22日

野外舞台

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小径につながる先に野外舞台がある。
空に向かって開かれた場所はそこがあることでようやく開放された。気持ちも体も開放された。
傘を持ったちくはの大脇理智さんが踊りだした。


posted: mitsubako: on 13:00PM

2007年09月20日

小径

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ある時ベネディクト派の修道院から小高い丘に向かう緑の小径を歩いた。修道僧は小径を散歩しながら自己を問い哲学を深めていくという。
灰塚にある岡崎乾二郎がデザインしたなかつくに公園を雨の日に歩いた。なだらかな山と山の谷間に降りてくる霧を見ながら、歩くたびに変化する景観にひとつ一つ感動した。

posted: mitsubako: on 00:45AM | comments (2)

2007年09月10日

線的なこと

通勤はしているものの、途中下車して街中をのぞいて行くことをあまりしなくなった。ことに暑かった夏は雑踏にいると蒸し器の中にいるようで耐えられなくなる。
1日ぼんやり夏休みを過ごした。少しだけ街中にくりだして、おいしいものを頬張ったり、ぶらりと本やや洋服やを見た。なにも欲しいと思うものはなかった。無計画に飛び出したのに次々と立ち寄りたいところが頭に浮かんで、あそことあそこをつなげて行く。それも線的なことなのだろうか。
数ヶ月前に白い紙テープを文房具店で2個買った。しっかりと巻き止められたテープの端をはずすとするっと紙がゆるんでとけた。えんぴつで、数文字ことばを書いた。紙テープにことばを書いてみたくなった理由はよくわからない。ただ線的なことだろうと思えたり、旅客船の甲板に投げ込まれるはじめとしっぽの架け橋であることがモチーフの動機づけになるかもしれないと考えている。
秋が来る前に少し旅に出かけてこようかな。

posted: mitsubako: on 20:54PM | comments (1)

2007年09月01日

移り変わり

採蜜の日の記憶は密度が凝縮された空気だった。
猛暑続きの8月、わたしにあの日の現実が連続する夢となってとり憑いてからは覚めやらぬ日々となった。
涼しい週末が急にやって来て、冴えの感覚がちょっぴり頭の中を支配する。新しいiMacを机の上に置きかえた。やっとOS Xユーザーの仲間入りだ。iMacに切り替えたのはいいもののデータを移しかえたり、これから新しいソフトに切り替えをしなければならない。環境が整うのはまだまだ先だ。こんな移り変わりのおかげで、テキストを書くことも、画像をいじることもしない時間が続いた。
わたしは何を選択して何をしていくかが、曖昧という境界の中に埋もれている。それでも表現として表出するどこかを求めていることだけは自覚できる。やろうと思っていることがたとえ思い通りに運ばなくても、必ずある時パチンとはじけて移行していく日がくる。その確信だけはここにある。i'm sure!
数日前に倉数茂さんの「切断と接続の美学 シュールレアリスムから連歌まで」というレクチャーを聴講した。その中世の実践美学の見解を通して、わたしの展開自体が切断と接続を繰り返すことでより洗練されて、次の時代を結ぶ一点になればいいと新しい夢がはじまった。

posted: mitsubako: on 23:06PM