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2007年08月20日
小さなハチかい
最近、岩崎京子作の創作童話を読んだ。数十年前の日本の養蜂の様子だろうか。転地養蜂をする父と、はじめてその旅にこっそり同行をたくらんだ息子の話が綴られている。
巣箱を持って転々と地を移動していくこの養蜂のスタイルはどれほどの重労働であるか、今なら少しわかるようになった。
文中のこのことばがわたしの養蜂に対する憧れをひとことであらわしていると思う。
「巣ばこをのぞく時というもんは、いつも買いたての本をひらくような気がする」
小さなハチかい 岩崎京子作 萩太郎画 福音館書店
posted: mitsubako: on 06:31AM
2007年08月16日
初めての報酬
納屋に収穫した蜂蜜を置いて戻ってきた蜂やさんから、「今日は暑い中、初めてなのによくがんばってくれました。助かりました」と言われ、お礼とかかれた封筒をいただいた。
収穫した蜂蜜をいただけただけでも最高の喜びを感じていたわたしに、さらにお礼の袋とは。少し戸惑いはしたけれど、特別な意味を持つと考えて遠慮なく受け取ることにした。
日々、自分の仕事で収入を得てはいるものの、お礼としていただいたお金は採蜜が仕事であるということ、初めての仕事への報酬であることをわたしに認識させてくれる貴重な価値があると思った。お金が目的ではないことは十分にわかっている上で、あえて報酬を与えてくださったことに養蜂家という職業の尊さを味わうことができ、純粋に誇らしい気持ちになった。
いただいたお礼の袋は普段のさいふとは別に大切に机の引き出しにしまった。このお金はとても特別な時に使いたいと思う。
posted: mitsubako: on 06:38AM
2007年08月15日
喜びの過程
マーサ・グラハムの踊りの中に喜怒哀楽をはっきりと体現するシーンがあったと記憶する。両足をそろえてぴょんぴょんとはね回る歓喜の表現。
蜜蓋を開けられた巣板は遠心分離器に並べられた。巣全体の状態に応じて速度を決めて機械を回転させる。溜まった蜜は一斗缶にそそぎ、蜜漉しにもう一度とおして空いた一斗缶に流し込んでいく。はちみつの一斗缶を持ち上げるには相当の力がいる。蜂やさんの奥さんは長年この夏の採蜜にかり出されるから、小さな体でもなんとか持ち上げて移動も注ぐこともできる。初めてのわたしは一斗缶ですら持ち上げられないというのに。
奥さんは夏の採蜜ほど嫌いなものはないという。毎年この時期がくると離婚をしたくなるだそうだ。
本当の喜びを味わうには通過するべき道のりがいくつもあるとわたしは思う。
午後をまわっても誰も作業をとめようとはしない。わたしは早朝からの労働ですっかり体力を消耗してしまい、頭がもうろうとしてきて立っていることすら容易でない暑さにとうとう負けてしまった。「ちょっと休みます」。すると「自分が無理と思ったら休んだ方がいいよ」蜂やさんの親戚で手伝いに来ていたおばさんが言った。蜂場の小屋に入って横になるとわたしはあっという間に寝入ってしまった。
耳もとでやぶ蚊のいやな羽音がして、目が覚めたのは午後3時を過ぎていた。外から聞こえてくる蜂やさんたちの声も午前中のような張り合いはなく、いよいよ採蜜作業も最終にさしかかっているようだと察知した。片付けをしてすべてが終了したころには夕方の真っ赤な太陽が海に重く沈みかけていた。
一日の終わりに「今日をありがとう」と言った。声にはでないほどの疲労感とじんわり喜びを感じた。
posted: mitsubako: on 06:37AM | comments (2)
2007年08月14日
採蜜の仕事
採蜜の現場は終始、戦闘状態だった。
巣箱から巣板を取り出す作業は単純な行為でありながら、巣箱のみつばちの反応は予測はついてもその行動に100%確信を持つことは、相手が昆虫がゆえに難しい。
みつばちの行動が感情によるものではないと思えるだけに経験と勘と自分の体力だけをたよりに、暑くなる前にどれだけ蜜蓋作業の場所まで運べるかが目前の仕事となる。
蜜蓋開けのポジションをもらったわたしは特に誰かが事前に教えてくれるということもなく見よう見まねで仕事を始めることになった。ここでは自分で体験をして経験にしていくしか学ぶ方法はない。
蜜で重くなった巣板を持つだけでも汗が額から落ちてくる。ネットですっぽりと覆った自分の顔の汗をぬぐうことはできない。巣板内の状態は様々でどれひとつとして同じものはない。全面が蜜蓋で封印されているものもあれば、半分以上はふんわりした濃い茶の膜におおわれた巣房であったり、あるいは女王蜂の育つ王台がひとつ突起しているものもある。誤ってナイフで巣房の入口を切ってしまえば、育っているさなぎの命を奪うことになる。素早く見分けて損傷をなるべく少なく蜜蓋を開けることがわたしの仕事だ。蜜の蓋が外されれば、中から当然のように蜂蜜がしたたり落ちてくる。その蜜をかぎつけて一時的に巣からおいだされた蜂たちが自ら蜜に向かって飛び込んで来る。羽が蜂蜜につかって溺れれば、そのみつばちの命はそれまでとなる。蜜蓋を開ける最中に飛んでくるものはみつばちだけではない。カオス状態になっているみつばちをエサにスズメバチは周辺を獲物ねらいにしぶとく飛びかってくる。人間も昆虫も採蜜という極上の贈り物をわかちあうために犠牲を払う繰り返しの儀式は、やがてトランスとでもいえるような心身的な興奮状態を生みだすとわたしは感じた。
現代人の仕事にはなかなか見えにくくなりつつある労働の原点を幻覚の中にしばしわたしは見たように思う。
posted: mitsubako: on 09:36AM
2007年08月11日
蜂場の臨場感

わたしは前日の晩から興奮のしどおしでなかなか眠りにつけなかたった。漸くうとうとしかけたのは午前2時をまわっていたから、この日の睡眠は1時間ちょっと。暑さに弱い自分の体力が持つのか不安だった。そんな心配をよそに、気温が32度以上あがる山のてっぺんで、炎天下の採蜜作業が幕を開けた。
大仕事にとりかかる前、蜂飼いたちが一服するタバコの煙は朝靄の中に収穫を予想させる希望の造形をもくもくと立ち表しては消えていく。燻炎器の口から漂う木くずのにおい、みつばちが醸しだすワックスや甘い蜂蜜のかおりが一緒くたになった蜂場を一体どう描写したらいいのだろう。ことばを失うほどにわたしに訴えかけてくるこの場所は、感性の源流がつまった何かとしかいいようがない。
もはや春のやさしい花影はなく、夏の草木に蔽われた蜂場は深い緑に囲まれて、蒸し返す空気とぎらぎらする光の中をみつばちたちがごうごうと唸っている。みつばちらが収穫した蜜を人間たちの手によってこれから横取りされる危機を鋭敏に察知した彼女らはやや殺気だっている。一方、採蜜に向かう人間は10や20は刺されることを覚悟して怒る彼女らと対面する緊迫感で精神のレベルは高潮していく。こんな瞬間に置かれたわたしはあえて冷静さを装って蜜蓋あけのナイフを握った。
*友人のnodocaさんにこの晴の日の舞台の写真を撮ってもらいました。早朝から忙しいなかかけつけてくれてみつばちに刺されながらも撮影をどうもありがとう。とても嬉しかったです。
posted: mitsubako: on 23:49PM
2007年08月06日
採蜜の朝

明け方4時をまわる頃、車に乗り込んで養蜂園に向かった。
「朝5時ちょっと前に集合ね」という蜂飼いのおじさんからの連絡を受けて、期待でいっぱいの朝の道を走った。あたりが明るくなりかけた朝靄の山道は、セミや野鳥の鳴き声がまるで寝覚めを祝福しているかのごとく賑だった。
集合場所から車で10分ほど、この場所で生まれて初めてのわたしの採蜜がはじまった。
posted: mitsubako: on 10:16AM | comments (3)