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2007年02月12日

拾われっ子

こんないい歳をして自分のことを「子」なんて言うのも大した度胸だ。子どもの頃わたし相応の年齢ともなれば、すごく大人で人生のことはもうなんでも知っている人たちだと思っていた。実際、自分がそのぐらいになっても分からないものは分からない。生きていくということはそう簡単に答えが出るものでもなくて、さして若い頃と大差はないということだ。だから「拾われっ子」としてみた。
職場のキッチンで洗い物をしている時、ふと先輩の編集者から聞かれた。「こんなこと聞いてもいいのかしら、これまでどんなことをなさって来たの?」
ああ、一番困る質問だ。少なくとも90年代以降のわたしを知る人たちなら、「そうなんだよね、何やってる人かってひとことで言うのが難しい人だよね。」っと同感してくれるはず。別にそれほど複雑怪奇なことをやって来たわけではない。ただ、これといった専門があるようでない立場にいつもいることが多かった。職業分けのカテゴリーでは説明できないようなことが、わたしの仕事だったから。
一番はじめの職業はこれで、それからこういう考えで国内脱出をして、戻ってきてこんな所に就職して、会社が潰れてフリーになって。話せば長いしやったことも数えきれない。自分で選んでそうなったこともあるけれど、なんとなく二番手で事の次第に乗っかってここまで来たというのが正直なところ。
「人との出会いの数だけは半端じゃないですよ」と言うのがせいぜいで、好きなことを好きなだけやったからもういつ死んでも大丈夫とはさすがにまだ話せなかった。
「へー、羨ましいわ」彼女はずっと同じ会社で仕事を一筋に続けて来た人だから、正反対のわたしの遍歴に驚いている様子だった。

ひとりになって後でふと今日のキッチンの会話を思い出した。そうだね、わたしはいろんな人に拾われて、こうしてなんとかつないで来ることができたんだと。「拾われっ子」のわたしは、これまでに出会った多くの方々に向けて「ありがとう」をそろそろ形に残そうと試行錯誤している。

posted: mitsubako at <17:01PM>

comments:

転職や海外生活ですか、いろんな経験をされたんですね。
「なんとなく二番手で事の次第に乗っかってここまで来たというのが正直なところ。」 と書かれてますけど、これまでblogを拝見したところ、その時々に知り合った方との付き合いを大事にされてきたんだろうなぁと想像します。

私は、転職や職場の倒産&再生を経験して、回り道というより蛇行(苦笑)した人生を歩んでおりますが、たぶん蛇行せないかんかったんだろうなーと思うことにしております。

「ありがとう」が、すごーくいい形になるといいですね!

posted: iwayan on 2007年02月12日 22:08

こんにちはiwayan
その当座は言い切れないぐらいの思いをしますが、あとになればそこに何かメッセージがあるのかもと思うようにしています。そうやって次を見ないと生きてきた時間が無駄だったってのも空しいしね。
自分をはげますおまじないのようなものです。

posted: mistuabko on 2007年02月15日 19:35

なるほど。
僕の場合は、しんどい思いをしないと、自分の「あきめくら」に気がつかないという感じかな。
しんどい思いをするのではなく、人や本との出合いで変わる方がいいのだけれど、中々それだけではあかんようです。
「遠回り」はあっても「無駄」はないと思うな。

posted: iwayan on 2007年02月17日 08:23

そういうこともあるんですね。道草は大事ですよね。

posted: mistubako on 2007年02月17日 22:18

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