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2007年02月03日
散歩詩集

葉書にひとの営みを筆で染めては互いに知らせあった そして僕はかう書くのがおきまりだった 僕はたのしい故もなく僕はたのしいと
立原道造の散歩詩集を朗読していて、この行になると必ず声が震え、わたしの目頭が熱くなる。夏から冬になるまで日課のように毎晩くり返し読み続けた。どこへ行くにも持ち歩いた。カバーは手あかと汚れ跡が目立つようになった。
立原の手によって装幀、デザインされた「一冊だけ」の詩集のひとつだ。わたしはこの原形をアーティストブックと思っている。
18世紀にさかのぼり活字と挿画を組み合わせた詩集で知られるウィリアム・ブレイク、ケルムスコット・プレスで理想の本作り運動をしたウィリアム・モリスの存在はアーティストブックの源流ではずすことはできない。しかし、なんといってもわたしを虜にした最初の本はマラルメの「骰子一擲」だった。解読できない言語でも凝視していたくなる構成に驚きがあった。翻訳を読んで言語と余白の対峙に手法を探る糸口はないかと夢中になった記憶がある。
序文に
このノートは、読まれないか、一読して忘れられるか、した方がよい。
とある。
アーティストブックは20世紀の芸術活動と共に、本とも作品とも決定できないプロセスとして作家と作品のすきまに、テキストを吐き出すように生み出されてきた前衛芸術とわたしは思う。
キュビスム、フルクサス、ミニマリズム、コンセプチュアルアート。
詩はいったいどこから生まれるのだろうか。
コンクリートポエム、ヴィジュアルポエム。
大文字の源流の片隅に北園克衛をそっと置きたい。
詩でも作品でもない個人のエポックノートをポケットにひそませて道草をしてみよう。
posted: mitsubako at <18:29PM>