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2006年12月31日
雲の焼印

いくつも思い出す、あの日の雲、この日の雲
お気に入りをとてもひとつには絞れない
どれだってその日のために目の前を通り過ぎていくんだから
しかし湿原に出現したあの雲は、焼印を押していったかのように、今でも残像が心臓のあたりに焼きついている
焼印だからもう消えない
この一年をありがとう
posted: mitsubako: on 18:21PM | comments (2)
2006年12月30日
雲の一年
雲ばかり見ていた。
今年も残りわずかとなって、ようやく冬空がやってきた。雲ひとつない青空を見ていると心に焼きつくような雲のシーンがいくつもあったことを思い出す。
わたしがつく小さなため息いきの数だけ、わたしがこぼした涙の量だけ、
海面の温度と一緒になって大気層へと上昇する。
雲はわたしが吐き出したつぶやきに、ことばの創造を超えて、約束もなしに空に立ちあらわれる。
そこに詩の瞬間があるとわたしは思う。
本棚から久しぶりにシモーヌ・ヴェイユの「重力と恩寵」を手にとった。読み返そうと思ったわけではない。ただ触れたかった。詩うこと、考えること、つくることをやめて、これからの数年、わたしは純粋に食べるために労働をしようと本に手をあてて決心をした。
posted: mitsubako: on 13:17PM | comments (2)
2006年12月25日
エル・ニーニョ

クリスマスおめでとうございます。
クリスマスの物語は簡素な馬小屋の飼い葉桶の中からはじまりました。
もしもメシアが実在するのなら、それはあなたのことかもしれない
息づかいは荒く、疲れ果ててもどこまでも真っ直ぐに走ろうとする
全身に背負わなくてもいいはずのことを自ら背負って
重たいことを軽いといい 苦しいことを楽として歩こうとする
どうしてそこまで重荷を負って人のしあわせを願うんだろう
どうしてそこまで突きつめて、自分の業を愛そうとするんだろう
メシアに手をさしのべてほしいけれど、できればわたしの心の願いのうちにいて
目に見えない物語だったならば、きっとわたしの涙も止まることでしょう。
クリスマスは簡素な馬小屋の飼い葉桶の中からはじまったのです。
posted: mitsubako: on 06:01AM
2006年12月24日
贈り物たち

旅のおみやげ、わがままな巨人……そのほかにもたくさんメッセージや手紙をありがとう。そして、なかなか返事をしなくてごめんね。
オスカー・ワイルド原作のわがままな巨人は、わたしが大好きな話しのひとつだった。
友人がそれをアニメ化した。澁沢龍彦が「ヨーロッパの乳房」に書いたイタリアのボマルツォ庭園を背景に、ノルシュタイン監督の紙をつかった手法で長期にわたって制作されたアニメーションだ。残念なことに、まだDVDプレイヤーを持っていないわたしはこれを見ることができていない。
年末に少し時間ができたら、見てみようと思う。
写真は友人の実家を訪れた時撮影してくれたもの。秋の谷中工芸展の頃。わたしは夢を見ているかのように、溢れる喜びに満ちた笑顔だった。
夕日のローズ色に浮かぶ影、今見ているとなんとなく切ない。
posted: mitsubako: on 10:37AM | comments (1)
2006年12月17日
雫よ輝け

雨上がりの雫が花粉ときらきらしていると嬉しくなる。
打ちひしがれた思いに浸っている時こそ、そう、明るい色を見ようよ。
posted: mitsubako: on 05:04AM | comments (3)
2006年12月15日
冬の夏蜜柑

絵描きさんの家の夏蜜柑の木は、主が亡くなってからも毎年初冬に実をつける。今年も例外ではなく鈴なりだ。
重力に従ってぶらさがる実を真下から見上げて隙間から空の背景が見えるのが好きだ。
posted: mitsubako: on 07:58AM | comments (2)
2006年12月13日
遠い日射し

気分を変えようと散歩に出かけた日曜の午後。公園は一面の落ち葉だった。
木陰から射し込む日の光は遠くもの哀しい。見ているだけで郷愁にさそわれる。
posted: mitsubako: on 06:51AM
2006年12月12日
落ち葉と一緒

近所の湧き水に暮らす金魚や鯉も落葉と一緒に紅くなっていた。
posted: mitsubako: on 05:47AM | comments (2)
2006年12月10日
雪の障子

「月の光も粗末にはしますまい。
わが國のありがたい古さを新しく生かしませう。
海山の間に見捨てられたものを見出して利用しませう。
簡素で住みよく、着ごこちよく、また質素でおいしい食事をしませう。
歌もうたひ、俳句も詠み、絵も、書も楽しんで生活をよくしませう。」
桑の樹皮ととろろあおいの草根を糊材に手漉きされた信州和紙の表紙の「雪の障子」。
島崎藤村の生活から見だされた小さな気づきをまとめた文庫本だ。冒頭に転記した文章は、この生活文化の本を出した月明社のことば。
生活の本とはいえ、そこに芸術の神髄が見え隠れする。悟りすぎもせず、洗練されすぎたミニマリズムでもない。
時が来たら、すべてを捨てて、本物の質素な生き方をわたしは選択したいと思う。
posted: mitsubako: on 12:31PM | comments (3)
2006年12月05日
マユミ

パタゴニアへの夢想をかきたてるような秋の八島湿原でマユミが真っ赤に染まっている。
カラファテの実はマユミのような赤だとばかり思っていた。が、実際は青いのだそうだ。
マユミの赤を見て、せっかくカラファテの実を連想したのになぁ。
*写真は10月末に撮りました
posted: mitsubako: on 16:08PM
2006年12月04日
深い眠りの後に

朝だと思って目覚めて雨戸を開けたら外は赤いぼんぼり色の夕焼けだった。
1カ月近くわたしの神経は過剰反応をしていて、休まることなく熟睡できない日々が続いている。周囲の状況からいいことも悪いことも全霊で吸収してしまうから仕方がない。心ない人のことばに傷ついたり、誠意が伝わらなかったり、強烈なアピールに驚いたり、まちがった自由思想に憤慨したり、上げればきりがない。少なくとも自分が不快と感じたことは、他の人にはそうしたくない。いやな感情とはいとも簡単に人から人へ倍増されて伝わってしまうからだ。
そのうちきっと、薄い蜜蝋のような壁がわたしの中にできてきて、すかした明るい光が見えてくるはずと慰めている。いや、今のそれは祈りに近い。
わたしはひどく脆い。繊細というより過敏すぎて感傷にうろたえてしまう。強くなろうと思えば思うほど、弱くなっていく。こういう自分がとても嫌いだ。
寝起きの体は重たい鉛のようだった。バスサルトを入れた風呂に長湯をしてみても、まだまだ重い。どんなにほぐしてみても痛みは消えない。
白い魔女がやって来て、思い煩いと引き替えに「命がほしい」と美しい手を差し出した
posted: mitsubako: on 17:31PM
2006年12月02日
櫛

木の櫛が欲しいとずっと思いつづけている。だから松本民芸館で各国の櫛のコレクションを見て、その美しさにさらに魅了された。
髪と櫛は人生のようなものだから。
posted: mitsubako: on 15:19PM
2006年12月01日
刺し子見本

コレクションの整理箱が好きなのと同様に、なにかの見本を見るのも好きだ。
刺し子そのものの美品より、見本に目がいってしまうのはなぜだろう。
posted: mitsubako: on 01:16AM | comments (2)