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2006年11月12日
木枯らしの吹く朝に
近所のフェンスに木枯らしがカンチンと音をたててあたっていく。その音で目が覚めた。
数日ノドに軽い痛みがあって、緊張からくる疲れやら、体験が思考をうわまわる日々で頭の中はカオス状態。心労が最高潮に達している。
おはよう。新聞をひらいて、宇井純さんの訃報を知った。
今から10年ぐらい前のこと。都市博が中止され、その補償問題から企画がはじまったアトピックサイト展のスタッフとしてかけめぐっていたわたしは、沖縄の作家チームたちと宇井純さんにお会いした。
当時、現代美術で「毒」を素材に展開している作家とコンタクトをとり、表象としてのアートと事実の記号化としての研究者とのコラボレーションを考えていた。
いろいろな事情で、この企画は実現はできなかったものの、長くわたしの心をとらえて、むしろ自分の視座を与えられた経験だった。たとえ実現はできなくても、ある誰かに伝わっていく、残されていくことで、企画は1%は成功したことになると今なら思える。
「毒」の定義はむずかしい。多量でも微量でも有害になる。微量が有益になることもある。わたしたちは「毒」の渦中に生きているのか、「毒」を囲むフェンスと隣あわせに生きているのか。ふと、ベラルーシ、グルシコビッチ村のミルクの入ったガラスのコップが浮かんできた。
もう一度、引用した宇井純さんの『住民を結ぶ旅』の冒頭のことばを転記してご冥福を祈りたい。
「高度成長のもたらした精神的荒廃の一つは、私たちが自分の生活の存続を信じて疑わず、生存の基盤がくずれかかっても常にどこかの権威にたよって生きてゆけるのではないかと信じこんだ点にある。
地域住民の生活を、外から呼びこんだ大資本にたよって豊かにできるという図式も、外からの権威を呼んでそれにたよって運動が展開するという希望も、この点ではひとしく虚妄であり、幻想にすぎない。住民がその住んでいる地域で経済的にも精神的にも自立することの大切さを正面に押出した政治的な討論が、今こそ必要だろう。」
posted: mitsubako at <12:07PM>
空気が澄んできましたね。
とても寒いから咽をお大事に…。
あたたかいもの飲んでくださいね。
posted: 千洋 on 2006年11月13日 10:21
ちひろちゃん
ありがとう。もう大丈夫。みかんをたくさん食べました。
ひどくならないうちにくい止めました。
posted: mistubako on 2006年11月13日 23:12
宇井さんのメッセージ
深く響きます。
posted: yama@taimagura on 2006年11月16日 07:58
yamaさん本当にそうですね。都心には地域性というものが失われているというのか、意識化されにくい環境なのだと思ってしまいますが、宇井さんのこの言葉によるとそれも見えないなにかに依存してしまっている自分の姿なのかもしれないと反省してしまいます。
posted: mistubako on 2006年11月18日 20:02