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2006年10月31日

洋燈の灯る宿

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八島湿原を前に、小さなヒュッテを運営している田口信さんの宿に宿泊をした。もともと旅館の別館として、木材はどちらかの古民家から移築をしてきて、約50年前に建てられたものを譲り受け維持しながら暮らしている。冬も家族で山を降りずに暮らしている。
がらがらと玄関の引き戸を開けると「はーい」と中から田口さんが出迎えてくれた。やさしい、繊細な心の持ち主とひと目見て思った。
薄暗い室内に入ると広いリビング兼食卓に、天上からつるされたいくつもの洋燈、薪ストーブ、壁中に広がる山の雑誌と古書、ぎしぎしいう階段、こうした古いいいものたちにすっかり魅了される。ふた晩の宿には贅沢すぎるくらい立派な木製の家具と窓から見えるアルプスの山並みが用意されていた。
わたしたちのために心のこもった料理や風呂を沸かしてくれることで、少し忙しい中、合間をぬってお話をするうちに、またよい方に出会ったなと嬉しくなった。

帰りぎわの早朝は冷え込んだ。試験的にこの秋、初の薪ストーブをたいて、ゆっくりと「暮らす」ということを話してくださった。はじまりは、わたしのタイマグラの体験からだった。東北の奥地で見た生活はストーブを中心に、ストーブを囲んで過ごすことを話したら、「東北のそんな地名もそんな地も聞いたことはなかったけれど、本当の冬と湿り気をもった雪に閉ざされる地方では、暖をいかに効率よくとるかを昔からの知恵で生活に生かしているはずです。」と田口さんが話しはじめた。「今はそんな地方でも、現代的な暮らし方をしている人の方が圧倒的に増えてしまったけれど、暮らしというのは自分で考えることから始まるものだと思っているんですよ。例えば、ここ八島なら、少しのお金も必要で、それを得る方法も考える、経済的に暮らすための工夫をしたり、古い家なのですこしづつ手入れも必要だけれど、誰かが来てくれて修繕してくれたり、火ひとつとってもあらかじめインフラが備えられているわけでもないのです。ないところからその環境にあった生活の知恵を積み重ねて、繰り返しよりベターな方法を発見していくことが暮らしだと思っているんです。」それから静かにこうも話してくれた。「学校で学んだことって、ここではあんまり役には立たないんだなぁ。うーん、理科なんかでね、春が来ると種を蒔いて、野菜を…なんて言うでしょ。こんな高原ではそんなことは成立しない。こういうことは、一律ではなくて場所場所でまるで違うことですからね。」表情はにこやかだった。
そうだ、この話しは遠野で馬附住宅の実践真っ最中の徳吉家の敏江さんも話していたっけ。「教科書とか園芸誌はだいたい関東、それも東京近郊を中心に書かれているんじゃないかな。だからここにいるとそういう情報誌的なものってあんまり必要としなくなる」って。なるほど、遠野の山奥で種ひとつ播くにも時期はまるで違うはずだとその時初めて思ったけな。和綿の種をタイマグラの陽子さんたちが植えても、おそらくは短い夏の間に発芽して花を咲かせない限りは外の環境ではむずかしいだろうなとも思う。

「東北のそうした暮らし方は、今のうちに記録に残しておかないと消えてしまいますね。だいたい、記録しようと思う心理がはたらくこと自体がもうおかしなことで、本来なら伝承されていく文化のはずだったのです。ただもう、伝承できる家庭ということ自体も崩壊をしてきてしまっているので、日本は大事なものをすべて捨ててしまった、もったえない国です。」田口さんとのストーブを前にしての会話はこれからのわたしに対して、とても心強い励ましをもらったようにその時思った。

わたしは、田口さんにこうエールを送りたい。「田口さん、そんなに深く心配しなくても大丈夫。ぽつりぽつりと点在する小さな思いや、小さな力がきっと未来に実を結びます。世の中は危機に晒されているのは確かなことでしょう。考えてみると危機的状況になると人は生命維持のために知恵を振り絞る動物なのだとわたしは思います。これまでに人が育んできたものの中にすぐれた知恵と技があったように、陽性に風潮が向くことも、たまにはある。自然の技はそんな風に、わたしの想像をはるかに超えて、脅かしつつも調和を保とうとするように思えてなりません。田口さんのような生き方をされている方を知ることがわたしの灯火でもあるのです。」

帰路、もうすでに、次のわたしの訪れる場所がイメージできていた。今度は「雪の上」らしい。それが何処なのかは、まだ知らない。

posted: mitsubako: on 23:43PM | comments (2)

2006年10月30日

湿原へ

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自分で歩いてみたいと思う場所が決まるのは、突然だったりする。十分な下調べはそれほどせずに、行ってみたいとイメージする気持ちを優先することが多い。春から夏にかけては「霧の草原」のことばかり思っていた。夏から秋にかけては「湿原」ばかりが頭に浮かんでいて、漠然と数か所行く先を考えていたのに、気がつくと晩秋。条件はただ湿原の中もしくは湿原のそばで、それまで考えていた候補地ではない場所へ出かけてみることにした。
花の季節の名所として知られる霧ヶ峰高原に八島湿原というのがある。諏訪大社の奥宮とも言われる旧御射山遺跡はこの湿原の中にひっそりと佇んでいる。もしかしたら、霜の降りた湿原を見ることができるかもしれないと思って、冬支度で出発した。滞在中の湿原は思いのほか、暖かかった。
諏訪湖から上がって、標高約1000m地点を通過する付近のカラマツ林、それから標高約1600mの八島湿原は、太陽の光をきらきらと浴びて黄金色に輝いていた。落葉した木々と空に向かってひらけた湿地帯は明るい。時折、風にのって流れる雲が、枯れた湿原の上に微妙な光の陰影を投じる。どの時を切りとっても色彩の調和が美しく、一歩あるいては立ち止まり、また一歩あるいては立ち止まりながら、秋の豊かな心の逍遙を楽しんだ。
洋燈がともされた宿で谷間に長く、かん高く共鳴する牝鹿の声を耳にしながら、霧と雨の静寂な夜が通り過ぎていった。

posted: mitsubako: on 06:37AM | comments (4)

2006年10月29日

こんな記事が…

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あまり日曜日にブログを更新をしないから、今日は日曜版ということかな。
数日、家を空けていて、たまった新聞をぱらぱらと開いてみたら、こんな記事が掲載されていた。
わたしは、企業広告ということをどれだけ意識して生活をしてきただろうか。手にする雑誌、目にする美術作品、テレビ番組。上げればきりがないけれど、わたしが面白いと思ったり、感動をするものは大概、企業スポンサードの傘下だったりする。美術という世界に少しだけ足を踏み入れたとき、企業スポンサード、自治体のスポンサードにいやというほどお世話になった。けんかもたくさんした。それが、いいとか、悪いとかそんなことを言いたいわけではない。
心身に対して共感や問い、時には怒りを与える媒体は、協賛なくしてはなかなか表現できない時代が続いた。送り手も受け手もうすうすそんな色を気づいてはいても、そんなもんさと見て見ぬふりをして過ごしてきた。でも、今すこしづつ、わたしの周囲は変わりはじめている。ネットや小冊子をうまく活用して自分たちのメディアは自分たちで作ろうとする小さな動きだ。それよりもずっとずっと大先輩で親分格のような媒体が「暮しの手帖」だったのではないか。
協賛なしのメディアはとても自由で、どこ吹く風って感じで向こうの方にかっこよく存在するように思っていたけれど、その存続には厳しさが伴うはずだ。だってそれをわたしが手にしようとするなら、そのメディアに一票投じるような気持ちがあるからだ。荒々しく、スピーカーをつけて駆けめぐる宣伝カーとは違うけれど、日々の静かな選挙戦のようだなと思ったりする。

*記事は朝日新聞2006.10.26 朝刊 コラム:「ひと」松浦弥太郎さんです。

posted: mitsubako: on 15:06PM

2006年10月26日

乾いた実

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1年前、野山に落ちていた山椒の実。
枯れて、乾いても、まだ艶がある。

posted: mitsubako: on 06:32AM

2006年10月25日

かくし味

おいしいものをおいしく感じるのは、食べるもののもつ旬とか、料理方とか、好みとかにもよるし、そして自分のいる場所とか、心の具合とかもわたしの場合は大きく影響する。
塩からいものはからく、甘いものはあまくと素朴で単純な味に出会って歓喜することもあれば、塩が効いているのにからくない、甘味もあるけれどあまくないような微妙でいろいろな味わいのするものも工夫があって好きだ。
この間、口にした和菓子は餡のなかにほんのりとリキュールチョコのかくし味がした。チョコレートと聞くと意外な感じがするかもしれないが、案外かくし味に使われていることがある。その昔、オーブンで鳥を焼いてくれた人が焼いた肉汁をベースにソースを作って、その中にも苦味の強いチョコレートを入れてコクを出していた。カレーのルーにもちょっぴり入れることもある。
かくし味はなくても間に合うかもしれないけれど、少し加えるだけで料理にさらに風味がます、ちょっとした心づかいのようなセンスなのかもしれない。

ところでその和菓子、見た目にもうつくしかったのに、食べたさ一心で写真におさめるのを忘れました。

posted: mitsubako: on 08:37AM

2006年10月23日

砂の上の鳩

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足の裏は内蔵とおなじぐらいに大事なものがたくさんつまっていると聞いたことがある。
そして、感覚も…、と思う。
先週、気分転換に浜辺を歩いた。海水は冷たくなってきたけれど、波際は太陽の光さえあたっていれば、ぬくぬくとあたたかい。
素足でぺたぺたと足裏のスタンプを押しながら歩けば、すぐに足の裏には厚みがあったんだと思うほど、ぽかぽかにすっぽりと包まれてしまう。しばらく無心で歩いた後に、乾いた砂の上に寝転んで、足を光りにあてて干してみた。わたしは、こんなことぐらいで、気分が浄化される。自分が気持ちよくなれるおまじないをいくつか知っている。

ふと、気がつくと隣で、一羽の鳩が砂にうずくまって体を温めていた。「なにしに来たの」。

posted: mitsubako: on 08:57AM | comments (3)

2006年10月20日

蜂のこと 最終

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「みつばちの木箱」のカテゴリーの中でももっとも大事に考えているものに「蜂のこと」があります。わたしが、ある養蜂家と出会ってすごした1日のことを書いていったもので、全部で30章になりました。2005年の夏、これ以上は書き足さないと思って最終章を書きました。けれどもサイトに上げないまま、また時が過ぎました。各地の養蜂の話しも書き足していこうと考えたからです。1年たってこれを読みかえしてみたら、なんだか今あげておかなければと急に思い立ちました。

2005年の7月の間もわたしは、数回養蜂園の近くを訪ねました。養蜂園は夏場は少し荒々しい感じになります。暑さを嫌い、花の少ないこの時期のミツバチはいつも以上に懸命に生きている感じがするのです。遠い遠い蜜源を求めてひたすら飛び回ります。巣内の温度を調整するのに水をとりに行き、温度を下げるためにファンの役割をする部隊。その目的は次の繁殖のためだけです。そこにおそらく意図や感情をプラスしているのはわたしのようなミツバチ好きの幻想とお話のデフォルメ、あるいはことばの隠喩にほかなりません。
観察や、養蜂家に会うたびにある時期、自分が書いてきたみつばちの木箱のコンセプトがなんの裏付けものなくただの夢事のようなものではないかと落胆した時期がありました。科学的な姿勢や生態を知ることは、こうしたお話の世界を時として鋭く批評します。余分な装飾的なニュアンスはいらないのではないかと思ったからです。それから、ミツバチの写真をたくさん撮り始めました。そのものの姿をそのままに伝えることのできる道具を使ってみようと思ったからです。いろいろな場で撮影をした写真を見てくれた人の話を聞くと、それでもこんな返事が返ってきました。「なんか虫の写真って感じがしないんだよね」「詩的な写真ですね」「表情がかわいらしい蜂」まだまだいろいろありますが、そこにどうしても、撮影者の主観というものが表出してしまうように感じ、また悩みました。
そんなもやもやとした混沌のトンネルを通ってわたしは少しだけ、わたしとみつばちの関係にはっきりとではないけれど、この方向でいいんだと思えるようになりました。それは、このことばとこの日のできごとでだと思います。
いつだったか養蜂園をおとづれる前に養蜂家に電話をしました。玉川大学ミツバチ科学研究施設をおとづれたことを話したり、今年のみかんのはちみつの状況を聞いたりしました。「あなた、しかし、本当に熱心だね。もう、あとは飼うだけですよ。こればかりは、どんなに本を読んだり調べたりしてもね、これということは説明できないの。ミツバチはね、その時の天候とか状態によっていつも対応が変わるから。ただね、生きものだから大事に育てられる人じゃないとね。まぁ、ミツバチを売る人からするとね、すぐダメになってまた買ってもらえる方が儲かるからって悪い商売をする人もいるんですよ。あなたはわたしがはじめでよかった。1年とか2年でだめでした、辞めますというんじゃ意味がない。ミツバチの都合にあわせて続けていくことができるというのがまずは一番の条件だね。これからは、趣味養蜂家というのが生き残る時代ですよ。」
わたしは“趣味養蜂家”ということばに響きました。海外の養蜂家とやりとりをしていると、定年後の楽しみとして養蜂を始めている人がとても多い。アマチュアと言いつつも養蜂の歴史も違うし、養蜂に関する一般的な関心度がとても高いので、その腕前や構築された養蜂の知識は及びもつかない水準にあります。養蜂家の言う趣味養蜂家というのは、とても意味の深い要素をもっていると思うのです。それは高価なはちみつを売る商売、あるいはまがいものをはちみつビジネスとして利潤を追求するものとは異なる道です。
少しだけの、本物のはちみつを隣人と分かち合う。みつばちの生態を見つめ、自分の都合ではなくみつばちの都合に合わせた生活をしていくと、知らないうちに自然を愛する環境に近づいていく。そうした穏やかなココスモロジの中に愛をもって仕えていくこと。そんな奥の深い深い世界だとわたしは考えています。養蜂家としての誇りは人一倍かもしれませんが、「趣味」ととどめるところにこの養蜂家の奢らない姿があって、すてきな表現だなと思えるのです。

「後はもう飼うだけか……」。

わたしの経済的なものと自分の生活環境がととのったらやってみようと思います。やり始めれば、長い付き合いになるからです。ただ、それはあまり遠い先には設定できません。養蜂家もそれほど若いわけではないので、本当のことを教えてくれる、本当の養蜂家からわたしは学びたいと思っています。冬の初めに近い秋からはじまったみつばちの観察を書いた「蜂のこと」はこれが終章です。あとは季節が巡るのと同様に、同じことが繰り返されるからです。
身近なところでミツバチをみつけたら、どうぞ立ち止まって静かにミツバチを見守ってください。どんな花が好きで、どんな時刻に飛んでくるのか、体の色や大きさを、どうぞ見てください。羽の模様や体毛、つけている花粉だんごの色、蜜を吸う口を観察してください。
わたしも毎日そんなことばかりを考えて、街や自然の中を歩いたり走ったりしていると思います。本当の蜂蜜は大量にはできません。ミツバチが集められる蜜の量だけです。これが、一番お伝えしたかったことです。
隠喩のつもりではじめたこのみつばちの木箱はこのまま続けても大丈夫という確信のようなものが、わたしに芽生えています。お話は少しだけ削られたり、増えたり、ひとつのコンセプトを何度も何度も創っては壊し創っては壊していますが、きっとこれから先も、大きく変わることは、もうないと考えられるようになってきました。
30章にわたり書いた「蜂のこと」は、これから時間をかけてみつばちの木箱のお話のひとつとしてつくりかえられる予定です。そのためには、あまり長すぎても、多すぎてもだめなのです。

posted: mitsubako: on 10:39AM | comments (1)

2006年10月18日

「地球の上に生きる」

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肌寒い夕べ、だのに夏物のパンツとブラウス、素足にサンダルで出かけてしまった。
中途半端な時刻だから、お腹がすくだろうとミロワールで途中、カフェオレ大福とついでに四角いクッキーを買って、ピクニック気分になる。口のなかで溶けるようなクッキーがおいしくて道中がどんどん楽しくなってくる。
定刻の午後6時半、kurkkuにはもう人の列ができていた。ぶらりとショップをのぞいているうちに、受付がはじまった。ゆっくり中へはいると、kurkkuのカフェの女性がひとりひとりにお茶とお菓子を運んでくれている。ホットジンジャーティーと玄米もち。黒ごまペーストとかぼちゃあんの色彩豊かでコクのある、おいしい二度目のおやつに嬉しくなった。お茶はからだが温まるし。
おもてなしって心がなごむな、そんないい待ち時間だった。

アリシアの弾き語りがはじまった。自分の人生を歌にしてカリフォルニアのウィラーズランチでの生活や「地球の上に生きる」が出版されるまでのこと、ハワイで生活をしたこと、そして今は両親の介護をしていることを話してくれた。
なんだろう、彼女の持つ空気には、何かに固く囲まれているようにも思えたり、まったくその反対に流れるような自由さがあったりする。でもなぜか重いという感覚がわたしの中に残った。たぶん、今のわたしがとてもかろやかだからなのかもしれない。
文化も異なる、政治も異なる、ことばも……谷川俊太郎さんが「地球の上に生きる」の帯に書かれていたことばに今、共感できる。
「この本にしるされたことを、かたっぱしから自分の手で試したい、せめて試すことを夢見たい。それだけでも私の人生は、きっと根本から変わるだろう。」

平和を愛する表現は実にいろいろで、ひとりひとりなんだ。

*「地球の上に生きる」 アリシア・ベイ=ローレル 草思社
*kai-wai散策のmasaさんのサイトにはもっとくわしくアリシアのことが書かれています。

posted: mitsubako: on 23:03PM

2006年10月17日

午後の谷中

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わたしはつくづく自分のリズムはアンダンテぐらいだと思う。「マイペース」とか「のんびり」はかなり良心的な見解で、じつはのろまなんだと思う。ぴんと張りつめていた時間から放たれたすぐ、ちょっとだけブルーになる。だけど、瞬く間に元気をとりもどす、きっと、いつものように。

谷中の午後の空の下、友人のyamaさんとm-louisさんのお宅へ行った。今、開催中の谷中工芸展で「谷中M類栖/1f」丸井金猊リソースver1.0を主催しているからだ。丸井金猊のリソースはこれまでにも数回わたしは目にしている。新しい谷中という地でようやくギャラリーにまで展開したm-louisさんを見ていると、こつこつと積み重ねられた記憶と「時」がそういう方向にもっていってくれて、そうなったような自然な流れを感じる。
丸井金猊の繊細かつ斬新な絵画と同時にm-louisさんの活動を垣間見ることができて嬉しかった。その場に家族とか血筋のような赤いものはあまり感じないのがまた新鮮だった。
それからアトリエ アラン ウエストさんのところへお邪魔した。アランさんのアトリエの前は何度も通り過ぎたことがあるけれど、アランさん本人にお会いしたのは初めてだ。
彼の床の間の考察は自由だ。日本人の居住空間から床の間が消えていったのも、おもしろさが失せたからだろうと彼はいう。規格化された床の間からは個性が消失し、有用性もなくなってしまったからなのだろうか。
考えてみると、小さいころ、床の間がわたしの部屋だったことがある。本棚と机がそこにはめ込まれて、妙な空間だったことを覚えている。まがった床柱が邪魔で、薄暗い感じが嫌いだった。
アランさんの目線でアランさんのような作家によって、いったん床の間の概念が崩されて、また、新しい床の間という空間が息づいてくるのかもしれない。

2軒訪問するだけで、ゆったりとした十分な時間が過ぎて、下町はもう夕方。
谷中ボッサで何度目かのお茶をyamaさんとして、ぽそぽそと自分たちの会話をかわした。yamaさんから彼女が取材と構成を手がけた本をいただいた。長年の雑誌連載のものなどを再編集したものだそうだ。『アンビエント・ドライヴァー』細野晴臣。
なんとなく熊野のにおいがするな…なんて目次を見ながら思った。今日はもうかれこれ10数年近く、兄貴分で親しい友人に会う。音好きの編集者なのでこの本を持って出かけよう。

*yamaさんのブログはこちらから。
*m-louisさんのブログはこちらから。
*谷中工芸展2006はこちらをご覧ください。

posted: mitsubako: on 08:23AM | comments (2)

2006年10月16日

『記憶のつくり方』

長田弘の作品のひとつに『記憶のつくり方』がある。
このところ、週末になると自分の身の回りの片づけをしている。『記憶のつくり方』を何の理由で買って、なぜこんなに長い間読まなかったのかはよくわからない。そして、「この本は読まない気がする…」と手放し組に置いた。置いたはずなのに、急にその夜、やっぱり読んでから手放そうとベッドに入ってから本を開いた。黙読していたわたしは、「夜の火」あたりから、やがて音読をはじめた。

自分の時間としての人生というものの秘密はさりげなく顕われると思う。
木下杢太郎の、とどまる色としての青についての詩を思い出す。

ただ自分の本当の楽しみの為めに本を読め、

生きろ、恨むな、悲しむな。

空の上に空を建てるな。

思ひ煩ふな。

かの昔の青い陶の器の

地の底に埋もれながら青い色で居る--

楽しめ、その陶の器の

青い「無名」、青い「沈黙」。

(「それが一体何になる」)
人生とよばれるものは、わたしには、過ぎていった時間が無数の欠落のうえにうつしている、或る状景の集積だ。親しいのは、そうして状景のなかにいる人たちの記憶だ。自分の時間としての人生というのは、人生という川の川面に影像としてのこる他の人びとによって明るくされているのだと思う。
書くとは言葉の器をつくるということだ、その言葉の器にわたしがとどめたいとねがうのは、他の人びとが自分の時間のうえにのこしてくれた、青い「無名」、青い「沈黙」だ。
--『記憶のつくり方』自分の時間へから--

片づけをしていると時々神妙な心持ちになる。自分が通り過ぎていったものや忘れかけていた欠片が無造作に床に散らばっているからだ。体験から経験にそして追体験が心のなかで起きて、時間や文脈が一時的にぐちゃぐちゃになる。軽く笑いとばせるようなこともあれば、こんな小さなできごとを拾い集めて過去ばかりを眺めている自分が情けなくなったりもする。
「記憶」というものをつないでなにかをつくってきたわたしが、一時、迷いをもって、この片づけの最中に洗濯をする。これは、きれいさっぱり洗い流したいと。できることなら、すべてをリセットしたいと思っていたとき、手放すはずのこの長田弘の文章から足元がすくわれたのは不思議なできごとだった。声が乾き、喉の痛みを感じたころ、あとがきになった。

「記憶という土の中に種子を播いて、季節のなかで手をかけてそだてることができなければ、ことばはなかなか実らない。じぶんの記憶をよく耕すこと。その記憶の庭にそだってゆくものが、人生とよばれるものなのだと思う。」

posted: mitsubako: on 08:15AM | comments (2)

2006年10月13日

海から聞こえてくる

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この地点にたって このぐらいに海が聞こえてくればいい

どこまでが水平線で いったいどこから先が 果てしないどこかなのか 

わからなくたっていい ここにわたしが 今たっているんだ

posted: mitsubako: on 08:22AM

2006年10月12日

思いでとか記憶とか…

旅先や幼少、大好きな人の思いでとか記憶はどうやって残しているんだろう。
ここ数回の週末、ようやく重たい腰をあげて数年来、放置していた大掃除をはじめた。だから指が少し傷だらけで痛む。
机の引き出しとか、本棚とか、押入とか…。どこもかしこも溢れるモノ、もの、物。
一体どうすればいいんだ。シンプルにしたい、モノが少ない暮らしにしたいと願いながらもなかなか真剣にこうやって取り組むことができないでいた。でも…そろそろ限界がきた。
仕事の関係上、書籍はその時必要なものがとても多いし、あれやこれやと気になる紙切れとかチラシとか捨てられずにとってあるものも多い。とくに旅先で見つけた小物たちは久しぶりに見ると新鮮だったり、懐かしかったりでいろいろな思いが蘇ってくる。
だけど、今本当にわたしが必要なものってそんなに多くはないと思う。
思いでや記憶を自分の心のなかだけで記憶しきれないほどの情報や時間の流れの中で生きているからそういうことになるのだろう。「忙しい」ということにろくなことはない。時間をかけてものを見たり、必要な見極めができないから、慌ててその場しのぎでモノを買ってしまったり、「いつか…」と思って積み上げていく小冊子やらフリーペーパーが読めずに埃にまみれて忘れ去られている。
やっと今、わたしは自分の暮らしを少し変えたいなと思い始めている。
そうして願わくば、最後に大事な本と大事な手紙だけがテーブルに残る…ゆっくり草木を見つめて、繰り返し好きな詩や本を声に出して読んで、心の中で感じることができればそれが安心していられるわたしの創造の場になる、そんな気持ちがする。

posted: mitsubako: on 08:17AM

2006年10月11日

一枚板のトタン

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錆びた一枚板のトタンの向こう
雲が浮かぶ自由なところが広がっているにちがいない

わたしは小さい時からずっとそう思って立っていた

posted: mitsubako: on 08:12AM

2006年10月10日

「澪の蓮 2006」

谷中工芸展の蓮のポスターから蓮つづきで「澪の蓮 2006」を。
カヤグムの通信と一緒に「澪の蓮 2006」のチラシがきょんみさんから届いた。きょんみさんいつもありがとうございます!
「澪の蓮 2006」は林英哲が太鼓の組曲として舞台化したものだそうだ。
朝鮮の白磁、高尚な白といえば、すぐに柳宗悦を思い浮かべる。が、その宗悦に朝鮮芸術を伝え続けた浅川巧の存在は、歴史上おもてだって現れることはなかったという。林業技師で、植民地時代の朝鮮半島にわたり、現在のソウル郊外にある朝鮮総督府農商工部山林課 林業試験所に配属された。植林という職に従事し、人や自然、民間工芸を愛し柳宗悦と共に朝鮮民族博物館設立の陰の力となった人だという。40歳という若さで急性肺炎により死去。朝鮮の土となった日本人だ。

「僕はいつでも、至る所で山野や木や草や虫を友として終わりたい」

*「澪の蓮 2006」の詳しい情報はこちらから

posted: mitsubako: on 08:16AM

2006年10月09日

谷中M類栖/1f

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谷中工芸展2006が今週末から10月23日まで開催されます。谷中の街が展示スペースと化し、点在する場所から場所をマップで辿っていくうち、街にも触れ、作品も見ることができるという楽しい企画です。初期のころ、おもしろい企画と思って散策がてら1日巡った記憶があります。もうそれが、今年で14回ということ、そして今年は友人のm-louisさんの実家が展示会場のひとつとして参加します。谷中M類栖/1f 丸井金猊リソースver1.0と題して、m-louisさんの亡くなられたお爺さまの個展を開催されます。
以前、三鷹に立派な丸井邸があり、時間をかけて一部のパーツを移されて、この谷中に新しい邸宅を築かれました。その建築過程や丸井金猊の作品は、折々、見せていただいたり、ブログでまとめられています。
日々の詳細の積み重ね、そして、ていねいに着々と編集をされた個人史、いや家族史といったらいいのでしょうか。現代のツールを巧みに利用して整理をされているのには脱帽です。
わたしもぽつりぽつりと祖父の写真の整理をしてはいますが、なかなか満州の話しも書くことができず、話しが聞ける伯父も、もう80を過ぎているとのことで、もしかすると断片的な母の記憶のみからしか書けるものはないままになってしまうかもしれません。

丸井金猊の作品はもちろんのことととして、しかしその影で、ある眼差しと幻想をもってこの展示自体を作品化しているm-louisさんの手法(?)を見てこようと思っています。
ご案内状をありがとう。豆粒のわたしがこんな形で参加できて嬉しいです。

*m-louisさんのブログはこちらから。
*谷中工芸展2006はこちらをご覧ください。

posted: mitsubako: on 07:58AM | comments (2)

2006年10月06日

西日に向いて

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羊歯は湿った木陰だけを好むのかと思っていたら、意外にそうでもなかったりする。午後の西日に向いて伸びやかに空を指している。
わたしは葉の裏側に陽光が通りぬけた緑が好きだ。

posted: mitsubako: on 07:31AM

2006年10月05日

橙色のコスモス

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橙色のコスモス畑を通ったら、きっといるとはわかっていても、ほんとにいるとやっぱり笑顔になる。
花の少ない夏の時期を過ぎて、やっと蜜にありつける短い季節がやってきた!

posted: mitsubako: on 07:20AM

2006年10月04日

丘の畑

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小高い丘の上の畑は花盛りだった。原色のケイトウやひまわりが空に向かって咲いていて、クレヨン畑の鮮やかさだった。

posted: mitsubako: on 07:13AM | comments (2)

2006年10月02日

ことりへ

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夏のおわりごろ、『草木祭』を持って散歩に出ることが多かった。この本と一緒だと、草木の声が聞こえてきて、いつもは見えなかった情景が見えてくるような気がするから。
たとえば、ひまわり。枯れた花につけた種子はからからと風にむかって最後のひとこと、「ことりへ」。

posted: mitsubako: on 06:45AM