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2006年09月29日
季節はずれ
凛とした空気に、不純の粒子が運ばれはじめると、眠っていた生きものたちが、むずむずとうごめき出す。
ゆるみかけた冬と、かけだしの春の日だまりにあの子は重たい白いムートンを着込んでいた。
三月のころ。
空にはすじ雲、夕焼けいろの風が吹いていて、あの子の半袖から体温を奪っていく。ふわっとひろがる、白いコットンのスカートを両手できゅっとつかんでる。
そして十月。
そのときの光と風にぴったりするものが、あるはずだけど、少しだけ、それにはずれてあの子は感じる。
季節はずれにはっとしていることがある。
posted: mitsubako: on 07:22AM
2006年09月28日
空白のあと
これからまた本が読めるんだろうか しばらく、こんな心持ちが続いていた。
空白のあとをとりもつかのように開いた本に偶然こう書いてある。
「この一冊の詩集を読んだなら誰でもが、詩についての共感を持つだらう。今迄に他の詩人の詩を愛してゐた人は、もう他の詩へ移って行くのがいやになるだらう。……」
まだ読める時間があるのに、わざわざ一章づつ読んだり。
繰り返し同じ章を読んで、できるだけ最後のページをめくるまでの時間をじらして。
読み終えても、余韻にひたっていたいから、その本をかかえて散歩に出た。
いつまでも、他の活字を読む気になれなくて、しばらくそんな自分をほっておくことにした。
空白から幾日も過ぎて、手がのびて開いた本のそこここに、これまで触れたテキストの印象が映っている。
posted: mitsubako: on 07:21AM
2006年09月27日
詩というのかさえも
「記号説/う・む」のライブで松井茂さんがこう話した。
ぼくは詩人であるにもかかわらず、北園と新國の出会いは美術や音といった別の表現者を介してだった。
高橋悠治さんはこう話した。
若い時から北園の詩を読んでいたんです。
わたしは『白の断片』という詩集を手にして見たときから。
高橋悠治さんがキーボードを軽くタッチする指をずっと見ていた。
細くて白くてすっとした指先は、繭から細い糸をひきだす女性の指を連想させる。
糸一本を風になびかせて、あつい雲の層から湿度をたて糸、よこ糸に織る
くりかえし くりかえし 織って やがて リズムがうまれる
そうして空に染まる秋あかねの布がふんわり宙にひるがえっている
ことばにならないイメージの連鎖がときどき起こります、それは詩というのかさえもわかりません。
posted: mitsubako: on 07:19AM
2006年09月26日
秋のたんぽぽ
たんぽぽは春と思うけれど、今年も秋のたんぽぽがすぐそばの空き地で咲き始めた。朝晩の気温差が出てくる秋のたんぽぽは、ひときは濃い黄色になる。
秋の気配とともに、またあそこのたんぽぽが咲くなぁと思うわたしの感覚がめばえたのは、この2、3年のこと。秋に咲くと霜の降りる日まで長く花がつづいて、初冬には凍る花を見ることができる。花のまま止まってしまい、翌年の小春日和に種になるものだってある。
たんぽぽは異常気象にあわせて、どんどん生き方を変えている。このたんぽぽの変化を知らせてくれたのも愛すべきみつばちたちなのだった。
posted: mitsubako: on 07:18AM
2006年09月22日
秋に変わる体

蒸し返すような湿度の夏が終わった。
夏というよりは、約4ヵ月近い梅雨の連続で隆起する雲の層ばかりが記憶に焼きついている。わたしは空しか見ていなかったのだろうか。
秋雨はうなされた夏の夢遊からゆっくりとわたし全体を冷ましていく。鈍った脳や神経に目覚めの響きが奏でられる。ちょうど今は、引き合いの時刻で眠気と目覚めの境目あたりに、体を起こしてのびをしている。
血液が循環しだしたらわたしの体は「わたし」の存在を自覚する。
posted: mitsubako: on 19:53PM
2006年09月21日
肌で感じる風

先週の金曜日、夕方は涼しい風だった。その前日から、急の仕事が舞い込んでめずらしく自宅で明け方までやって、そのまま仕事先に出た。眠らないと心身共に中に浮いた気分で翌日を過ごすことになるから、めったにそんなことはしたくない。翌日も持ち越しの仕事で午後一までにあげなければならず、それなりに四苦八苦の2日間だった。そうしてすべて終えた金曜日、「今日はこれで閉店」と隣席の青年に言って、7時過ぎには仕事先を出てしまった。
一仕事終えた安堵感と少し秋めいた外が心地よくなって、はおっていた長袖のカーディガンを脱いで、半袖で風にあたった。いつもなら、並木の手前で地下鉄の通路を歩くのに、今日はできるだけ風と空気を吸っていたい、だから地上の歩道を歩いて行った。都会なのに鈴虫の大音響。どこに鳴ける場所があるのかと思うけど、この日ばかりは近くを走る車の往来よりも勝っていた。
少しひんやりするぐらいの風を素肌でうけているのが好きだ。こうして、なにもかもの疲れを風にぬぐっていってもらいたい。
*イメージは別の日の夕暮です。
posted: mitsubako: on 19:50PM
2006年09月20日
ハンノキのコンサート

まだまだ蒸し暑さの残る日曜日、台峯ウォークで知りあった市川節子さんのおさそいで、はじめて「ハンノキのコンサート」へ出かけた。
ひとつは、CONSERVACIO PATAGONICA=コンセルパシオン パタゴニカ。パタゴニアのある地域を国立公園として保護化していく運動に参加をしたパタゴニア社の赤星昭彦さんの話しを聞きたかったからだ。この保護活動地域はもともと、広大な羊毛産業のために開拓された牧草地帯だった。一時期、羊毛はこの地域の一大産業であったけれど、現在では需要もめっきり減り羊毛の価値も下がり、牧場閉鎖に追い込まれ放置に近い状態となっている。当時、放牧用に張り巡らされた有刺鉄線はのべ800kmにも及び、もはや不要となったこの鉄線には、生息動物がひっかかり命を落としてしまうことも多いという。赤星さんは、各国のボランティアメンバーに加わり、この有刺鉄線の除去作業を行って来た。将来的には、牧草地帯を本来のパタゴニアの生態系に戻していくことが大きな目的となっている。
このボランティア活動に参加中は、地元のガウチョのコミュニティに寝泊まりをしたという。興味深かったのは、ガウチョたちは複数の家族で共同の暮らしをしていて、食事は地域内にある食堂に行って全員でするという話しだった。
アイセン地域は現在ダム計画がもちあがっていて、これにより多くの雇用が約束されるという。しかし、一時的なこの計画が本当にこの地域の未来を生きたものにするのかどうかは、大きく政治的にも二分されるという。どこかで聞いたような話しだ。
大なり小なり、わたしたちは、何か行動をおこす際に、環境とのかねあいを黙視できない時代になった。
資源、物資は必要ではあるものの多くを望まない、そこそこの加減に落としていかなければとつくづく思う。遠く地球の反対側のことだけではない、わたしが生きていること自体が世界の環境に関わる影響は良いも悪いも含めてそれなりだ。より良くしていくためには小さすぎる存在であるし、悪影響を残していくにはやっかいな存在だったりする。そんな自分に気づかされる1日だった。
講演のあとは、荒井靖水さんと荒井美帆さんの薩摩琵琶、二十五絃筝のアンサンブルを初めて聴いた。武智由香さん作曲の『糸の道』はとても美しく、沖縄のあけずば織を思いおこすような繊細さだった。今週末に行く高橋悠治さんのライブとも関係の深い方なので繋がり続きのイベントに楽しみがふくらんだ。
市川節子さん、これからも台峯の活動どうぞがんばってください。優しい人柄が心に残るすてきな方だなと思います。
*市川さんが主宰するフレンズ・オブ・カマクラ・台峯についてはこちらに書きました。
posted: mitsubako: on 07:44AM
2006年09月19日
湯浅八郎記念館へ

本当にしなければならないのは実は掃除。だけど休日ともなるとすぐにどこかへ出かけたくなってしまう。この後きっと……。
久しぶりに国際基督教大学内(ICU)にある湯浅八郎記念館へ行った。ICUは高校生ぐらいのころからよく遊びに行ったキャンパスだ。知人の宣教師のベビーシッターで夏休みは泊まりがけで行っていたので、近くの野川公園とか、ICUキャンパスとかは入り浸りだった。桜の頃もこのキャンパスは美しくチャペルまでの直線の並木はピンクのトンネルになる。昔は友だちと何度か花見にもいったっけなぁ。そんな懐かしいところへ足を運んだのは、今、開催されている寄裂(よせぎれ)展をのぞいてみたくなったからだ。
なんどもなんども縫い合わせつくろった跡、思いがけない余り布で組み合わされたパッチワーク。そこには人の暮らしや、誰かを思った時間が凝縮されている。
湯浅八郎はICUの初代学長で各地の民芸品の収集家でもあった。ユニークなのは、「そばの猪口」のコレクション。常設で資料室のガラスだなにずらりと並ぶ。絵付けだけでも見ていると楽しくなる。
帰りはゆっくり木々の中を散策しながら、あちらこちらから聞こえてくる学校の声を耳にしてなんだか学生気分にひたったのだった。
posted: mitsubako: on 07:41AM | comments (2)
2006年09月13日
記号説/う・む
水牛通信のサイトを時々読んでいる。
つい最近、『記号説/う・む』高橋悠治による北園克衛と足立智美による新國誠一がCD化されたので詩を聞いた。これに関連して秋分の日に渋谷のUPLINK FACTORYでライブイベントがあるのでわたしはそれに行くのを心待ちにしている。
北園のplastic poemは写真がおもしろくなってきて、眺めたり、Webで公開されているテキストで好きなものを読んだりしている。
読んで感化を受けた感情の流れを、写真に撮ってみようとどこかへ出かけてみる。室内で構成してみることもある。なぜ、そんなことをしてみたくなるのかは自分にもまったくわからない。でも、そうやってみたくなる。
posted: mitsubako: on 07:45AM
2006年09月12日
あかね便り

先週末金曜日、めずらしく仕事の後に友人と会った。友人に疲れは見えたけれど次の夢に向かって元気になろうとしている姿があって嬉しかった。ほんのちょっとでもいい、乾いた地面に水滴が空から落ちてきて、小さなうるおいからたくましく若い緑を伸ばしていってくれたらと応援したい。その夜、遠野のあかねちゃんの話しをして帰ったら、偶然だなぁ、あかねちゃんから太陽や林がいっぱいに描かれた封筒が届いた。開いてみると、手紙にみつばちの絵を描いて送ってくれた。あかねちゃんにどんなお返事を書こうかな…それを考えている時間はとても楽しい。
遠野はきっともう秋がはじまっていて、もう少しすると蜂蜜の収穫をするころか。あかねちゃんに案内してもらった林の中の日本みつばちは、熊やスズメバチにやられず元気で生きているんだろうか。
運ばれた小さな心に、きゅんと遠野の草木のかおりが恋しくなった。
今週は次からつぎへと届くものがあって嬉しい。日曜日、最新号の Arne 17号が届いた。みんなの笑顔がいっぱいの楽しい号だよ♥
そして遠くはポルトガルからすてきなお便りが……。
posted: mitsubako: on 07:44AM
2006年09月11日
草木の跡を

先週の土曜日は、いくらか高い秋の空になって来たので、少し遠方の図書館に出かけることにした。小田急線の渋沢駅を降りて秦野市立図書館へ向かった。伊勢原あたりから山並みと雲が、ずっと車窓について来て、この予想外の風景にちょっとした旅情が嬉しくなった。
図書館の資料室で数冊の本を手にしたわたしは、山と雲が一番よく見える席に腰かけた。それが少しだけさまたげになって、気持ちは高まっているはずなのに、本にすっかりと没頭できなかった。もくじを開き、序を読むごとに「あぁー」とことばにはならない感情が沸き上がってきては、視線はすぐに山の稜線と空模様に向いてしまう。活字を追えない空白時間は2分、3分、いや5分だったか、こんな繰り返しをしていた。こうしてどこかで自分の気持ちをせき止めながら時間をすごしてから、数ページのコピーをして図書館を出た。たったこれだけのことだったけれど魂をふきかえすほどの溢れるばかりの緑が、心のそこここに浸透してわたしはあまりに新鮮だった。そして心のなかに「ありがとう」がきらきらと反射していた。
渋沢駅から反対に渡って、わたしは秦野の駅までを散策してみることにした。駅から15分もすると、あたりは閑散とした住宅地、一軒一軒は広いものの新築の住宅が多いのに驚いた。小田急線の線路からは3本ぐらい山側の道路を選んで歩き始めたら、やがて草原や田畑が出て来てほっとする。そうしてだんだんに長閑な田舎の村落のような道になった。
道祖神があちらこちらに残されている。真昼の日光を浴びながら静かに農作業をする老人の姿。とびかうトンボの群れ。ひまわりの種をついばむ小鳥たち。黒くて白い斑入りの大きな蝶がふんわり花の蜜を吸いに来た。いいところだなぁ。ふり返ると山には霞がかかって、深い深い藍の線が重なっている。古い空き家に竹藪が茂っている。隙間から覗いてみると、その昔、作業に使われた梯子や農具が錆びて納屋にかけられている。ひんやりしたあちら側の時間がゆっくりと刻まれている。ブンとスズメバチが通り過ぎる。
それから、関東大震災の時、渋沢丘陵の一部が崩れて谷をせき止めてできたという震生湖まで丘を登って行ってみた。わぁ、丘のてっぺんは草や田畑に囲まれていて、丹沢の山々が見渡せる。わたしは夕暮れをそこで眺めてから、ゆっくり秦野の駅へと向かった。駅へ着いたのはもう午後6時をとっくに過ぎていた。そして秦野は「ハダノ」とタに濁点をつけて発音することを初めて知った。
一日の終わりに、この日を感謝したいと自然に思える日は、一体何日ぐらいあるだろうか。静かに羊歯を眺めて、文章に出会って、いい空気をいっぱいに吸って、歩けたら、わたしはこんな日が一番大好きで、暮れゆく空に「今日をありがとう」とつぶやいていたい。
posted: mitsubako: on 07:30AM | comments (2)
2006年09月10日
フレンズ・オブ・カマクラ・台峯

めずらしく、読んでいない本はたくさんあるのに、次に読みたいものがなんだかわからなくて本箱の前にぺたんと座ってしまうことがある。宇井純さんの『住民を結ぶ旅』をぱらぱらめくっていた。
「高度成長のもたらした精神的荒廃の一つは、私たちが自分の生活の存続を信じて疑わず、生存の基盤がくずれかかっても常にどこかの権威にたよって生きてゆけるのではないかと信じこんだ点にある。
地域住民の生活を、外から呼びこんだ大資本にたよって豊かにできるという図式も、外からの権威を呼んでそれにたよって運動が展開するという希望も、この点ではひとしく虚妄であり、幻想にすぎない。住民がその住んでいる地域で経済的にも精神的にも自立することの大切さを正面に押出した政治的な討論が、今こそ必要だろう。」
この序を読んだ翌日、2年前の秋、「フレンズ・オブ・カマクラ・台峯」の方々と鎌倉の台峯緑地を歩いた時の主催のおひとり、市川節子さんから郵便が届いた。
ハンノキのコンサートのお誘いだった。テーマは「自然に学ぶ」。パタゴニアでの自然保護活動のトークと薩摩琵琶の演奏会の二部構成で北鎌倉の円覚寺塔頭、白雲庵で催される。企業協賛はあるものの、市民運動でこの総面積約28haに値する緑地を開発事業から守りぬいて緑地保存が約束された土地だ。わたしは、久しぶりにコンサートへ行って市川さんにお会いしたり、お話を聞きたいと思っている。
*第7回ハンノキのコンサート
2006年9月17日(日)13:30開演
場所 北鎌倉 円覚寺塔頭 白雲庵 詳細やお問い合せはこちらから
以前の記録をつづくに転記しました。
posted: mitsubako: on 07:39AM
2006年09月06日
Blossom Time
白いフィルムの中に波止場がうすぼんやりと見えかくれする。ふりそそぐ太陽の光、あまりに光が白すぎて波は見えてこないけど、潮のかおりにのって汀の音が聴こえてきたり、消えていったりする。
このイメージに音楽をつけるとしたらBlossom Time。
*CD セレクトはFabio。Loren Connors & David Grubbs“Arborvitae”Hapnaから届いた曲を聴いてみた。
posted: mitsubako: on 07:28AM
2006年09月05日
針

みつばちが針を刺すときは自らの命をも断ってしまう。だから、そうすることは最後の手段になる
糸を針にとおし、連続して布に刺す指の運び
指を押す力は意外に強く、指貫なしでは皮膚に押し痕を残してしまう
繰り返すうちに指の感覚がなくなって、ついついぷすりと布をつき抜き、指の肉に刺さる
木綿生地に薄っすら、血痕がにじむ
季刊『銀花』にポシャギの絵本のことが載るときょんみさんからお知らせいただいて、ようやく手にしました。韓国に風呂敷のような布ポシャギがあるというのを知ったのは、その昔、きょんみさんがお話くださったのがきっかけでした。きょんみさんはポール・クレーのはがきのコレクションをしているとも伺い、クレーの色彩の組合せと、韓国の伝統工芸でパッチワークのような布と布を組み合わせたチョガッポに感じることを話してくださいました。
母の手仕事をモチーフにした『銀花』のページをめくるごとに、不思議とわたしはみつばちの針のことを考えました。それから、次にただの趣味としてある時に刺繍を楽しんでいた母の作品が思い浮かびました。そして、最後に壁にかかることばの刺繍絵を見ていました。
ペンを持つことがすくなかった女性たちは針を持ってそこに空想を抱き、喜びや哀しみの生活詩を描いていったのかもしれません。
*写真は祖父が安東基督教育嬰堂(康徳九年仲春)から贈呈いただいたもの。刺繍は
『これらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。
の一部。
posted: mitsubako: on 07:23AM
2006年09月04日
空いろのたまご II
すこしだけこのたまごのこと。
イースターエッグの色づけしたたまごみたいですね。これが、にわとりが産むたまごの色だというから不思議です。『満州走馬燈 きよしのメモリーマップ』のなかにトルコ石の卵という章があってコルリが産む卵が青いとか。それを思い浮かべながらこのたまごのことを見ていました。
みつばちの観察に養蜂園に通うようになってしばらくしてから見つけたたまごです。南米原産のアローカナの原種が産む卵だそうです。でも、遠く地球の反対側に住むチリの友だちにこの原種のことを聞いてみたら、おそらくは輸出用のにわとり種ではないかと言われました。もし、パタゴニアの先住民のことを知りたいならMapuche族のことを調べるといいと教えてくれましたし、すぐには関連する詩が見あたらないけれどパブロ・ネルーダの詩を探すといいとも言われました。
眺めていたい微妙な色のたまごです。みんなにプレゼントしたくなるような不思議なたまごです。でも中身は普通のたまごと同じです。
空いろのたまごにコメントを送ってくださった千洋ちゃん、tomorowさん、masaさんありがとう!
posted: mitsubako: on 07:00AM
2006年09月01日
空いろのたまご

posted: mitsubako: on 07:17AM | comments (3)