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2006年08月29日

空と土

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2006年08月28日

草の中

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2006年08月24日

edからの写真

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カナダに住むedからプリントが届いた。カナダの雲に、この夏撮りためた雲のテクスチャーを背景にそえた。

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インディゴの烏の羽根

ブルーシリーズと題してデジカメで再現する青写真もどきを時々投稿している。
烏の羽根を道で拾った日、持ち帰って曇りガラスに貼り付けて撮影をした。
「烏の忘れもの」

eleggenehiというアメリカに住むアーティストはハート型で何かを造って、空とか、草とかそんなものばかりを写している。それがどこか、そらさびしくって、やさしくって、気持ちがいいなぁと思うところがあって時々彼の写真を見ていた。

この間、わたしの烏の羽根にこんなコメントをくれた。
all you do is beautiful and strong-there's a peacefullness to it-the native americans belive when you find a feather it is left there to show your on the right path..:)

ありがとう。すごく嬉しかった♥

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2006年08月23日

猛暑と向き合う

仕事へ出る前に朝のニュースを見ていた。一大事件などはもうほぼ終わっていて、都会のセミ特集が流れていた。渋谷の街の夜のこと。街路樹が植わる土からはい出した幼虫は、昼間の熱もまだ冷めやらぬアスファルトの上を歩く。見つけた羽化先は自転車のタイヤ。タイヤの凹凸部分に足をひっかけ、ネオンきらめく宵の中、いよいよ殻をやぶる時がやってくる。どんな環境でも虫の繁殖はこうして繰り返される。
その晩、仕事帰りの道を歩いていた。ひどく靄のかかった蒸し暑い夜、何かが起きそうな予兆を感じながら樹木の多い細道にさしかかった。騒々しい虫の音、そう、声とはとても表現できない機械仕掛けのようで、その場所だけ盛り上がっている。生まれて初めて聞くようなこの大音響のノイズに、今朝方、テレビで見たセミの生命力を今度は体感した。人間も沸き返ろうよ。もっと精気を出してさ、って励まされている気がしてきた。

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2006年08月22日

ありがとう。

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4つ葉のクローバーをありがとう。
遠野のあかねちゃんからお手紙が届いた。ぴかぴか光るボールペンで漢字がたくさん並んだ住所だね。

岩手の子どもたちの夏休みはもう終わった。全校生徒69人だったけ?車の中で足し算したね。
あの道を通って、あの空の下、ちょっと道草する元気な赤いランドセルが見えてくる。

あかねちゃん、ありがとう。大事にします。

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2006年08月21日

「百枚の手紙」

今日のタイトルは『杏っ子』の中から。
『蜜のあはれ』『火の魚』『女ひと』そして、一気に『杏っ子』のあと残り数十ページを読もうとしている。同じ作家の作品を続けて4冊読むのも初めてのことかもしれない。

杏子の女友だちが書き続けたものを犀星にだけ読んでもらいたいと手帖を差し出した。
「誰か一人だけに見せたいんです。ただの一人の人、」
この手帖には、自分にあてて百枚も綴った記録を或る人から渡され4、5枚の返事では済まないような気がして、一生返事の書けない手紙に対することがらが書かれたものだった。「白状の詩業」「美しい人」と話しはつづく。

「恋愛」杏子は結婚をする。その前に何度も見合いをするのだが、父と娘はこんな会話をかわす。森鴎外にしても徳田秋聲でも、菊池寛だって、娘たちは大してえらくない人と結婚をさせた。えらい人には癖があって厭なものだから平凡がいいと犀星は言う。
「えらくなれなかつたらお金が取れないじゃないの。」
「それなんだ、其処で何時も問題は行詰まるんだが、食べられるだけ取ればその中で遣り繰りをして、愉しいものを最少限度にすくひ上げるんだね、卵五つを買ひ菊一本を買ひ蜜柑七つを買ひ古本で文庫を一冊買ひ、……」
「また始まったわね、千圓を一萬圓に使えと仰有るんでせう。」
「さうだよ、我々貧乏人は千圓をこなごなに碎いて、そのかけらで、想像も出来ない生活の設計が出来上がるんだ、林檎や夏蜜柑は二十五圓出せば買へるんだ、驚くじゃないか、あんな立派な奴を二個も買へば二日間はある、印度林檎を一箱買ふ奴はその美しさも、詩情も喜び持てない、夏蜜柑一つだって座敷の真中に置いて見たまへ、いかなるものも壓倒されるし、よく考へると此の小さい奴の威張らない美しさに負けてしまふ。」

犀星はこれを読み終えたらしばらくはお休みにしようと思う。次に手にしたい本が手元にあって、もうわくわくとしていて、読めもしないはずなのに二冊の本をかかえて移動している。

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2006年08月16日

島ノ唄

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ワッタリ ヨウヤ サネクム ヨヤァム
クァナシ マガミル ワッタリヤ サネクム ヨヤァム

奄美大島の里英吉さんが喉から唄うこの声は何かの生き写しのように高潮してくる。
映像、音どこか荒削りなこのフィルムの中に吉増剛造という淡く儚い詩人の魂が遊歩する。
『どこにもない
 ところからの
     手紙』 ジョナス・メカス を好きであれば、そこから連鎖して見てみたくなるフィルムだ。少なくともわたしはそうだった。先週末、雷雨の激しい通過の後、レイトショウのポレポレ東中野へ出かけた。1998年のあれは秋だったか、Alain Jouffroyさんとのイベント後、「お土産詩」を来訪者に送ってくれると吉増さんがおっしゃって、数週間後、美しい原稿用紙がポストに届いた。
「僕の死後の白いはな」という詩で奄美の帰りの飛行機で書いたとしるされていた。20年もの間、奄美や沖縄を巡りつづけてきたというから「お土産詩」もその間に生み出されたものなのだったかと、月日の経過や場にまつわる魂の出会いを覚える。
わたしは、この詩人の描き出す文字のかたちが好きだ。体で音を聞き、体でことがらを見、体で文字を打つ。まるで、いのちと引きかえにするかのように肉体から生み出されることばはもはや意味をもたず魂だけが宿る。わたしはそんなことを再認識した晩だった。鋭い魂、嗅覚、聴覚、詩(死いや視)覚の蘇生に刺されたな…と感じた。

*「島ノ唄」はポレポレ東中野で、モーニングとレイトショウの2本上映中です。毎週末の夜にはライブトークイベントがあって、9/1(金)は松浦弥太郎さんだそうです。

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2006年08月15日

気化

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アイスクリームを買った時、一緒に入っていたドライアイスを取りだして見ていたら、その流れる気体に目を奪われた。白い気体はもくもくと周りの空気の中を漂い、もりあがった山々が、そのうち「きのこ雲」に見えてきた。もしこれが、核だったなら…、地表の温度が奪われて、灰色の氷層へと化していく青いわたしたちの地球。

白い固体はやがて跡形もなく消えていった。地上にある戦いのすべてが、こんな風に気化してどこかへ行ってしまえばいい。そうして、何もなかったかのように静かな、平穏な日々の生活をひとりひとりが送ることができたなら…と心から祈りたい。

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2006年08月14日

鬼灯(ほおずき)

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「お盆」とは幼少の頃から無縁に等しかったわたしは、この時期がくると街の花屋の店先にならぶ仏壇用の花とか、精霊馬、蝋燭などを見かけると、ちょっぴり陰気くさいなと感じていた。たった一度だけ、四国の小さな小さな島で父方の祖母のおそらく新盆に、長い時間船に乗って連れて行かされたことがある。その島はまだ当時土葬で、暗い早朝からたたき起こされ、提灯を手に墓場へ歩いて行ったり、浜辺で土葬の故人の霊を祀る儀式があったような記憶がある。まだ幼稚園児だったわたしには、それは暗い真夏の怖くて眠い思い出でしかなかった。でも、不思議と提灯の明かりに白く浮かび上がる浴衣姿の人々だけは、心の中で他のなにかのイメージとごちゃまぜの残像となって、いまだに美しささえ覚える。
宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』の話しに出てくるからすうりの灯りをわたしは長いこと、鬼灯だと思っていた。自分がお盆のころに見たあの朱の強烈な灯りが、そっくりからすうりとすり替わっていたのだ。
亡き人の魂を馬のような速さで迎え、今度はゆっくりと牛のような遅さで見送る。精霊が闇夜で提灯をともせるようにと鬼灯を飾る。
こんなことを考えていた時、一枚の鮮明な絵はがきが手元に届いた。

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2006年08月11日

へびいちご

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暗い森の中に妖艶に、強く目をひく赤いいちご。チャーミングな尖りで、ちょっぴり毒気のある魅惑と神秘に満ちている。朝露で濡れた赤い実はひときわ艶めかしかったから近づいて見みれば、もうとっくに先客の来訪をうけていて、この小さな客の細い手足はまるで、むさぼるように果汁を吸って、高潮した血管が浮いている。

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2006年08月10日

青いアジサイ

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鮮明な青いアジサイがあるだけで夏の山の色になる。そこだけ茂みのようになって、草木が寄せ集まっている。野性の草木の組合せ、色彩に、いつも驚きがある。原点とは実に未分化な組合せだと。

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2006年08月09日

糸としずく

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丹念に丹念に、網をはりめぐらした糸が霧より白く輝いている。露のいたずらに濡れることが、よほど常なのか、丈夫で厚い、いく層にも重なった和紙のように明かりを通す。
真下から空の方を覗くと、その先には見えないはずの霧のほか目に見えるものはない。糸の油にはじかれて細かい霧の粒子がつたって流れ落ちていった。

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2006年08月08日

白いアジサイ

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庭先で見かける立派な西洋紫陽花からすれば、小ぶりな山のアジサイ。
花だけ接近して見ていれば地味で控えめだけれど、野山に自生している分にはこのぐらいがいい。派手すぎもなくかといって、周囲の草花にまぎれてしまうほどおとなしいわけでもない。そこに在ることがちっとも邪魔にはならない程度に主張しつつ調和している。
質素で清楚なこの白いアジサイも、露に濡れてしとやかさを重ね、山の昆虫たちを魅了している。

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2006年08月07日

森林の息吹

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白い霧は天上から静かに降りてくる。
深いところ、浅いところ、ちょっとやそっと複雑な森林のすきまだろうが、忍び入り雫の痕跡を置いて白は消えていく。
あそこの方がもっと先が見えなくて白いからと追ったつもりが、あたりには白い野ばらが咲いていて、濡れた草花には生気がやどり、光も射していないのにぽっかりと明るい。
森林の深いため息か、深呼吸、だから空気中の水分は北の夏のやさしい成分がいっぱいで、身体を包みこんでいく。この土地の包容に身をゆだね、いっぱいに手をひろげ、転々とすれば、いつのまにか潤いが浸透してきて、冷んやりと幻想から呼び起こされる。

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2006年08月03日

The Architect's Brother

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空飛ぶ練習。スーツ姿の男が鳥かごを手に、両腕から糸で数羽の鳥にひかれるシーンを目にしている人はとても多いだろう。
ちょっとシュールで、詩的だけどよくよく見てると自然界のメッセージを伝えている。Robert ParkeHarrison。わたしは今この人の作品にとてもひかれる。
人間て素敵だなとも思えるし、なんて愚か者なんだと笑えたりするセンスがそこには潜んでいるように思うから。真剣すぎず、滑稽すぎずだけどはっとする何かがあるんだ。
*作品は一部このサイトで見ることができます。

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2006年08月02日

玉蟲

ふたたび、室生犀星の本を読んでの感想。
火の魚を読んだ後は随筆女ひとを今読んでいる。これはこれで、また夢中になって読める部分が多々あるのだが、火の魚の中に玉蟲という章がある。
あはれということばの奥にちらつくはかり知れない人のゆらぎ。

「あはれといふ程のことはないが、いじらしいものが溢れてゐないこともない。
詩を書くことを知らない人間は平常の生活の中でふと思ひついて詩の中にはいりこんでゐるものだ。どんな人間も何時も詩とか小説を知らずに書いてゐて、しかもそれらに羞かしさうに謙虚に行うてゐるものに思われた。日は晴れ亘り、その日の色にすかして眺める玉蟲のかがやきが……」

わたしも知らずに描いているんだろうか…そうでありたいと切に願うのは一体なぜだろう。

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2006年08月01日

岡崎乾二郎展

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たった2日たらずの遠野の旅は、わたしの体の中が今一番欲しいと思っていたもので包んでくれた時間だった。深い霧の中に佇む時間と草のかおりは記憶の奥深いところにあるなにかを引き出してくれたように思う。
それから数日後、ゆーじん画廊からDMが届いた。ゆーじん画廊のDMはいつもテキストが添えられていて、誰の個展の案内であってもなんとなくテキストを読んでいる。はがきの作品を目にした時、もうすぐに岡崎さんだとわかった。

「家から出れば名を捨てて、ただ青き野にのまれる。木の葉のさやぎ、草原の眩さ。八月など二度三度、夕立がきて途端、辺りはひっそりする。水のたぎち。家と家との佇まい。ぼくらの立つこの土地。ぼくらの眺めるこの山、川、草、木。ひとつひとつ、それにふさわしい気もちをもち、それぞれに、もはや心の在りかのすべてを引き裂き、与えてしまう。」

はがきの岡崎さんのテキストはこれだった。遠野の風景とか、群馬のアトリエとか、どこか知らない草原とか、いろんなイメージが湧いてきて、何かに向き合おうとするわたし、向き合いたいわたしがそこに立っているなと感じた。

個展は渋谷のゆーじん画廊です。宮益坂にある古いビルの中です。期間中にわたしも必ず行こうと思います。
2006/7/25-8/10 11:00am-7:00pm(月休廊)
東京都渋谷区渋谷2-19-15 tel:03-3400-8575

posted: mitsubako: on 07:47AM