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2006年07月11日

蜜のあはれ

ぱくきょんみさんの『いつも鳥が飛んでいる』、わたしの読書術にもう一回読んでみようと思った文人が室生犀星だったとある。彼女はその続きに「読書とは、ある作家を通して違う作家を知る経験だとつくづく思う。」と書いている。
巡り巡って、わたしも犀星の『蜜のあはれ』を読み始めたばかりだ。
犀星の描く金魚…もしかしてあの死んでいったあわじゃないかと思うほど不思議な懐かしさを抱いている。そうして、この本を読み終えたら、わたしは次にこれとこれのページをめくってみたいとすでに頭の中で線をつなげている。
きょんみさんは犀星から富岡多恵子の『随筆 女ひと』へとつないでいて彼女の筆力に感動よりも「やっつけられた」という。わたしは、自分の中にあてはめられることばが見つからなくてうろうろしていたら、そうだ、わたしは犀星の「あたいは殺されない」にちょっとやっつけられた気分がしているのかもしれないと思った。
だって、いくらみつばちが大好きでも、こんな風にあるいっぴきとの関係を昇華した描写にもっていけないものって具合にだ。ただただ、あたいのようにだだをこねてみたくなる気分だったりする。
そうしてわたしは「さかな」というモチーフに人が抱くイメージとか感触とかが気になりだしている。

posted: mitsubako at <07:40AM>

comments:

こんにちは。
mitsubakoさんの写真を見て強く印象に残っているものがいくつかあります。
しかし写真そのものよりはむしろどんな方なのかずっと関心をもっていました。

写真とそれに添えられた文章から、いつも感じるのは「自分の中に降り積もったものを形にするような表現」をされていることでした。

そういうことができる写真家は非常に稀だと思っています。

ここある記事も「謎解き」するようにちょっとずつ読んでいけるかな?と楽しみにしていますよ^^
あらためて、よろしく、です。


>「さかな」というモチーフに人が抱くイメージとか感触とかが…

これは非常に興味深いです。
なにしろ北海道の釣り師でもありますので…。
自分と魚との関係は、人間とのかかわりを示すあらゆる言葉がそのまま適用できそうな気もします。

posted: tomoro on 2006年07月11日 17:55

tomoroさん

こんにちは。
1年ずっとtomoroさんの花々を見て心の中にぽっと小さな花が咲いたような気持ちに何度なったことでしょう。いつもありがとうございます!
tomoroさんの空間にはほっとするような優しさが広がっていると思っていました。

そして「自分の中に降り積もったものを形にするような表現」ということば…そうだなぁと思えたり、そうなんだぁと思えたりの両方です。それに近いことばを最近やはりある方から聞きました。「何かいいたいことがたくさんある」ということばでした。
わたしをとりまく中に感じることがたくさんあって、ひとりでにとりとめもなく溢れでてしまうのかもしれません。

そんなに謎はありません、ただみつばちが大好きなだけです:)

「さかな」のことおもしろそうですね。
釣りのシーンの写真があったこと覚えてます。

こちらこそ、これからもよろしくです!

posted: mistubako on 2006年07月12日 00:42

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