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2006年07月05日

室生犀星

萩原朔太郎で今気になる3冊は狭い部屋の中の場所にそれぞれ置いてある。『月に吠える』はパソコンが置いてある机のすぐそばに。『青猫』は大好きなテーブルの上に。『のすたるぢあ』は枕元の近くの本の山に。きちんと置いているわけではないけれど、たとえ部屋の中であったとしても、それを見たいと思う場所がどうやらあるらしい。その理由はあんまりよくわからない。そしてある時、突然片づけがはじまる。朔太郎にこうして親しんでいて、そのすぐそばに偶然あったいろはの小冊子のことを思い出した。室生犀星の特集号を見ていたら、栃折久美子さんの金魚の魚拓の装幀本が目にとまってこれから『蜜のあはれ』を読んでみようかなと思っている。室生犀星と題しておきながら、実は金魚のことが心に浮かぶ。今のわたしなら、サイアノ色に金魚を撮ってみたい。
数年前、黒い出目金を一匹飼ったことがある。真っ黒ではないけれど、ややチョコレートがかった稚魚を買っていつでも仕事をしているパソコンから見えるところに置いていた。「ちょこ」という名前をつけた。
黒い出目金は動作がにぶくて、のんき、穏やかだと人から聞いて飼ってみたくなったのだ。その通り、突起している目のせいか、エサもさっと上手にとれる方ではないしゆらゆらおっぽを動かしてのんびり遊泳するさまをガラスの向こう側に見ていると、自由な空間とは決していえないのにあたかも自由そうに見えたりする。
「ちょこ」は不慣れな飼い方ですぐに死んでしまった。死んでしまった金魚の顔ははっきりと覚えている。それでも懲りなくて、もう一度だけ飼ってみたいと思った。今度は、できるだけ元気そうな稚魚を選んだ。黒出目金にしてはすばしっこく、前の「ちょこ」より今度の「ちょこ」の方が敏感だと思った。こんなちびな頭の中にも頭脳や性格あるんだと思った。
金魚は群れて生きるものだから、仲間がいた方が長生きするとまた人から話を聞いて、それじゃあ赤いのを一匹と口紅をつけて目をぱちぱちするような顔をしたのを選んでやった。それは「あわ」という名にした。泡のようにはかない金魚の命からそうつけた。
「ちょこ」と「あわ」は愛称がよかった。テリトリー争いもせず「あわ」は「ちょこ」の後ろについてよく泳いでいた。黒と赤のコントラストの2匹は2年半ぐらい生きた。「ちょこ」が先に死んで、そのあとすぐ「あわ」も死んていった。

今はからっぽのガラスボールがただ置いてある。

posted: mitsubako at <07:51AM>