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2006年07月04日
熊野の森の一家の話 その2
野尻さんのことばどおり、当初1箱だった巣箱は長年のうちに30箱にものぼるようになった。よっぽど野尻さんがつくる巣箱は日本みつばちにとって居心地がいいのだろうなぁ。ある日、子どもたちを連れて、採蜜に山へ入る。採蜜時になると、野尻さんは上半身裸になった。トントントンと巣箱を外側からたたき上げて中の蜂を振動で上へと誘導する。重たい巣箱をひっくり返し上に集まった蜂たちをつぶさないように外へと追い出す。野尻さんが肌を出しているのは蜂をつぶして怒らせないよう集中するためなのだという。ワバチを大事に思うということだけではなく、そこに人間と蜂の馴れ合いではない緊迫した関係がある。それはまるで儀式なんだと感じる。
刺されずに巣を取り出して、子どもたちに取れたての蜜の味見をさせる。もうそれだけでわたしは尊敬の念がわいてきて、画面の先の知らない方に熱い気持ちを送ってしまう。一匹素手にのってくる冬の蜜蜂ぐらいなら平気だけれど、群がる蜂の中に手を入れられるなんて。そんなのは本の中で見たbeekeeperの肖像写真ぐらいしかなかったから驚きはとまらない。
一升瓶にして何本も採れる薬のような蜜。野尻さんはこの蜜が相場2万円ぐらいで売れることを知っている。けれども、彼はそれを日ごろお世話になった方々へお裾分けをして、売ろうとはしない。湯の峰で、わたしはこの一升瓶に入った山ばちの蜜を2年前に実は目にしている。欲しいなとは思ったものの、高価だからということだけではなしに、それを買う気になれなかった。いや、蜜蜂や採蜜のことを考えれば、この値段は高いと一概に言えない。貨幣という価値では値がつけにくい、高価なような高価じゃないようなものだから。わたしがそれを買うことで、この土地の何かを壊しはしないだろうかという思いがよぎったから手が出せなかった。
なかばハニーハンター、なかば養蜂のようなこの森に伝わる日本蜜蜂と人間の関係は、森がなければ存続できないし、蜜蜂がいることで森が豊かになってもいく。専門とまではいかない生活の中のこうした遊びごころのある技にいったいどれだけわたしたちは教えられることがあり支えられているんだろう。
posted: mitsubako at <07:50AM>