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2006年07月03日
熊野の森の一家の話 その1
この間、久しぶりにテレビの番組をわくわくしながら待ちわびて見た。ETV特集「大森林の小さな家〜熊野・野尻さん一家の十年」の再放送だった。
新聞に蜂蜜採取のことが載っていたので、たとえそれが一部分であったとしても、とても見ておきたいと思ったのだ。
熊野は伝統養蜂が残されている地域、2年前の夏、この地方を旅したときに、蜂箱を横目で見かけながらも車で素通り、降り立って見ることはしなかった。いつか必ずまたあの鬱蒼とした森へ行って探検してみたいことがいっぱいある。白浜から湯の峰周辺にターゲットをしぼって。
オープニングで一家が暮らす畝畑の風景が出てきた。そうそう、こんな山間を走ったんだったっけ、とすぐに親しみがわいてくる。地図で調べてみると、川湯からはそれほど遠くはなさそうなので、この付近は本当に熊野を巡ったなかでもディープな地域であることはイメージできる。一家は父の代に林業景気で森林管理を預かる仕事を請け負い、父の死を機に息子の野尻皇紀さんが仕事を受け継ぐことになる。それから10年にわたる家族の日々のドキュメントだ。
野尻さんの姿勢は一環して自分が育った山の恵みに感謝をし、父親から伝えられたこと、そして自分の勘を信じて、100年、200年先の山の未来を考えた行動にある。このバランス感覚は生まれ持ったこの人の勘以外に頼れるものはない、わたしはそう感じる。
ところで日本みつばちの採蜜シーンにみとれた。丸太の幹をくりぬいた洞のような形の蜂の巣箱(ゴーラなどと呼ばれる道具)をしかける野尻さんには自信がみなぎっていて、「しかければ必ず入る」と断言できる。それは決して、自分の腕がいいということだけではなくて自然に調和した自分の感性をただ素直に認めているようにわたしには思える。
posted: mitsubako at <07:48AM>
体が記憶していて迷いのない動きができる山の民、素敵です。
先月初めコメントしたような送信できなかったような重なっていたらゴメンなさいだけど。
先月来られた方が和歌山の北大演習林のある集落は、養蜂が盛んなところで、分蜂の時期には鍋釜たたいて「うちの巣箱に入れ」と追い立てるんだって・・・。
そんなことしたら蜂は散ってしまいそうと思うけど、今日だ!という日に村人たちは鍋をたたき出すんだそうです。
posted: yama on 2006年07月04日 05:55
山間部の残された伝統養蜂は似ているようでそれぞれに違いがあるようですね。熊野地方では蜂の供養もあるようです。
感心してしまうのは、蜂と向かい合うことで人の勘が冴えるということです。わたしがお世話になっている養蜂家も勘だけだから、マニュアルを書いたところで毎年そうはならないといっていたことを思い出します。
蜂に限らず、生命あるものと向き合うとはお互いの勘を磨く相乗効果があるのかもしれないですね。
posted: mistubako on 2006年07月04日 08:53