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2006年06月29日

青い草 朝露の先

運命ということばは宗教的な力ではない決定的なものだ、ということを昔聞いた記憶がある。だから、そこには救いとはちがう絶対的な力が働くと…。それ以来、運命ということばをもし使うとすれば、何か大きな恵に生かされる思いとは区別をして意識的に書くようにしてきたと思う。手で書いたとすれば、「運命」という字だけは妙に力が入ってしまうような、それはわたしの内側でだけちょっと熱くもなるしデリカシーに触れることだったりする。
運命的な出会いといえば、ポジティブに決定されたことと受けとるだろうし、ネガティブに絶体絶命的な状況を説くにもこの運命ということばは使われたりする。

わたしはわたしが生まれ育った文化圏に、「生きる」ことを自然に対峙させる哲学がその土壌にあると思っている。最近、わたしはぼんやりしているとこの運命ということばが浮かび上がってくる。
ドラマティックに脚色された筋書きでもなく、ただ日常の青い風景の中ですっと一筋の光が心臓の中に入りこんできた。決して大げさな決断とか風に立ち向かうような波乱やゆらぎはなくて、ただ流れるままに自然にひかれていく。命をその流れにたくしていくような、優しい曖昧模糊とした空気の中へ無我に漂流することに運命ということばは、一体つかえないのだろうか。

朝靄の先、かすかに見える路
青草にひかる露に魅せられてわたしはどこでもないどこかへひかれていく

posted: mitsubako at <07:44AM>