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2006年06月26日

薄暮

萩原朔太郎の『のすたるぢや』をめくっていてふっと目に止まったのが薄暮だった。
青く暮れて行く川縁の前方にテクスチャのような青草が茂っている。
流れゆく川と止まった時間。
止まった時間とはイメージの印象ではなくて、撮影者が息をのんで止まっている撮影時間を思うからだ。この青い空気の中には人影はないけれど藪にひそむ人の気配が見えてくる。『月に吠える』の序に詩の表現について朔太郎はこう書いている。

感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させることである。

高校生のころ、現代国語の授業で朔太郎の詩を読んだ。先生が朔太郎が好きだったこともあって、ぎゅうぎゅうと押し込められるようにして聞かされたことは覚えているけれど、肝心の朔太郎については真っ白なままだった。
生まれて初めてニューヨークへ夏の旅をして、おしゃれで大人びた同世代のアメリカン・ガールズに憧れ、女学生らしい女学生を脱出しなければなんて企んでいた頃だったから。当時のわたしにはこうした詩人の描写する憂鬱とか陰影をこころで探れるほどの繊細さは育っていなかった。朔太郎は暗い…と印象づけてしまって以来なかなか進んで読む気持ちにはなれなかった。

それから何十年もたった今、サイアノの表現者としてこれほど透明感のある人がいるだろうかと共感できる。

薄暮色、黒板に大きく書かれた朔太郎という名前、先生はどうしているだろうかと郷愁の授業風景を懐かしむ自分がここにいる。

posted: mitsubako at <07:35AM>