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2006年02月06日

panal = みつばちの巣

口承で伝えられていた1回性の詩(うた)をわたしたちがわかる言語に置きかえたりすると、そこで少しづつ誤差が生まれる。金関寿夫さんが『ナヴァホの砂絵』の中でこのようなことを書かれていたのがずっと心のどこかにひっかかっていた。

わたしのblogはスペイン語のみつばちの巣というタイトルだ。スペイン語圏の友だちから"panal=はちの巣"とつけられたイメージと不思議なテキストがある時送られて来た。

from my friend:
この写真は部分、コルクの蜜蜂の巣の前のもののような、である。もはや使用されない古い蜜蜂の巣。それは金属のカーテンリングを有し、(材料椅子がすべての生命の制御を取った) とenea 縫われる。私が東の蜜蜂の巣を見たときに、私はMistubako 、私が訪問することを推薦する私の接触の1 のSeth を覚えていた:

私はSeth によって引き付けられたMistubako を知っていた: "大きい美を有することに壮大なPa Matsuo 私に彼のユートピア" は、それようである(ないプラスチックなら、大きい美) 。多くの他のように誰でもと時はイメージと伝達し合うことができること私が好む何を私が彼に言う何を私が私に言う時々、しかしAM 自分自身何を彼が言語の私に障壁を抑制するかどれ、頻繁にと連絡し。Mistubako の感謝。
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東の蜜蜂の巣は、このテキストとイメージから数週間、繰り返し考えて書いてみた。
まだ瞬間に思ったことと、そこから拾ったことばをつなぎあわせただけのテキストだ。このテキストを書いているとき、神奈川県立美術館の裏庭で見つけた乾いた真っ黒な蓮の花托を思いだした。
panalを送ってくれた友だちは自動翻訳機で、はち好きのわたしと祖父の描いた桃源郷を想って、自分のこぼれそうな気持ちを伝えようと書いてくれたものだ。伝えたい意志と伝わりたい願望がとても微笑ましかった。
意味不明の文脈が、みつばちをなかなか見ることができずに春を待ちわびるわたしの思いと重なって、むしょうに何かにしたい気持ちにかきたてられた。

伝達不能のテキストはむしろ空想をちりばめたかけらだった。

*ナヴァホの砂絵

posted: mitsubako at <07:58AM>