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2005年12月08日

道草だらけのわたしだけど…

RIMG0504.jpgいろいろ考えてしまうことが多すぎて、自分では持ちきれなくなってしまうことがタマにある。そのたんびに弱虫だなぁ〜と思う…。最終的には「わたし」なんだけれど、それがどうにも定まらなくて、何をやってるんだかわからなくなる。航海術も知らないのに海に出てしまって途方に暮れているといった感じだ。
それでも、何かを考えていたい!そんな気力がいつもおへそのあたり、いやガッツだ、ガッツのあたりにあるんだ。だから、やっぱりやってみては再考し、ダメなら壊して、またやり始めればいい。

"no object, no forcus, no image" by James Turrell

「見なれないものを、見なれたものにする。見なれたものを、見なれないものにする。Making the strange familiar Making the familiar strange」by William. J. Gordon
浮谷東次郎が15歳の時クライドラーにまたがり『がむしゃら1500キロ』の旅をした。
この旅の結びにこんなことばがある。
「旅は、おもしろい、旅は道づれとかなんとかいう。自分という人間を相手は知らないし、自分も相手の人間を知らないから、旅は道づれなのだ。まったく新しい気持ちで、いつもの何倍もの好奇心と感受性をもって、人や、景色や、いろいろのものに接する事ができるのだ。だから、ごくあたりまえの事でも、すばらしい事に感ぜられるのだ」この浮谷が体得したことを筆者がウィリアム・J・ゴードンの発見に照らしたものだ。

このふたつのことばが、時間を経て私の頭の中で今結ばれている。みつばちの木箱の前身でやっていた活動がある。その頃から「対象」というものを意識しはじめた。対象がなんであるか知りたいかったし、貪るように学んでみたかった。

"no object, no forcus, no image"
見えないものを見えるようにする、対象物のないところに光りが射すそうしたひらめきのあることばと私は一体どこで出会うのか。
道草だらけのわたしだけど…。

*『blog考』として以前に掲載したものをだいぶ削ってみました。金関寿夫、ジェームス・タレル、浮谷東次郎、ゲーリー・スナイダーが連鎖を生んで何かが見えはじめたことを、残しておきたかったからです。

posted: mitsubako at <07:29AM>