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2005年11月16日

智恵子のにひ盆

智恵子が亡くなってにひ盆をむかえても、光太郎はさっぱりお盆というような気がしなかったと書いている。年中此所にいるのだから、わざわざあらたまったことをする気がおこらないのだと。
「あの世とは何も遠いところではない。あの世とはみんなの頭のなかにいつでも存在しているし、現世といつでも交通しいるところである。」
……
「親族関係や世間一通のつき合いに一一そんなことをいってがんばる必要もないから、黙っておとなしく世間の仕来りに従っているが、自分一人の時にはすべてさういふ類の事を抹殺し盡すのである。」

智恵子の写真の前に知人から送られて来たメロン、レモンを置いたりしていたが、光太郎には智恵子の紙細工が彼女の全生活に見えもっとも智恵子を感じるものとなっていた一文がある。

「其れを見ていると智恵子の魂も肉體も智慧も欲望も、そしてかぐはしい此世の讃歌まで感じられ、又私への無言の訴をもひそかに聴くのである。實に細やかな、かくれた、口には出さぬいたはりが畫面に満ちている。私の藝術も願わくは斯ういうふやうにありたいと此を見るたびに思ふ。
智恵子の一生は最も純粋に此所にいきづいている。」

posted: mitsubako at <07:41AM>