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2005年10月17日
重たい本
『アマゾン河の博物学者』を読もうと思ってからもうかれこれ3年以上の時が過ぎてしまった。未開の地に幻の昆虫を求めて彷徨う話しは、観察記録的でもあり、美しい描写でもある。わたしは、この本の60ページあたりぐらいまでを、すでに4回読みなおしているはずだ。なのに、必ずその辺りで止まってしまう何かが起こる。
なぜだろうと思っていたけれど、それは本の重さにあるのではないかと、ふっとこの頃思う。寝ころんで読めないし、荷物が多い時には持ち歩きからは外されてしまう。そうしているうちに疎遠となって、ゆっくりと時間のある時に読もうと思う本として置き去りにされてしまうのかもしれない。でも、気になって、気になって仕方がなくて、また手にするのに…。同じことの繰り返しをしている。
数年前の夏、スイスのルツェルンという街の自然博物館でDr. H.C.Walter Linsenmaierという学者の昆虫コレクション展と偶然に出会った。いまだにそのことはよく覚えていて生前彼が使っていた机とか引き出しとか採取道具とかの展示が見事でひどく心を打たれた。昆虫を追い、その形態や生態そのものに魅了されロマンを抱く気持ちが、わたしのみつばちのことに二重写しになるからなのかもしれない。
いや、もしかするとある種のユートピアへの逃避なのかもしれない。ある人が熱中して恋い焦がれた探求心を辿って擬似体験をできる喜びが重たい本の向こうにはある。
擬態と変容はどんなに理屈があったとしても「不思議」ということにとどめておきたい想像の世界があると思う。
posted: mitsubako at <07:13AM>