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2005年05月03日

手書きのノートから 2日目

fieldnote_house.jpg快晴。近くの川で顔を洗う。川から引く水の管は1本しかないから、朝はここが洗面所だ。冷水。すっきり、さっぱり、気持ちいい。
朝食の後、奥畑さんの弟さんが徒歩20分ぐらいの山の上に住んでいるので、そこへみんなで散歩がてら出かけて行く。奥畑さんは息子の大木くんと宮古へ買い出し。
少し上へ上がるだけで見晴らしが良く、そこはちょっとヨーロッパのアルプスかどこかへ来たみたいだ。ここに奥畑正宏さんの南部桶正工房がある。木桶の職人だ。おひつとか、寿司桶とかで、どうやって木片が組み合わさって桶のあの円形になっていくかを説明してくれた。桶のサイズによって、曲面を出すための道具のサイズも違う。だから、壁いっぱいに鉋とか刃物がぶらさがっていてそれだけでも手仕事の重みが伝わってきた。細部に渡る地味な技がたくさん隠れている桶を初めて知った。気の遠くなるような手間隙をかけた日常品(=芸術品)だ。私は毎晩この方の風呂桶に浸かって疲れをぬぐっていた。

bach.jpgその後、裏山にカタクリの花が咲いていないかとか散策に出かけた。どこを見渡しても澄んだ水と若草が萌える。活動を始めた山のハチとかクマバチも見かけた。南部桶正の工房でも、ニホンミツバチ好きがいて、いつやってきても大丈夫なように巣箱とか、キンリョウヘンまで置いて、待っている。でも、この山の環境だと、山奥の方がよっぽどヤマバチには都合がいいらしい。ちっともやって来てはくれないそうだ。根比べは果たしてどちらが勝利するやら。
実際、私も都心の自宅にいる方がハチは見つけやすい。
この日は縁側で手紙やノートを書いたりする。フィールドノートの縁側は木のしなり具合とかがお尻に気持ちよく、縁側から見える山は毎日いろどりが添えられて、ぼんやりした春色が美しい。こんなところで机こそないけれど、手紙を書いたりしたくなる。
ポストは近くにはない。だから、配達に来た郵便屋さんに直接渡すか、町へ買い物へ行く時にお願いするかしか方法はない。運ばれてくる荷物とかも40分も50分もかけて車で届けられるわけだし、そう思うと送り手も受けてもその有り難さとか、そこに込める時間とかが必然的に湧いてくる。なんてステキな環境なんだ。こんなこと人生で考えたこともなかった。
夕方の光に移り変わる時刻、私は自転車に乗り込んだ。夕日の早池峰を見たかったからだ。山代さんに聞いて、車両通行止めから先の小国峠を走ることにした。走るというよりは登ることにした。
手書きのノートからの抜粋……
『…呼吸のリズムを決めて、ゆっくりゆっくり登る。もうだめだと思う時不思議と木陰の先に光が射して、もしかしたらあそこの先に早池峰の絶景があるかもしれないと思い、その気にさせられて進むと、やっぱ樹林ばかりであまり見えない。そんなことにだまされつつ、登って行く。残雪があって、木が倒れていた。冬の頃、さぞかし風が吹いたろうと思う。山の影、谷、明暗が曲がる道々に見え隠れしていた。』
奥畑さんは自然に精通している、私はここの仙人のような人だと思う。鉱石が好きで、イヌワシを観測したり山のガイドをしたり……。話かたは穏やかだけど、目はとても野生的な生き生きとした目をしていると思う。奥畑さんと山代さんと、毎晩遅くまで薪ストーブを囲んで面白い話とか、そこにちょっとエッセンスの効いた自然を見つめる話とかして、今も心に残っている。声がいまだに耳に鮮明に残っている。これは長い間に私の財産になるなと思う。今それをとり立てて、あれだこれだとは書けないけれど、きっと長い間に私の中で消化されて、自分の生き方の選択肢とか、自然観とか、ことばとか食べるとかそういうところに表出するんだと思う。
書きたいことが多すぎて、とりとめもないことで長くなった。
滞在中、本当にお世話になりました。どうもありがとう!

「林は水源に尽き、便ち一山を得たり。山に小口有り、髣髴として光有るが若し。」
桃花源記:陶淵明

posted: mitsubako at <12:24PM>

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