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2005年03月01日
近江八幡 祖母のこと
嶋内ヒサが祖母の旧姓だった。松尾則民と結婚後、夫が漢字で名をつけて、松尾比佐子となったと聞く。祖母は1904年(明治37)8月13日に生まれた。そして1957年(昭和32)5月3日大雨の降る日、知人の家で中華料理を教えていて、突然倒れ、昏睡状態で亡くなった。53歳の生涯だった。
一度も会ったことのない祖母のことを、大らかな人だったとよく人から聞く。いつもにこやかだったという。大柄な人だったとも知る。祖父が写真が趣味だったので、祖母の写真が残っている。
近江八幡に生まれ育った祖母は、ヴォーリズの日曜学校に通っていたらしい。
もしかすると、私が近江で見て来た教会に足を運んだかもしれないし、郵便局へも行ったかもしれないと思うと何かがこみ上げてくる。
近江八幡は当時、長閑な村だったに違いない。母に私が見た風景の話しをぽつりぽつりとした。「屋根瓦が黒くて落ち着いていたよ」とか「湖で捕れるものを佃煮にするんだよね。小えびと大豆の煮豆を食べたよ」とか「近江は米と豆の産地だね」そんなような、たあいもないことをいくつも話した。母は「ああ、ママはよく大豆を煮ていた」と、どんな小さなことでも喜んで応えているように見えた。早くに母親を亡くした母はどんなに淋しかったろう。
嶋内ヒサは7人も子どもを生んだから、18歳で結婚をしてからというもの、とにかく子育てに暇がなかった。写真にうつる手に印象が残っていて、触れたこともないのに、肉厚の分厚い手だったにちがいないと思う。
結局、琵琶湖をひとまわりして、確かに、私は、祖父だとか祖母だとかの何かに惹かれて旅をしたはずだ。でも、気が付くと、いい空気をたくさん吸って、一番見たかった冬の光景や朽ちるものを目と体全身で触れることの方が大だった。
足元の粒だねのようなものばかり見つめて来たような気がする。が、穏やかで、静かに、ゆっくり、たっぷりと湖畔の波の声を聴きながら過ごした時間は、私の精神をひとまわりもふたまわりも豊かさに満ちたものにしてくれていると思う。
旅の後というのは、あっという間に押し寄せる日常のリズムに記憶も希薄になってしまいがちだが、今はちがう、湖の自然はなぜかずっと、昨日のことのように私の中に生きていて、ゆっくりと私の鼓動にあわせて鮮明によみがえっている。
*琵琶湖にて
*朽ちていくものへ
*枯れヨシの中を
*琵琶湖の朝
posted: mitsubako at <08:14AM>