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2005年02月05日

地球はまあるい

CA310007.jpg今日のことを書こうと思っていたら、時計はもうすっかり12時を過ぎて昨日のことになってしまう。時間はちっとも待っていてくれない。朝、起きてカーテンを開けると、射し込む朝日が、「春だな」と感じた。そう思うと、少し寒いけれど東、西、南、北、部屋の窓を全開にして、風の通り道をつくった。なんだか、急に掃除をしたくなる。掃除をすると、すっかり気持ちも一掃されて爽快だ。時計を見ると、もう出かけなければならなかった。今日は四谷のギャラリーで、『地球はまあるい』の翻訳者ぱくきょんみさんが朗読をすることを知って、友人の大鹿知子さんと待ち合わせをした。
この催しを知ったのはまったくの偶然だった。私は、一昨日、山形の農村地で農業を営みながら詩人である木村迪夫さんの朗読CD『まぎれ野へ』が欲しくて、水牛通信のサイトにアクセスをしていた。そこで、たまたま、今日のことを知ったのだった。nameというタイトルでガートルード・スタインの一文を引用したばかりだったし、本を読み返したばかりだったので、この巡り合わせをとても嬉しく思った。
会は、高橋悠治さんのゼミが主体で、ガートルード・スタインをテーマにやってきたことを、朗読、音、サンプリング、ライブパフォーマンスなどで数名の方々が発表をした。

ぱくさんはゲスト出演だと思うけれど、彼女を中心に3人の女性と、2人の男性の混声で朗読が行われた。お話は淡々と読みすすめられた。声に出して読むというのは、活字を目で追って読むこととはまるで違う体験と発見がある。
ぱくさんは、朗読の前に「数少ない語彙で、ローズが発見していくことをあらわしている」と語っていた。私は、私が私であることを発見する始まりって、自分の名前を知ることから始まる旅だと思っていたけれど、ローズの知るかぎりのことばで世界を順に再確認していくうちに、もっと大きな世界に気づいたってことなのかなと今日、新たに感じた。

ところで、木村さんのCDのことは、すぐに書けないけれど、この詩集の中に、昨年どうしても見たいと思っていた、故小川紳介監督の追悼の詩を見つけて、この偶然にも、はっとした。小川紳介監督のフィルムはまだ一度も見たことがない。『満山紅柿』がとても見てみたい。

追記:この日大鹿さんは皮の手袋を片方だけなくした。

posted: mitsubako at <14:11PM>