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2005年02月28日

mobile linear city

RIMG0811.jpgここは、誰のものだ。
公園を横切って帰るときに思うことがある。ビルの広場で煙草をふかしている人を見るときふっと思うことがある。
私のものではないけれど、私が通ることができて、入ることができる。
mobile linear cityはスペースに対する考え方を投げかけてくれた作品のひとつとして、初めてカタログで見た時、衝撃的だった。

かつての、モダンダンスの主宰はこういったことがある。
「いい?日本の踊りは土の上に立つ、歩きは土をつかむんだよ。大地とどう向き合うかなんだ。西欧の踊りはいかにして弧を描いて空気を自分のものに取りこむか、空気。空気なんだよ」。

人間の育った環境によって、空間の感じかたや空間を表現するアイディアは似ていたり、まるで異なっていたりする。だから異なった解釈に出会ったとき、戸惑いもあるけど、ひとつ大人になったぐらいの大きな発見だったりもする。
性格のあまりない都市に暮らしていると、どんなに意識を持っていたとしても、人は知らず知らずのうちに、都市空間に呑み込まれていく。
自分の空間と公共の空間が当たりまえのように存在していると思ってしまう。もし、街がコンパクトにたためて、持ち運びができたとしたら、街って一体なんなんだろう。建物が建ち並び、人が集中し、車が右往左往する都市の象徴みたいなものが、くつがえされたりする。公共の空間として誰かが管理していた場所が、そうでもないような場に見えてくる。
ヴィト・アコンチという作家は、シニカルな味をそえながらも、社会に対して挑発的な展開をこころみる。ある時代の彼の作品は私にとってのスーパースターだった。

固定や安定は予想を生み出す。流動や変化は再生をうながす。循環する点はどこかに必ずあるはず。

追記:今日はどうしてもこのことを書きたかった……

posted: mitsubako at <14:18PM>