吉原幸子誕生記念朗読会

|

_DSC4437.jpg

6月28日は11年前に病気を煩い、亡くなった詩人吉原幸子の誕生日だった。
西荻窪にある数寄和というスペースで誕生日を記念した朗読会が催された。稲葉真弓、野村喜和夫、小池昌代、目黒裕佳子がそれぞれに想う吉原幸子を語り、この日のために選出した詩を数篇と自分の詩を朗読する小さな良い会だった。

地のなかに 仔犬はまるくなって お菓子の紙袋を前あしに抱いて 眠ってゐる

わたしにとって、この一節から始まる「仔犬の墓」(詩集 幼年連禱)は、幼い頃、近所の人からもらってきた自分の仔犬の死と重なり印象深い詩のひとつだった。
朗読者の詩人たちは、吉原幸子の詩を肯定的に受け止めているわけではないけれど、何かしらの「ひっかかり」を持ち続けながら、自分の詩作と共に思いや見方を変えつつ、この日の朗読に立ち会っている感があった。吉原の代表詩集と言われる「幼年連禱」についての再認識の場としても興味深いものだった。
自分のなかにある幼年性を大人になって語る。そのことの意味は一体どういうことだろう。
思潮社から出ている現代詩文庫56の作品論に石原吉郎がこう書いている。(以下抜粋)

「えうねん」と綴るとき、ことばとうたへの彼女の信頼のやすらかさが、そのまま私には伝わってくる。
 
 ......

大きくなって
小さかったことのいみを知ったとき
わたしは"えうねん"を
ふたたびもった
こんどこそ ほんたうに
はじめて もった 
『喪失ではなく』

幼年を回復するということは、「かつてもった」ものを、「かつてもたなかった」もののように、もつことであろう。(現代詩文庫56吉原幸子詩集/思潮社より)

わたしは彼女自身の詩や解説を読んで、自己との断絶、一度ある意味でことばの死を詩人は通過したのではないかと感じる。そうすることで生に向かう、つまりことばに生きる潔さとか余分なものを排除した詩が生まれたのではないかと解釈している。そうして詩集をめくってみると、わたしが今、選ぶ詩は「卵」と「名まえ」になった。
朗読会の最後に吉原幸子の息子、吉原純さんが詩を朗読した。息子にあてた「Jに」という詩のなかからで、いつもなら「あたらしいいのちに」を読むのだが......と言って「J XII」を朗読した。おそらく息子がいつか朗読すると思って吉原幸子が当時この詩を書いていたわけではないだろう。こうして誕生記念の夕べに息子が息子にあてた詩を、しかも母の死後に朗読するという場に居合せて、吉原幸子の存在がなおもそこに生き続けていることを強烈に実感した。

*1988年のインタビューはこちらで見れます。
http://youtu.be/TkQLAiBcVRU
http://youtu.be/mrJ7puVcQ3Q

Presented by
www.mitsubachi-kibako.net

Powered by
Movable Type 4.1

since:2003.10.18