それは冬至からはじまった

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2011年12月24日、クリスマスイブで渋谷界隈が賑わっていた時、わたしはSARAVAH東京の薄暗い会場で席に着いていた。冬至も過ぎて春に向う新たな出発点の日に、"「春と修羅」「銀河鉄道」をよむ"の朗読会の開演を待っていたのだった。
「ろうそくの炎がささやく言葉」(菅啓次郎・野崎歓 編/勁草書房)は、言葉を声に出して読むためのテクスト集として刊行された。詩を朗読するためのいわば実用書を自ら引き受けて、日本各地で声に出している男が、編者のひとり菅啓次郎さんだ。"「春と修羅」「銀河鉄道」をよむ"の企画と出演は古川日出男(小説家)、菅啓次郎(詩人)、小島ケイタニーラブ(音楽家)の三人だった。
公演
第一部 「ろうそくの炎がささやく言葉」からの短編と宮澤賢治の「春と修羅」の朗読
休憩
第二部 朗読と音楽劇に再構成した宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」
この演目は特別な出来ごと=イヴェントとしてわたしの心象に焼きついている。震災で失った多くの命、やり場のない怒り、空虚、朗読会の4日前に死んでいった友のこと。これらいっさいを弔うのにこれ以上の機会はなかったと思う。古川日出男が「春の先の春へ 震災への鎮魂歌」(左右社)に読んだのが、永訣の朝、無声慟哭、報告、青森挽歌、春と修羅だった。東北、岩手県を代表する作家として世に知れた宮澤賢治が、修羅に心象の場を置いて彷徨った詩の採録だった。病死する妹との別れを実体験し、駅という場から鉄道に揺られる時間軸のなかで、実に私的な故人の死を悼む。その心境は危機とも思えるようで、心の奥の呻き声によって吐き出された言葉が、幻想の海を漂い、やがて外界の星を見る。普遍性をおびた人間の生へのきざしに向かって下車して行く。それは「銀河鉄道の夜」にも投影される宮澤賢治の死生観でもある。ハルレヤのまっすぐな声の響きが、なにかを救ってくれる。聞き終えた後のわたしには、確かに、新しいなにかに向かおうとする小さな芽生えのような感覚がひろがっていた。
ある人が弔うということについて、こんな言及をしている。「その人」が生きている時に、よりよい生をめざして思案しているその只中に、「その人」の死後を想う領域が生み出されていると。人は「その人」が死んでから想うのではなくて、「その人」が生きている時から、よく生きようとしている姿に、すでに弔いのイメージを描きはじめているという。震災後、それぞれの体験による喪失感の波が、これからを生きていく人々に押し寄せてきた。それは重く、暗い。そのままならい闇のなかを歩きつづけ、哀しみ、呻き、なんとかみんなで明るい虹を見ようと試みているのが、朗読による、対象を限定しない回復の祈りなのだと思う。誰かひとりのためではなく、みんなのために弔うことが、いまの自分を「よく生きる」ことにつながると、朗読会を通じてわたしは考えはじめている。
菅啓次郎さんが企画する「ろうそくの炎がささやく言葉」の朗読会と古川日出男さんが企画する「銀河鉄道」の朗読劇は開催地や会場などにより、プログラムも出演者も更新し続けている。2012年3月11日、Rainy Day Bookstore & Cafeを会場に本・つながる・未来 プロジェクト vol.8 レイニーデイ 新しい春のためにで行われた演目は、金子飛鳥さんと中島ノブユキさんによるバイオリンとピアノの共演も加わり、視点は世界中のみんながしあわせになる祈りに拡大されたような気がした。菅啓次郎さんがプロデュースする朗読会はひとつとして同じ構成のものはなく、完成を見ないおもしろさがあるから、今後も機会があれば何度でも足を運び、立ち会い、共に時代を乗り越えて行きたいと思う。

岩手県気仙沼郡住田町で開催された朗読会についてはこちらに感想を書きました。
12月24日の朗読会の直後にfacebookに載せた感想はこちらです。

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