ノーザンラライツ、極北の光に

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(写真はTerence Meade撮影のポイントホープ村)


恥ずかしながら、1960年ごろのアラスカ氷原で幻の核実験場化計画がもちあがっていたことを最近知った。舞台はケープトンプソン、その一帯は約二万年以上にわたり、先住民たちが生きてきた痕跡が残る北アメリカ最古の暮らしの場である。「核の平和利用」と説き、数ヶ月の夏場にしか機能しない人工港を、水爆実験を用いて建設しようとした計画だった。これを「プロジェクト・チェリオット」という。
白一色の荒涼とした大地は、貨幣価値経済や科学技術に生きる側から見れば、「もっとも不快な地」といわれた。一方、自然界の摂理を基軸に暮らす人々にとって、そのことばがあてはまるとは限らない。昔からティキラック、イヌイットのことばで「人さし指」という意の地方ほど豊かな土地はなかった。
太平洋ビキニ環礁沖での核実験で国際的な批判を受けた研究チームは、アメリカ国内に実験の場を探し求めていた。条件は地の果てであること、つまり人があまり住んでいない地。そこで選出されたのがケープトンプソンだった。アメリカ原子力委員会の命を受けてやって来た科学者グループの中に、若き日の生物学者ビル・プルーイットがいた。ビル・プルーイットは北方の自然に憧れ、アラスカで野生動物の研究をするのが夢だった。1953年にその夢の大地へ足を踏み入れ、アラスカ大学のフィールド・バイオロジストとして雇われた。ビルは生物学者というより、ナチュラリストであり、旅人だった。大自然の中で生き生きと暮らしながら生態調査をする彼のバイオロジストとしての姿勢や実力の右に出るものは当時いなかったという。しかし、ビルを知る人物は、バイオロジストとしての偉大さだけでなく、何か夢を誘うようなビル独特の世界があったという。星野道夫はそれを極北の自然に対する少年のようなロマンチシズムと書いている。(ノーザンライツ 星野道夫著 新潮社文庫)
人間が住んでいないという条件で選んだ場所は、皮肉なことに、北アメリカでもっとも古くから人間が暮らし続けてきた大地だった。
わずかな情報をもとに、核の灰がもたらす悪影響におびえていた先住民たちの間に芽生えた反対運動、そして巨額な経済効果の裏に潜む人類への危機を使命をもって守ろうとした数名の知識人たちの活動による闘争がはじまった。核実験反対を唱えるニュースレターが徐々にアメリカ全土に知られて行き、アメリカインディアン協会代表も阻止のための協力に立ちあがった。アメリカがアラスカを買った時の最初の土地法では、先住民たちの伝統的な暮らしが侵害されない保証がされており、まだその権利は有効であった。たとえ自分の人生が犠牲になったとしても、少数派の良心をともなった知識の効果的活用と生活を営んでいる実証人たちの力の融合が、ついにアメリカ原子力委員会を揺り動かし、1962年8月事実上「プロジェクト・チェリオット」は中止された。星野道夫によって語られたこの「幻のアラスカ核実験場化計画」で、わたしがもっとも注目したのが地衣類だった。わたしは福島原子力発電所の起きた2011年3月11日以前と以降という見方をこれまでしていたが、それはもっと時代を遡ることがわかった。「それ以前」と「それ以降」は1945年を境に意味することと訂正したい。そこを境に地衣類は放射能を蓄積する、もっとも優位な生物と化したことをビル・プルーイットが調査報告していたからだ。わたしはこのアラスカの人々の勇気ある選択に心から敬意を表したい。この選択のお陰で、どれだけ多くの生態圏が守られたのだろうと想像すると自然と涙がこぼれてくる。
NHKで「日本人は何を考えてきたのか 第三回 --森と水と共に生きる・田中正造と南方熊楠--」という番組が放映されたという。わたしは見逃してしまったのだが、一方向に流れていく映像とわたしたちが現在持ちあわせた電子ネットワーク時代の道具上に「連鎖する感情」を、内田一成さんは情景的に自身のblogに書かれている。日本を代表するふたりのナチュラリストと感性のナチュラリストともいえるレイチェル・カーソンを重ねている。わたしはさらにここに星野道夫を重ねたいと思う。自分の置かれた現実ともう一方に想像できる世界を持つこと。それはたとえばオオカミの棲む森や鯨がおよぐ海洋だったり、花から花へ蜜を求めるみつばちであるかもしれない。もうひとつの世界は体験をともなって経験化した世界であってほしいけれど、たとえそれが空想の世界であったとしてもいいのだと思う。つまり自然に敏感で想像力を養う力なのだと思う。ビル・プルーイットで言うところのある種のロマンチシズムは否定できない。そんな想いや衝動が人類の営みをつないでいくようにわたしはこのごろ思っている。
数日前の夜、しばらくぶりの友人と静かにビールを飲みながら、回想と他愛のない会話を楽しんだ。友人は旅が好きで、はじめはレールの旅、道の上を行く自転車の旅、そして行きついたのが自分の足で辿りつける登山だった。「山は歩けば行けますからね」と、ぽそりとつぶやくことばにはっとした。そこには手段や方法を削ぎ落としていった一番簡単で難しい目的地への道のりがあるからだ。だいぶ霧のなかをさまよっていたわたしだけれど、思い切って人に会い、話しをしてよかった。無言の者からバトンタッチされたことを終えた爽快な風が、今はわたしの心のなかをとおり抜けていく。