震災後の遠野へ

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向こうに見えるのは六甲牛山か

仕事を定時で終えて、新花巻で釜石線の最終列車に連絡するぎりぎりの東北新幹線に東京駅から乗った。岩手県気仙郡住田町へ行くには翌日の早朝でも十分間に合うのだが、住田町や陸前高田市を余裕をもって訪ねようと思い、前夜に遠野入りした。遠野でかねてから馬と暮らす生活をされている徳吉家の敏江さんから、万が一の雪のことを考えて遠野を拠点としたらというアドバイスをもらい、宿泊は遠野にした。住田町へは車で40分ほど、陸前高田市の中心地だった場所へは約1時間半ほどで行けることがわかった。
夜9時近い新花巻は寂しい。それでも5人ほどの乗客が、暗闇の向こうからやってくる単線列車を待っている。銀河鉄道の街へふたたびやってくることができた実感を噛み締める。遠野は時雨模様の東京よりずっとあたたかだった。釜石線に乗ると新幹線で移動中のやや緊張した気持ちとはうって変わり、ほっとした。星野道夫の『旅をする木』を読みはじめた。各駅で停車しながら人がひとり、ふたりと降りていく。がらんとした車内には新花巻から同乗した乗客は2人になっていた。
翌朝、ゆっくりと遠野駅まで歩きレンタカーの手続きをした。久々の車の運転は楽しい。まずは明るいうちに、夕方集う詩の朗読会が開催される住田町農林会館へ直行した。住田町へ向かうにつれて雨風がひどくなって来た。340号線の途中、濃い霧が走る場所を通過した。帰りは夜道になるので、だいたいの地形をつかんで第一目的地の住田町に40分かからないぐらいで到着した。住田町周辺を少し歩くが、雨が強くなってきたので農林会館に入る。この日一日限りの新井卓さんの写真展の準備がはじまっていた。
会場を後にして、340号を陸前高田市へ向かって再び走りはじめた。このあたりまで来ると被災地救援活動の拠点基地や仮設住宅の表示を目にしたり、すれ違いにトラックやダンプカーが多くなる。川の駅産直よこたで降り、休憩をする。産直で売られているものを見たりその周辺を歩いてみたくなったからだ。運よく雨が上がり、なだらかな山並みに囲まれた美しい村に実がたわわになったひときわ目を引く柿の木を見つけた。よこたでは横田町のりんごと被災者が手づくりしているフクロウのストラップをお土産にした。そこから一気に陸前高田市を目ざした。少し丘陵地になっているところを境に壊滅した陸前高田市の中心街が灰色の海の方角に見えた。雨風がさらにひどくなったが、被災地域に入るはじめの場所で車を降りてまず立った。地面は雨と震災の影響で水が溜まっている。瓦礫を運ぶトラックは泥のしぶきをあげて通り過ぎて行く。市内中心に向かってまっすぐ伸びているこの道の先にはなにもなかった。どうかこの先に、かならず希望の道が開かれますように、わたしは強くそう思って一礼をした。壊滅地域とそうでない地域を境とする場所にはすでに仮設のコンビニやコインランドリーが営業している。スナック菓子を買ったレシートでさえ、「がんばろう!陸前高田市」と印字されているのが印象的だった。これから厳しい寒さを迎えるこの地の復興作業はしばらく進まないにちがいない。じっと耐えている方々の上によい兆しが見えてきますように!
翌日は強風の寒い朝になった。附馬牛から上郷へ3年ほど前に引っ越しをされた徳吉家へ向かった。この日も移り変わりの激しい空模様だった。突風で雲がきれた一瞬、陽がさすのだが瞬く間に次の雲がやってきて、今度は霰を降らせたりする。6年ぶりだろうか、敏江さんと再会し、娘さんの茜ちゃんも待っていてくれた。馬屋からジンガロウが顔を出している。なんだか立派な馬になった。玄関には薪ストーブがたかれている。椅子を置いてそこでさっそく久しぶりのおしゃべりをはじめた。北国出身の「くま」という名の犬が家族の新メンバーになっていた。慣れるまで30分ぐらい吠え続けていたが、諦めたらころんと寝はじめた。まだ子どもなんだなと思った。おしゃべりのはじめはやはり震災の時どうしていたかだった。遠野の被害はさほどなかったが、停電があったという。すべての電源が切れた時、困りはしたものの、かえってその静けさに驚きとある種の心地よさを感じたぐらいだったという。3日後に電源が復旧した瞬間、電流のバシバシという音にむしろびっくりしたという。わたしたちの暮らしが、いかに電力とガソリンに頼っているかを身にしみて感じた体験だったと敏江さんは穏やかに話してくれた。遠野は震災後、海外から派遣される医療団体や自衛隊などの拠点になったという。これまでは観光客を対象としたサービスばかりを考えていた地域が、震災後一転してボランティアの方々や救済活動にかかわる方々などの受け入れで、これまでとは違った需要と供給が求められるようになった。観光を目的としないさまざまな人々が来ることで、新しい風が吹きはじめているような気がしていると敏江さんは言っていた。被災地からは比較的近いとは言え、遠野に暮らす人々にとって被災地は東京と同じように遠く、どこかで起きた大災害のようだったという。それほど遠野は震災直後の影響はあっても、すぐに日常を取り戻した地域だったことがわかる。今後、遠野は復興の拠点的な地として大きな役割をになっていくのだろう。
茜ちゃんはおしゃれなメガネをかけた中学生になっていた。来年の1月に8日間アメリカでホームステイをすることが決まった話やバレーの発表会のこと、将来は翻訳家になりたい夢など、おっとりとしたていねいな口調で話してくれた。のびのびとそして芯のしっかりした素敵な人に成長していることがとても嬉しかった。帰る30分前ぐらいに仕事場からご主人の英一郎さんも駆けつけてくれた。敏江さんはお昼に遠野地方のすいとん「ひっつみ」を作ってくれていた。野菜と小麦粉の生地をひっぱてちぎったような麺が入っていて、だし汁がとてもおいしい。おかわりもした。英一郎さんは無農薬で今年から栽培してみた豆(小豆、白インゲン豆、大豆)のデザートを作ってくれていた。ゆでた豆をはちみつとヨーグルトであえ、シナモンを入れた体によさそうなおやつだった。こうして半日、温かい家族と再会し薪ストーブにあたりながら過ごしている間、突風が吹く中ジンガロウはたて髪をなびかせながら馬屋から顔を出し、じっとこちらの様子を見つめていた。いや見守っていたのかな。
遠野を3時過ぎの列車に乗るために、ハンドルがとられるほどの強い風の中、車を走らせて駅へ戻った。到着すると釜石線が強風のため運休になったと駅員さんから知らされた。50分待って代替え運行のバスに乗り、輝ける夕焼けの空、新花巻へ向かった。この輝きの空を忘れずに、復興を心より祈りつつ......。

岩手の旅は岩手雑感に記録があります。

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川の駅産直よこたの外壁に

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この道の先に希望の道が開かれますように

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