霧の但馬 その3 神秘の里 柤岡 (ケビオカ)

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柤岡 (ケビオカ)という地名の響きからして何かあるにちがいないと直感した。友人の知人に豊岡市経済部でお仕事をされている新田佳代さんがいる。新田さんから以前に訪れた柤岡の集落で、日本みつばちを飼われている方と出合った話を聞いたそうだ。さっそく知らせてくれた新田さんのブログに掲載されていた棚田の風景は、まるで南米大陸のどこかのような神秘にみちていた。柤岡は日本海側特有の気候に類似し、間もなく雪の季節を迎えるという。その前にと予定を空けて、新田さんが同行してくださることになった。なんとも心強い!早朝に友人が豊岡市内の宿泊先まで車で迎えに来てくれた。そこから約1時間ほど走って神鍋高原の道の駅に着いた。その道のりに偶然ながら、植村直己冒険館の前を通過したことをわたしは決して見逃さなかった。たまたま読んでいた大島育雄の本に植村直己との出会いと別れが書かれていて、わたしが小さい時に知った冒険家の話がこんなつながり方をするのかと、懐かしんでいた矢先だった。植村直己がこの地方出身だったとは驚いた。
道の駅で待ち合わせた新田さんと、その友人の藤木恭子さんの車に乗り合いにさせてもらい、さらに山の奥地へと向かった。柤岡 (ケビオカ)に向かうにつれて、雨足が強くなってきた。山と山の合間から霧が沸き立つように見える。いよいよ新田さんが名付けた「但馬のマチュピチュ」の気配がしてきた。高原に美しい棚田が点在し、雑木林は人の手がていねいに入っている。こんな奥地になぜ美しい集落が存在するのだろうか。急勾配の道を登ると家々が並ぶ村の中心に到着した。「ここから、まだ急な道を登って行きますからね!」と、元気いっぱいの新田さん。一歩づつ登るごとに、周りに隣接する山が見えてきて、突然、開けた畑が現れた。「あー、宅見さん!待っててくれたんですか」。新田さんが畑を見回る老人に声をかけた。実はわたしは、そのこと以前に、断崖に切り開かれた畑の美しさに圧倒されていた。呼吸も整わないまま、「うわぁー」と歓声をあげて、すっかりその風景に見入ってしまった。その土地の地形にあわせた形で広がる段々畑。その向こうの谷には霧がもやもやと漂っていて、さらに後ろの山の稜線を見え隠れさせている。いたずらな悪天候の演出が、この場の神秘さをかえって絶妙にするのだった。雨だというのにわたしの心はこの魔法にかけられて、一気に晴れてしまった。
宅見さんのお宅はとてもすてきだった。里山に昔からあるようなごくごく一般的な日本の家屋で、長年修繕を施しながら暮らし続けてきた家のにおいがした。家の前 には薪が整然と積まれている。間もなくやってくる冬に備えた燃料は必然のこと、きっとすぐに取れるように玄関のそばに位置しているのだろう。庭の柿の木に実が少しなっていて、重たい灰色の空に朱色の実が鮮やかだった。掘り起こしたままの自然薯やムカゴ、朽ちた植物までもが雨に濡れて一段と色濃くしっとりとした雰囲気を醸し出していた。玄関先で奥さんが入れてくれたコーヒーを飲んでから、傘をさしながら宅見さんの案内で畑周辺の山道を散策した。宅見さんはこの辺は山の水を引いているから 水がきれいだと言っていた。わさびの栽培もできるという。水は冬は温かく凍らないのだと話してくれた。冬の間は雪が二階建ての屋根まで積もるので、雪下ろしが大変だと言う。雪景色の集落を一時的に想像すれば、深閑とした美が浮かび上がってくる。しかし、ここで暮らすには経験に基づいた確かな知識と技術なしにはそう簡単にはいかない。
宅見さんの運転でさらに宅見さんのお兄さんのいる山へ登って行った。お兄さんは炭焼き小屋を持ち、秘密基地のような小屋も作っている。その小屋の周りに自然状態に近い菜園があって、よく見ると豆やオクラ、パプリカなどが植えられていた。大きなオクラの種を「やるよ」とぽーんとなげてくれた。種の造形はいつ見てもすばらしいと思う。嬉しい山のお土産ができた。
宅見さんの兄も山のあちこちに、日本みつばちの巣をしかけてまわっていると言う。基地下の倉庫にある使い古しの巣箱をいくつも見せてくれた。巣箱に規則的な形はなく、遠野や熊野地方でも見かけた、木の幹の洞を利用した巣もあれば、山で集めた素材から作った箱のようなものもあった。どの巣箱にもみつばちはもういなかった。今年は熊にずいぶんやられたり、みつばちが少なくて、蜜は採れなかったという。日本みつばちは非常に神経質で、自分に合わない環境だとすぐどこかへ出て行ってしまう。半自然状態で飼っていても、そこにずっと居着くとはかぎらない。この地域で日本みつばちがいなくなった原因はすぐには分からないが、おそらくこんな里山の奥地からこそ生態圏のバランスの崩れが表面化してくるのだろう。日本みつばちは何を警告しているのだろうか。
それからしばらくの間、お兄さんの基地の中へ上がらせてもらい、窓から見下ろす風景や辺り一帯の地図を見せてもらった。宅見兄のランドマーク地図には、蜂箱をしかけたところや樹木、そして「熊穴」が記されていた。この土地で生きるということは熊との共存、あるいは、すれすれのところで成立している縄張りの均衡なのだろうと思う。生きる場によって人が必要とする情報は実にユニークで多様だ。新田さんがいろいろな形で日本みつばちの話を質問しても、話のおちは必ず「熊話」の武勇伝になってしまう。それほど宅見さんとみつばちと熊はこの山で密接な関係で結ばれているのだと思う。
宅見さんのみつばちの飼い方は「飼う」という行為よりは、ハンティングの性格が強いとわたしは思う。狩猟感覚で巣をしかけ、気に入って巣に入ったみつばちはほぼ自然まかせの放任状態で住まわせ、時期になったら巣を割って採蜜をする。そのための特種な道具類が作られているほどの伝統養蜂というよりは、生活の中の身近な出来ごとの一部として半娯楽的に親しんでいるように感じた。たしか、遠野市立博物館の宇野理恵子さんの文献であったと思うが、狩猟と娯楽の中間的な位置づけの養蜂は山間部に多い。
こうした暮らし向きは時代と共に消えて行こうとしている。宅見さんたちのような里山との共存生活には、持続可能な有機的な循環----これをわたしは"良い気"と呼んでいる----が流れていると感じた。
そろそろ遠くの但馬のマチュピチュに霜が降りている季節(ころ)だろう。

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さすが、新田さんはお話上手な方だと思いましたが、この日のブログのお話は臨場感が溢れていて地元の空気感が伝わってきます。愉快愉快!
ケビのおじぃと熊の森

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