日本人イヌイット 北極圏に生きる

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矢川澄子さんと幼いころから母娘ともに交流の深い友人から、昨夜短いメールが届いた。矢川澄子と親しかった者たちの記念会が黒姫であったようだ。すべての今日の家事が終わってほっとひと息する時間に、このところ書棚の奥の方で眠っていた彼女の本をぱらぱらと開いてみた。最近わたしが読んでいる本やUstreamなどで関心をもって見聞きしている世界とはだいぶかけ離れていて、今はスイッチが入らない。一見まったく関連性のないものだけれど、わたしたちは日常生活のなかで分野や表現方法の異なるものをこうして同時多発的に受け取っている。それをいつでも選択したり切り捨てたりしながら、これまでに構築された考え方につけ加えたり、切り替えたりする。意志や価値観、判断はこうして例えば70年ぐらいの人生のなかで、忙しく変換をとげる。
先日NHK BS プレミアムで放映された「日本人イヌイット 北極圏に生きる」は心が熱くなる番組だった。わたしはイヌイット族の生活から産み出される作品に関心をもっているが、このドキュメンタリーを通して民族を超えた、極限に生きる人間の証明に強い衝撃と胸騒ぎのようなものを感じた。わたしの体のどこかに潜んでいるプリミティブ願望をくすぐるのかもしれない。槍一本で自分より数倍大きな野生動物を捕らえたり、狩猟に必要な服はホッキョクグマ、アザラシ、ウサギなどの毛皮から作ったり、氷原を渡る犬ぞりを管理するシーンが、移り変わる太陽の位置を背景に印象的だった。そこには生きるための原点と生き続けるための知恵と精神がある。1972年、念願のグリーンランド北西部にあるチューレ空軍基地に降り立った大島育雄を出迎えてくれたのは、探検家の植村直己だった。大島が大学時代に在籍していた日大山岳部は、早くから極地調査や遠征をおこない、東グリーンランドのフォーレル峰登頂やグリーンランド横断などの成果をあげていた。そんな経験を持つOBたちから写真を見せてもったり、話を聞かされているうちに、大島は極北に深い関心を向けるようになった。会社勤めをしながら資金稼ぎや北極関連の資料を片っ端から集め、独学で勉強をはじめた。名古屋鉄道の「リトルワールド」という人類学博物館からイヌイット民具の収集を委託され、ようやく1年間滞在のめどが立った。そして南極にある昭和基地よりも極点に近い、極地独特の厳しい環境を求め、犬ぞりの習得や猟で生計を立ている唯一のイヌイット族が住むシオラパルクの村に住みつくことになった。大島はその後、イヌイットの女性と結婚し一男四女の父となる。今では子どもたちも独立して、5人の孫に囲まれる現役狩猟家だ。長男海(ひろし)は3児の父親で、息子のイサム(撮影当時8歳)と親子3代の狩猟を中心とした1年の記録を、彼ら自身にドキュメントしてもらった作品が「日本人イヌイット 北極圏に生きる」だった。おそらく海が幼い頃、父大島から時をみて連れ出されたであろうある日の猟を、今度は息子のイサムに同じように教えはじめている。地球温暖化の影響で海面が凍りはじめる時期が遅くなったという。もともと海は町で大工をしていたが、「自由がない」と、職を辞めて父と同様に猟師の道を選ぶ決心をした。果たして息子イサムの時代まで、このまま狩猟ができる環境が残るか、そしてイサムが狩猟に興味を持つかは誰にもわからない。しかし家族で生活を続ける以上は、ある年齢になれば男児は立派に猟の手伝いをし、一緒に家族を支えていく一員になる。父親の役割と息子との関係ははっきりしている。生きる目的もはっきりしている。自分で食べるものは自分で穫る。なぜ食べるのかはこの暮らしを見ていればいたって明快で、「命をながらえ生きるため」なのだ。だから自分で獲物を獲得した喜びは大きい。これでまた命がつなげるという究極の喜びに直結している。そして、その恵みをもたらしてくれる目前の大自然に畏敬の念を払うのだ。
大島はインタビューのなかで実におもしろいことを言っていた。「ここではハンティングで異様な高揚と興奮を覚えるから娯楽は無用だ」と。大島はこの生き方が好きで好きで仕方がないという。好きでなければ、狩猟で生計をたてることはできないと言う。
今、自然エネルギーに注目しているわたしにとって、彼らの生活思想はもっとも洗練された形に見える。こんな極限の原始に近い暮らしをしている家族を見ているかたわらで、最先端技術を駆使するIT起業家の起業の精神や経営ヴィジョンなどをインターネット経由で聴講し勉強もしている。起業家も大島もわたしの目には根底に同じような志や判断力を備えているように感じる。大なり小なり時代や環境の異なりはあっても、生きながらえていく現場においては、いくつになってもいつでも感覚を研ぎ澄まし、判断をし、バランスを保つ心身の育成が必要なのだと思う。その習得意欲はわたしが持ちつづけることであり、主体的に行動することなのではないかと思う。