未来につながることばと頭脳を

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まだ大丈夫かなと思っているうちに30度を超す猛暑がやってきた。わたしは暑さと湿度がとても苦手だ。ここ最近で参加した詩の朗読会や展覧会、フィルムなどで感じたことなどを書きとめておきたいと思いながらも、うだるような暑さでぼんやりしてしまっている。さまざな雑音にあっという間にかき消されてしまう前に、ある瞬間に感受した感覚をまるごと凍らせて置いておけたらいいのになぁ。震災と福島原子力発電所の事故以降、変わり果てた環境に取り残されているのは知性をもった人間で、変らなければと思いつつも一番変える決断が遅いのだ。知性や感情がよくも悪くもじゃまをして、生命の危機感から疎くなってしまった人間たちは、自分たちの未来につなぐ行動をすっかり忘れてしまった。人の想像力が大きく欠落してしまった理由はそこにありそうだと、この頃思う。
6月17日勁草書房主催の管啓次郎・野崎歓編『ろうそくの炎がささやく言葉』刊行プレイベントに参加した。ことばを介したイベントはこの他にも大竹昭子さんがことばを持ち寄る『ことばのポトラック』を震災から一週間たって思いつき、大竹さん周辺の詩人、歌人、作家、歌手などに声をかけてはじまったものもある。管啓次郎さんはかけ持ちで企画参加されているし、実に精力的に活動をされている。『ことばのポトラック』は2012年3月11日までチャリティー企画として継続されていくし、『ろうそくの炎がささやく言葉』も朗読イベントを続けていくと聞いている。『ことばのポトラック』は第一回目の冊子がもうできあがって販売している。先日、編集協力のひとり、思潮社の藤井一乃さんから受けとって読んでいる。藤井さんの行動力にもとても刺激を受けている。被災地の方々のことを思い、「なにかできることを!」と行動に移された方々のことばに慰められともしびのあたたかみを感じているのは、むしろかさかさの東京で日々を過ごしている自分であったことに気づく。わたしも二次的に被災を痛感しているひとりなのだから。
さて、心に残る展覧会がふたつある。うらわ美術館で開催していた「堀内誠一 旅と 絵本と デザインと」と東京の国立近代美術館で開催されている「パウル・クレー展 おわらないアトリエ」だ。堀内誠一の回顧展は世田谷文学館に続いて二度目になる。前回見た時もそう思ったはずだが、以前にまして高い透明度のある色彩の世界に心の中がぱっと明るくなった。ラウル・デュフィやアンリ・マティス、ときにはパブロ・ピカソを彷彿させるような絵画の前に立つとにんまりしてしまった。堀内誠一と絵本で出会った頃の小さなわたしには気づけなかったけれど、大人になったわたしが、いろんな画家の作風をとりこんだ描手の好奇心をひそかに知りたくなると、あらかじめ予期して作家は描いたりするのだろうか。誰かのために描くということは、描く行為は現在の自分でしかないのだけれど、描いたものは未来に向かって在るのだと思う。堀内誠一の絵にはそんな未来志向がいっぱいつまっている。だから明るいのだろう。
パウル・クレーも何度となく展覧会に足を運び、祖国スイスのベルンやバーゼルの美術館にも行った。2005年に開館したパウル・クレーセンターはまだ訪れていないので、ぜひ行きたいと思っている。今回、東京の国立近代美術館で展示されているものの多くがクレーセンター所蔵によるものだ。展示はクレーが絵画に試みた技法がテーマになっている。写して/塗って/写してという転写のプロセスや切って/回して/貼っての切断と再構成のプロセス、とくに興味深かった作品はおもて/うら/おもての両面の作品だった。尽きない探究心と実践の連続に感嘆するばかりだった。すでにクレーはここに存在していないのに、クレーが到達しきれなかったことが未だにあって、精神と頭脳はひたすら向上心をもって生き続けているように思えるから不思議な芸術家だ。展覧会では「現在進行中」という表現で語られていた。
自身の活動のn˚f˚poetペーパーでは、テキストを書いてから文節を切り取って組み替えをしたり、あえて文脈をもたないように画策していたことは通じるものがあって、今後の取組みへの示唆を受けたように思う。「ことばが絵画になりえることはあるのか」という次への課題が、自然と自分にふって沸いてきたような気がしている。
よくばって岩波ホールで見た何作かのフィルムについても軽く触れておきたい。羽田澄子監督の「いま原子力発電は...」、「遥かなるふるさと 旅順・大連」と土本典昭監督の「原発切抜帖」だ。羽田澄子は1976年制作のドキュメンタリーフィルムで、福島原子力発電所に取材に入っている。一方、「原発切抜帖」は新聞の切抜からシニカルに俯瞰する当時の社会情勢だ。原子炉の安全性を唱える内部関係者と危険性に疑問を抱く人との間には埋めることのできない「そもそもの相異点」がある。それはある種の信仰に近いもので、安全と信じていることが前提の発想と、危険を疑う姿勢が前提の発想がわかりあえるわけがないのだ。この状況は2011年の現在、福島原発の大事故が起きていてもくつがえされることはなかった。羽田澄子のフィルムはそれほど強烈な指摘の仕方ではなかったが、すでに先見のまなざしを持って、人類が未来に限りなく続けていかなければならない後始末の警告を淡々とうながしている。
「遥かなるふるさと 旅順・大連」を見たかった理由は単純だ。わたしの母が満州の安東生まれだったからだ。旅順・大連の位置は安東からはずっと南下した地域にあたる。レンガ造りの町並や、馬車に乗ったことなどは、わたしの母の記憶ととても近いと思った。母の父親が撮影していた険しい岩山はおそらく朝鮮との国境にある長白山だろうし、鴨緑江は広大で、旅順や大連などの街から比べると安東はもう少しのどかな感じがする。知らない国なのに満州に痕跡を残す街に懐かしさを覚える。母が過ごした娘時代を、わたしが思い起こすとはなんとも不思議な感覚なのだ。