
「ハリストス正教会への道」(1923年)/長谷川潾二郎画文集 静かな奇譚
私の作品を発表する場は個展が一番よい。私の作品は小さい画が多いから、会場の部屋は適当に小さい部屋がよい。
私の感覚によって呼吸する空間。それは私の画である。私の画が集まっている個展の部屋は私の感覚によって呼吸する空間だ。
個展を開くのは、純粋な詩的空間を室内に現出させるためである。
それは私の精神の内部である。それは私の祭日だ。
一人の人が扉を開けて無人の室内へ入って来る。騒がしい町が、街路が、群衆が一瞬消える。
彼は其処で何を見るのだろう。
彼は、遠い日の幻を思い出すのだろうか。
この色彩は昔夢の中で見たような気がする。この風景、この道は子供の頃歩いた道のような気がする。その時緑は鮮やかに輝き空気は澄んでいた。
何時、何処かで感じて忘れていた何かが此処にある。
彼は又扉をあけて戸外へ出て行く。
幻の室内が背の心の中に残っている。それが私の理想的な個展である。
個展について(制作ノートより)
長谷川潾二郎(はせがわりんじろう)の初の回顧展が静かな話題を呼んでいる。冒頭のことばは美術館の入口にかけられていたものを書き写したものだ。
猫があまり好きでないわたしでも彼の描いた愛猫タローには心が奪われる。どこにでもいそうだけれど出会ったことのないタローの小さな寝息がまるで聞こえてきそうな実在感がある。絵画であるがゆえにその写実力と空気感に圧倒されるのだろうか。わたしは基本的に具象画の写実性や風景、静物画にはあまり興味がない。しかし潾二郎の世界にはそういったものが、ただ単純な絵画に終わらせない魅力が潜んでいると思う。長谷川の作品のなかで特に好きなのは「ハリストス正教会への道」(1923年)、「時計のある門」(1935年)、「荻窪風景」(1953年)などである。
潾二郎は1904年に函館で生まれた。父親はジャーナリストの先駆けで兄弟は文学者の道を歩んだ。潾二郎は1931年から約1年間フランスのパリに留学する。特にパリでの生活に苦を感じたわけではないが、パリの風景はフランス人にまかせておけばよい。海外に出てはじめて浮かぶ日本の情景を自分が帰国してしっかりと描いていきたいと決意を固めたのだった。「ハリストス正教会への道」はフランスへ渡る前の作品だ。なんの変哲もない街角の不思議な構図、どんよりした空、深い緑とたまご色の坂道の配色が浮き上がる。この時期からすでに潾二郎の定める風景の題材は変わらない。「特別などこか」ではなく「どこでもないどこか」だ。1951年以降の作品の中心が卓上静物となったのは、足が不自由になり外を歩きまわれなくなったからだった。
この回顧展はジョルジョ・モランディ(1890年生、イタリア)の静物画やキュビズムの影響を受けたともいわれる潾二郎が、いわゆる美術界の潮流や画壇に属さず、独自の絵画の世界を探求し続けた画家の再評価として重要だ。文芸家の洲之内徹が「絵のなかの散歩」で潾二郎との交友を綴っている。しかし評論による客観的な作品論よりは、故人が残した制作ノートなどの方が作品に対する姿勢や内面性を照らしていて、長谷川潾二郎が取り組んだ仕事の奥行きの心底に触れることができる。
日課予定
朝六時起床
朝食後アトリエへ入る。十二時mで三十分休憩。
アトリエへ、三時まで仕事。休憩一時間。
アトリエへ、五時まで。
夕方近所を散歩すること。
夜は十一時に就寝。
一日一回必ずフランス語を読むこと。
アトリエはいつも掃除してゴミ一つ落ちていないようにすること。
(詩と感想ノートより)
画家は出来るだけ生活を単純素朴にしなければならない。心をより明らかな鏡として、より深く自然の中へ入って行かなければならない。騒然たる現代の港を離れて、全ての第二義的存在、奇術、人工物を避けて、根元の自然に侵入すべきである。
外形は内部の現れだ。外部と内部、この二つの言葉はシノニムだ。
(ある日の感想・巴里遊記より)
展覧会は平塚市美術館をかわきりに、潾二郎の生まれ故郷の北海道立函館美術館、洲之内が「芸術新潮」に連載をはじめた「気まぐれ美術館」の名称とコレクションを受けついだ宮城県美術館を巡回予定だ。もう一度作家のゆかりあるいづれかの会場で潾二郎の絵画と対面をしたいと考えている。まちまちのフレームが冒頭の潾二郎の個展の空間を特徴づけていて、久しぶりに心動かされる展覧会だったと思う。








