
さわやかな天候が続いた5月。今日は、日記風にある週末のできごとを書きとめておこうと思います。
5月末にしては寒すぎるどんよりとした曇り空の土曜日、佐倉にある川村美術館に行きました。友人の藤井まほさんが馬喰町で同じ電車に乗り込む約束をしました。佐倉までの長い車中、ひたすらおしゃべりに夢中なふたりでした。気兼ねなく女友だちと話せるのは心の休日だと思います。まほさんはアロマアルケミストというお仕事をされています。環境にはたらきかける香りの調合をしてミストを作っています。最近彼女はambient alchemyというサイトを立ち上げたばかりです。偶然なのですが、わたしもほぼ同時期にambient dayという写真のカテゴリーを作りました。ambientのとらえ方はそれぞれに異なるのですが、同じことばを選んでいることにおもしろさを覚えます。小さい子どもならきっと「おあいこだね」という喜びに近いものでしょう。わたしがambient dayと名づけたり、撮影した写真をそのカテゴリーに選ぶ理由はそれほどなく、非常にぼんやりしたものです。「すべてをすっぽり包みこんでしまいそうな光が空気の外側にある」そんな日をそう呼びたいと思っています。直感的な感覚がある意志に基づいているかもしれないので、傾向をいつかことばに置き換えられるようにカテゴリーに集めています。まほさんも厳密な意味づけがあるわけではなく、身にまとう香りで自分を変容させるよりは、自分をとりまく空気、もっと大きくとらえると大気に働きかける香りに呼応して「わたし」も力を受けとるというような意を込めてambientということばを使っているのだそうです。
そんなふたりが行った展覧会が「ジョゼフ・コーネル x 高橋睦郎 箱宇宙を讃えて」でした。作品は美術館が所蔵する7つの箱でした。活版で組まれた活字の詩とまるでコーネルが制作を続けた地下室をイメージした会場で作品をとゆっくり向かいあいました。少し暗すぎること、願わくばもっと多くのコーネル作品を見たかったです。1903年12月24日、コーネルは毛織物の製造会社に勤める父と専業主婦の母の間に生まれました。4人兄弟の長男で、末の弟は脳性麻痺を患っていました。比較的裕福だった家庭も白血病で父が亡くなった後は家計が厳しくなりました。コーネルも毛織物会社に職を得て、家族を支えるために働きました。仕事の合間に古本屋や古道具屋をあさったり、ギャラリーやオペラ、バレエを見に行ったりしていました。そのころからクリスチャン・サイエンスに入信したといわれています。小さな箱だけれど宇宙や空間を感じるのはコーネルの信仰や劇場通いが大きく影響したのではないかと思います。チャールズ・シミック著の「コーネルの箱/詩の真実」のなかに次のような文章が書かれています。
人を夢想に運ぶ乗り物を、どうやって組み立てるか。見る者の想像力を富ませ、生涯にわたって伴侶となるようなオブジェをいかにして作り上げるか。
作品を繰り返し見ている途中で私はまほさんに「作品に運命を感じる」といいました。「それはどんなところから?」と聞かれてすぐには答えられずに躊躇してしまいました。コーネルが生涯それほど不幸な境遇に置かれていたとは思わないのですが、自分の存在やとりまく環境と折り合いをつけるために大きな力によって支配され、その流れに身を委ねる、あるいは偶然性に期待をよせる意を作品のなかに強く感じたからなのだと思います。
往復の電車のなかでまほさんに占星術の話を教えてもらっていておもしろいことに気がつきました。占い師は自分が占い師と名乗ったときから占い師になれる。アーティストもそれと同様です。占いを必要とするのは国政なり事業なりなんらかの形で成功をおさめる人々に近いところなので、お金と結びつきやすい。これは芸術家をパトロネージュした時代に置き換えると理解しやすくなります。だからこうした仕事が成り立つのだとあらためて思いました。どうしても占いというとオカルティックな方向に考えてしまい近づきがたいのですが、もとをたどれば自然気象に未来を観たり、シャーマンに祈願をしてもらうことのような素朴なはじまりだったのでしょう。
帰りがけにまほさん手づくりの粉ケーキをいただきました。檸檬ピールのにがみと香りが豊かで味わっていると、緑の葉をつけた1本の檸檬の木にレモン色の実がたわわになっている光景が浮かんできて、さわやかな気持ちになりました。美術館で買った星の絵柄のえんぴつ1本、高橋陸郎さんの「起きあがる人」詩集1冊。まるで関連性のなさそうなものだけれど、今日の日を象徴するようなこの3つをくくる共時的な力がどこかで働いているのではないでしょうか。








